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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
136/172

136 対峙 5

 老人は苦しそうに喘いでいた。一気に喋ったせいで、呼吸が上手く出来なかったのだろう。

 そして、汚らわしいものを放るように、春臣から手を離した。


「ふん、無駄話も、こ、これくらいにしておこう」


 掴まれていた手を離されて、ようやく春臣は自由になった。圧迫されていた分、新鮮な空気を吸う。ほんの少し足元がふらついたが、しっかりと気を張って老人に向かい合った。

 すると、老人は春臣を牽制するように数歩、距離を置き、こう言い放った。


「とにかくだ。お前はよほど仲間が大事と見える。弱き者は弱き者同士、仲間意識が芽生えるのかもしれんな。ならば、その仲間が傷つけられるのは、大層心が痛むことだろう」


 そうして、春臣の背後を顎で示す。


「え?」


 すると、背後から友人たちの騒ぐ声が春臣に届いた。振り向けば、あの無骨な体つきをした男達に腕を乱暴に掴まれた状態で、三人の友人が部屋に引きづられてくる。


 さつきと椿は男に片腕を掴まれ、木犀はもう一人の男に両腕を後ろに回された上で自由を奪われていた。皆状況に困惑した表情をしていたが、中でも木犀は自分の腕を掴む男を強く睨んでいた。今にも牙をむき、腕に噛み付きそうな雰囲気である。おそらく、勝負を挑んだものの、あっという間に羽交い締めにされたのだろう。


 春臣は、唇を噛んだ。

 結局、自分は、友人たちを誰一人逃がすことは出来なかったのだ。


「榊君、これ、どうなってんの?」


 椿の声だった。


「この人たちは何なん?」


 彼女は、戸惑いながら、男に掴まれた手を振りほどこうともがく。が、その動きを察知した男は、急に邪魔者を見るような目で彼女を睨んだ。そして、掴んでいる手で、彼女のか細い腕を普通では曲がらない方向へ、無理やりとひねり上げた。


「あ、それ、あかんて! 止め――痛っ!」


 椿の悲鳴が上がる。


「青山!」


 その瞬間、春臣の中で怒りが爆ぜた。


「止めろ!! 今すぐに青山たちから手を離せ!」


 そう命令するが、春臣の言葉を男が聞き入れるはずもない。その男は無表情で、痛がる椿を見ている。

それが、春臣の感情を尖ったナイフのように鋭くさせた。

 もはや、形振り構ってはいられない。そう思って、男に飛びかかろうと決意する。

 が、そちらに意識を向けてしまっているうちに、自身の背後に先程の若い男が迫っていたのに気がつかなかった。


「あっ!?」


 反撃する間もなく、春臣は再び動きを止められる。羽交い締めにされたのだ。


「くそ、離せ!」


 両腕を振り回して引き離そうとする。しかし、男にはその攻撃は届かない。

 男は涼しい顔をしてヘラヘラとせせら笑っている。不覚をとった春臣が滑稽でたまらないのだろう。


「どうした? 女の前では格好良い所を見せたかったのか?」

「な、何だと!」


 それを見て、今度は、バチバチと火花が散るような衝動を春臣は感じた。


「お前!!」


 この男を、今すぐに殴ってやりたい。猛烈に、そう思った。殴って傷めつけてやりたい。

 しかし、両腕の自由がない状態では、どうあがいても春臣には勝ち目などなかった。虚しくもがいただけで、すぐに諦め、力を抜く。抵抗するエネルギーが、体から蒸気のように全て抜け出てしまった。


 力なんて、ない。自分には。

 そう思うと、喉の奥が切なくてひくひくと動いた。嗚咽がこみ上げてきそうなのが分かった。ただ、情けなかった。


 何て、

 何て、自分は無力なのだろう。

 こんなにすぐ近く、目と鼻の先で苦しんでいる青山がいるというのに、自分は、救えないのだ。反撃すら、できないのだ。そんな自分を呪ってしまいたいほどの気分になる。


 それを見て、老人が愉快そうに笑った。春臣は耳に棘が刺さるようだった。


「それ見ろ。何だかんだ言っておいて、お前も力を欲しているではないか」


 老人は言う。


「その顔を見ればわかる。もっと自分に力があれば殴り倒せる、そう思っているのだろう?」


 春臣ははっとして、俯いた。その考えは危険だ。聞いてはいけない。

 媛子の手を振り払った自分を思い出す。一人で膝を抱えていた自分を思い浮かべる。

 何があっても……そちらに堕ちてはいけないのだ。


「違う……」


 そう、否定する。

 しかし、老人は言葉を続けた。


「無理に綺麗事を並べ立てて自らを飾る必要は無いというのに、全く。何が祖父の信念だ。何が正義だ。笑わせる! もっと本当の自分を感じろ、もっと素直になれ。お前は何を望んでいる?」

