『銃口』
「そこの男! 止まれっ!!」
青い制服に身を包んだ二人の男が、黒光りする拳銃を突きつける。
「ちょっ、ちょっと、なんすか?」
銃口を向けられた男は訳も分からないというように笑った。
「何だじゃない! その右手の物はなんだ!」
警官の一人は男の右手に銃口を向ける。
「ああ、これっすか?」
目を覆い隠す程に伸びた前髪、全体的に細く長い体。犬養 病人は、平然と右手の拳銃を警官の目の前に差し出した。
「貴様っ! 銃刀法違反で逮捕する!!」
二人の警官は、再び銃口を犬養の胴体へと向ける。
「ちょっ、待ちんしゃい。ただの護身用だぜよ」
「馬鹿野郎! 日本でそんな物を持ち歩いて許されると思ってるのか!」
警官は、犬養との距離を少しずつ詰める。
「………………」
その様子をしっかりと目で捉えながら、犬養は不敵に笑った。
***
「教えてくれ、父さん」
「仁…………」
茂は、二つのカップに入ったコーヒーをテーブルへと運んだ。
「呪われてんだとよ。その幻の絵画とやらは」
「呪われてる?」
仁は思わず聞き返した。
「いやいや、別に本当に呪われてんのかどうかは俺には分からねえが、色々といわくつきの代物なのさ。“屍を運ぶ筏”は」
「…………」仁は何も言い返さず、続きを促した。
「別に、何年前からってはっきりとした記録が残ってる訳じゃない。ただ何十年も何百年も前から、この絵画には失踪や死が常に付き纏う。まあ、失踪者の多くは既にどこかで死んでるだろうってだけで、実際に死亡を確認した事例は殆ど無いみてえだが――」
「?」仁は首を傾げる。
「……正確に言えば、この絵に関わった人間が失踪するというより、失踪した人間の中にはこの絵に関わっていたと思われる人間が多いって事だな。警察では無論、年がら年中行方不明者の捜索をしてるんだが、失踪した人間について調べてるとこの絵画の名前をしょっちゅう見かける。失踪者が身内に残した最後の言葉が『屍を運ぶ筏を見てくる』だったり、失踪した学生が長年調べていたのがこの絵画だったり」
茂は、一息つく様にコーヒーカップを口元へと運ぶ。
「まあ、それだけだ。一枚の絵画がこれだけ頻繁に捜査に顔を出せば、そりゃ警察だって絵画を探そうとするさ。結局無駄骨だったらしいけどな」
茂は陽気に笑った。
「…………嘘だ」
仁は、納得いかないという目で茂を見る。
「嘘ついてどうする」
「…………」
「安心しろ。どうせ、お前みたいなガキにこの絵を拝む機会なんか一生来ねえよ。さっきのニュース聞いたろ? 小規模に公開するって。きっと、競争率はとんでもねえ事になる」
「! でも――」
「そんなに知りてえなら、精々お前も大人になってから自分で調べてみろ。どうせ、何も出てきやしねえがな」
茂はコーヒーカップを手に立ち上がり、台所へと向かった。
「………………」
――茂の頬を、冷や汗が伝う。
この時茂は、確かに嘘をついてはいなかったが、最も重要な話を伏せていた。
(………………)
息子の仁を、屍を運ぶ筏の恐怖から遠ざける為に。
***
「だ〜か〜ら、ただの護身用だっつのに。ゴシンヨー」
犬養は拳銃を右手の人差し指でクルクルと回しながら、陽気に天を仰ぐ。
「この国の危険度をナメちゃあかんぜよ。お前らみたいなサツの犬が、どこもかしこもウロウロしてやがる。拳銃ぐらい持ってなきゃ、こちとらオチオチ外も歩けんぜよ。なあ?」
犬養の足元に転がる、二つの肉塊。それらは共に頭を打ち抜かれ、コンクリートの地面には大量の血液が流れ出ている。
「…………」
犬養がコンクリート塀の影から表通りの様子を窺うと、二人の男の会話が聞こえてきた。
「おいおい、マジかよ? 屍を運ぶ筏って実在したのか?」
(あ……? 屍を運ぶ筏?)
犬養は聞き耳を立てる。
「分からんぜ。小規模な公開って言ってるし、案外ニセモノかもな」
「まさか。ここまでニュースになってんのに。絶対実在すんだって」
「ふーん。ま、良いよ。どうせ俺らみたいのは見に行けないだろうし。それよりこの絵、売ったらいくらぐらいするんだろうな」
「…………ま、見た事も無いような桁が出てくるのは間違いないだろうな……。百億? 一千億? つーか、こんなのもっと俺らには関係ねーだろ」
「ちげえねえ」
――――薄暗い闇の中、黒光りする拳銃が月明かりに照らされる。
「……ほう…………」
犬養は不敵に笑みを浮かべ、そのまま闇の中へと消えていった。