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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
105/172

105 宵の幻 3

 しばらく春臣が何も言えずに口を開いていると、媛子は突然、何かに気がついた顔になった。


「あ……」


 春臣の方をじっと見て、まるで、母親に怒られた子供のようにしょげてしまう。

 その途端に、美しかった蛍の羽も、息を吹きかけたように、宙に散らばっていった。

 どうしてしまったのだろうか。

 春臣からは、彼女が何かを後悔しているようにも見えた。俯いた顔を覆うように前髪がかかっていて、悲しげだ。

 もしかすると、気に入らないことでもあったのかもしれない。知らないうちに、自分が変なことでも口走ったのだろうかと、春臣は不安になる。

 彼女に駆け寄ろうとすると、


「すまぬ、少し調子に乗りすぎたようじゃ」


 と彼女がぼそりと言った。

 春臣には意味が分からない。


「調子に乗りすぎたって、どういうことだ?」

「お主が気にするほどのことでもない。これは、わしの独り言じゃ」


 彼女は、春臣と目を合わせたくないのか、視線をわざと逸らしている。その瞳は、木々の合間を濃密に埋める闇を吸い込んだかのように、暗く、深く、澱んでいた。


 春臣は、釈然としない。

 彼女は、いったい何を考えている?

 媛子が急に落ち込んでしまった理由がちっとも見つからないのだ。

 もしかすると、体が元に戻っていないうちから神の力を使ってしまったことを、自戒しているのだろうか。と思った。

 それならば、分からないこともないが……。


 と、そんな春臣の前を横切り、媛子は、橋の方へ足を向けていた。ただこの小川を越えるためだけに出来た石の橋は、短いため、五歩も歩けば、すぐに向こう側へと渡れてしまう。だからだろうか、彼女は、その橋をちょうどいい腰かけとして捉えているかのように、中央部辺りまで行くと、納得したように小さく頷いて、足を宙ぶらりんにして座った。川を覗き込むようにして、水際を飛ぶ蛍を見ている。


 春臣は、とりあえず疑問を意識の外へ追いやり、彼女の方へ向かった。

 彼女がそれほど不注意とも思えないが、どうしても幼い外見からか、そのまま川に落ちてしまうのではないかと不安になる。傍まで行って、横に腰を下ろした。

 すると、媛子はややあって、ためらったように口をもごもごと動かし、


「そういえば、お主にまだ言っておらんかった」


 と言う。


「何を?」

「そりゃあ、もちろん、ここへ連れてきてくれたことのお礼じゃ」

「気に入ってくれたか?」

「もちろんじゃとも。こんな夜には、最高の場所じゃの」

「そう、かもな」


 と返した時、微笑した彼女と目が合った。


「……ありがとう、春臣」

「あ、ああ」


 そう面と向かって言われるのも恥ずかしいもので、春臣は鼻の辺りが急にむずむずとした。青い草木の匂いが隣の媛子の甘い匂いと一緒になって香って、なんだか夢を見るようにぼんやりとする。


 春臣はそこで、少し後悔した。

 彼女を喜ばせたくて、この場所を選んだのだが、ある意味、これは選ぶべきではなかったかもしれない。媛子と二人きりになるには、あまりにも出来すぎたシチュエーションだったのだ。

 これからいったいどうすればいいのだろう。何を言えばいいのだろう。

 不器用な思考だけが、焦るたびにもつれていく。

 しかし、このままただ無言を貫き通すのは、あまりにもかっこ悪い。


 さて、どうしたものか。

 こんなことなら、椿もあのまま帰さなければよかった。


「春臣」


 と、ふいに媛子が話しかけてきた。


「うん?」


 顔を向けると、彼女は、足元の辺りを飛び交う蛍を見ている。


「蛍は、一週間ほどしか生きられぬそうじゃな」


 そんなことを言う。


「え?」

「たった一週間ほどじゃ。太陽が七回昇って、七回沈んで、それで、命が終わってしまう。あっけないものじゃ。実に、あっけない」


 耳元にかかった赤い髪が、彼女が喋るたびに、切なげに揺れた。


「お主ら人間から見ても、あまりに短い生の時間じゃろう。ましてや、大昔から生きてきた神の目からすれば、それは一瞬にも満たぬ時間じゃ」


 ため息をついて、


「例えば、そんな一瞬の時間で消えていくものには、いったいどれほどの意味があるのじゃろうか」


 そう言った彼女の瞳が虚ろで、春臣はぎょっとした。


「き、急に何を話し出すんだよ」


 彼女の言葉の意図が春臣には掴めない。先ほどからの気分の落ち込みといい、いったい全体どうしたというのか。不安が膨らむ。

 しかし、媛子は、そんな春臣の胸中など知る由もなく、


「どう思う? 答えて欲しいのじゃ」


 と問いかけてきた。


「え?」


 蛍が、生きている、意味。

 またしても、難しい話だ。春臣は思う。


「そうだなあ」


 こんな話は、時雨川さんとの会話で、もうこりごりだったのにな。

 しかし、この雰囲気では、適当にごまかすことも出来ないだろう。

 春臣は、息を吐いて、目の前を浮遊する光の粒をそっと両手で包んだ。


「あ」


 媛子が目を丸くした。


「大丈夫」


 安心させるように、春臣は優しく言う。

 そして、ゆっくりと手のひらを開くと、そこには、蛍が一匹、止まっていた。指の合間を興味津々な様子で動き回りながら、儚くも、どこか力強さを感じる、優しい光を放っている。捕獲成功だ。


