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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
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129 弱き者 1

 夜が明けたのは、いつのことだったのだろう。春臣には分からなかった。


 閉じられているはずの部屋に、染み込むように、朝の光が入り込んでいた。春臣の周囲はひっそりしているのに対し、その光を通じて、外の世界の空気が活発に振動しているのを感じ取る。鳥たちの羽ばたき、犬の咆える声、クラクションの音、人々の話す言葉。どうやら、外の世界の生き物たちは、すでに活動を始めているらしい。


 しかし、春臣は部屋の隅で膝を抱えたまま、相変わらず動けだせずにいた。城の最奥に幽閉されてしまった王子のように、希望も持てず、ただ小さくなって、浅く呼吸し、体からか細く伝わる鼓動の音に耳を傾けていた。


 喉が異様に渇いている。当然だ。昨日の夜から春臣は何も口にしていない。しかし、だからと言って、春臣は何かを口にしたい気分ではなかった。

 喉が渇けば、そのまま渇いていればいい。何もない砂漠の真ん中で、成す術もなく絶望し、立ち尽くしているような気分になる。叶うのならば、この渇きが、いっそのこと春臣の人間としての感情も体から全て抜きとってくれないだろうかと思う。そうすれば、ただの肉の塊として、春臣は何も感じずに済む。媛子のことを思って思い悩まずに済む。そうすれば、一番楽だ。そうすれば、孤独の塀の中で、春臣は、自分を守っていられるのだ。


 しかし、現実にそんなことは無理である。春臣の胸はまだ確かに人間の感情を宿していて、その奥には、未だ昨晩の媛子の残り香が漂っている。彼女の最後に見せた表情が劣化した映画のフィルムのように目に焼きついていた。春臣は、どうにも拭えない、深い虚脱感に苛まれている。


 そんな自分に対し、春臣は一晩中、納得させようと言い聞かせてきた。

 悲しみに我を失い、ただ媛子と一緒に生きたいと、そんなことを願っている自分など偽者なのだ、彼女は自分から離れて正解だった、と。

 しかし、それにも関わらず、春臣は全く前進出来ていなかった。良い奴でいたい春臣はまだしぶとく生きていて、自身の内の砦で、息を潜めて篭城しているのである。これでは埒が明かない。

 春臣は力を抜いて目を閉じた。とりあえず、今は諦めて眠ってしまおう。そう思ったのである。何しろ、一晩中起きていたわけだし、さすがにいくぶんまぶたが重い。背中を壁につけて、大きく息をついた。


 しかし、そこでいきなり部屋の扉が乱暴に開いた。春臣の体が無意識に反応する。もしかして、媛子が戻ってきたのか、と思わず期待してしまったのだ。

 しかし、入ってきたのは、


「榊君!」


 血相を変えた椿だった。彼女は部屋の隅で縮こまっている春臣を見つけると、すぐさま近寄り、春臣の肩を揺すぶった。


「榊君、どないしたん? 媛子ちゃんは? どないして、呼び鈴鳴らしても返事がなかったん?」


 呼び鈴?

 ああ、そんなものを鳴らしていたのか。

 ぼうっとしていたせいで、全く、聞こえなかった。


「うち……うち、心配で勝手に入ってきてしもうた」


 椿は混乱しているのか、早口に言う。春臣はというと、生気の抜けた半眼でそんな彼女を見た。


「心配? そうか。それなら俺は大丈夫だ」


 そう言って、無理やり笑って見せる。しかし、彼女にはそんな上辺だけの元気などは通用しなかったようで、


「何言うてるん? 全然大丈夫やない。顔が真っ青やで。榊君、しっかりしい! いったい何があったんや? 媛子ちゃんはどこに?」


 問われて、春臣は一瞬口をつぐむ。


「ああ、媛子は……媛子は」


 そして、その問いにどう答えたものかと逡巡し、神棚を見つめ、ふいに思いついて、


「神の世界に、帰った」


 そう答えた。


「か、帰った!?」


 椿が驚きに口元を手で押さえる。

 と、それと同時に、椿の背後に見えていたドアの向こう、誰かがいるのが立つのが見えた。どうやら、木犀とさつきのようだ。おそらく、昨晩の片付けをするために椿について来たのだろう。


