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『コーヒー狂い』・・・缶コーヒーについての考察

『コーヒー狂い』


  ・・・缶コーヒーについての考察



夕暮れを待つこともなく、速やかに炎天下の日中、自販機へと足を伸ばす。


別段何があったわけでもない、何が言いたいわけでもない、ただ単に、私はコーヒーが、しかも、缶コーヒーが飲みたいのである。例えば、ゲームセンターに行って、商品を狙い定め、アームを動かすが結局取れずに、100円、また、100円、そうして空になっていく財布のことを思い出すと、自販機は確実に少なくとも200円だせば、缶コーヒーとお釣りが出てくる。そして、あの、ガタリ、という音が、確実に聴けることが、何よりも爽快感を増させるのだ。


しかしどうだろう、私は本当にコーヒーが飲みたい訳ではないのだ、しかしどうしても、コーヒーでなければ駄目なのだ。それは、運命という言葉に置換すると適切であると思う。この暑い夏を乗り切るには、少なくとも喉を確実に潤すという行為が必要なのである。ジュースだと甘すぎる、ミネラル飲料だと味気ない、そして、ボタンを押すのは、缶コーヒーなのである。


ところで、缶コーヒーの中でも、最近新展開を見せているキリンのファイアは、美味しさとともに、その独特の香ばしさによって、缶コーヒー市場に、独特に君臨しつつある。飲んだ者にしかわからないこの美味しさは、言葉では言い表せまい。


ただ一つ言っておきたいのは、私は何もコーヒーマニアではないのだ、しかし、客観的に見ると、コーヒーマニアかもしれない。マニアとはそもそも何だろう、趣向、という言葉に置き換えれば、コーヒー趣向、となり、自然な表現が増す気がする。そして、缶コーヒーの良さは、上記した以外にも沢山あるのだ。それを述べていく。



缶コーヒーを飲み続けて飽きないか、と人は言うかもしれない。


しかし、実は当たり前のことだが、缶コーヒーには様々な絵柄がデザインされていて、その数は過去に遡ると数えきれない程だ。自販機でまず初めに目にするのは、新しいデザインの缶コーヒーであり、私は常に、常時購入するキリンのファイア以外に、新しいデザインの缶コーヒーを買うことにしている。より良い出会いがあるかもしれないからだ。そして、飲む前に絵柄を円のように缶に沿って回し、記載されたアピールポイントを理解したうえで、大概は飲むようにしている。


確かにかいてある通りだ、という場合もあれば、ちょっと違うぞ、と思う時もある。それでも、美味しければ、美味しかった缶コーヒーの方が印象に残ることは否めまい。


その様にして新しい缶コーヒーを溜めていくのである。すると膨大な量の缶コーヒーがそろう。そしてそれを、時たま見ては、これは確かこういう味だったと思い出すのである。


今思い返せば、一つ印象に残ったフレーズの缶コーヒーがある。「超微糖の哲学」という名の缶コーヒーである。これを飲んだとき、口の中で調和されていく気分が、哲学という言語とあまりに究極的に一致した覚えがある。確かに、飲み物にも、味には哲学があると確信した事実であった。



夕暮れに、一人心細い時、私は自販機を目にすると、何やら安心するするのである。あの空の薄明りの下で、煌々と光を放っている自販機は、他の物質を寄せ付けない様を感じさせる。いつでも、自分にとっては、何か安心する場所なのである、自販機を前に。


人は光などエネルギーの無駄だというかもしれない。しかし、エネルギーを放つ自販機を見て、頑張ろうと思えるのであれば、その数が多ければ多いほど、自販機の役割は重厚なものなのだ。


私は昔、まだとても若いころ、自販機の缶コーヒーの補充員になりたいと思ったことがある。今でもたまにそう思う時がある。多分ならないと思うから、ここに記す。というのも、仕事になれば面倒なことも増え、自販機が嫌いになってしまうのが怖いからだ。あくまでも、適切な位置に存在して欲しいのである。


前記したが、キリンのファイアは確かに美味しい、しかし、ただ美味しいだけではなく、ロゴも見栄えも良いし、数種類の味を展開しているのも良い。まさしく、缶コーヒーらしい缶コーヒーであるから、多分人を惹きつけるのであろうと考えている。


もう大分終わりになろうとしているが、結局言いたかったのは、私は狂ってはいないが、少なくとも日常のレベルにおいて、コーヒーに狂っていることは確かなようだ。今回は主に缶コーヒーについての話だったから、また、コーヒーの本質的な話や、物語については今度述べるが、表題は『コーヒー狂い』とした。


何かに狂うことは、よほど信念がないとできることではないと思う。出会いや興味といった事柄から派生するこの狂うという現象が、人生の根本を占めていると言えるなら、私が考えるに、私の『コーヒー狂い』は、恐らく死ぬまで続くだろう。そのように思っている。


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