133 対峙 2
「そうか。その女はやはり、人間ではないのだな!」
途端に、春臣は体が地面から離れるのを感じた。飛びあがったわけでもないのに、どうしたことかと左右を見ると、先ほどまで老人の背後に控えていた二人の男が、なんと、春臣の両肩を掴んで持ち上げているのだ。
どうやら、老人がそうしろと素早く指示をしたらしい。春臣は突然のことに抵抗する暇すらなかった。
「な、何ですか! これは!」
と、驚き叫ぶ。
そして、必死にもがいて彼らの図太い腕から抜け出そうとするのだが、もがくほどにその男たちはさらにきつく春臣の肩を締め付け、動きを封じてきた。掴まれた場所がぎりぎりと痛む。思わず声を上げそうになった。
それを見て、それまで笑っていた老人の顔が一変し、醜くく歪んだ。
「さて、榊君。残念ながら優しく訊ねるのも、これで終わりだ」
そう睨みつけておいて、春臣の横をひょいと通り抜け、家の中に入っていく。
「茶はいらぬと言ったが、一先ず家に上がらせてもらおうか。さすがにこんな場所では人目につく。大の大人が寄ってたかって一人の純朴な少年を羽交い絞めにしていると知れれば、大問題だ」
「ちょっと、やめて下さい!」
春臣は止めようと叫びもがくが、その抵抗も空しく、両手両足は相変わらず空を掻くだけだった。いくら若く健康な肉体を持っている春臣とは言えど、大の大人二人に掴まれたのでは成す術も無い。何も出来ないままその男達に引き摺られ、ずるずると家の中に引っ張り込まれてしまった。
そして、最後に若い男が入って、扉が閉まる。バタン、と外の世界と隔たりが出来る。
助けは、呼べなくなった。
その事実を認識し、春臣はパニックになりそうになった。
なにしろ、相手は大人四人で、こちらは一人。多勢に無勢である。さらに、春臣は武器になりそうなものを何一つ持っておらず、その上、動きを封じられているときた。
これこそ万事休す、だ。
抵抗するだけ無駄なようである。春臣は程なく体から力を抜いた。
一方で、老人は勝手知ったる我が家のように春臣の家にどんどん侵入していた。と、居間に足を踏み入れたところで、ぎょっとして足を止めた。
「何だ、これは?」
と声を上げる。
それにつられて、春臣も引っ張られたまま様子を見た。そこで、思い出した。
居間はまだ昨日のパーティーの片付けが済んでいないのだ。
部屋の中は乱雑に散らばっていて、倒れたツリーや、クラッカーの飾り、空っぽの一升瓶などが昨夜のままに転がっていて、雑然としている。
「ずいぶん散らかっているではないか」
「昨日、ここで友人たちとパーティーをしたんです。勝手に入らないでください!」
春臣は思わずそう叫んで、老人たちへこれ以上の侵入を止めようとした。
しかし、老人は春臣のそんな制止の言葉などまるで気にも留めない素振りで、
「パーティー? 酒を飲んで宴会か? 最近の若者は豪勢だな」
などと嫌味っぽく笑っただけで、そのままずいずいと入っていってしまう。そして、一升瓶など邪魔な物を足で乱暴にどけると、まるでこの空間の主であるかのように、テーブルの前にどかりと座った。
さらに、遅れて入ってきた若い男は、「何だこれは、汚いな」などと、ぶつぶつ文句を言いながら、適当な場所に腰を下ろし、見るからに不快そうな顔をして、あちこちを眺めた。
その様子を見るや、春臣の内には怒りがこみ上げてきた。
このあまりに理不尽な状況にである。
そっちが勝手に入ってきておいて。なんだ、その言い草は……。
その時にはもはや、目の前の老人が、かつて一人暮らしを始める自分を憂い、優しげな言葉をかけてくれたことなど、意識から消え去っていた。
それと引き換えに、春臣の脳内にまざまざと映し出されていたのは、昨日の記憶だった。騒がしくもあったが、仲間たちと共に準備し、媛子を共に祝った、あの温かなパーティーの風景である。
そこへ今は、こんな不粋な人間たちが許可もなく勝手に足を踏み入れていると思うと、今すぐにでも出て行けと怒鳴りたい気分だった。
ここは、ここは、仲間たちとの大切な場所なのだと、主張したい気分だった。
「それより、榊君」
しかし老人は、春臣の心情など全く知るつもりもないようで、無神経な、平坦な調子でそう訊いた。
「赤髪の少女はこの家にいるのだろう? どこにいるのか教えてくれないか?」
春臣はつい大声で突っぱねてしまいそうになるのを堪えて、首を振る。
「……教えません」
「何?」
「それよりも、早く離してください。俺は、暴れたりしません」
「ふん……」
すると、老人はじ、と春臣を見て、それからなぜか春臣の背後の方へ一度視線をやってから、
「そうだな、離してやれ」
と言った。途端に男達が春臣からすっと手をどける。そのあまりにもあっさりとした様子に、自分から頼んだものの、春臣は一瞬呆然とした。
もう少し、拘束されるものと思っていたけど……。
すると、老人は動かない春臣には興味がないのか、今度は傍で控えている男達に視線を移す。
「お前たち」
と呼んだ。
「この家の中にあの女がいる可能性は高い。隈なく探して来い」
それを聞いた男達がロボットのようにするりと無言で立ち上がり、振り向いて部屋の外へ出て行く。
春臣ははっとして、我に返った。
そうか、そのために、春臣を離したのか。
そして――。
これ以上、この者たちに好き勝手にさせてはならないとそう思って、
「ちょっと待――」
男達の背中に手を伸ばしかけた。
しかし、
「止まれ!」
急に腹を殴りつけられるような言葉が飛んできた。杉下老人だ。
振り向くと、老人は身も凍るような冷たい表情をして、春臣を見ていた。まるで、人の命など平気で奪って潰してしまいそうな、そんな残忍さすら感じる目つきである。
腹の中に、化物でも飼ってるみたいだ。
直感的に春臣は思った。