169 黎明の炎 8
「ふふん、それはじゃの、春臣。わしらが黎明の炎によって生み出された、理じゃからじゃ」
これにはさすがに、春臣はずっこけてしまうかと思った。相変わらず、さらりととんでもないことを言ってのける彼女である。
「お、お前は……」
「何じゃ?」
「お前は、俺が少しでも理解しやすいよう、話を噛み砕くと言う事を知らないのか!」
「何を言っておる!」
すると、それを聞いた彼女は怒って拳を振り回す。
「これ以上、簡潔で分かりやすい結論はないぞ。何しろ、たった一言で全てを説明しておるのじゃからな」
「馬鹿言うな、いくらなんでも簡潔過ぎだ。俺たちが世界の理そのものだと? そんな無茶苦茶なことをいきなり言われて、『はいそうですか』って頷けるわけないだろうが」
「春臣」
「何だ?」
「それは、無茶苦茶ではないぞ。わしらがここにいることがそれを証明しておる」
黎明の炎は、この世の理を生み出すのじゃ。
彼女は繰り返す。
「これは揺るぎない真実なのじゃ」
それは、
確かに、そうなのかもしれないけれど……。
「でも……でも、だからって、あまりにも話が唐突だ。それにさ、媛子」
「何じゃ?」
「仮に俺と媛子が、その、世界の理だとして、それが、何を意味することになるんだ?」
「うむ?」
「俺たち二人の存在が、この新たな世界にとって、どういう位置づけになるのかってことだ」
そう、そこが分からない。
春臣は思う。
例えば、世界の理として、『神が存在する』というものがあるとする。この場合、神における世界に対する役割とは、世界の統治であるだろう。その無限に溢れる自然の力を駆使し、地上の平穏を守ることだ。
現状は別として、少なくとも世界が成り立った当時、神はこの世にとって、無くてはならないものだったのである。
しかし、一方で、春臣と媛子が世界の理とされるにあたり、その世界に対する役割というものが、春臣には見当たらない気がした。自分たちが世界から必要不可欠だと認識される理由が分からないのだ。
「うむ、そのことじゃが……」
と、媛子は深々と頷く。
「重要なのは、わしと春臣の関係性じゃの」
「俺と媛子の関係性?」
「こう言えば分かるか? わしはホカノであり、お主は人じゃ」
彼女は自分と春臣を交互に指差す。
「ホカノと、人」
「そう、見た目がいくらそっくりでも、本質的に見れば、わしらは別の種族。元々、異世界の存在同士じゃ。新たな世界の理とはつまり、そんな異なる二種族が『共存する』ことなのじゃ。分かるの?」
「……」
「そして、世界はその理の基礎となるべき者として、わしらを選んだ。この世界で最初の一歩を踏み出す存在となるべき二人を、な」
「……」
「春臣、分かるか? そういう理由でわしらはここにいるのじゃ」
「……はあ」
春臣は肩から力が抜ける。
彼女の言わんとするところは分かったが、しかし、なんなのだろう、この現実味のなさは。いきなり、ぽっかりと開いた穴に滑りこんでしまったような感じだ。
いや、それも仕方がないだろう。
先程からの会話では、世界だの、理だの、ひたすらにスケールの多きすぎる言葉が並べ立てられ、春臣の想像を遥かに超えることばかりが議論されているのだ。
そこに、単なる人間である自分がああだこうだと言葉したところで、その実感が伴わないことは必然と言っていい。混乱するのは当たり前なのだ。
自分たちが世界の理になっただって?
嘘だろ。とても信じられない。
しかし、そんなことなど知る由もない媛子は、急に「むふっ」と笑い、
「ふふふ、選ばれし二人じゃのー。ろまんちっく、という奴じゃのー」
と幸せそうに目配せをしてくる。彼女には、自分たちが世界の理となってしまった事実など、さほど思い悩むことでもないようだった。
しかし、もちろん、春臣はそんな彼女に目配せをし返すようなお茶目な気分にはなれなかった。
空虚な気持ちのままで彼女を見つめる。
「……」
そんな春臣に媛子は額を人差し指で突いてきた。
「なんじゃ、反応が薄いのう」
と詰まらなさそうに口を尖らした。
「嬉しくないのか?」
「いや、よく分かんねえよ、俺」
隠しきれない不安が、口をついて出る。
「何がじゃ。そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をするでない。空気を読めぬ奴じゃのう」
「あのな、媛子。俺にはもうさっぱりなんだよ」
「うむ?」
「今日はどうしてこう、次から次へといろんなことが起こるんだ? こんな奇想天外な展開、誰も頼んでねえよ。俺は、俺は自分の頭がぶっとんで、そのまま宙で破裂して、なんていうか、どうかしちまいそうだぜ、なあ」
そうして、春臣は頭を抱えて俯いた。そのまま前かがみになって、膝を抱え、座り込む。
すると、急に、背筋に悪寒が走った。
俺は、俺は、これから一体、どうなっちまうんだ?
世界の理だなんて、そんな途方もないものを俺は背負っていけるのか?
