122 遊宴の夜 1
クラッカーの音が炸裂した。
全員の手元から放たれた色とりどりの紙ふぶきが狭い居間を花びらのように舞い、歓声が弾ける。
賑やかな夏の夜。
媛子の完全復活を祝う宴は、そうしてクラッカーの音と共に、華々しくスタートした。
テーブルの上には椿たちが腕によりをかけた豪華な夕食が並び、その中央には、イチゴと生クリームがたっぷり乗ったケーキが威風堂々と置いてある。周囲の壁には、帯状の煌びやかなテープが張り巡らされ、夏だというのに、なぜか電飾付きのクリスマスツリーがチカチカと部屋の隅を照らして、お祝いムードの盛り上げに一役買っている。
「媛子ちゃん、おめでとうさん」と椿。
「おめでとうございます。夜叉媛さん」とさつき。
「おう、神様おめでとう」と木犀。
皆が口々に祝福の言葉を送ると、今回のパーティーの主役は、えっへんと威張るのかと思いきや、はにかむように僅かに俯き、
「ありがとう……」
と控えめにお礼を述べた。
「わしのために、ここまでしてくれたこと、感謝する」
隣の椿が口を押さえて笑いながら、どこか子供っぽいとんがったパーティー帽子を媛子に被せた。きらきらとした飾りが光を跳ね返し、綺麗である。
媛子は、
「むう」
と最初は戸惑う様子を見せたものの、すぐにまんざらでもないのか、自分で帽子の位置を調整し始めた。
「なかなか、良いのう」
とご満悦である。
そして、グラスが全員の手元に回される。
とてもじゃないが全員では飲みきれないほどの大量のペットボトルから、それぞれが好みのジュースを注ぐ。
それが終わると、いよいよ媛子が乾杯のコール。
かつん、とガラスの触れ合う軽い音が響き、各々がグラスを傾け、食べ物に取り掛かった。
春臣は、少し離れたテーブルの角に座り、その様子をシュースを飲みながら、見つめていた。物思いに耽っていた。
ずいぶん、賑やかになったな。そうしみじみと思っていた。
数ヶ月前。
ここで、初めての一人暮らしを決意したときの、あの心細い気持ちが蘇ってきている。叔父の車があぜ道の向こうに消えていき、置いてけぼりにされたような心細い気持ちを、春臣は忘れようがない。
無人島ではないけれど、これまで生きてきた中でそれほどまで、他人との関係が希薄になってしまうことは極めて稀な経験だった。
何かあればいつだって両親が顔を覗きこんでくれた日々とは違うのである。
生きていく上での一切合財を、当面、自分で背負わなければならない。他人の助けなどないに等しい場所なのだ。
初めて味わった、あの孤独。
その味は、どこか甘美な誘惑に彩られてはいたが、何者とも分かち合えない、断絶された寂しさも兼ね備えたものだった。
春臣は、あの夜を思い出している。じっくりと。
しかし。
春臣は思う。
しかし、それがいまや、こんなに仲間が出来た。
傍にいて、肩を叩きあって、一緒に歩いていける仲間だ。春臣は思う。
自分は、今、孤独ではない。
心に小さな明かりが灯ったような気持ちに、春臣はなっていた。
ふいに、隣に木犀が座ってきた。
にやにやと気持ちの悪い笑みを浮べている。
「よお、榊」
と手をひらひらさせる。
「招待してくれてありがとな」
すると春臣は小首を傾げて、
「俺は、招待したつもりはないんだが」
と返した。
「お礼なら、瀬戸さんに言えばいい。暮野をこのパーティーに呼ぶって言い出したのは、彼女だぞ」
「ああ、そうなのか」
彼はさつきを一瞥すると、飲み物を一口飲んだ。あぐらをかいて、座る。
そんな彼をじっと見つめながら、春臣は聞いた。
「彼女とはずいぶん仲がいいんだな」
「え?」
「だから、瀬戸さんだよ」
春臣はその少女に視線を向ける。
媛子たちと談笑している彼女は、大人の女性のような慎ましやかな笑みを浮べているが、そこからはどこか、少女らしい初々しい眩しさも感じられた。
「まあな。時々神社に遊びに行くよ」
木犀が答えた。
春臣はそこでふっと考えながら、またなんとなくジュースを飲んだ。
「あまり詮索するつもりはないけれど、その、彼女とは、あれか?」
横目で木犀を見る。
「あん?」
「ほら、だからさ……なんていうか」
春臣はなんだかずばりと言えず、ついもごもごとしてしまう。
「ああ、もういいや。我ながら野暮なことを聞いた。気にしないでくれ」
「……ふうん」
すると、腑に落ちない様子のまま、ごつごつとした無骨な手で木犀は頭を掻いた。何かを考えている様子である。
そして、しばらくして、春臣が言わんとしたことが分かって、
「べ、別にそんなじゃねえよ」
と妙に擦れた裏返った声を出した。同時に、軽い肘鉄を食らわしてくる。
春臣は笑った。なかなか面白いリアクションだな、と思った。テレビの芸人みたいといわないが、かなりオーバーだ。
その時、春臣はいつかの夜を思い出した。
そう、木犀が春臣の家に来た夜のことだ。あのときは、媛子と一緒に彼を騙して笑いあったんだっけ。あれは、とびきりおかしかったものだ。
「鈍い奴だな」
とからかうと、彼は不機嫌そうに目を尖らせた。
「うるせえ、頭が足りねえのは生まれつきだ。自分で分かってる。それと、きちんと答えておくと、彼女はただの友達だよ」
