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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
166/172

166 黎明の炎 5

「な、何を、する……」


 彼女は半分泣いた顔をしながら、酷く驚いているようだった。

 無理もない。春臣が急に飛びついてきたからだろう。


「お前を逃がさないように、って思ってな。飛びついてみたんだ」


 余裕は全くなかったが、精一杯虚勢を張って苦笑いをしてみせた。しかし、それで場が和むはずもなく、彼女は厳しい表情を一切崩さない。


「春臣、お前は頭がおかしいぞ」

「知ってるさ。俺は昔から頭のネジが飛んでるんだ」


 そう言い切るか、言い切らないうちに、彼女はその場から立ち上がって、逃げようとした。

 しかし、その腕を春臣は掴む。

 逃がすわけがない。

 が、そうすると同時に生じる、あの感じ。手と腕に、凍傷のような痛烈な痛みが生じ、春臣は苦痛に表情が歪んだ。


「待て、よ……」


 すると、彼女は「ひっ!」と驚いて振り向いて、


「馬鹿」


 とぶつけるように言ってきた。


「どうしてじゃ……お主はわしに触れると痛いはずじゃろう?」


 春臣は軽く首を振る。ここでも余裕を見せるために、薄く苦笑いをしてみせた。


「なに、ちょっと痛い程度だ。大したことはない。それに、少しずつだけど、実は俺、この力をコントロール出来るようになっているんだ」

「コントロール、じゃと?」

「そうだ。じきに、この妙な力も俺自身の力で完全に封じ込められる日も近いぜ」


 だから、お前が、この事を、気に病むことはない。


「そもそも、これは俺の問題であって、お前には関係ないんだよ」

「い、一体何を根拠に、そんなことが出来ると言っているのだ」

「根拠って……そんなもんはない。でも、俺が出来るっつたら、出来るんだよ」

「どういう自信じゃ、それは」


 涙に濡れた瞳で、呆れたように見る彼女を、春臣は出せる力を振り絞って、彼女を倒れている自分の方へ引き寄せた。


「な!?」


 必然的に、彼女顔が近くなり、呼吸も聞こえ、瞳の色もしっかりと見えるようになった。

 さあ、これで嘘は付けまい。

 さあ、全部、全部、俺が、お前を、見抜いてやる。


「お前はよ、ただ怖がってるだけなんだよ」


 込めていた力を緩めるように、ゆっくりと、春臣は言った。


「な、何がだ」

「今まで、自分の手にしたことのない、この、他人と共にある幸福が、だ」

「幸福が、怖い、じゃと? それは異な事を言うな。意味が矛盾していないか?」


 それに対し、春臣は素直に、そうだなと頷く。


「俺が言いたいことはそれとはちょっと違うな。お前は、その幸福を受け取って、それを『手放してしまう』のが怖いんだ」

「手放すのが、怖い?」


 彼女の眉間に皺が寄る。全く意味が分かっていないようだ。

 春臣は続ける。


「そもそもお前は、きっとこの他人と共にある幸福に慣れていないんだ。何しろ、お前は、俺たちに出会うまで、神たちに使役される存在、ホカノとして生きてきた。それは、きっと、自分の幸福を望みながら生きることとは、かけ離れた生き方だったんだろう。自分を殺して、他者のために命を捧げるような、そんな生き方だったんだろう。奴隷のように、こき遣われたのかもしれない。俺は知らないが、それよりももっと酷いこともあったのかもしれない」


 彼女が先ほどから見せている、虚ろな瞳の奥にあるものを、春臣は敏感に感じ取っていた。それが他者と共にあるはずの環境とは、遠くかけ離れた状況から生み出された、虚無と孤独の色を含んだものであることにも気が付いていた。


