158 終わった時代、終わらない渇き 3
「ふ……」
長い沈黙を破ったのは、老人の口元から漏れ出た、僅かな吐息だった。
「ふ、ふふふ、ふふ……」
それはやがて、不規則な音の連なりとなり、老人の肩がそれに合わせて小刻みに揺れた。
それは、どこか哀しげで、破滅的な、ユーモアに欠ける、乾いた笑いである。
「ふふ、ふ、ふふ、ふふふふふ……」
そして、その不気味な笑いは、この空間のどこかかに存在している神への嘲笑となるかと思いきや、しかし、次の瞬間に一変し、急激に怒りの熱を帯びた。
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふぅ正解だとぉぉ!!」
と、地面を揺するような絶叫が空気を震わせる。
「ふざけたことを抜かすな!!」
老人は杖を持つ手を強く握り締めていた。体からは、冷や汗がぽたぽたと滴り、喉がからからに干からびていくのが分かった。
これは一体、どういうことなのだ。
わしが、間違っているだと。
老人は、断じて、信じられなかった。
すると、闇の向こうから、神が淡々と告げる。
「いや、わらわは間違っていない」
と、一切の迷いも無く宣言した。
「お前には神の力を操るに足る資格など全くない」
「資格がない? それはどういうことだ!」
老人の強く握りしめた手がぶるぶると震えた。無理もない。もうすぐ自分のその手の内に入るはずだった神の力が、予想外の展開の内に目の前から遠ざかっているのだ。
それが老人にとっては、たまらない恐怖だった。それがないと、自分はどうなってしまうのだろう、という恐怖に晒される。
冗談ではない。この神は何を言っているのだ?
わしこそが、神の力にふさわしい存在だと言うのに、その資格がないというのか?
「人の子よ、お前はそもそも神という存在に対し、大きな誤解を抱いているのだ」
静かに、宥めるような神の声だ。
「大きな、誤解だと?」
馬鹿にするな。一体、何の話だ。老人の濁った目が鋭く、闇の向こうを睥睨した。
しかし、老人のそんな気持ちを読んだ上で、神ははっきりとこう言う。
「馬鹿になどはしていない。お前は純粋に勘違いしているのだ」
「勘違い?」
「お前は、そもそもわらわたち神が、最強の存在だと思っているのだろう」
「そうだが?」
「この世界を統べる、唯一無二の絶対の存在だと」
「そうだ、お前たちはいつだってそういう存在で、わしたちを頭上の世界から見下ろしておるのではないのか? わしたちを取るに足らないか弱き者と、見下してきたのではないか?」
しかし、神は否定した。
「それは違う。神は完璧な存在なのではない。元来はお前たちと同じ、いつ消滅してもおかしくない、不安定で非恒久的な存在なのだ」
あまりに突拍子も無い話に老人は呆気にとられる。開いた口がだらりと垂れた。
「ば、ば、馬鹿なこと言うな。笑わせる。神よ、お前はわしに神の力を諦めさせようとそんな戯言を言うのだろう。わしには、分かっているぞ。そんなことがあるか」
ふざけたことを抜かすな、と老人は身に迫ってきた何かを、吹き飛ばすように、突き飛ばすように、笑う。しかし、返ってきた神の声は一切、ユーモアの欠片が混じっていものだった。
「嘘ではない。本当だ。その証拠に、神の力は万能ではない」
「万能ではない……それは、どういうことだ?」
「神の力は、本来の目的として、そもそも何かを破壊するためには存在していないのだ。お前が先ほどいったように、他者を排斥し、自らの都合のよい世界を創り上げるためには、な」
「な、何? ならば、何のために、神の力は存在するというのだ!?」
当然、老人は疑問に思った。
すると、神は落ち着いて静かに答える。
「全ては……世界の存続のためだ」
「せ、世界の存続?」
「そうだ、わらわたちはその巨大な力で以て、この広大な世界のバランスを保っているのだ。お前が言った真逆の力だな」
「な、何ぃ!?」
その発言に驚くと同時に、老人の脳内で、何かがバラバラと崩れ始めた。
慌てて、崩れた部分を持ち直そうとするが、その受け止める手の隙間から、また新たな崩壊が始まる。バラバラ、バラバラと、砂塵が巻き起こる。
ちょっと待て、ちょっと待て、話が違うぞ。
しかし、神は構わず、続ける。
「わらわたちの力は世界を『守る』ために存在している。世界のバランスが一方に傾き過ぎぬよう、いつでも見張っているのだ。だからこそ、窮地に追い込まれた人々の味方にもなるし、時には、逆のバランスを保つため、巨大な自然災害となって、お前たちに牙を向くこともある」
「……」
「分かったか? わらわたちの存在している理由が、それが理解出来ていないお前には、そもそも神にはなれぬし、力を扱うことも出来ぬ」
「馬鹿な……」
「生憎だが、本当だ。お前の考えているような自分本位の使い方などは出来ぬのだ。それが大きい力であればあるほど比例してな」
そこで、神は一呼吸ついて、
「……分かっただろう、わらわたちも所詮、お前たちと同じ、この世界の一部というわけだ」
と告げる。
「極論を言えば、わらわたちは、単なる『システム』だ。この世の仕組みそのものだ。そして、その根っこである世界が失われれば、わらわたちも消滅する」
どうも、ヒロユキです。
今回少し短めですいません。次回はきちんと終われるようにしようと思います。