109 白昼の訪問者 3
「それで、なんじゃったか? お主、他にもわらわに用があるのじゃろう?」
「ああ」
鷲命が頭を上げた。
「そちらの方が本題だからな」
「本題?」
「そうだ。この近くに榊春臣と言う名の少年がいるのを知っているか?」
いきなりその名前が鷲命の口から出てきたことに、さつきは目を丸くして驚いた。思わず、「どうして彼のことを?」と聞き返しそうになる。
さつきはもちろん彼のことを、榊春臣のことを知っている。緋桐乃夜叉媛という神様と共に暮らしている年上の少年だ。彼とは、数ヶ月前にその緋桐乃夜叉媛を巡る騒動で知り合いになったのだが……。
なぜ、この神の口からその名が出てくるのだろう。一見、接点などなさそうだが、彼と何かあったのだろうか。さつきの脳裏に不安がよぎる。
と、そこでふいに、鷲命と目があった。鷲というだけはあって、その視線は鋭かったのだが、さつきを見た瞬間に、その視線がさらに鋭くなったのを感じた。どうやら、さつきの胸中の動揺を読み取ったらしい。
それを見て、さつきは、困惑しながら傍らの千両の枝を振り返った。千両神は僅かに動揺はしたようだったが、さつきほど、感情の振り子が揺れることはなかったようだった。
「……なるほど、お主が徘徊しておったのはそういうわけか」
落ち着き払った声で言う。
「え? あ、あの、千両様」
「さつき、今はしばし黙っておれ」
千両神はそう言うと、鷲命に先を促した。
「……蒼日鷲命よ、して?」
「土地神なら、あそこで、どういうことがあったのかも、全部知っているんだろう? あそこに緋桐乃夜叉媛と名乗る神がいるってことを」
「無論じゃ」
神は即答する。そこには土地を見守る者としての使命感と自信が漂っていた。
「わらわの有能な巫女であるさつきの働きによって、情報は一通り得ておる。わし自身は動いておらんが、さつきと意識を一時的に共有することで、見てきたものも大体把握しておると言ってよい」
「そうかそうか、全部承知済みってわけか」
「……それがなんじゃ? いや、そもそも鷲命よ。なぜお主がその情報を得るに至った?」
千両神が疑問を投げかけた。この状況から、それは当然の問いだった。赤の他人としか思えないこの神が彼らのことを知っているのはあまりにも不自然である。
すると、その大鷲は両翼を揺らして少し笑ったように見えた。
「なに、大したことじゃない。土地神さんにも優秀な部下がいるように、俺にだってそれなりに使える奴がいるんだ。まあ、簡単に言うと、そいつが情報を集めてくれた」
「情報を集めた?」
「ああ、勘違いしないで欲しいのは、最初から俺がそう意図してそいつを動かしたわけではなく、今回の事は単に偶然の出来事が重なったに過ぎないんだ。たまたまさ、たまたま」
そう、ラッキーだったのさ。
鷲命はどこか嬉しそうにそう付け加えた。
その様子がさつきにはよく分からなかった。いや、妙だと思った。
喜んでいるということは、この神にとって、その事実が何らかの利益をもたらすということで、しかし、それがなぜなのか、さつきには全く分からなかったのだ。
「なるほど。その詳しい経緯も気になるところではあるが……まあ良い。それで?」
「そこで質問なんだが」
声の調子を変えて、鷲命が言う。
「何じゃ」
「土地神さん、あんたはその事実を知って何をした? 何らかの対策を施したか?」
「特に、何も」
千両神は堂々と答えた。そこには何の嘘も偽りもない。
「そうか。じゃあ、その事実を他の神々には伝えたのか?」
「いや、伝えておらん」
「なるほど……」
「それが何なのじゃ?」
「つまり、土地神さんはこの事態に対し、特に手を打っているわけじゃないってことだろう?」
「……」
「誰に事態の収拾を頼むでもなく、自分自身も状況を把握しただけに行動を留めて動いていない」
「全くもってそうじゃが」
「それは、これからもそのつもりということに相違ないのか?」
「お主!」
そこで痺れを切らしたように、千両神が苛立った声を上げた。
「さきほどから、いまいち何を言いたいのか分からぬ。お主の望みは何じゃ? はっきり言え」
「俺の望み?」
すると、一瞬鷲命はきょとんとしたようだった。しかし、「ああ」と思いついたようにすぐに頭を下げる。