「お前の心は、いつも一人だった。分かり合える友もいなかったことだろう。悩みを打ち明ける親もいなかったことだろう。寂しくて、悲しくても、何も無い。他人も自分も、何も無い。何しろ、神に存在の価値を認められていない存在だったんだよな。それはめちゃくちゃにきつい状態だぜ。想像絶する苦痛だ。でも、そんな中でお前は自分自身に名前をつけ、やっとこさ、首の皮一枚で、自己を繋いできたんだろう。自分自身を失わずに来たんだろう。お前の生き方とはそういうものだったんだ。それが普通だったんだ」

「……」

「でも、だからこそ、お前は、自分の目の前にふいに現れた、俺たちみたいな何の気兼ねもなく繋がり合える存在が、そこから生まれる自分のための幸福が、急に怖くなったんだよ。初めて見た物をいきなり手渡された子供みたいに、不安でおろおろしてたんだ」

「……」

「お前は、それが怖いんだ。手にした大切な物がそれがいつか目の前から無くなってしまうんじゃないかってな。その幸せが失われた時に、自分がどうなってしまうのか分からない。今にも足元の地面が崩れ落ちてしまいそうな恐怖だ。もし、そうなったとき、元の一人の自分に戻れるのか、否か。それが分からない。お前はそれを無意識に感じて今まで生きてきたんだ」

「……」

「でもな。いいか、本当のお前は、俺と一緒に暮らすことを望んでいる。椿や、さつきや、木犀や、他にもたくさんの人間や、この世界の中で生きていくことを望んでいる。一人でいるよりも、そっちの方が何億倍も楽しいからな。けれど、けれど、お前はその前で足踏みをしている。そこから引きはがそうとしている影のお前がいるんだ。そいつは、俺たちと共に生きる中で、お前が今以上の最大の幸福を受け取って、いつか、それを手放すことになるかもしれないことが怖い。だから、だから、それだからこそ、いっそのこと、全てから逃げようとした」

「……」

「簡単なことだ。お前が平静な状態に、孤独だった時の状態に、いつでも帰れるようにするには、その幸福をこれ以上知らなければいいわけだ。後戻りできる位置で、引き返せばいい。ドアに鍵を閉めて、背を向ける。何も見なかったことにする。それで、ベッドに倒れこんでよく眠る。それでいい。ほんと、イージーだよな」

「……」

「そして、内なるお前は知らず知らずの内に、いつ俺達に背を向けて逃げようか、と算段していた。自分が耐えられなくなる瞬間を、今か今かと探していた。そして、その引き金となったのが、昨晩の俺の力の暴走だ」

「……」

「あれは、お前にとって不測の事態であると同時に、これ以上ないほど、都合の良い出来事だったんだ。あの事件によってお前は瞬時に自分の中で、世界が俺たちの関係を拒んでるだのなんだの、自分には生きる価値がないだのと、そういう余計な理屈をあれこれと考えた」

「……うるさい」

「お前には、ホカノとしての過去があったから、そういうことは考えやすかったんだろう? とにかく、お前はそれによって、幸せから逃げ出す、大義名分を得た。これで逃げ出せば、自分は幸福を失うことへの永遠の苦悩から開放される。後は自分で勝手に消えちまえばいい」

「……黙れ」

「でもよ、そんなこと、俺が許すかよ。そんなものは、所詮、お前がでっち上げた、いい加減で生ぬるい、建前でしかない、戯言でしかないんだよ。お前は気がついていないが、本音は違う。お前は俺たちと一緒にいたいんだ。交わったことのない他人との、俺達との繋がりを受け入れたいんだ」

