17 神様の身長測定 2
「ほら、もう少しあごを下げろって、朝やったのと同じ体勢でやらないと、実際の身長を測れないだろ」
春臣は、柱に張り付いた彼女の少々上ずった顔を下げるように注意した。正確な測定をするためにはそういった調整は欠かせない。
「まさか、ズルでもしようっていうんじゃないだろうな?」
ありえないとは思うが、一応そう訊いておく。もし仮に、彼女がそれを意図してやっているとしたら、それは小学生レベルのごまかしだ。人知を超えた叡智を持つはずの神がやることではない。
すると、やはりそうではなかったようで、彼女は冷たい目で見返してきた。
「そんな程度の低いことはせんわ。そうすることに意味がないことぐらいわかっとる。ほれ、これでよいか?」
素直に顎を下げる。
「う、うーん?」
しかし、春臣からは顎を下げたはずの彼女の頭の位置が、僅かに震えて、中々位置が定まらないように見える。
「も、もしかして?」
ちらりと、彼女を足元を見ると、予感的中だ。
媛子は少しでも身長を伸ばそうと、膝を震わせながらも爪先立ちをしていたのである。
「こんな程度の低いことねえ……。まさか、神様がねえ」
怒りを込めて言いながら媛子の頭を押さえつける。
「痛いぞ、春臣。お、おい、単なる冗談ではないか。おぬしはそんなことも分からんのか?」
「真面目にやってくれよ。こっちは媛子に真剣に協力してるんだぞ。茶化されちゃ困る」
「す、すまん。おぬしを見ておると、ついからかいたくなっての」
「からかいたくなった? それはあんたから見れば、俺はただの人間の小坊主かもしれませんけどね。言わせてもらうと……」
「ほれ、じっとしておるぞ。今のうちに早く計ってくれ」
春臣としてはまだ文句を言い足りない気分だったが、おそらくその感情を表情から読み取ったであろう彼女にそう急かされ、渋々ながら持っていたペンで彼女の頭の位置を柱に記した。
そのまま真横に線を引き、今朝測った身長とを、顎に手を当てながら見比べる。
「うーむ」
「どうじゃ、伸びておるか?」
結果が待ちきれない、と媛子はくるりと柱を振り返った。
「大きく見積もって、5ミリ、くらいか?」
「5ミリ? どのくらいじゃ?」
「ええと、ものさしで見てみると」
これくらいだ、ともっていたものさしで媛子に指し示した。そして後ろを振り返り、実際の計測結果を見比べ、
「……おお、確かに伸びておるわ」
と喜びの声を上げる。
「半日で5ミリなら、一日で一センチ。媛子の元の身長が150センチほどだと見積もって、今の身長が10センチだから……元に戻るにはあと140日くらいかかるってことか?」
確かに多少時間がかかるものの、途方もない時間というわけではない。五ヶ月弱といったところか。
ともかく彼女は元の世界に戻れる目処がついた、春臣は楽観的にそう思った。後はその時が来るのを指折り待っていればいい、そう考えた。
しかし、媛子の顔はというと、一瞬華やいだ後で、なぜかはっと息を呑み、静かになった。
「どうした?」
と訊くと、
「どうやら、見落としておることがあったようじゃ」
と深刻な顔つきで春臣を見る。そこから、ただならぬ空気を感じ取った。
「どういうことだ?」
少しの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開く。
「確かに、わしの身長は半日だけで5ミリ伸びておる。しかし、わしの体は縦だけに伸びるのではない。体積分が増えるわけじゃから、同じ比率で身長が伸びていくわけではない」
最初は何を言っているのか分からなかった春臣だが、すぐに言いたいことを理解した。
分かり易く言うと、つまり、毎日決まった雪の量で少しずつ大きな雪だるまを作るものと考えていけばいい。
最初は全ての雪を使って球の形を作ればいいが、次からはその上に新たに周りを雪で固め、厚みを増やしていく必要がある。
しかし、回が増すにつれ、雪だるまは大きくなり、固めなくてはならない表面の面積は増えていく。
要するにその分だけ、一度に増やせる厚みの量が減っていくわけだ。
それを媛子の体で当てはめると、次第に身長の伸び率は下っていく。
大きくなればなるほど、その伸びは、微々たるものになっていく。そう、きっと最終的にはものさしなどでは分からないほど、小さなものに。