「本当にそれだけか?」
意地悪い感じで春臣は追撃してみた。
「ああ?」
「だって、さっきからずっと下の名前でかなり親しげに呼んでるじゃないか。少なくとも俺にはかなり親密に見えるぞ」
「あのな……」
「ほら、彼女に打ち明けていないにせよ、いろいろ思ってることがあるんじゃないのか?」
「しつこいな。榊、お前、そんな面倒くさい奴だったのか?」
春臣は必死ににやにやを堪えながら返す。
「違うよ。ただ俺は暮野のことを純粋に知りたいと思っただけだよ。考えてみれば、俺は暮野とあんまり話をしてないだろう」
ふん、と木犀は鼻息を飛ばす。怪訝そうに春臣を白目で見つめている。
「それにしたって、質問が偏ってるってもんだ。俺に聞きたいことってさつきちゃんのこと限定かよ」
「でも、それも暮野のことには違いない。俺は外見からでは分からない気持ちを知りたいんだって」
「さつきちゃんをどう思ってるかって?」
「単純に面白そうだしね」
すると、途端に木犀がひっと小さな悲鳴を上げて仰け反った。相変わらずオーバーだ。
「俺は今、いつもクールな榊の中に潜む野次馬根性を垣間見たぞ」
「オーバーだな。俺だって人並みに好奇心くらいあるさ」
春臣は飄々と言ってみせた。とんかつにソースを付けて齧った。
「そ、そうなのか」
「それで、実際どうなんだよ?」
すると、木犀ははあ、と半分諦めたようにため息をつくと、
「そりゃ、かわいいとは思うよ」
と言った。春臣はにやにやして頷く。
「だよな。あのポニーテールがいい」
「分かってるじゃないか、榊」
途端、木犀が目を輝かせる。
「それから、あの凛々しくも清楚な立ち姿は、そこらへんの子とは違う」
「目の付け所が違うな。お前とは旨い酒が飲み交わせそうだ」
調子に乗ってきたのか、彼はバンバンと春臣の背中を叩いてきた。
「だろ?」
しかし、そこで彼は得意げに鼻の頭を擦る。
「だが、何と言っても一番は……」
「うん? まだそれ以上の魅力があるのか」
ああ、と自信満々に木犀は耳打ちしてくる。
「彼女はな、はにかんだ顔がとても可愛いんだ」
「ふうん……」
「ああ、それとな、さつきちゃんは……あん? なんだよ榊、俺の顔をじろじろ見てさ。俺じゃなくて彼女が……」
「分かってるよ」
春臣はわざとつまらなそうに相槌を打った。
「何だよ。もう俺への興味が冷めたのか?」
別にそういうわけではないのだが。
しかし、彼女のことを語る木犀の表情があまりにも生き生きしていたので、春臣としては彼がさつきをどう思っているのか、さもありなんと理解してしまったのである。つまりは、それで今日はすっかり満足してしまったのだ。
「いや、ずいぶん楽しげだなって思ってさ」
そう言うと、木犀は一瞬ぽかんとしたが、
「はあ……」
と、目を瞬かせ、またさつきについて、あれこれと語りはじめた。春臣はそれをうんうんと適当に相槌を打ちながら聞いた。
しばらくしてだった。
春臣は、そこで、もうひとつ彼に質問したかったことを思い出した。
「そうだ、すっかり聞くのを忘れていたが、いつから知ってたんだ?」
「うん?」
「俺の家に媛子が住んでて、あいつが神様だって」
それはずっと気になっていたことだった。
なぜなら、春臣としては、木犀がずっと媛子の存在を知らないはずだと思っていたからである。確かに以前、彼にはこの家に神がいると言って、媛子の声で驚かせたわけだが、その実体を見せたわけではないのだ。
すると、彼は得意げにくいっと眉を動かした。
「それは……榊のあずかり知れぬところでいろいろあったんだよ。俺と神様とには、こう、なんていうか、やんごとなき事情が、いろいろとさ」
「やんごとなきじじょー? 適当にごまかすなよ。ちゃんと話せ」
しかし、木犀の口は堅い。
「残念だが、そのことについては神様から口外してはならないと命じられているんだよ。特に榊にはな」
と言うのである。
「なんだよ、それ」
「俺が緋桐教の敬虔な信者ということだぜ。俺は拷問にあっても決して口を割らないと緋桐様に誓ったのさ」
「はあ……」
そういえば、そんなこともあったな。
半分呆れながら春臣は思った。
緋桐教か。
「まあ、それはそうと」
と、木犀が話を変える。
「せっかくのパーティーなのに、榊はちゃんと祝ってやらないのか、神様を」
「え?」
木犀が目線で、テーブルの向かい側で座る少女を示した。
どうやら、祝ってももらってもうすっかり良い気分に浸っているのか、頬を赤くして媛子は一生懸命に椿たちと何かを話している。
しかし、春臣は、何事もせず目を逸らした。自らの中にもやもやとわだかまっている感情が、彼女に対してまだ素直になることを許さなかった。
あの、例の出来事以来、彼女とは極力、会話をせずに生活をしてきた。お互い怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないが、どうしても、元通りになるきっかけが掴めないのである。そのせいで、今日という日でさえ、春臣は素直に彼女におめでとうと言っていないのだ。
「どうしたんだよ……」
「……」
不安そうに見つめる木犀に対し、春臣は無言でトマトに箸を伸ばす。