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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
104/172

104 宵の幻 2

 食事を終えると、春臣は、早速外へ出かける準備を始めた。といっても、単なる散歩程度なので、特別に何か準備するものがあるわけでもない。適当に着替え、携帯や財布などの小物をポケットに入れる。簡単なものだ。


 しかし、問題は媛子の方だった。

 何が問題なのか、というと、彼女を見れば一目瞭然。その自慢の長くたなびく赤い髪である。

 そのことを考慮していなかった春臣がいけないのだが、こんな彼女がご近所を歩けば、間違いなく、目立ってしまう危険があった。


 東京のような大都会の真ん中というのならば、まだ許容されるのかもしれないが、片や、ここはバスが一時間に一、二本しか通らないという正真正銘の由緒正しき純然たる田舎町である。

 彼女のように奇抜な髪色をした人間が現れれば、いったいどのような目で見られるのか分かったものではないだろう。


 あの蒼髪のお守り商人、時雨川ゆずりだって、町を出歩くことは少なかったようだが、それでも、まるで妖怪の目撃談のような噂話が広まっているのを、春臣は知っていた。媛子もそうならない保証はない。

 彼女の存在をなるべく近所の人間に知られたくない春臣としては、かなり切実且つ、重大な問題である。


 それに、媛子だって。

 媛子だって、周囲の人間から奇異の眼差しで見られることは、少なからず、ストレスを抱いてしまうことになるかもしれない。

 春臣としては、せっかく元の姿に戻ろうとしている元気な彼女がナーバスになるのは是非とも避けたい状況だった。

 しかし、当の媛子はというと、


「構わぬ。そうしたい者にはそうさせておけばよい」


 と妙にあっけらかんとしていた。

 どうして、と聞くと、


「春臣、わしだって、我慢が出来ぬわけではない。第一、他の者と違うこの髪色は生まれもってのもの、そういう扱いには慣れておるのじゃ」


 と言う。

 春臣はなんだか拍子抜けしたような気分になった。しかし、言われてみれば、彼女の言う通りである。春臣の方が余計なお世話だったというわけだ。彼女が気にしないというのであれば、別に文句を言う必要もない。


 一方で、彼女の存在を周囲の人間に知られるのもまずいだろうが、よくよく熟考してみると、元の体に戻りつつある彼女と一緒に住んでいる時点で、その秘密がバレるのも、時間の問題と言える。

 ならばこちらは、早いか遅いか、という話だ。つまるところ、結果は一緒。

 じゃあ、いいか。と納得した。

 何か問題が発生すれば、またその時に考えればいい。


 そう考えていて、ふと見ると、媛子がどこからか、怪しげな紙袋を引っ張り出してきていた。どうやら、女性ものの衣類が入っているようだ。


「それは?」


 と聞くと、


「時雨川が体が大きくなれば必要になるはずだからと、安い古着屋で適当に見繕ってきたらしい」


 彼女は袋から衣類を取り出しながら説明した。


「ああ、なるほど」


 確かに、媛子が出歩く際、いつもいつも着物というわけにもいかないだろう。少しでも、服装には現代風なバリエーションがあったほうがいい。春臣は拳で手のひらをぽんと叩く。

 ゆずりにしては気が回ることをしてくれたものだ、と春臣は感心した。


「これで外出着も困らないな」


 が、すぐに、妙なことだと気がつく。


「あれ、ちょっと待てよ、媛子」

「うん?」

「そんな金、時雨川さん持ってたのか?」


 いくら古着とはいえ、何着も買えば、それなりの金はかかる。しかし、今日食べるものにも苦労していたあのゆずりに、それほどの金銭的余裕があったようには、とても思えない。


「いや、お主の財布からいくらか抜き取っておったように思ったが」


 媛子はあっさりとそう言った。

 それを聞いて、春臣はがっくりと肩を落とす。


「……はあ」


 そんなことだろうとは思っていたが……。っていうか、それじゃもう窃盗犯だろ。

 食料を黙って食べるだけならまだしも、彼女の行動がいよいよ本物の犯罪者じみてきたことに春臣は唖然とした。


「あの人、いつか警察に捕まらなきゃいいけど」


 しばらくして、媛子はゆずりが選んできたものから、気に入ったものを見つけたようで、早速着替えた。ふわりとした印象の少女らしい花柄のワンピースだった。

 いつもの彼女の印象と違うので、春臣は思わず目を奪われる。見た目は何歳も年下の少女にしか見えないとはいえ、なんだか、ますますデートじみてきた。知らず、鼓動が早まっている。


「それでは、行くか?」


 彼女が胸元のお守りを揺らしながら、そう言った。


「あ、ああ」


 ぎこちなく春臣は頷いた。




 外に出ると、辺りはかなり暗くなっていた。かろうじて西の空が仄かに明るいが、それも、時間の問題だろう。じわじわと布に染み渡る墨のように、夜の色が東から次第に世界を覆おうとしていた。

