表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
147/172

147 夜叉媛の真実

「待て、お願いだから行くな!!」


 ここまでの距離を走りきり、すっかり疲労した体のままで、春臣はあらん限りの力を込め、そう叫んだ。

 先ほどから、頭はもうガンガンと容赦なく痛み、心臓の鼓動は止められないほどに早く脈打っている。下手をすれば倒れてしまいそうなほどの、限界に満ちた倦怠感に、春臣は包まれていた。

 しかし、それでも春臣は目の前の媛子に向かって、一歩ずつ近づいた。

 足元はふらついても、彼女からは視線を決して逸らさない。

 もしも、一瞬でも目を離せば、彼女がこつ然とその場からいなくなってしまうような、漠然とした恐怖が春臣の内には巣食っていたのである。

 やっと、会えたのだ。

 ここまできて、彼女をみすみす失うつもりは毛頭ない。

 今はその緊張感が、春臣の精神力を刺激し、かろうじて、意識を正常につないでいた。


 一方で、媛子はというと、何も無い空間にぽっかりあいた謎の穴を前に、こちらを振り返って見ていた。その瞳には今にもこぼれ落ちそうな感情のたぎった雫が溜まり、光を放っていた。そして、まるで瞬きの仕方を忘れてしまったかのように微動だにせず、石像のごとく春臣を凝視している。

 彼女からは、ほんの少し葉が揺れるほどの、微かな吐息の音が分かる程度で、それ以外の情報がなければ、きちんと生きているのかどうかさえ分からなかっただろう。

 それくらいに、媛子は動揺し、体の動きを止めていた。

 まさか、自分を嫌っていたはずの春臣が、ここまで追いかけてくるとは思わなかったに違いない。

 しかし、

 しかし、春臣は来たのだ。

 何よりも、彼女をここから連れ帰るという使命を帯びて。


「……どうして、来たのじゃ?」


 微かな声で、媛子が言った。いや、それは言ったというよりも、茫然自失したまま、無意識に考えていることが漏れてきたという感じに、春臣には聞こえた。


「わしのことが、大嫌いなはずじゃろう?」


 なんとも悲しげな表情を、彼女はする。

 それを見た春臣の心が痛んだ。胸元に刃が食い込むような罪悪感が心を占拠する。自分の弱さに負けそうな自分が顔を出す。

 しかし、今の春臣は先ほどまでとは違う。瞬時に仲間たちのことが頭に浮かんだ。


「あれは、違う!」


 今は強く、言い返すことが出来た。


「違う?」

「ああ、あれは、俺の本音なんかじゃない!!」


 自信を持って、一歩、前に踏み出す。


「ただの、俺の、偽物の言葉なんだ。俺の中の力が、一時的に暴走してしまったに過ぎない」

「春、臣」

「意味が分からないと思う。正直、無茶苦茶だってことも分かる。けれど、それについては、今はきちんと説明する時間がないんだ。だから、信用して欲しい。俺は媛子を嫌ったりなんてしてない。一緒にいてほしいと思ってる。だから、だから、そっちの世界に、戻るな!!」

「……」

「お願いだ、媛子」


 それは短いなりに、春臣の渾身の力を込めた言葉だった。言葉で伝える時間がないのならば、気持ちで伝えるしかない。もしも、これで彼女が首を縦に振らなければ、全て終わりである。

 祈りを込めるような気持ちで春臣は彼女の次の言葉を待った。

 媛子はしばらく、黙っていた。ひどく混乱しているように、反応に困っているようにも思えた。

 戻るべきか、そのまま行くべきか、選択肢の間で迷っているのだろう。


「媛子、返事をしてくれ」


 答えを促そうと、春臣は彼女を見つめる。すると、俯いていた彼女はようやく、顔を上げた。


「うむ。そうか……やはり、そうであったか」


 噛み締めるように、彼女は言う。その表情には、温かな喜びの萌芽を感じ取ることが出来た。


「わしは……わしは、最初から、お主のことの本当の気持ちを知っておったとも」


 震えながらも、そう言ってくれたことが嬉しく、春臣は安堵する。目と目が合って、心が通じ合うのが分かった気がした。

 その瞬間、互い違いになっていたパズルのピースがあるべき場所へ収まったような、心地良さが胸に舞い込んでくる。

 そうだ。ただ自分たちは、お互いに勘違いをしていただけなのだ。考えすぎて、本当の気持を信じることが出来ていなかっただけなのである。それは単なる自己欺瞞であり、危うく春臣はそれに全てを飲み込まれてしまうところだった。

 ともかく、危機は去った。


「なら……」


 春臣は、彼女に手を差し伸べた。


「一緒に、戻ろう」


 その誤解が解けたならば、もう何の問題もないはずだった。当然、彼女はその手を握り返してくれると思っていた。

 しかし、

 しかし、彼女は、手をぶら下げたままで、


「ならぬ」


 そう言った。


「ならぬ、わしは、戻るわけにはいかぬ」


 厳しい表情で、そう言った。

 春臣は耳を疑った。

 今、彼女は何と言った?

 戻るわけには、いかない、だと。


「そんな、どうしてだよ!」


 理解出来ない感情が春臣の胸に去来する。


「どうしても、わしは戻るわけにはいかぬのじゃ」


 だが、彼女は悲しいまでの決意を込めて、そう言い放った。ぐっと引き結んだ唇が震えており、そこに隠れた強い決意と同時に、必死に悲しみを堪えているのが分かる。

 春臣にはそれが分からない。


「何でだよ。もう誤解は解けたはずだろう?」

「違う、そこが問題ではない」

「じゃあ……じゃあ、どこに問題があるんだよ!」


 春臣の声は苛立った。


「春臣」


 きっとこちらを見据えた媛子と視線が交わる。彼女は、とん、と自らの胸に指をおいた。


「問題は、わしにある」

「どういう、ことだ」

「春臣、これは運命なのじゃ。受け入れなければならない、な。わしはお主とはこれ以上、一緒におれぬ」


 運命、だと?

 この場に来て……。


「……下らねえよ」

「え?」

「下らねえこと、言ってるんじゃねえよ!」


 春臣は首を振りながら叫んだ。


「お前は神様だろ。本来なら、運命なんて、いくらでも変えれるくらいの力を持ってるんだろう? なら、そんな意味のない言葉なんて使うなよ!」

「神様、か」

「何だ?」


 見れば、彼女が微笑んでいるのが分かった。


「媛子?」


 しかし、それは、ぞっと背筋が凍るほどに、悲しい笑みだった。絶望の歪みが引き起こす、壊れた笑みだった。


「済まぬ、春臣。今まで、偽ってきてしまったな」

「どう、した?」

「本当に済まぬのう……」


 まさか、そんな……。


「嘘、だろ?」

「わしはな、春臣……」


 永遠にも思える一瞬の後、




「神、ではないのだ」




 彼女は一言、そう告げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