「つい回りくどいことをしてしまっていたか。申し訳ない。単刀直入に言うと、今しばらくこの土地で俺に自由に行動させてもらいたいんだ」
「その許可をわしにもらいに来たわけか」
「そう、それと同時に、観察対象が保護されているのか、土地神さんがどういう考えを持っているのかということも、いろいろはっきりさせておかなければならないと思ったわけだ」
「観察対象……」
千両神が呟く。さつきもその言葉が気になった。
観察対象というのは、話の筋からして、榊春臣、もしくは、緋桐乃夜叉媛なのだろう。あるいは両方とも取れるが……しかし。
しかし、その言葉には、どこか彼らを物としか扱っていないような、そんな雰囲気も感じられた。
それが、さつきを不快な気持ちにさせた。これはいったいどういうことなのだろう。彼らは観察されて然るべき存在なのだろうか? 少なくとも、さつきは彼らを実験動物などとは思っていない。
さつきは鷲命を見た。大鷲は相変わらず、泰然としている。
「言い方がまずかったか? でも、あんただってそうなんだろう。なんら対策を講じるわけでもなく、彼らを放置してここから見ているだけだ」
「確かに、状況的に見ればただそれだけじゃの。しかし、それにはきちんとわらわなりの考えがあって……」
千両神は先を話すのを止めた。咄嗟に何かを考えたようで、そして、鷲命に問いかける。
「鷲命よ。では聞くが、そもそもお主はなぜあやつらに興味を持つ?」
それはさつきも知りたいことだった。突然に現れたこの神は、いったいどういう事情でそんなことをしたいと言うのだろう。
「あ、知らないか?」
「うむ?」
「俺は、『アレ』に関してはそれなりに専門家でもあるんだぜ」
「……そうなのか?」
「ああ、それになにしろ面白い状況だからな、これからどうなるのか見物じゃないか。つまるところ、いわゆる知的好奇心ってやつだな。ハハハ」
「好奇心、じゃと……お主は、さっきも言っておったが、やはりあの者を単なる調査対象としてしか見ておらんのか?」
さつきにもその神の怒りは分かった。何がアレで、何が専門家なのか、さつきは全く知らない。しかし、この神が榊春臣や緋桐乃夜叉媛をどこか軽く見ていることだけは分かった。それはいくら人間の上に立つ神とはいえ、胸の中になんとも言えないもやもやを生じさせた。
すると、鷲命はさつきたちの感情を読み取ったのか、静かに首を振った。
「土地神さん、あんたが俺の言葉を不快に思ったのなら謝る。だが、言っておくが、俺はそのことに関して他者と論争したいとは思わない。俺は自分の考えを変えるつもりも、あんたの考えを変えるつもりも、端からないからだ。あんたが『アレ』に思うことは、そりゃいろいろあるんだろう。あんただけじゃない。最近、神の世でもそのために様々な諍いが起きているのを、俺は知っている。けれど、俺にとっては、あくまで己は己、他者は他者だ」
「……」
「だから、俺は他者から何と言われようと構わないし、それに対して、何ら対抗しようとは思わない。あんたが俺を軽蔑するならそれでもいい。俺はその考えを否定も肯定もしない。今回の場合なら、お互いの考えは違えど、そこから発展する行動が一致しているのであれば、俺にとっては万事オーケーなのさ」
「……さすがは偏屈者らしい考えというか、なんというか。よくそんなことで神が勤まるのものじゃの」
何をしても意味がないと知れば、自然と怒りも萎えてくるもので、千両神も怒るつもりはなくなったようだった。
「ハハ、それで勤まってるんだから、世の中ってのは面白いよな。ま、とはいえ、ここのボスは土地神さんだ。いくら他人の意見を聞かないとはいえ、あんたの命令は聞くぜ。さっき頭を下げたばかりだしな。俺の態度が気に入らず、このまま出て行けというのであれば、それにも甘んじる覚悟だ」
「むう、もう別に良い。あやつらに余計なことはせんと言うのであれば、観察でもなんでも好きにせい」
「すまないな。恩に着る」
「しかし、ここに留まる以上、わらわの命には従え。郷に入らば郷に従えじゃ」
千両神は忘れないようにと付け加える。
すると、
「分かってるよ。土地神さん」
そう軽い調子で鷲命は頭を下げ、別れの挨拶もせずに、空へと飛び立っていった。
次回、この話にもう少しだけ続きがあるので、早めにうpしたいと思います(明日か、あさってになるかと)。