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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
140/172

140 夜叉媛の大願

 先ほどいた繁みから、ずいぶん離れた川沿いの平坦な道に春臣たちはいた。

 そこは周りにあまり障害物がないために見晴らしがよく、美しい川のせせらぎを聞きながら、町の遠くまで見渡せる場所である。

 弾ませた呼吸を整えつつ、春臣は周囲に視線を走らせる。ここならば、媛子がどこに消えたのか、ある程度目星をつけることも出来るだろう。


「青山、媛子がどこに行ったのか、分かるか?」


 春臣は自分の背後を、少し遅れてついてくる椿に聞いた。

 それに気づいて少し顔を上げた彼女は、声を出そうとして、軽く咳き込んだ。


「おい、大丈夫か?」


 春臣はすぐに近寄って彼女の肩を押さえた。おそらく、彼女はすでにかなり体力を消耗しているのだろう。無理もない、彼女は普段から運動をするタイプではなさそうだし、加えてこの炎天下がその疲労に拍車を掛けているに違いなかった。

 彼女は「平気や」と一言だけ喋って呼吸を落ち着けると、ようやく、


「媛子ちゃんと外歩いたんは、ほとんど無いし、残念やけど、検討もつかんで」


 と言った。

 それもそうか。


「じゃあ、町の中心地へ行ったとか?」


 春臣は思い出してそう訊ねた。確か少し前、媛子は椿たちと共に買い物に出かけたはずではある。

 しかし、椿はすぐに首を振った。


「それはちょっと難しいと思うで、榊くん」

「え?」

「遠くに行くつもりなら、そっちにはバスやら電車やら乗り物もあるけど、全部お金が必要や。いきなり飛び出していった無一文の媛子ちゃんには乗られへんし、それに、媛子ちゃんはただでさえあの髪の毛で目立つしなあ。探しに来たうちらに見つかってしまう可能性考えたら、普通は人目の多い町の中心地やのうて、逆に人がおらんところに行くはずや」

「う、確かに正論だな」


 珍しく彼女の的を射た発言に少々驚きながらも、春臣はふうむ、と唸った。そうなると、彼女の移動範囲はかなり狭められてくるに違いない。

 交通機関を使用できないとくれば、移動は当然ながら、徒歩。

 夜に飛び出してから、かなり時間が経過しているとはいえ、椿の言葉を含めて考えると、

金も持っていない彼女が闇雲に自分の知らない場所に行くとも考えられない。それはかなり危険なことだし、そもそも、遠くに行こうにも、この柊町以外に、この世界で彼女の行くあてなどないのだ。


「考えられるとすれば、やっぱりこの近辺か。おそらく、移動はせずにどこかに身を隠しているかもしれないな」


 そうだ、そうに違いない。おそらく、それは、それで合っているのだろう。

 春臣は自分で言って自分で頷く。

 彼女はまだ、昨日のことをすっきり忘れているわけがないんだし。昨日の媛子の悲しげな表情が、フラッシュバックするように目の前をよぎった。。


 じゃあ、そうなると、どう、なるんだ?


 と、そこでなぜか春臣の思考が停止した。何だかエンジンのかからない古い車になってしまったような気分だった。

 あれ、と思う。カスン、カスン、と脳内で何かが空転する音がする。

 走ったことで疲れているのか、知らないうちに焦っているのか、春臣は少しも意識を集中できなくなっていた。


 媛子が行きそうな場所、

 身を隠せそうな場所、

 どこだ、どこだ、どこだ。


 しかし、考えは同じところをぐるぐると回るばかり。これでは、堂々巡りだ。

 まるで、雨の日の水たまりのように、跳ね返る水滴で水面が常に落ち着きがなく揺れているようだった。

 その時、春臣の中では、昨日からの苦苦しい記憶が怒涛の勢いで蘇ってきていた。自身が媛子を傷つけた瞬間が、生々しいほど目の前に映し出されていた。彼女の手を振り払った感覚が蘇ってくる。

 一刻も早く動かなければならないのに。進まなければならないのに。

 その映像が止まらない。

 椿の後ろを見やった。遠く、自分がやってきた方向を見る。


「暮野、瀬戸さん……」


 なぜかふいに、口から言葉が出ていた。


「え?」


 驚いた椿が春臣を見ている。


「ふたりとも、無事かな?」

「榊、君?」

「こんな、こんなとんでもないことになっちまうなんて、俺は、考えもしなかった……」


 声が震えていた。いまさらながら、春臣は事の重大性に体を打ち震わせていた。

 つい先程までは興奮していて、激高していて、杉下老人に、打ち勝つため、何だか全てを背負いきれるような気がしていたのだが、今になってみればそんな力など自分にはあるのか、という疑問がわいてきていた。

 たとえ、ここで首尾よく媛子を見つけられたとして、その後、皆はどうなってしまうのだろう。

 あの杉下老人から目をつけられたということになれば、全員、ただでは済まされないに違いない。

 殺されるとか、追放されるとか、そんな大げさなことを言うつもりはないが、間違いなく、この町での生活はとても風当たりの強いものになるだろう。昔で言う、村八分むらはちぶ。それほどの権力を、あの老人は握っているのだ。

 そんな状況など、とても想像も出来ないが……。


 ただ、仮にそうなったとして、自分はそれに責任が持てるのか? どうなんだ?