「し、知ったような口を!」

「知ったような口じゃねえよ。お前はそうなんだ。間違いない。大丈夫だ、安心しろ。俺がお前を守ってやる。絶対に不幸にはしねえよ。だから――」


 瞬間、視界に派手に水しぶきが散った。


「勝手に、決め付けるな!!」


 媛子の絶叫が飛び、そして、一瞬遅れて、春臣は自分が殴られたのだと分かる。頬にじわりと痛みが広がった。


「お前には!!」


 彼女の悲痛な声。


「お前に、お前に、わしの気持ちが分かるのか、わしの、わしの壊れそうな気持ちが理解出来るのか!!」


 間髪を入れずに、彼女は春臣の頬をぶった。強く、強く、力の加減もなく、ぶった。


「何が幸せが怖いじゃ、何が逃げ出しておるじゃ、お前は、お前は、神なのか!! 他者の気持ちをそんなに簡単に読み取れるのか、この、腑抜けが!!」


 目の前で光が弾け、音が飛ぶ。息を吸う暇もない。


「言え、さあ、言ってみろ、わしが今何を思うておるのか、お前をお前をどれほど憎らしく思っておるのか!!」


 右に左に、容赦なく世界がぶれる。彼女の声が頭上で爆発する。


「何も知らぬくせに、わしのことなど、何も知らぬくせに、偉そうな顔をするな。見透かしたようなことを言うな!!」


 春臣は、半濁した意識の中でようやく彼女の声だけを捉える。搾り出すような、胸を締め付けるような、切ない声が聞こえる。


「どうして……どうして、放っておいてくれぬのじゃ。どうして、嫌いになってくれぬのじゃ。どうして、突き放してくれぬのじゃ。どうして、絶ち切ってくれぬのじゃ。こんな、こんな、わしのことなど。もう、たくさんじゃ。もう、たくさんなのじゃ。こんな世界など。わしは、消えてしまいたい。一人でいいのじゃ!!」


 と、媛子の振り上げた、手が止まる。

 持ち上げた春臣の腕が彼女の手を受け止めていた。

 春臣は、口の中に入った水を吐き出し、咳き込む。


「な、なんじゃ」


 そして、涙をぼろぼろと流し、今にも崩れ落ちそうな彼女に向かって、春臣は言った。舞い散るしぶきを見上げながら、言った。彼女だけではなく、自分自身にも言い聞かせるように……。


「違うよ」

「何が……」

「俺はお前の気持ちを読み取ってたわけじゃない、全然そんなんじゃない。俺は人間だからな、神様なんかじゃない」

「な、ならば、なぜあんな風に自信満々に!」


 それは、

 簡単なことだぜ。


 ただ、俺は、






「お前を……信じてるんだ」







 そう、ただそれだけだ。


「お前が、本当は、死にたいんじゃなくて、どうしようもなく生きたがってるって」


 俺たちは孤独なんかじゃない。


「お前は、自虐的で、死にたがりの、名もなき孤独主義者なんかじゃない。お前は、緋桐乃夜叉媛だって。他の誰でもない、媛子、お前自身だって。そして、俺たちのかけがえのない大事な仲間なんだって、な」


 そう、信じてる。


 もう、俺は一人で、孤独に生きようなんて、全然思わない。


 誰かと一緒にいるほうが何千、いや、何万倍も、何兆倍も、心強い。


 誰かと一緒に笑って、泣いて、語り合っている方が、世界は美しく見える。


 完璧じゃない、不安定で、未完成な俺達はいつだって、誰かとつながり合って支えあって、生きてるんだ。


 俺たちは、そっと手を差し出せばいい。


 そうすれば、簡単に、


 ほら、こうして、俺達は心の中に、『居場所』を得られるんだ。


 誰かを『信じられる』んだ。


 絶望的な状況にも、いつだって立ち向かえるんだ。


 力を、もらえるんだ。


 少なくとも、今の俺にはそれが分かる。


 だから、戻ってこいよ。


「はる……わしは……」


 今にも壊れそうな、彼女の声。


「大丈夫だ、怖くない。お前も、俺を信じればいい」


 いや、信じてくれ!


「わ、わしは……」


 馬鹿で勘の鈍い唐変木な俺でも、これだけは誓える!


「俺は、お前を二度と、一人ぼっちなんかにはしない!!」


 だから――。


 そう言って、春臣は媛子を抱きしめた。

 まだぬくもりのある彼女を抱きしめた。


 いつの間にか、彼女に触れたときに生じる痛みは、完全に消えていた。

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