 しかし、その二人は今や、春臣の発言を聞いて、顔色を失っていた。


「今の話、本当、なのか?」


 一歩踏み出して、木犀が問う。愕然とした表情で、目を見開いている。


「ああ、昨日の晩だ。もう、ここには用がないからって、帰っていったんだ。体も完全に復活したんだし、後は神の世界に戻るだけだったしな」


 何でもないことのように、平静を装って春臣は言った。

 さも、それが最初から想定されていた自然の成り行きであるかのように。そこに、何の疑問を抱く余地など微塵もないように。

 水は上から下へ流れると教えるように。太陽は東から昇ると説明するように。

 それがどうした、そういう風を装って、堂々と言った。

 その時の春臣には、それで、すべてを隠せると思っていたのだ。


 しかし、


「嘘や」


 ものの数秒もしないうちに、誰かが否定した。

 春臣は声がした方を見た。すると、椿が表情を強張らせ、首を振っている。


「嘘や、そんなの……嘘や」

「嘘じゃねえよ。現に、今ここに、媛子はいないだろう? それが証拠だ」


 春臣は片足で畳を踏んで示す。

 しかし、彼女は頑なに首を振った。


「嘘や。媛子ちゃんは、そんな子やない。うちらに何も言わずに、いきなりいなくなるやなんて、ありえへん」


 春臣はそう言い切った彼女を見つめた。その瞳にはどこまでも真っ直ぐな力が秘められているのが分かる。

 それを確認して、春臣は出会って初めて彼女を嫌悪した。

 どうしてそんなに媛子を一途に信じられるのか。春臣は思う。そんなに、難しいことを、どうしてこんなに易々と出来るのだろう。

 そんな彼女の眩しい純粋さが腹立たしい。春臣は向きになって答えた。


「本当だ、青山!! 何度も同じことを言わせるな!!」


 不自然なほど、声にあからさまな怒気が混じる。

 しかし、彼女はそんな春臣に臆することもひるむことなく言い返した。


「絶対嘘や!! 嘘やったら、嘘や!!」


 一見、華奢な体つきの少女から放たれたとは思えない強い言葉が部屋を揺らした。いったい、そんな力をどこに隠し持っていたのだろう。

 これには春臣もさすがに気圧される。


「青山……」


 こいつ、怒らせたらこんなに怖かったんだ。初めて知った。思わず身震いした。


 すると、椿はさらに追い打ちをかけるように目じりをきっと絞り、口を開く。


「そんなありえへん嘘をつく榊君なんて、嫌いや。大嫌いや!」


 大嫌い。

 椿から言われたその言葉が、春臣の心をえぐる。それは春臣が、媛子に放った言葉だった。彼女の影が春臣の脳裏をよぎる。

 その瞬間、すべてを隠し通そうとした春臣の心が、今にも壊れそうに脆くなってしまったような気がした。

 椿はというと、今や、瞳を潤ませている。


「榊君、お願いやから。ほんまのこと、教えて」


 それは懇願するような声だった。


「そうです、榊さん。私にも、それが真実とは思えません」


 これは、木犀の後ろにいたさつきが言った。いつだったか、媛子を倒そうとやってきたときのように、尋問するかのような迫る口調だ。その隣では木犀が、言葉はなくとも、頬を引きつらせて睨んでいる。


 春臣は、力なく肩を落とした。

 三対一。これじゃ、あまりに分が悪いな。

 そう観念して、ややあって、口を開く。


「……俺は、俺は、あいつに酷いことをしたんだ」


 それを聞いて、沈痛な面持ちになった椿が訊いた。


「酷いこと?」

「そうだ。もう、俺の顔なんて見たくなくなるような、酷いことだ。それで、あいつはここから出て行って、どこに行ったのか……分からない」

「分からないって、どうして……」


 さつきが不安そうに唇を噛む。


「探してないから、どこに行ったか、分からない。そういうことだ」


 すると、今度はそれを聞いた木犀が動いた。くるりときびす返し、部屋の外に向かおうとする。


「木犀、さん?」


 さつきが問いかけると、彼は毅然とした顔で振り返った。そこには、春臣に対する敵意のようなものも感じ取れる。


「分からない、じゃねえよ、榊。何があったのか知らないが、緋桐様の居場所が分からないなら、探すまでだ」


 そう言って、一人で階段を下りていこうとする。しかし、春臣はそんな彼を引き止めようと体を起こしていった。


「やめろよ。彼女の、好きにさせてやって欲しい。どうせ、もう帰って来ても意味はないんだ」

「榊君、それどういう意味や」

「だから、そのままの意味だ。彼女は、そもそも俺なんかと一緒にいるべきじゃないんだ」

「一緒にいるべきじゃないって?」


 その問いに対し、春臣はため息を吐いた。それは体全体を埋め尽くす倦怠感を塊にしたかのような、重たい吐息だった。


「気づいちまったんだよ。自分の本当の気持ちに、昔からの願望に」

「それは、何なん?」


「俺はな……俺は……ずっと昔から、誰とも交わらない『孤独』な人間でいたかったんだよ」

どうもヒロユキです。

今年は、この更新が最後となります。今思えばもうあっという間の一年ですが、いろいろ発見も多く、成長できた年でもあると思います。続きは来年ということになりますが、なるべく早く新年のご挨拶が出来るよう、早めに更新しようと思っております。なんだか駆け足な挨拶ですが、それでは、また来年。皆様、よいお年を。


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