168 黎明の炎 7
「っで、俺を存分にブ男にするのはいいがな……」
赤く染まってしまった髪を散々いじられながら、しゃがみこんでいた春臣がうんざりしながら口を開いた。媛子になすがままにされ、いい加減、退屈で憮然とした表情になっている。
「そろそろきちんと説明してくれないか?」
「うん? 何のことじゃ?」
すると、媛子は春臣の髪を触っていた手を止め、頭越しに逆さの顔で春臣を覗き込んできた。
「だから、この意味のわからない状況のことだよ」
「この状況……」
「お前はさっきの『声』から話を詳しく聞いたんだろう?」
「おお、そうじゃったのう」
忘れておった忘れておった、と彼女はお気楽にぽんと手を叩く。
全く、こちらが聞かなければ、いつまでこうしているつもりだったのだろう。そう思って春臣はうんざりした。すっかり意味のわからないネジネジヘアーになってしまったごわごわの頭を直し始める。
「じゃあ聞くが、お前がさっき口走った『選ばれた』っていうのはどういうことだ? それに、さっきから俺たちの周りを取り巻いてる、この炎は何だ? さらにもう一つ、そもそも俺たちはどうしてこんな場所にいる? お前には分かるんだろう?」
春臣が矢継ぎ早に訊ねると、彼女は嫌そうに目を細めながら、口をすぼめて煙たい顔をした。
「そんな風にいきなり聞かれても全ては答えられぬ。わしの口は一つだからのう」
「じゃあせめて、その口を動かすスピードを普段の三倍にしてくれ。俺は早く話を聞きたいんだ」
意地悪でそう注文すると、彼女は今度はあからさまに面倒くさそうな顔になった。今にも文句を垂れそうな空気である。
慌てて春臣は首を振る。
「ごめん、冗談さ。媛子が答えられるところからでいいから、話してくれ」
「よし分かった」
媛子は元気に返事をした。
「では、お主が話を存分に楽しめるよう、可能な限り余計な脚色をして、目に余るほどのユーモアで、たんたんとしみじみと長々と語ってやろうぞ。それはそれは退屈過ぎて、ため息も枯れ果てること請け合いじゃ」
「媛子、いらぬ世話をするんじゃない」
すると、彼女はふふふと楽しそうに笑い、しかし、すぐに真顔になって、こう訊いてきた。
「先程の千両神の話を覚えておるか?」
「千両神の?」
「そうじゃ。神の世が滅びかけておるという話じゃ」
春臣は記憶の糸をたぐり寄せる。
「ああ、覚えているぜ。確か、世界が縮小してるんだっけ? けれど、それが何だ?」
すると、彼女は説明がしやすいようにか、隣に座ると、横から春臣を見つめた。春臣に、彼女の美しい瞳の中で光り輝く炎が、ぐるぐると荒々しく渦巻いているのが見えた。その圧倒的な力を感じ、ごくりと唾を飲み込む。
「春臣、この炎は世界の始まりを意味する炎じゃ」
「世界の、始まり……」
それは、先程の『声』も言っていたことだったな。
と、その時、春臣は合点がいった。
そうか、と気づく。
「もしかして、神の世が滅びていることと、この黎明の炎は、直接的な関連があるのか?」
春臣が勢いこんで訊ねると、彼女はうんうんと頷く。
「そうじゃ」
春臣は勘が良いのう。
彼女が言う。
「先程の声によれば、神の世が滅びてから、この炎は人の世界に現れた」
「そ、それは、つまり……」
「うむ。世界は今、一度滅んで、新しく生まれ変わろうとしているのじゃ。そして、この黎明の炎の出現は、その胎動と言っても過言ではない」
「なるほど」
「春臣、世界は生き物なのじゃ。わしらと同じようにの」
だから、死ぬこともあれば、新たに生まれることもある。彼女は言う。
そして、当然のことながら、
「その意思もあるのじゃ」
「世界の、意思、が?」
媛子は無言で頷く。
「世界は、自らの意思で持って、自身に理を創る」
「……」
「それは、世界を形作る上で、一番重要なことじゃ。海がある。生き物がいる。神がいる。大地には陽が照り、風が吹き、雨が降る。おおよそ、こんな具合いに理を生み出し、世界は、自身の輪郭を決めていく」
物事に秩序が生まれ、時が世界に変化と循環をもたらし始める。それが世界の安定じゃ。
と、彼女は説明しつつ、炎に向けて手を伸ばす。そして、燃え上がる炎を愛おしそうに撫ぜた。
「そして、この炎はの、そのような世界の理を紡ぎ出すことが出来る、素晴らしい意思の力を持っておる。始まりの炎、黎明(夜明け)の炎なのじゃ」
そう語る彼女はどこか誇らしそうだった。
なるほど、と春臣は口を閉じ、そこで、これまでの説明を吟味する。
これで、今の状況を一部把握出来たのは確かだ。
しかし、それでも依然、説明は不十分な状態である。
「それで、ここから新たな世界が生み出されようとしていることは分かる。でも、それで俺達がここにいる理由は何だよ。それに、『選ばれた』ってのはどういう意味だ?」
すると、彼女は、
「それをこれから説明しようと思っておったのじゃ」
と口を尖らせ、不機嫌そうに言う。
「しかし、今の説明を聞けば、その二つの問いくらい、簡単に分かりそうなものじゃがな」
「え?」
「どうした、いつもの鋭い突っ込みは出来ぬのか?」
「……お手上げだよ。正解は何だ?」
諦めた春臣を見て、彼女は得意げに笑う。
「仕方ない、そんな哀れなお主に、わしが答えを教えてしんぜよう」
「仰々しい言い回しはいいから、さっさと教えろよ」
すると、彼女は、ごほんと偉そうに咳払いをすると、
「ふふん、それはじゃの、春臣。わしらが黎明の炎によって生み出された、理じゃからじゃ」
さらりとそう言った。