「こ、これは、違う!」

「何が違うというのか。見苦しいな。小僧、お前も本当は知っているのだ。力さえあれば、他者など自分の思うがまま。ありとあらゆるものが手に入る。そうだろう、わしの同族」

「絶対……絶対、違う。違うはず、なんだ」


 否定する声が、恐怖で震えていた。


「ふん、単なるやせ我慢だな。下らないプライドだ。いい加減、青臭い陳腐な夢から目を覚ましたまえ。そして、現実の空気を吸え。世の中の泥に浸かれ。そうすれば、我々が求めるべきものが何か、自ずと分かるはずだ」


 俯いた春臣に、老人は投げつけるように台詞を吐くと、数歩椿たちの方へ歩み寄った。ごほん、と大げさに咳をし、パンパンと手を叩く。


「さて、役者が揃ったところで、全ての事情が分かっている榊春臣、お前に、改めて聞くとしよう……赤髪の少女はどこだ?」


 俯いていても、春臣には分かった。老人はあの濁った目で、自分を見ているのだ。肌がひりひりと痺れるような気がする。


「知りません!」


 無理やり、もがきながら叫ぶ。


「知りませんし、知っていたとしても、教えません!」


 老人はもはや諦めたのか、それ以上、春臣を問い詰めようとはしなかった。ただ、ため息を吐く音だけが聞こえた。


「そうか、それは残念だ」


 そして、こう言う。


「ならば早速だが、別の手段で訊くとしよう」


 この発言に、春臣は顔を上げた。

 見れば、いつの間にか、片腕を掴まれた、さつきの目の前に老人が立っていた。不吉な老人の影が、さつきの体を覆っている。場の空気に戦慄が走った。

 何をするつもりなのか。

 男に捕まっているさつきの目に、怯えの色が映った。


「よし、ではまずはそこの巫女の女からだな」


 そう言って、彼女の顎を掴む。乱暴に引っ張って引き寄せる。


「瀬戸さん!」

「さ、さつきちゃんに、何をするって言うんや!?」


 しかし、周囲の言葉などまるっきり無視したまま、老人は彼女に話しかける。


「久方ぶりだな、瀬戸さつき。まさかこんな形で再会しようとは、思わなんだ。どうだね、千両神社の様子は変わりないかね?」

「……」

「返事をせんか」


 顎を掴んだまま、老人は苛立って彼女の頭を揺すぶった。


「人に質問をされれば答えるのが礼儀であり、道理であろう。礼節を重んじているはずの瀬戸家では、そんな事も教わらなかったのか? さつき君。君は、ここに住んでいる『赤髪の少女』を知っているな?」


 その瞬間、さつきの口元がさっと強張った。視線を老人から逸らす。どうやら、彼女はこの状況が何を示すのか、理解したらしい。目をぎゅっと閉じ、何も反応を示さない。

 すると、老人はふん、と面白くなさそうに鼻を動かした。


「ふむ、黙すか。ならば仕方ない。わしとしては心苦しいが、躾のなっていない子供には、仕置き必要だ」


 そして、隣で木犀を掴んでいた男を見ると、


「お前、その女を殴れ」


 そう、なんでもないことのように、命令した。


 その言葉に、春臣の顔は凍りついた。

 殴る? そんな馬鹿な。そう思った。

 こんな自由を奪われた無抵抗な少女を、ためらいもなく殴るというのか?

