【第一章】第一部分
この世には善と悪がある。すべての事物に裏表があるように、物事には善悪がある。
一方、善悪は相対的な観念である。ひとつの事象はある面からは善であるが、違う観点からは悪となる。例えば、山の木を切り倒したとして、製材業や建築業としては善であり、多数の人間社会に貢献もする。しかし、切り倒された木は生命を断たれたわけで、大いなる悪である。木で生活していた鳥や虫などには悪である。このように善にはどこかに悪を内在しており、絶対善はない。
自然界には絶対悪はない。地滑りならば、生活者にはマイナスであるが、古い土地を新しくできるし、復旧工事業者に潤いを与えることもできるだろう。地震でさえ、然りである。
しかし、人間界の悪には『絶対悪』が存在する。心の底に澱んで、絶対に変わることのない悪。他者のみならず、自分自身に対しても悪。そんな絶対悪は人間界から排除するしかない。それは差別ではなく、駆除である。
そんな絶対悪は『真の悪』と呼ばれ、通称『まあくん』としてめでたく誕生日を迎えた。
「ぐへへへ。」
頭の禿げた、太鼓腹の中年オヤジが仁王立ちしている。その前に、薄いシャツの女子高生がいる。スカートのジッパーを半分下ろされて、白いパンツの横がチラ見可能な危険水域にある。
「い、いや。やめて~、近づかないで~!」
女子高生は真っ白なベッドシーツの上で、怯えながら後退りしている。
「お前の親父の借金の利息だ。身売りするわけじゃない。ただお前の無垢な体を使用するだけで、減るもんじゃない。街で売っても、一回当たり三万円が相場だ。利息三十万円を免除するんだから、悪くない話だ。これは取引、日本は契約社会だからな。わしは悪人じゃない、むしろお前の親父を助ける善人なんだよ。」
ホテルの中のふたりをビルの屋上から右手で持つ望遠鏡を覗く女性がいる。豊満で柔らかな流線形のボディに、ぴったり張り付いたバーニングレッドのワンピース。短いスカート部分から伸びる足が健康的な白さを誇示している。金色のウエーブがかかった長い髪をやや強いビルの風に靡かせている。白い顔に、大きな瞳がセクシーであり、派手な深紅のルージュがとても似合っている。
「口の動きで会話を読んじゃったよ~。あ~あ、このままじゃ、ヤラれちゃうよ。かわいそ~。」
「アレを助けるの?」
「だって、もう前金もらってるんだよ~。これがないと、明日の食事が、おかずレスの『ご飯定食』になっちゃうよ~。」
「わかってるわよ。もう仕方ないわね。」
紺色のありふれたセーラー服、しかし金色の微妙なつり目とツインテール姿は、いかにも気が強い様子で、ただの美少女レベルを凌駕している。
「よ~し、じゃあ、変身するね~。」
「こんなところで?だって雑居ビルの屋上で誰も見てないんだから。」
「でもナギナギちゃんは、誰かさんに見られた方がうれしいんだよね~?」
「そ、そんなことないわよ!それにナギナギ言わないでよ、お母さん!あたしは猫柳凪河、お母さん、猫柳ぽのかの娘じゃない!」
「お母さんなんて死語を冠する女子は、ここにいないよ~。かわいい妹だけだよ~。うぶっ。」
「うぶっ、じゃないわよ、どこに妹とウブが存在してるのよ。もう変身、じゃない、着替えるわよ。」
こうしてふたりは、上が赤とスカートがピンク色のフリフリな衣装に着替えた。薄い桃色のステッキに、ふんわり肩パッド、半袖のドレスにはハートマークがちりばめられて、短いプリン型のスカートから伸びる白い脚がしなやかに光る。オレンジ色の靴は、先端がくるっと巻いて上を向いていて、プリティーである。
「やっぱりこれがかわいいよね~。ナギナギちゃんによく似合ってるよ~。こんななまめかしい生足を見せて、誰かさんとチョメチョメだね~。」
「な、何を言ってるのよ、お母さん!そんなことより、早く家業に従事するわよ。」
「ほら、真っ赤になったのは、青春エロカテゴリーに大志を抱いている少女の証明よ~。」
「ち、違うわよ!」
こうして、ふたりは女子高生のいるホテルへ、飛んでいく、のではなく、走って入っていった。
「ぜえぜえぜえ。いつものことだけど、これはしんどいね~。」
「ぜえぜえぜえ。ホントだわ。だから、この家業は大嫌いなのよ。」
ふたりはホテルの部屋の前に立つと、母親がドアノブを捻った。鍵がかかっているはずだが、簡単にドアが開いた。母親の手には複雑に湾曲した針金がキラッと光っていた。
ドアを開くと、ベッドで女子高生に覆いかぶさろうとしている太ったオヤジの姿が見えた。
「「愛欲の戦士、ゆりキュア参上!」」
声が完全にハモるところは親子の証明である。
「欲望の海に溺れるキュアあっぷるぱいぱい!悪人はとっととお家に帰りくださ~い。」
「満たされない愛に悩むキュアぴーちーぱい!って、こんな自己紹介、ぜったいイヤだわ!」
あっぷるぱいぱいは、大きな胸を揺すっており、ぴーちーぱいは、ちーぱいを揺するが、胸に張り付いたどら焼きは微動だにせず。
ベッド上のオヤジは非常に不機嫌そうに、ゆりキュアににらみを利かせた。
「なんだ、お前たちは。実に奇妙な恰好してやがるな。これはゆるキャラとかじゃないな。いわゆるコスプレイヤーか?」
