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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
118/172

118 さつきと椿 1

 柊町の北東。

 せらせらと淀みなく流れる楡川の上流。

 厳かな空気に包まれた森の奥に、その神社はある。

 千両神社である。


 古い歴史を持つその神社で、ひっそりと木漏れ日光る鳥居前の石段に、今日も一人の少女が立っていた。

 少女――瀬戸さつきは手に長い竹箒を持ち、長い髪を揺らしながら、石段の掃除をしている。

 高校生でありながら、親から普段の神社の管理を任されているこの少女は、従順にもその役目を背負い、来る日も来る日も神社へと通っていた。昔の勢いはどこへやら、今となっては参拝客など皆無のこの神社を、千両神と共に日々見守っているのである。


 降り注ぐ蝉の鳴き声の中、さつきの箒と石段の擦れる規則的な音が、湖の岸辺に寄るさざ波のように、遠く、聞こえていた。


 ザザ、ザザ、ザザ――。


 と、ふいにその音が消えた。

 何かと思えば、さつきが手を休めて、石段の下の辺りを見ているのだ。そこに気が誘われるものでもあるのであろうか。

 しかし、彼女は何を思ったか、すぐに視線を戻すと、再び作業に戻る。


 また、箒の擦れる音。

 そして、しばらくすると、またしても音が止んだ。するとやはり、この少女は石段の始まり辺りを見ているのである。

 いったいどうしたことだろう。仕事熱心な彼女であれば、普段の作業で集中を切らすということはない。単に暑さや、疲労で作業を中断するというのであれば話は別だが、彼女のこの様子は、明らかにそれらとは気の逸れ方が違う。


 彼女の澄んだ無垢なる瞳は、何かを求めるように瑞々しく、潤んでいる。

 しかし、視線の先には、誰もいない。ただ、ぐねぐねとうねった寂しげな砂利道が続いているのみである。

 それが、幾度か続いた。




 作業を始めて十分ほど経っただろうか。そこでさつきは、休憩をしようと、石段に腰掛けた。ずいぶん立ちっぱなしで作業をしていたので、足が重たくなっているのだ。タオルで流れた頬の汗を拭う。

 そして、


「今日は、来てくれないのかな」


 と呟いた。


「昨日は暇だから明日遊びに行くって、電話で言ってたのに」


 身体を逸らして、さつきは空を仰ぎ見る。

 木々の合間から見える夏の空は、ひたすら青く、うっかりすれば、頭の中が真っ白になり、ふわふわと遠くまで飛んでいってしまいそうだった。

 まるで、浮遊するような、心地いいような、それでいて、ふらふらとした不安定な気持ちをさつきは感じている。

 いったい、これは何だろう。なんだか、変な感じ。

 そこではっと我に帰ると、さつきは急に、いてもたってもいられないような、切ない気分に晒された。両腕でぎゅっと足を引き寄せ、もじもじと身体を動かす。


「ああ、もう。わたしったら、そう言われただけで、何で昨日からあの人のことばっかり考えてるんだろ。こんなことしてても意味なんてないのに」


 じれったそうにもがいて、ため息。膝の間に頭をぐりぐりとうずめてみた。

 ああ、ほんと、何してるんだろ。


 と、そこで、傍らの石段の影から、あるものが顔をのぞかせているのに、さつきは気がついた。


「あ……」


 それは鮮やかな赤い花弁をした野草だった。

 さつきの目が吸い込まれるように、その小さな赤い花を凝視した。そして、なにやら、うーむと唸りだす。

 その時、さつきの脳内では、いつも自室で読んでいる多くの漫画や小説の記憶が引き出されていた。



 誰もいない丘の上。

 約束の木陰で、恋人を待つ少女。

 一時間経ち、二時間経ち……。

 やがて、彼は来るのか、来ないのか、言いようのない不安が少女の胸に押し寄せてくる。

 そして、彼女は傍らの花を摘んで。

 一枚、一枚、花びらを――。



 さつきの瞳が、迷っているようにきょろきょろと忙しなく動いた。

 うん、会いたい人がいる時は……定番、よね。


 けれど。

 さつきの目に迷いが生じる。


「こ、子供じゃないんだし」


 いかにも馬鹿馬鹿しそうに、そう独り言を言って、さつきは目を逸らした。

 そうだ、こんなことしている場合ではないのだ。仕事をさっさと終えてしまおう。

 そして、箒を握りなおし、作業に戻ろうとする。服に付いた砂を払って立ち上がった。


 しかし、

 しかし、なぜかその手が動かない。

 どうしても、花が気になるのである。黙ったまま俯き、さつきはまた腰を下ろした。彼女の細い手がその赤い花に伸びる。

 ま、まあ、物は試し、だしね。


 そして、そっと花を茎から千切りとった。そのまま、誰かに見られていないこと確認して、花びらの一枚を摘む。


「あ、会える……会えない……」


 息を潜めるように、恐る恐る、彼女は呪文を唱え始めた。


「会えない、会える、会えない、会える……」


 はらり、はらりと、花びらが彼女の膝に、足元に落ちていく。


「会える、会えない、会える、会えない」


 最初は綺麗に円形で開いていた花も花びらが抜け、次第に形が変わっていき、次第に角度が狭くなる。だんだん、満月の形から、半月の形に、そして、扇形に。


 そうなるにつれ、彼女の言葉のテンポも早くなった。


「会える、会えない、会える、会えない、会える」


 後、もう少しだ。


「もしもーし、さつきちゃん」

「う、うぎゃあああああ!!」


 絶叫しながら、その場でさつきは数十センチ飛び上がった。もちろん、まじないの途中にいきなり声をかけられ、心臓が飛び出すほどに驚いたのである。

 混乱しながらも、さつきが小動物のように素早く背後を振り返ると、そこには、最近親しくなった一つ年上の少女がにこやかに立っていた。

 いつも花のような笑顔を絶やさぬ少女、青山椿である。


「ふふふ、神社の階段のお掃除なんて、ご苦労さんやなあ」


 労いの言葉と共に、椿は髪を揺らして彼女の隣にひょいっと座った。

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