167 黎明の炎 6
あかあかと、燃える、炎が見えた。
それは、まっかに燃える、圧倒的な光を発する、火の塊だった。
それは、まるで、新しい日の始まりを告げる、温かな太陽の光のような、炎だった。
太陽が発し続ける、無限の力のような、そんな永遠性を感じさせる、炎だった。
それが、春臣の目の前で燃え続けている。
これは何なのだろう。
薄ぼんやりとした意識の中で、春臣は思った。
もしかすると、自分は、夢を見ているのだろうか。
だとすれば、最近はよく夢を見るものだなあ。
そう、脳天気に思う。
うん、自分はたくさんの夢をみた。
それも、いろんな夢を、だ。
その全てを春臣は覚えているわけではなかったが、なぜか、そのほとんどが、とても、とても、寂しい夢だったように、春臣は思う。
たった一人で、真冬の大地に、立ち尽くしているような、そんな風に悲しくて、冷たい……。
どこにもいけなくて、ただ立ち尽くし、一人で途方に暮れているような、そんな夢だ。
闇に閉ざされ、行くべき道も見えず、凍えた体を温める方法もない。
そこにあるのはただの絶望である。救いのない失望である。
ただ、
ただ、今見ている夢はそれらとは違うと春臣は本能的に感じていた。
今までの、空虚に満ちた悲しさはなく、どこか体の奥から抑えきれない力が湧いてくるような、そんな不思議な夢である。
「炎、か」
それが何を意味するのか、春臣には分からない。
しかし、その燃え盛る炎が、これからの春臣の未来を眩しく照らし出してくれるような、そんなものを象徴しているのではないかと、直感した。
「黎明の炎だ」
と、その光の向こうから、誰かの声が聞こえた。
それは一言には形容し難い、男と女、老人と子供、それら全ての声が混ざり合ったような、どこか神秘的な声だった。
「れいめい、の、ほのお?」
春臣は、その言葉を繰り返す。
「それは、一体?」
「……新たな時代の始まりを告げる炎だ」
しばらくして、その声が返事をした。
それは、相変わらず正体不明の声ではあったが、何だか、春臣には、もう死んでしまった祖父が話しかけてくれているような、優しくて懐かしい感覚がした。
「お……おじい、ちゃん?」
思わず呼びかけるが、
「お前の身はその炎に焦がされている」
「え?」
急に言われて、自分の体に視線を落とすと、確かに、春臣の体はその炎にすっぽりと包まれていた。
別に熱くもないし、体が焼けているわけではないのだが、本当に、燃え盛る炎の中に自分がいた。
はっとして、髪の毛に触る。
掴んで見ると、それも炎の色に染まっていた。
あかく、めらめらと、光っていた。
これは一体どういうことなのだろう。これではまるで、媛子の髪の色にそっくりじゃないか。
そう思って、春臣は瞬間的に、それまでの記憶を取り戻した。
そうだ、自分はこれまで、媛子と一緒にいて……。
死のうとしている彼女を必死に説得していて……。
「あの後、一体俺たちはどうなったんだ? ここは一体どこなんだ?」
周囲に目を配る。すると、春臣の目はすぐに彼女を見つけた。
媛子はすぐ隣にいたのだ。彼女はまるで、すぐ近く見えない誰かがいるように、虚空を見つめて、ぼんやりとしていた。ふらふらしながら立ち、非常に頼りない。
「媛子!!」
そんな彼女の肩を揺すぶると、彼女はすぐに我に戻ったようで、目を瞬かせ、ぶるぶると頭を振った。まるで、起きたまま眠っていたような素振りである。
そして、寝ぼけた瞳で、彼女は春臣の方を向くと、
「おお、目を覚ましたか、春臣」
とのんびり口を開く。この不可思議な状況が理解できているのか、ふわふわとした暢気な口調だ。
「お前、今、一体何をしていたんだ?」
「うむ、わしか? わしは、少しだけ、声を聞いていたのだ」
「こえ……声だって!?」
俺も聞いたんだ。
春臣がたった今自分に聞こえていた声の事を話すと、彼女は、ああ、なるほどと納得したように頷いた。
「おそらく、それはわしが聞いておったのと、同じ声じゃろう」
「そ、そうなのか? じゃあ、そいつはお前に、何を言っていたんだ?」
すると、媛子は、説明するのを躊躇するように、一旦口を閉じ、手に負えない物を預けられて半ば呆れているような、そんなため息を吐いた。
「……どうやらのう、わしらは選ばれたらしいのじゃ」
「選ばれた? 何だよそれ。どういう意味だ?」
意味が分からない。
春臣の困惑した様子に、彼女は今度はうっすらと微笑み、額の辺りを指で掻くと、困ったような、それでいて、どこか嬉しそうな感じでこう言った。
「わしらは、『世界』に選ばれたのじゃ」
「世界?」
その単語に、春臣は先ほどまでの媛子との会話を咄嗟に思い出す。
彼女の暗く淀んだ瞳がフラッシュバックした。
まだ、世界が自分たちを拒絶しているなどと言うのだろうか。
「お、お前、まだそんなこと言ってるのかよ! いい加減に諦めろ! お前は俺と一緒に生きるんだ。みんなのいる場所にもどって、それで――」
