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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
161/172

161 終わった時代、終わらない渇き 6

 チューイングガムをぷっくりと膨らませながら、警官は余裕たっぷりに繰り返した。


「じいさんは、それが自分の持ち得る力だと勘違いしているかもしれない」

「な、なんじゃと?」

「俺がな、何年か前に、この町で出会った老人がそう言ってたさ。権力なんてそんなもんだって、な」


 警官は言いながら、膨らませたガムを口の中に畳もうとして、その拍子に破裂させてしまった。

 パチン、とそれが軽い音を立てる。

 警官は口の周りについたそのガムを取りながら、悲しげに目を伏せた。


「まあ、どうやら、その老人は最近死んじまったらしいがな……」


 そう、力なく呟いて、


「ともかくよお、力ってのは人を酔わせるんだよな。それには、そういう摩訶不思議な所がある。自分がそれを人より持っていると思って、他人よりも自分が何十倍も巨大になれた気になっちまってさ、容易に他者を見下すんだ」

「お、お前、何が言いたい」


 意味深な男の言い草に、老人は苛立つ。なにより、回りくどいことは好きではないのだ。

 すると、そこで警官は先程と同じ妙にギラリとした鋭い眼光を老人に向けた。


「じいさんよお、あんたはさあ、自分が心底馬鹿げた幻想の中にいるのにまだ気がつかないのか? 神の力だとかよお、他人が聞いちまえば、ドン引きして、虫唾が走るような、その低俗な願望を未だに叶えたいって、本気で思ってるのか?」

「な、何じゃと!」


 老人はその言葉に半ば、気圧されている自分に気づきながらも、精一杯声を張り上げ、言い返した。まだ、自分の中の武器が、牙が、全て失われたわけではない。堂々と立ち向かえば良いのだ。


「これ以上わしを怒らせるとどうなるかお前は分かっているのか? この青臭い小僧が!」

「いやいや、怒って俺を罵るなら好きにしてもらっていいんだがよ」


 そう言う警官はやはり、痛くも痒くもなさそうな涼しい顔をしている。


「それより大事なことに俺は気がついて欲しいわけよ」


 いいか? と指を立てた。


「あんたにはそりゃあ大勢の優秀で従順な配下がいるんだろう。あんたが右を向けば右を向き、橋になれと言われれば、地面に這いつくばり、山を築けと言われれば、無茶と分かっていても土を掘る、そんな奴らがよお。しかしだな、果たして、その中に本当にあんたを信頼して付いてきている人間がどれくらいいるんだろうな」

「ああ?」

「どう思うのか、答えなよ。なあ? 十秒数えるぜ」


 十、九、八……。

 警官は止める間もなく、いきなり指を追っていく。その様子を見ながら、老人はぎり、と歯を噛み締めた。

 また質問か。

 先程の、あの不思議な闇の中でも、神がわしに質問をしてきたのだったな。


『不正解だ』


 という、神の声が老人の中に蘇る。


「くだらん、貴様の質問にわしが答える義務はない!」


 老人はそう言い放って、警官に睨みを利かせた。二度とその手は食わん、という決意である。

 しかし、警官は依然、カウントを止めない。

 三、二、一……。

 そして、


「ゼロ」


 警官は静かにカウントを終える。そして、頑なに口を閉ざしたままの老人を見て、


「そうか、答える気はないと……じゃあ、一方的だが、こっちから答え合わせとしよう」


 などと言い始める。


「答え合わせだとお?」

「そうだ、すっきりきっぱり言うぜ。現時点で、あんたに本気で忠誠心を抱いている人間は、ほぼ皆無だ」


 皆無、皆無、皆無……。

 その単語が老人の脳内に銃声のように鳴り響いた。


「かいむぅ!?」


 馬鹿げた事を!


「何を言う。お前たちがわしの配下の人間に逐一聞きまわったとでも言うのか? 笑わせる。そんな情報など聞く価値など――」


 しかし、


「そのまさかだぜ!」


 と、その警官はしてやったりと言わんばかりににやりと笑った。


「俺達の仲間は、あんたの配下の人間に全員を回ったんだ」

「な!?」

「そしたらよお、分かったんだぜ」


 あんたの組織ってよお、脆いんだよ。決定的に、な。


「も、脆い?」

「ああ、残念なことに、破滅的にな。仲間と仲間の繋がりがよ、絶望的に薄っぺらいんさ。そう、まるで、子どもが手の圧迫で無理やり作った泥団子って感じでよ。日光に当たるとすぐにボロボロって感じだ」


 でも、と警官は言葉を一度止め、


「そりゃそうだよなあ、その長たる人間が『神の力』なんて訳の分からないもんに心酔してるもんだからよ」

「お、お前……」

「だからよお、組織の懐柔は容易だった」


 その途端、老人の瞳が驚きでこれ以上ないほどに大きく見開かれる。


「き、貴様、今何と言った!!」

「だから、懐柔だよ。俺達はさあ、あんたが神の力なんてものにうつつを抜かしてる間によ、少しずつ手回しをしてたんだよ、あんたの組織にさ」


 正直、すんなり思い通り行きすぎて怖いくらいだったな。あんたを追い詰める準備をするのは。

 その決定的な言葉に、老人は生唾を飲み込み、状況を脳内で確認した。

 とても、信じられない。

 わしが察知しない内に、こいつらは、わしの仲間を準々に抱き込んでいっていただと!