 春臣には、分からなかった。その問いに答えられる自信がなかった。

 大波のような後悔の念が春臣を責め立てた。

 もしも、自分と媛子があそこに住んでいなければ、こんなことにはならなかったのに、皆を巻き込まずには済んだのに。

 そう思うと、悔しいやら、悲しいやら、いろんな感情が湧いてきた。この場から逃げ出したくもなった。


 そもそも、そもそもだ。

 自分がこの町に越してこなければ、

 そうであったならば、

 自分は媛子とも会わず、椿たちとも会うこともなく、普通で平穏な生活を送れていたかもしれないのに。


 全部、全部、俺の、おれの、


 オレノセイダ。


「くそっっっったれ!!!!」


 突如湧いてきた行き場のない怒りに、春臣は自身の拳を自身の膝を打ちつけた。びりびりと痛みが走って、春臣は口を噛み締める。


「榊くん!」


 そんな様子を見かねたのか、椿が春臣の腕を揺さぶっていた。春臣を止めようとしたのだろう。


「あ、青山……」


 咄嗟に我に帰り、目の前の悪夢を振り払おうとする。

 大丈夫だ、そう椿に言おうとした。

 しかし、


「怖いん?」

「え?」

「怖いんなら、泣いてもええよ」


 そう言った椿はなぜか脳天気に微笑んでいて、春臣に無邪気に両手をさし出してくる。


「お前、何、言ってるんだよ」

「うちが胸貸したげるで? ほら、遠慮せんと、ぎゅうってしてみ?」

「は、はあ?」

「榊くんなら、うち、抱きしめられてもええし」


 彼女はそう言ってにこりと笑う。予期せぬ事態に、春臣は気が動転し、赤面してしまう。いったい、この少女はどういうつもりなのだ。

 そりゃ、以前から、天然な奴だとは思っていたが……。

 この状況で、普通そんなことを言い出すか?


「ば、馬鹿。じょ、冗談はよせよ!」

「うん、冗談や」


 すると、えっへん、と彼女は開き直ったように胸を張った。これでは、ますます彼女の言動の意図するところが分からない。


「お、お前なあ」


 春臣が呆れた顔をすると、彼女は罰が悪そうに「えへへ」と笑った。


「でも、少しは気分楽になったやろ?」

「え……?」


 椿の表情が急に真剣なものになる。


「うちはな、榊くん。こんなことするくらいしか出来んのや。落ち込んでる誰かをちょこっと笑わす分だけの力しかないんや」

「……青山」

「でもな、榊くんはな、頭がええし、うちよりもっといろんなことが考えれるねん。せやから、いつも落ち着いてくれてないとあかんのや。冷静に媛子ちゃんの場所を探し出してもらわなあかんのや」


 その彼女の言葉が春臣の後悔していた気持ちを消し去った。これには、自嘲の笑いを禁じえない。

 全く、阿呆だな。

 今は迷っている時間はないというのに。媛子を見つけた後のことはそれから考えればいいのだ。

 つくづく自分の馬鹿さ加減には嫌気がさす。春臣は椿に頭を下げた。


「あ、ああ。ごめんな、青山」

「そんな謝ってる暇があったら、ぼけっとしとらんと、少しは媛子ちゃんのおるとこ考えてや」


 思わぬ彼女からの叱咤の言葉に戸惑いながらも、


「あ、ああ」


 と返事をして、そこで春臣はあることに気がついた。


「そうか、青山、閃いたぞ!」


 そう叫んで目を見開いた。


「何や?」

「ほら、あるじゃないか。この辺りで、人があまりいなくて静かな場所が」


 春臣は椿の肩を乱暴に揺さぶる。


「ええと?」

「だから、千両神社だよ。確か、この先の森の中にあるんだろ? そこなら媛子だってだいたい場所が分かるし、参拝客は少ないから、身を隠すには持ってこいだ」


 しかし、椿はすぐに反論した。


「で、でも、榊くん。そこに媛子ちゃんは行きたくないんやなかったん?」


 この前だって、ずいぶん嫌がってたやん。そう彼女は続けるが、春臣の確信は揺るがない。


「確かにそうだけど、他に妥当な場所もないだろうよ。あの神社には神様がいるんだろ? もしも俺が彼女の立場だったら、他にあてのない世界で、出来るなら仲間の助けは借りたいと思う」

「助けを借りる?」

「そうだよ。きっと助けを借りて、元の世界に……」


 言いかけて、はっとした。その事実に、愕然とした。

 そうか、どうして気がつかなかったんだ。

 こいつは、

 こいつは、最初に考えるべき可能性だったじゃないか!

 助けを借りて、元の世界に……。

 そうだ、彼女は、『神の世界に戻る』つもりなのだ。なにしろ、それが最初から彼女の願いだったのだから。

 自分という繋がりの糸が切れた今、彼女はもはや、この世界になんら未練などない。その点から考えても、彼女が取るべき行動は、一つだ。


「うん? どうしたん、榊くん?」

「急ぐぞ、青山。早くしないと、手遅れになるかもしれない」


 春臣はそう告げると、椿の手を握りしめて、森に向けてその足を踏み出した。


「頼むから、間に合ってくれよ!」


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