しかし、思わずいきり立った春臣の口元を、媛子は手を伸ばし、焦らず落ち着いた動作でそっと押さえた。
「慌てるな。もう、わしは死のうなどとは思っておらん」
「!? ――っぷはぁ! 何だって!?」
「だから、お主を信じることにした、ということじゃ」
「え、え、それじゃ……」
「うむ。共に帰ろうではないか、『わしらの居場所』に」
そうして、彼女はにっこりと微笑む。
その花が咲き誇るような自然な表情には、先ほどまでの魂のない人形に似た、硬質的な感情の欠片はなく、彼女本来の瑞々しい生命力がきちんと宿っているように見えた。
それは、つまり……。
そこまで思った途端、幸福の風船が春臣の中でいくつもいくつも弾けたのが分かった。
間違いない、それは、いつもの彼女が戻ってきている何よりの証拠である。
彼女は、背後に横たわる闇に身を落とすのではなく、春臣たちと暮らすことを選んだのだ。
「媛子……」
熱いものがこみ上げ、唇が震える。
良かった。これで大丈夫だ。
その事実が嬉しくて、春臣は彼女に思わず飛びついた。
だが、直前で、その行動は彼女の手によって止められてしまう。
「え?」
「おうおう、よく染まっている。この炎の色のう」
と、片手で春臣を抑えつけつつ、彼女はなぜかもう一方の手を伸ばし、わしゃわしゃと無茶苦茶に髪を撫で回し始めたのである。
「うむうむ、こうして……よっと」
「お、お前、何してんだよ!」
「いや、ただのう。お主をこう、程良くぼさぼさでくしゃくしゃのブ男にしてやろうと思ってな。くっふふ」
「はあ? どういうことだ――や、止めろよ。せっかくの感動の場面だってのに」
執拗に頭髪を狙う彼女の手から逃れながら、春臣が詰まらなさそうに口を尖らす。
しかし、そうすると彼女は不思議なことに、むんと胸を突き出し、春臣よりさらに怒った顔をして、睨んできた。
「何を言う、春臣!」
と怒声を飛ばす。
これには春臣も動きを止め、唖然とした。
「こ、今度はどうした? まさか、怒ってるのか?」
「うむ、そのまさかじゃ」
「ど、どうして!?」
「わしはのう、春臣。こんな絵に書いたような感動のクライマックス的なお涙頂戴のシリアス展開など、すでにお腹いっぱいなのじゃ」
「はあ?」
一体、この少女はいきなり、何を言い出すのだろう。
「のう、聞くのじゃが、春臣。一体いつからわしらはこんなに内向的で悲劇的なダークキャラクターになったのじゃ?」
「はい?」
「いいか、よく聞け、春臣。わしらは、いつから、こんなに生きるか死ぬかで必死になって、ギリギリの言い争いをするような者たちになったのかと聞いておる」
「え、ええと……」
「どちらかと言えば、わしらは脳天気に、ただただ何も考えずに無為なる毎日を過ごし、こうしてお互いふざけ合っておるほうがお似合いのキャラじゃろう? そう思わぬか?」
そうして、彼女は急な言葉に呆気に取られている春臣の首筋を、脇腹を、ほれほれとこれでもかとくすぐった。
「うひゃあっ!」
思わぬくすぐったさに、春臣は情けない悲鳴を上げてしまう。
すると、その様子を見て、彼女がくっくと笑う。手を叩いて「傑作じゃ、傑作じゃ」とはしゃいだ。
「全く、お主の傍におると飽きぬのう。くふふふ」
一体何がそんなに面白いのかと、いっそ怒ってやろうかと思った春臣だったが、しかし、彼女らしい、いたずらっぽいその笑顔を見た途端、ふいにはっとして、すぐに肩から余計な力が抜けるのが分かった。
「……ああ、これでいいんだっけ?」
と、彼女に聞こえぬよう、小さく呟く。
そうか、そうだったよな。
全く、このお姫様ときたら、『いつもいつも』こうなのだから。
本当にわがままで、気分屋で、泣き虫で、意地っ張りで、新しい物に興味津々で、傍にいれば疲れるばかりだ。
でも、
でも、そんな彼女と一緒に、こんな下らないことを繰り返して、俺達は暮らしてきたんだ。
春臣は今さらながら、思う。
ただ、日々を笑いながら過ごし、たまに喧嘩して、その度に仲直りしながら、俺達は一緒に生きてきたんだ。
そして、そんな愛すべき日常が戻ってきた今、これ以上、何を望むことがあるだろうか。
いや、あるわけがない。
そう、これで、いいのだ。
「ったく、俺をからかうのがそんなに面白いかよ」
そうぼやいて、春臣はとても嬉しそうに、ため息をついた。
どうも、ヒロユキです。
今回は、このひたすら長いだけの物語もあと数回で終りを迎えるということで、何か面白いことは出来ないものかと考えた結果、主人公の春臣を燃やして、炎属性をつけてみました。読者の方々、いかがでしょうか。草刈りをするときなど、腕を振り回すだけで草を簡単に燃やしてしまえるので、重宝しますよ。しかし、その反面、彼の弱点は水ということになります。つまり、今の彼なら雨の日の水たまりに足を突っ込むだけで溺死できるだけの能力があるということです。うっかりシャワーなどをかけてしまわないように注意しましょう。きっとスライム状になって溶けてしまいます。