「見ろよ」


 それを媛子の顔に近づけて、春臣は言う。


「綺麗だろ」

「……へ?」

「ずっと、この輝きを見ていたいと思わないか?」

「……う、うむ」


 彼女は戸惑いつつも、肯定の意思を示した。春臣はそれに頷いて続ける。


「たとえ、たった一週間の命だろうと、こんなに美しいんだ。たとえ、ちっぽけな虫だろうと、必死に生きて、こんなに輝いてる。だったら、それだけでも蛍が存在する価値は十分にあると思わないか?」


 そこで、彼女の返答を待つつもりだったが、春臣は、考えが変わってすぐに言葉を継いだ。


「いや」

「なんじゃ?」

「価値があるとかないとか、そういう議論はそもそも必要ないって、俺は思う」

「必要、ない?」

「ほら、顔上げてみろって」


 春臣は、頭上を指差した。媛子がそれにつられて視線を向ける。


「このでっかい宇宙で、これほど小さくて綺麗な光に出会えたんだ。それだけで奇跡だろ」

「奇跡」

「そう、出逢いは奇跡さ。媛子だって、いつだったか言ってたじゃないか、この移り変わり行く世界で、俺とめぐり合えたことが嬉しいって」

「あ……」

「出逢いってのは、とても簡単なように見えて、その実、全然そうじゃない。それだけで特別な意味があるんだよ」


 春臣は言いながら、今度は指先を這い回る蛍を見ている。もうそろそろ仲間の元へと、飛び立ちそうだ。果たして、自分の手のひらの上の居心地は良かったのだろうか、なんて思っている。


「出会えたこと自体に俺たちはむしろ感謝するべきなんだ。蛍たち、いや、きっとそれに限らず、この世で巡り会う全てにさ。だから俺は、この世に、無意味なものなんて、ないと思う」


 そして、一拍置いて、


「だから、だからさ……急に変なこと、言うな」


 放っておけばどこか消えてしまいそうで頼りない彼女を、そうたしなめた。


「はる、おみ……」


 すると、彼女は泣き出す前触れであるかのように、肩を震わせたようだった。


「春臣、ありがとう」

「おいおい、何で俺が感謝をされないといけないか、ちっとも分からないんだけれど。俺はただ、媛子の質問に率直に答えただけだぜ」


 しかし、彼女はふるふるとかぶりを振る。そこには強い確信があるように見えた。


「いいのじゃ、わしは感謝したい。確かにお主はただ答えただけなのじゃろうが、わしはそれがうれしいのじゃ。わしは……うむ。お主と、こうして出逢ったことを永遠に誇りに思うぞ」


 刹那、媛子と視線が交じり合った。

 すると途端に彼女が頬を赤らめ、恥ずかしそうに俯いたので、同じように、春臣も恥ずかしくなる。意思の制御が利かず、耳が熱くなった。


「ば、馬鹿、何だよ。さっきからいちいち大げさなんだよ。どうしたんだ媛子、らしくないじゃないか」


 突如湧き上がってきた羞恥の念を振り払うように、ぶっきらぼうに言い放った。

 しかし、彼女は何も言い返さないまま、体育座りをし、膝の間に顔をうずめてしまう。


 しばらくして、彼女はようやく言葉を探すように空を見上げ、そして、


「そうじゃな、もしかすると、わしは、この月の光に酔っておるのかもしれぬ」


 と言った。春臣はきょとんとする。

 

「はあ? 神様って、月の光で酔うものなのか?」


 そんなことは初耳である。

 すると、


「……ぶ、ハハハハハハハ」


 媛子が笑い出した。


「な、なんだよ」

「存外、お主は不粋な奴じゃのう。ここはそういうことにしておくものじゃ」


 そう言われた。


「不粋?」

「そうじゃ、お主は察するということが出来ぬダメな男、というわけじゃ」

「……さいですか」

「全く、ダメダメの唐変木じゃ」


 果たしてそこまで言われるほどのことなのだろうか。

 春臣は、頬を掻いた。なんだか、つい最近も同じようなことを言われた気もするが……。

 まあ、いいか。

 媛子が取り戻した先ほどの笑顔を見ながら、春臣はそう思った。

作者の言葉。


先日、レポートが終わらず、ひいひい言いながらやりました。なんとか間に合ったけど、こんな時でさえ、小説のことが気になってしまうのは病気なのでしょうか。

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