 一番星である金星の瞬きが、宝石のようで、見とれた媛子が指差す。


「あの星は綺麗じゃの」


 と彼女がいい、


「そうだな、綺麗だな」


 と春臣が返した。

 さわさわと辺りを漂う、夜気がある。

 涼しい風が山の方から降りてきていて、昼間の熱を洗い流してしているようだ。


 春臣たちは、川の方角へと歩いた。

 行き先は最初から決めてある。春臣が以前、生きている頃の祖父に教えてもらった秘密の場所だ。

 秘密というくらいだから、もちろん、容易く他人に教えていいものではないのだろうけれど、教えてくれた祖父はもう死んでいるし、秘密とは共有するからこそ楽しい。

 それに、媛子を喜ばせるためだと思えば、あの祖父なら、豪気な笑いで、許してくれるだろう。春臣は、そう思っていた。


 一方で、媛子は行き先のことは気にならないのか、そのことについては聞いてこない。上機嫌に鼻歌なんて口ずさんで、春臣の傍を歩いている。

 彼女の性格なら真っ先に、どこに連れて行くつもりじゃ、なんて問い詰めてきそうなものだけれど。そんなことも気にならないくらいに上機嫌、ということだろうか。

 まあ、いい。

 春臣の方から、簡単に説明する。


「今から行くのは、秘密の場所なんだ」

「秘密の?」

「そうそう、昔じいちゃんに教わった場所でさあ、そりゃあもうすごいところなんだ。実は今まですっかり忘れていたんけれど、つい昼間に思い出したんだよ。そこまでの道順までばっちりね。で、僕とじいちゃんだけの秘密にしておくのはもったいないからさ、せっかくだし、媛子と一緒に行こうかなって」

「おぬしの、じい、ちゃん……。あの家の、元の持ち主か」


 彼女の透明な瞳が春臣を映す。


「ああ、そうだけど」

「ふふ、そのじいちゃんとやらは、お主にとって特別な人間なのか?」


 春臣は、彼女のその質問を疑問に思った。


「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「ほんの少しの間じゃったが、祖父のことを思い出しておったお主の顔。どこか楽しそうじゃった」


 彼女はいたずらっぽく笑う。

 自分が気がつかないうちに、そんな顔をしていたのか、と意外に思いながら、春臣は頷いた。


「ああ、今は死んじまったけどな。とても頼りになるじいちゃんだった」

「憧れておったか?」

「そうだな、いつかじいちゃんみたいに強くなりたいって思ってた」

「強くなりたいと? なあ、どう強くなるのじゃ?」

「え、そりゃあ……それは……」


 急に言葉が続かなくなる。あれ、と思った。心の中に、妙な引っかかりがある。

 俺は、どう強くなりたかったんだっけ。


「春臣?」

「え、ああ、うん。じいちゃんみたく、たくましい男にさ」


 春臣は適当にごまかした。


「たくましい、か」

「何だよ、変か?」

「まさか、そんなわけがないじゃろう。早くたくましくなって、か弱いわしを守ってくれ」

「そうだな。けど、媛子を守るには、まず経済力をつけなくちゃなんないな。食費に金が取られて借金しちゃ、世話ないし」

「な、お主、殴られたいのか?」


 彼女が拳を振り上げたので、春臣は殴られまいと、さっと彼女から距離を置く。


「ハハ、冗談だよ、冗談」


 そんな他愛も無い話をしていると、次第に道が細くなってきた。楡川にかかる橋を越え、そのまましばらく、川沿いを進む。目の前に巨大な森が見えてきた。その暗がりの傍に、小さなわき道があるのが分かった。そこは楡川へと注ぐ支流の一本に沿った林道で、野放図に延びた木々が、上からしな垂れかかっている。


「こっちだよ」


 春臣は記憶を頼りに進んだ。以前もこの道を、暗闇の中で祖父の背中を追いつつ、進んだものだ。思い出して、懐かしくなる。

 しばらくすると、周囲から圧迫するように伸びた木々が消え、突き抜けた夜空に、ぽっかりと月が浮かんでいるのが見えた。

 しっとりとした光が辺りに注ぎ、周囲の草木は皆、青く濡れているようだ。


 ふいに、目の前に小さな橋が見えてきた。おそらく、地元の人間しか使わないであろう、欄干も何もない、石で出来た短い古びた橋だ。暗くてよく分からないが、その橋の真下から、からころと小川の流れる音もする。


「やっと見えてきたな」


 と春臣は言う。目的の場所とはここのことだった。

 すると、媛子があっと口を押さえた。橋の袂の草むらを指差している。


「春臣、あれは!」


 彼女が見ている先にあるのは、無数に飛び交う小さな光の粒だった。


「蛍だよ。見たことはあるか? 少し季節外れだったかもしれないと心配したけど、案外いるもんだな」


 そう言った春臣の言葉を、媛子は聞いていなかったのか、何も言わずに、彼女はその草むらに足を向けていた。まるで、その光に魅せられているように、吸い込まれるように歩いている。

 春臣は慌てて後を追った。

 草むらの向こうは段差があり、すぐ真下が水の流れる沢となっているのだ。転げ落ちてしまっては怪我をするかもしれない。


 しかし、彼女はその数歩前で立ち止まった。ざわり、と風が草の穂先を撫でる。

 背を向けている彼女は、どこか神秘的な雰囲気で、春臣は、その瞬間、彼女が人ならざる神であったことを、強く再認識した。


「媛、子?」


 と、どこからか、鈴の音が聞こえ始めた。

 しゃりん、しゃりん、しゃりりん。


「月の光が……我が身に満ちる……」


 彼女は深呼吸をするように、両手を頭上に伸ばしている。

 鈴の音につられてか、蛍が周囲から集まってくる。まるで見えない糸に引き寄せられるように、彼女の周りを螺旋を描いて、旋回を始めた。

 春臣は息を呑んで、その場に立ち尽くした。美しい、光の舞いを見ていた。


 まるで、

 まるで、媛子に、光の翼が生えたみたいだ。


 と、彼女がこちらをゆっくり振り返って、にっこりと笑う。


「どうじゃ、すごいじゃろう?」

「なんていうか、その……」


 それ以上の言葉は続かなかった。いや、必要なかったと言っていい。

 彼女は、

 言葉などいらないほど、

 美しかったのだ。

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