全身が震え出すような恐怖がわいてくる。小さく、カチカチと歯がなった。
「ほれほれ、春臣、なぜ落ち込んでおるのか知らぬが、元気を出せ」
しかし、相変わらず彼女は楽しそうで少々乱暴に肩を叩いてくる。
「わしらはどうやら、あの二人組のようになったようじゃぞ」
「二人組?」
何の、ことだろう。
「ほれ、何と言ったか、あ、あがむ、と、犬? これは神社の狛犬のことじゃったか?」
「おい、もしかして、それはアダムとイブのことか?」
「おお、それじゃそれじゃ。それが一番卑近な例かのう」
「いや、そうかもしれないけれど、それでもそれは聖書の中の話だから、全然実感ないって」
言い返しながら、春臣は頭を膝の中にうずめる。
「しかし、お前が言う事が本当なら、もしかして、これから、世界には、お前のようなホカノがやってくるってことか?」
「うむ。その通りじゃ。これから世界がどのように変わっていくかは、まだわからぬが、しかし、近い将来、この世にもホカノが流れ着き始めるじゃろう」
「……」
「神々の代わりに人と共に歩む存在として、わしらは選ばれた。春臣、ホカノがこの世に生み出されたのは、こういう理由だったのじゃ。」
そう語る彼女は、目をキラキラと輝かせて、まるで子供のようだった。どうしようもない不安を抱えて、暗い気分になっている春臣とは裏腹に、これからの未来を考えて、喜びの感情を抑えられない様子である。
「人間とホカノが生きる新たな世界が始まるのじゃ。そう考えると、わくわくしてくるのう!」
と、はしゃいでいる。
しかし、そこで、ついにこらえ切れなくなった春臣は、
「あのな!」
と刺々しく言葉を彼女にぶつけた。
「俺は……俺は、お前の説明を理解出来ても、この状況を許容出来たわけじゃないんだよ!」
彼女は春臣の怒声に驚いたようで、不安そうに眉をひそめる。
「どうした、春臣。何をそんなに苛立っておる」
悲しそうな彼女の瞳を見て、春臣は我に返った。
「いや、ごめん。いきなり大声を出して。でも、分かってくれ。俺には、全てを受け入れるには少し時間がかかりそうなんだ」
「春臣……」
「少し、考える時間が欲しい。落ち着いて、この状況を考える時間が……」
アダムとイブだとか、春臣にはそんな風に軽々しく言えるほど、楽観的に思える心情ではなかった。
とてもじゃないが、世界の理など、自分に担える自信はないし、そうなったという実感もない。
全く、どこから手をつければいいのか、何から悩めばいいのかすら、皆目分からない。道しるべの何も無い砂漠の真ん中に立っている気分である。
「何だか、怖いんだ。媛子」
「春臣……」
すると、すっかり困惑する春臣に対し、彼女はにっこりと笑い返した。
「構わぬぞ」
と高らかに笑うように言う。
「え?」
「うむ、それで構わぬ。ゆっくりその恐怖を溶かしていけばよい。確かに、お主が困惑するのも当然の反応じゃ」
彼女はうんうんと頷く。
「しかし、必要以上に、余計なことを考えることはないぞ」
「媛子……」
「全てはなるようになるのだ。もっと気持ちを楽に持て。ほれ、椿が時々言っておった言葉があるじゃろう。れっといっとびーじゃったか?」
レットイットビー……。
「なすがままに、か」
「うむ。事態はお前が思うほど、深刻なものではない。わしらはな、これからもいつも通り暮らしてゆけばよい。なぜなら、それこそが、この『世界の望むこと』だからじゃ」
そうか。
言われて、春臣は、少し気分が楽になった気がした。心を縛っていた見えない糸がほぐれていく。
「そう、だよな……」
何も、心配する必要などないのだ。
「ごめん、媛子。情けない顔してたな、俺」
「むう、構わぬと言うたじゃろ、春臣」
すると、少し怒ったような声で彼女が言ってきたと思ったら、彼女の顔が目の前まで接近していた。
「お、おい、媛子」
その言葉が届く前に、こつん、と額と額がぶつかる。とても至近距離で、彼女と目があい、鼓動が一気に加速した。
ふわり、と優しい彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。
じゃがな……。
彼女は言葉を続ける。
「勘違いするなよ」
そして、今度は、春臣の手を握ってきた。そっと握る。次第に、ぎゅっと……ぎゅっと強く、握る。
「そもそもの話として、わしらは世界が望むからこそ、そうするのではないのだぞ」
「あ、ああ」
急にそんなことを言われ、春臣はまごつきながらも返事をした。
「そうだな。そうするのは、『俺たちがそうしたいと望む』からだ」
大事なことを忘れるところだった。
「そこには、他の誰の意思も必要ない、関係ない」
ここからが、全ての、始まりだというのならば、尚更、必要ない。
俺達は俺達の生き方で、ペースで歩けばいいのだ。
「うむ」
彼女が力強く頷く。
もう、俺達は、ひとりじゃないんだから。
そして、気がついた時には、春臣たちは先程の神の森、その原っぱの上に横たわっていた。
消えかけていた媛子の体の輪郭は、世界の理が書き換えられたせいか、しっかりと現れており、春臣の手首には、媛子の存在の強さを表すように、彼女が黎明の炎の中で握りしめた痕が、くっきりと残っていた。
次回からはエピローグとなります。