「今の状態でさえ、一日1センチであることを考えると、この調子で行けば、とても一年やそこらでは元の体には戻らんじゃろうな」
媛子の声が絶望に染まる。
「しかもただ体が元通りになって終わりではない。その上、わしが神本来の力を取り戻すまでいかなければ、神の国へは帰れぬ」
「……」
あまりのことに春臣は二の句が継げなくなった。
その事実が示す答えに気づいてしまったのである。それが、媛子の口から語られた。
「そうなると下手をすれば、何百年。それまで神の力を使うことを制限され、この狭い空間で生活を送るとなれば……」
春臣から俯いた彼女が唇を噛んだのが分かる。その事実がよほど身に堪えていると見えた。
この状況に、何も、言えなくなる。
春臣は神ではないし、同じ立場でもない人間で、彼女の本当の気持ちなど到底理解することなど出来ないが、少なくともきっと拷問に近いものなのだろうと察した。
その苦痛は、きっと計り知れないものだ。
「媛、子……」
そう名前を呼んだ後で、春臣はその先の言葉が浮かんでこないのが分かった。
きっと大丈夫だ、なんて無責任なことはとてもじゃないが言える状況ではないと察知した。
それは、行き詰まりの壁の前で、意味もなくつま先を壁にぶつけるような行為だ。
何の意味も成さない。気休めにすら。
さらに状況を悪化させかねない危険も孕んでいた。
唾を飲み込んで、春臣は彼女の顔をのぞきこむ。
沈みきった、媛子の顔。
今、彼女の目に映っているものは、間違いなく、先の見えない闇だ。
落ちていけば戻れない、絶望の谷間だった。
彼女はそこを覗き込んでいる。
そんな媛子に自分は何が出来る?
春臣は自問する。
そこで自分に出来ることはなんだ。
一緒にその絶望の淵を覗き込むことか?
いや、違う。
自分に出来ること、それは、絶望に囚われた彼女が気づいていない「希望」に目を向けさせることだ。
そうだ。それなら自分にも出来る。
かけるべき、言葉が、ある。
「媛子」
今度は覇気を取り戻した自分の声が響いたのが分かった。それが、自信に繋がる。
「このままで、駄目なわけじゃない」
「……?」
「今の方法がうまくいかないなら、違う方法を見つけるまでだ。そうだろ?」
「はる、おみ?」
「今回の方法が結果的に現実的でないと分かっただけで、そこには前進がある。媛子の体に存在の力が溜め込めることが分かったなら、今度はそれを、効率よく促進させる方法を探せばいいんだよ、な?」
それまで、虚ろだった彼女の瞳に元の輝きが戻ってきていた。春臣の言葉はきちんと彼女に届いたようである。
すると、媛子は急に俯いたかと思うと、なにやら服の袖で目元辺りを数回擦ったようだった。
「うん? どうした?」
「なんでもないぞ。ただ、そう、目にゴミが入ったのじゃ。別に涙が出たとか、そういうことではない」
これほど、分かり易い神様が他にいるのだろうか。春臣はあまりに正直すぎる媛子をいじめようとは思わず、ただ、信じた様に振舞った。
「そうか」
その方が、レディーに対する礼儀だと思うし、なによりこころがほっと温まった。また、元気を取り戻してくれたようだ。
「う、うむ。春臣の言うとおりじゃな。まだ、他の方法などいくらでもある。今回はただ、その中のたった一つが消えただけじゃ。何の問題もない」
「そうだ、その意気だぞ」
「よし、こうしてはおれぬ。まずは腹ごしらえじゃ」
「え?」
彼女はそう叫ぶと、上に向かって腕を突き出し、とてとてと駆け出して、春臣の背後に回りこんだ。
そして、ケーキが入った箱の前で立ち止まる。
「春臣、さあ、わしにケーキとやらをたべさせるのじゃ」
「それは、弁当食べてからだろ?」
絶対無駄だと分かりながらも、春臣はそう忠告する。すると、やはり彼女は首を振った。
自分の方針は断固として変えるつもりはない、そういうことだろう。
「わしの心が甘いものを求めておる。早く食べねば、わしの心が干からび、悲惨なことになってしまうぞ。おぬし、死にたいか?」
そんな安っぽい脅し文句にも騙されてやることにした。
「……分かったよ。好きにしろよ。死にたくないしな」
「うむ。ありがとう、じゃ。春臣」
その教えたばかりの感謝の言葉を聞きながら、春臣は箱の蓋に手を伸ばした。