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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
165/172

165 黎明の炎 4

「お前は、まだ生きることを捨ててねえよ」


 春臣は再び力を取り戻した瞳を媛子に向けた。


「どういう、意味だ?」


 怪訝に眉を寄せる彼女に言葉を続ける。


「お前はよ……お前は、この世界で、ただお前にだけ意味のある『名前』に返事をした。俺がつけた名前だ!」


 春臣は鮮明に思い出している。

 彼女が初めてやってきた時のことを。

 彼女が誇らしげに春臣がつけた名前を、自分に与えられた存在の証を、筆で書いている風景を。


「全てを捨てて、この世界への未練を全て断ち切ったつもりでいて、お前はそれを出来ていないんだよ。なぜならお前は、お前の存在を認めるその名だけは捨てていない。だから、俺が呼べば、お前は返事をする!」

「な!?」


 動揺に口を歪める彼女。


「媛子!」


 そこで、春臣は精一杯の声を張り上げる。


「お前はまだ、お前なんだ! 消えちゃいない。お前は、この世に生きるホカノであり、ただ一人の媛子なんだよ」


 だから――。


「戻ってこい。このまま孤独の影に飲まれるな!」


 彼女はいきなり盛り返した春臣の勢いに気圧されたのか、頬を引きつらせながら口を開けた。


「な、何じゃ、それは……」


 と、明らかに不安そうに目を泳がす。


「それは、わしの揚げ足取りのつもりか? そんな屁理屈で、わしを言いくるめられるとでも思っておるのか? わしが、首を立てに振るとでも思っているのか?」

「いや、思ってねえよ」


 そこではしっかりと首を横に振った。

 先ほどの、お守りを引きちぎった彼女の決意は、相当のものだ。簡単に曲げられるものならば、苦労はしない。

 それほどに春臣の認識は甘くはなかった。


 が、もちろん、だからといって、それで敗北を認めたわけではない。

 春臣は視線を再び媛子に向ける。


「けれど、これで、お前を救えるチャンスが、きっかけがあることが分かったんだ。それを確認できれば、十分だ」


 そう、希望の光は、まだ失われていない。


「わずかでもそれがあるんなら、俺は諦めえぞ。どうあがいてでも、お前をここから連れて帰る!」


 そして、


 そして、言葉の終わりに、一瞬の隙をついて、春臣は地面を蹴り上げた。

 体を屈め、ぐん、と上半身を突き出すように、駆ける。息を止めて、宙を飛ぶ。

 春臣は、媛子に向かって、突進したのである。


「春臣!?」


 不意を衝かれて、媛子は体を強ばらせ、身動きが取れなくなっているようだった。

 それを春臣は瞬間的に確認した。

 よし、逃げる気配はないな。そう思いつつ、春臣は全身の意識を集中させ、最後に加速のために大きく跳躍すると、その勢いのまま、彼女に体当たりを食らわせつつ、両腕で抱きかかえた。


 瞬間――。

 例の、あの言葉にしがたい、不快で、吐き気に満ちた怖気が体から這い上がってくる。

 しかし、春臣はそれを精一杯意識の外に押しやって、腕の中でもがく媛子を抑えつけ、彼女の自由を奪った。


「きゃあっ!」


 媛子の悲鳴が耳元で聞こえ、春臣と媛子はそのままの勢いで、後ろに転がった。

 草の上を視界がぐるぐると回転する。空と地面が交互に現れて、消える。太陽の光がやけにぎらぎらと眩しく、カメラのフラッシュのように映った。

 そんな中、春臣は、回転しながらも、彼女に怪我をさせないよう、両腕でかばった。ただでさえ傷だらけの体に、さらに切られるような痛みが走る。もはや、何が起こっているのか理解出来ないほどの状態だ。


 と、

 そこに、

 急に冷たさの刺激が加わった。

 派手に水しぶきを上げながら、春臣と媛子は背後に流れていた小川に突っ込んだのだ。


 冷たい!

 ひんやりとした水が春臣の服の上から染みこんでくる。回転する内にぼやけていた春臣の意識が鮮烈な刺激で、一気に覚醒する。

 そして、

 そして、気がつけば、春臣は、川の底に横たわり、その上に馬乗りの状態で、媛子がいた。

 浅い川であったので、春臣の体は完全に水に沈み込むことなく、顔を出せている。新鮮な空気を吸って、吐いて、吸って、吐いた。

 ああ、大丈夫。

 俺はまだ生きているみたいだ。


 そして、見上げれば、沈みゆく夕陽を背景に、半泣きの顔をした媛子の姿が見えた。

 今にも折れそうな華奢な体をふるふると震わし、すうすうと苦しそうに浅い呼吸をしているのが分かる。

 そして、長く美しい紅の髪から、水滴がこぼれ落ちている。

 夕日色した、水の雫が、透明で澄んだ瞳を、艶やかにふくらんだ唇を、仄かに赤く色づいた頬を、雪のように白い喉元を、体を濡らしている。

 春臣にはそれが、恐ろしく美しい光景に見えた。

 彼女の体からふわふわと溶け出す魂の火の粉がその様子にさらに神秘的な要素に拍車をかけている。

 綺麗だ。

 言葉で形容できないくらいに。

 この世のものでないとは思えないほどに。


 これは……。

 神々しい、とでも、言うのかな。

 春臣は思う。


 けれど、

 けれど、彼女はそんな大げさな存在じゃない。春臣は知っている。

 彼女は、全くもって不完全で、欠けた所ばかりの、少しだけ変わったところのある、少女なのだ。

 そして、ただ今は、自分の中の闇に触れ、気持ちが揺らいでいるだけの、か弱い少女なのだ。


 そんな彼女だからこそ、春臣は救いたいと思う。

 彼女の心の闇から、助け出したいと思う。

 思う存分、はちきれそうなほど、愛おしいと思う。

 全身全霊で守ってやりたい、と思う。


「媛子……」


 心臓がそんな熱い想いに、急かされるように、トクトクと急ぎ足で脈打っていた。

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