「じいさんよお」


 警官はすっかり勝ち誇った表情だ。


「もう、あんたの組織の人間は、誰も本気であんたを信用しちゃいないぜ。他人を顎で使うだけで、誰とも解り合おうとしない、それでいて、自分の欲望のことしか考えちゃいないあんたに、皆、失望してんだ!」


 警官の鋭い言葉が老人の胸に突き刺さった。

 老人の脳裏には、数時間前に、榊春臣から言われた言葉がぐるぐると巡っていた。


『今もこうしている間にも、祖父の行動をこっそり見ていた人たちがあなたたちの大船を転覆させようと虎視眈々と目論んでいるかもしれませんよ』


 よりによって……よりによって、よりによって、こんなタイミングで――。


「ともかくよ、俺たちの仲間はあんたの裏の支配なんてもうこりごりなんだよ。もはや、過去の遺物っていうか、時代錯誤っていうかな、そんなレベルの話なんだ。あんたらの一族が過去にどんな偉いことをしたかなんて、正直、もう皆覚えちゃいねえよ。強固な権力だとか、そんなもん、関係ねえ。そう皆で話し合ったんだ。そして――」


 もういらないから、じゃあ、全部、ぶち壊しますかって、な。


「ええ」


 そこで相槌を打ったのは、背後の新人警官だ。

 老人はすばやくそちらに振り向いた。

 そして、その新人警官の、まだ、子供のあどけなさ純粋さの残る美しい瞳に、揺るぎない決意の光が宿っているのを、老人は見た。


「僕達は、そう決断したんです!」

「そう、そして今日は作戦の最終段階の決行日だったというわけだ。理解出来たか? じいさん、あんたは作戦の仕上げとして、この町の頂上からいなくなってもらう。これ以上町の平穏を乱される前に、ここいらでご退場を願うというわけさ」

「――」


 もはや、老人には、言葉もない。

 驚きのまま、掠れた声が出るだけだ。

 すると、警官の力強い、ごつごつとした手が老人の今にも折れそうな細い腕を掴む。そして、身動きが取れないほど呆然とした老人の両手に、冷たい金属の輪をはめた。

 ガシャリ――。

 と、鋼の錠が落ちる。

 老人はもはや、逃げる間もなく、彼らの成されるがままになっていた。


「じいさん、自分がこれまでやってきた悪事なんていくらでも心当たりがあるだろう? あんたはそれが露見しないよういろいろと手立てをしてきたようだがな……残念ながら、その証拠は寝返ったあんたの仲間から仕入れてる」


 そして、さあ乗れ、と警官は老人の背中を押しながら、パトカーを指さした。

 新人警官が、神妙な顔つきで、後部座席のドアを開けた。

 暗い車内を、見つめて、老人は思う。


 そうか……。

 そうか、これで、全て、終わったのか。

 あっけないものだったな。


 そして、その瞬間だった。

 全ての糸が切れたように、力が抜けた老人の体が前のめりになった。ぐわり、と地面に体が近づく。

 嗚呼――わしは、倒れるのか。

 スローモーションの意識の中で、かろうじて、そう認識する。


『倒れればそれで終わり、そうなったら最後、二度と、自力では起き上がれない』


 目眩のような感覚と、さざ波のように押し寄せる鐘の音のような声。

 まだ、前に足を踏み出せば、立ち上がれる。咄嗟に老人はそう感じたが、あえて、そうはしなかった。


 よいではないか。

 これで、素直に、倒れてしまおう。

 それで、全て終わりならば、それもいい。

 攻め寄せるこの空虚な闇に、その身を預けてしまえば、一番楽なのだ。





 コノママ、キエサッテシマエレバ、ソレガイイ。







 しかし、

 しかし、

 老人の体は、地面に激突することはなかった。

 その寸前で、しっかりと支えられていた!

 老人は太陽を見上げるように、自分を受け止めている新人警官の姿を、目を細めながら、見た。その眩いほどの透明な二つの瞳が、老人の心をぎりぎりのところで引き止めた。

 かろうじて、つなぎ止めた!