 普通じゃない、いくら何でもやり過ぎだ。怒りで目の前が見えなくなりそうになる。


 だが、そこで冷静になるために春臣は、一度息を吸った。動揺してはいけない。

 すると、ある考えが頭に浮かんだ。


 違う、これは……。

 これは、単なるハッタリに違いない。全ては、春臣に媛子の本当の居場所を吐かせるための演技なのだ。きっと老人は、春臣が友人たちを助けるためなら、媛子の居場所を話すとそう考えているのである。


 そう思った春臣は、ちらりと老人の様子を横目で窺った。

 と、その瞬間、こちらを見ている老人と目が合った。いやらしくつりあがったその目は、春臣が今にも全てを白状をするのではないかと待ち構えているように見えた。

 やはりか。春臣はそこから確信した。老人は、こちらの我慢が限界にくるのを今か今かと待っているのだ。

 そうなると、こんなものに屈するわけにはいかない。春臣は口を真一文字に結ぶ。絶対に口を割ってはいけない。


 しかし……。

 しかし、そんな春臣の目の前で、老人から命令された男は、木犀の拘束を解くと、そのままさつきに近づいた。そして、何の躊躇いもなく、彼女の前で、ゆっくりと拳を頭の上まで振り上げる。力を込めて盛り上がった筋肉が、服の上からでも分かる気がした。

 これは、この動作は、どうみても、単なる演技とは思えない。


 嘘だ、嘘だろ。その光景に、目を疑う。この男は、本気で、彼女を殴るつもりだ。

 脳内に危険信号が灯り、春臣は咄嗟に叫ぶ。


「止めろぉ!!」


 しかし、その時には既に、

 男の拳は、

 さつきの頬へ向けて振り下ろされて――。


 間に合わない。そう思った春臣は、恐怖で咄嗟に目を瞑る。

 さつきは、殴られてしまったのだろうか。


 だが……周囲はなぜか、無音のままだった。時が止まったのかと思うほどの沈黙に満ちている。

 無音、無音、まだ無音。


 さすがに、おかしい。

 そう思ったとき、いきなり、さっと風が春臣の頬を撫ぜた。反射的に目を、開ける。


 瀬戸さんは……?

 まだ、その場に立っていた。

 殴られて……いない。どうして?

 どうやら、本人も何が起こったのか分かっていないようで、目を開け閉めして、気が抜けた顔をしていた。いったい、何があったのか。


 と、そこで春臣はある異変に気がついた。

 さつきを殴ろうとしていた男が、その場から忽然と、姿を消していたのだ。

 そんなはずはない。たった今までそこに立っていたのだから。いったい、どこに消えたというのだろう。

 しかし、男の居場所はすぐに分かった。


「う、うう……」


 小さな低い呻き声が聞こえたのである。それも、春臣たちの足元から。

 この事実に気がつき、すぐに視線を向けると、男は無様な格好で床に突っ伏していた。畳が、男の大柄な体で、ぐっとめり込んでいる。どうやら、さっき感じた風はこの男が倒れた時のものだったらしい。そして、その背中には、何者かの見事なかかと落としが決まっていた。


「暮野!」


 春臣は彼の名を呼んだ。

 彼は至って冷静な面持ちで、足を戻すと、ふんと鼻息を飛ばした。ごきりごきり、と威嚇するように指を鳴らす。


「言っておくが、こいつは正当防衛だぜ。この場の全員が証人だ」

「何だ、お前!」


 春臣を捕まえている若い男の怒声が飛んだ。予想外の事態に動揺しているのが分かる。

 しかし、木犀は静かな表情を崩していない。


「喧嘩には昔から慣れてるんだよな。双子の弟と毎日ゲームの取り合いしてたんだ。それなりに動きには自信があるぜ」

「このガキ!」

「ガキぃ? ああ、そうかもな、俺はアホでとんまなガキだ。でもなあ……」


 すると、彼は畳を後ろ足で強く蹴った。大きく跳ねて、倒れていた邪魔な男を飛び越す。

 そして、着地すると、椿たちを捕らえている男を翻弄するように左右に素早い動きを見せつつ、一瞬の隙を狙って、小さく屈んでその男の懐に飛び込んだ。目にも留まらぬ、あっという間の接近だった。

 それを見た男が僅かに顔を歪め、驚愕したのが春臣から分かる。身の危険を咄嗟に察知したのだろう。しかし、今更間合いを詰めた木犀から逃れられるはずもない。

 次の瞬間には、たじろいだ男の無防備なみぞおちに、木犀の拳がねじ込まれていた。勝負は、ものの数秒で決まった。


「ぐう……」


 男の肺から圧縮された空気が吐き出されていた。メリメリと拳が沈み込む生々しい音が、春臣には聞こえる気がした。


「大の大人のくせして、無抵抗な女に手ぇ出す腑抜けどもなんて、こんな俺の十億倍はガキだな!!」


 そう、木犀が吠えた。

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