「確かにそうとも言えるわね~。」
「言わないわよ!これは仕事なんだからね。」
「あたしを助けに来てくれたんだね!」
ベッドの上の女子高生は、歓喜の表情である。
「せっかくいいところなのに、ジャマするんじゃねえ!」
オヤジはベッドから降りて、立ち上がったが、全裸である。
「ほほう、デブだと、そこはデフレというのがフツーだけど、意外にやりおるね~。」
キュアあっぷるぱいぱいは、顎に手をやって、頷いている。
「なんのことか、さっぱりわからないわ。」
顔を覆うキュアぴーちーぱいであったが、指と指の間からは、金色の瞳が爛々と輝いていた。
「じゃあ、キュアあっぷるぱいぱいが先にやるよ。一撃で仕留めてみるね~。」
キュアあっぷるぱいぱいは、十畳ぐらいのスペースの中をダッシュしてオヤジに向かい、肩からタックルした。
「いてえ!」
腹を押さえながらもんどり打ったオヤジ。
「ク、クソォ、このアマ。おとなしくしてりゃ、つけあがりやがって。」
「あれれ?立ち上がってきちゃったね~。悪人なのに、けっこう防御力高いよ~。」
「こちらからもたっぷりとお礼させてもらうぜ。」
オヤジはナイフを取り出して、凶悪な刃をゆりキュアたちに向けた。
「あらら、ピンチになっちゃったね~。じゃあ、ここからは選手交代だよ~。ナギナギじゃなかった、キュアぴー、ちーぱいの登場だよ~。」
「その呼び方、やめてよ!特に、キュアぴー、で切ると、スゴくイヤな感じしかしないわ。それと、あんた、早く服を着なさいよ。目が開けられないじゃない。チラチラ。」
キュアぴーちーぱいは相変わらず指間によるウォッチ継続中である。オヤジが動く度に、時計の振り子のように動くモノを見てしまうのは、狩猟民族的である。
「はあ、プレイの途中で服を着るなんて、緊張感に欠けるなあ。」
ブツブツ言いながら、オヤジは服を着て、ワイシャツとズボン姿になった。
「やっとこれで対等に戦えるわね。ちっ。」
言葉とは裏腹に残念さをにじませるキュアぴーちーぱいは、ステッキをオヤジに向けた。「なんだ、オモチャのステッキか?そんなものを使っても、ママゴトしかできないぞ。もっとも幼児プレイなら付き合ってもいいけどな。お前、そっちのババアと違って、けっこうかわいいじゃねえか。」
「ババアだと~⁉ ムカッ!キュアぴー、ちーぱいちゃん。ここは任せなさい~!」
キュアあっぷるぱいぱいがステッキを高く掲げると、どんどん伸びて、そのままオヤジを突き刺した。先端に注射器のようなものが付いていた。ご丁寧に、シリンダー部分に『麻酔』と書かれている
「いてえ!バタン。」
オヤジは白目を剥いてあえなく倒れた。
結局、オヤジをひとりで倒したキュアあっぷるぱいぱい。
「あたしの出番、なかったわね。でもあんなデブオヤジ、触りたくなかったからちょうど良かったわ。」
「ありがとう、ゆりキュア!これが契約の残金ね。」
女子高生は封筒をキュアあっぷるぱいぱいに渡すと、そそくさとホテルを後にした。
「ミッション完了だね~。キュアぴー、ちーぱいちゃん。」
「だから、そこで切らないでって!」
自分の胸を触りながら、元の服に着替えるキュアぴーちーぱい。
「親子なのに、どうして、こんなに違うのかしら。不思議だね~。」
「知らないわよ。ホント、ゆりキュアが家業だなんて、最低だわ。早く辞めたいわ。」
「そんなこと言わないでよ~。ナギナギちゃんの妹は楽しんでるんだから~。」
「だから、どこに妹がいるのよ!」
ケンカしながら、ホテルから出て行くふたりを見るひとりの女子高生がいた。
「ゆりキュア、かっこいいし、かわいい!私もゆりキュアになりたいです。」
うっとりしながらゆりキュアが去るのを見つめていた。
「ひと仕事終えたから、これでエネルギーチャージするよ。」
キュアあっぷるぱいぱいから元に戻った母親は、プラスチック容器に入ったプリンを二個取り出した。
「え~!今からこれを食べるの?あたしはいらないわ。今日は何もしてないし、第一この仕事にプリン食べても、何の足しにもならないわ。」
「ナギナギちゃん、そんなこと言わないで、食べたらおいしいよ~。ほらほら。」
母親は凪河にプリンを食べさせようと スプーンに乗せて口に運ぼうとする。
「いやだよ、そんなプニプニして気持ち悪いもの!」
『バチャ!』
凪河が母親の手を払って、プリンは地面でべったりとなった。
「あ~あ、もったいない。ナギナギちゃん、小さい頃からプリンを食べないから、大きくなれないんだよ~。」
母親は凪河の胸をガン見した。
「そんなこと、関係ないわよ。」
母親から視線を逸らす凪河。
「まあ、プリン嫌いは仕方ないけど、女の子がプリンをキライだと、その代償は大きかったよね~。」
母親は残念そうに下を向いた。
「それはもういいわよ、昨日、今日の話じゃないし。」
幼い頃から、とある理由でプリンが嫌いになった凪河。女の子同士でプリンを食べることをしなかった結果、凪河はハブられてしまい、それは高校生になった現在も進行形である。つまり凪河はボッチなのである。