 途端に、老人の萎みかけた胸に、新鮮な空気が入り込む。瑞々しい世界の匂いをいっぱいに吸い込む。

 救われた、のか、わしは……。


「あのう、大丈夫ですか?」

「あ、ああ……」


 激しい鼓動を感じ、倒れていないことに信じられない気持ちを抱きながら、老人の自身の記憶が急速に巻き戻されていくのを、感じた。

 まだ、自身がこの世界のことを何も知らなかった、純粋無垢だった頃の気持ちである。

 そうだ、自分にも、そんば時代があったのだ。

 全ての物事が、ただキラキラと、宝石のように見えていた頃のことが。


「ふふふ……」


 知らぬうちに、老人は自身が笑っていることに気がついた。

 それは、自然な心の底から湧き出た笑いで、一瞬前までの絶望が、まるで嘘のようだった。


「何だ、じいさん? 上手く逃げ出す算段でも思いついたのか?」


 態度の悪い警官が怪訝そうに片眉を釣り上げて聞いてくる。


「いいや。そうではない。ただ、な、チャンスを、与えられた気がするのだ」

「はあ?」

「また前を見て歩き出す、そのチャンスを、な」






 パトカーのドアが、ゆっくりと閉まり、老人は後部座席に座る。

 すると、隣のドアが開いて、先程の若い警官が横に座った。どうやら、パトカーの運転は、老人を追い詰めた先輩警官の方のようだ。


「おい、新人。そのじいさんから目を離すなよ」

「は、はい」


 緊張しているのか、新人の警官はまたしても変に裏返った声だ。


「心配せんでも、わしは逃げぬ」

「どうだかな。俺は信用してないぜ」


 運転席に座った警官はルームミラーから老人を睨んでくる。しかし、本当に老人には逃げるつもりはなかった。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、か。神よ、本当にその通りだな……」


 ぽつり、とそう呟く。


「何だって?」

「いや、何でもない」


 ゆっくりと、パトカーが発進する。真夏の砂利道を白黒の車体が真っ直ぐに音もなく駆け抜けていった。

 と、隣の新人警官が老人の体をいたわっているのか、手を支えてくれた。


「座席、座りづらくないですか?」


 と気遣ってくる。おそらく、先ほど倒れかけたことを心配してくれているのだろう。


「構わん、これでいい」


 老人はぶっきらぼうに返した。


「クーラーは効き過ぎじゃないですか?」

「ふん、冷たいくらいでちょうどいいわい」


 すると、新人警官は何かを言おうとして、迷って、口を閉じて、また開いて、という間抜け極まりない動作を幾度か繰り返した。

 大方、老人に優しくしたい気持ちがあるのだが、また老人に邪魔そうにあしらわれるのではないかと行動の手前で足踏みをしているのだろう。


「何だ、何か言いたいのか、若者よ」


 老人の方から話しかけてみると、彼は少し驚いた様子で目を丸くして、


「いえ、何でも、ありません」


 と口を閉じてしまった。恥ずかしいのか、僅かに頬を赤らめ、窓の外に眼をやる。


 それが、老人にはとても新鮮な光景に見えた。彼のそのぎこちない動作には、やはり自分がいつの間にか忘れ去っていった大事な何かがあるような気がしたのである。


 しばらく経って――。

 老人は、唐突に、何の前触れもなく、口を開いた。


「……若者よ。君の夢は何だね?」


 すると、いきなりで面食らったのか、


「え、ぼ、僕の夢、ですか?」


 と新人警官はあたふたと目をキョロキョロさせた。


「ああ、一つぐらいはあるだろう? わしが若い頃には、それはたくさんの夢があった。いろいろと夢想し、がむしゃらにそれに向けて努力したものだ。若者は、皆、夢を持つべきなのだ。君だって、そう思うだろう?」

「え、ええ、まあ」

「では、君のそれを話してみたまえ」


 老人が促すと、やはり、その警官は恥ずかしそうにそわそわする。膝の上で落ち着きなく手が動く。


「え、ええと、恥ずかしい、ですけど」

「構わん、警察署に向かうまでの暇つぶしだ。笑わぬから、話せ」

「あの、あの、それじゃあ――」


 すると、つまずきそうな妙な勢いで彼は話し始める。


 しかし、正直、老人は彼の話の中身になど、大した興味などなかった。

 彼が必死になって語る、その若者らしい明るさに満ち溢れている横顔を、ずっと見つめ続けていきたかったのである。

 ただ、それだけなのだ……。


 うむ。どうやらわしは、この若者を気に入ったようだぞ。


 老人は今、永遠に近い、時間を感じていた。確かに、実感していた。

 永遠の命など、完璧な物など、たった一つもなくても、何よりも、満足した気持ちを感じていた。




 そして、いつまでも、いつまでも、若者の横顔を、飽きることなく、眺めていた。

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