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ゴートゥヘブン

作者: 市井れん

 恋なんて病気だ。

 野球部が球を打ち上げる、カキーンという小気味良い青春の音がこだまする屋上の端っこで、オレは一人打ちひしがれていた。片思いしていた竹内加奈に、「小学生の頃からずっと好きでした!」とついに告白したのに、「ごめんなさい。阿部君のことはただのクラスメートとしか思えない」と、きっぱり断られてしまった。ただ眺めているだけで、ほんの少し言葉を交わせるだけで楽しかった日々は一転、すれ違えば困った顔でぺこっとお辞儀して走り去られ、連絡事項があって話しかけようとしただけで「ごめんなさい!」と謝られてしまう気まずい毎日。全てを懸けてきたとは言えないけど、今のオレを作った五十パーセント以上の割合を竹内加奈が占めてきた。これからの自分を再構築するのに、どうやってその穴を埋めれば良いんだ。途方に暮れたオレはいっそ死んでしまおうと思い、こうして学校の屋上で地面を眺めていたのだが、考えるまでもなく、頭から落ちても、足から落ちても、腰から落ちても絶対痛い!痛いのが大嫌いなオレには到底できそうにない。違う方法を考えようと後退り始めた時だった。誰かがオレの背中をトンと押したのだ。

「わあああっとっ!」

 空中で身体が斜め四十五度になった。落ちる!このままじゃ落ちる!オレは死に物狂いで両手を振り回し、床に尻餅をつくことに成功、はああっと思わずお腹の底から安堵の溜息が出た。ああ、情けない。やっぱり死ぬのが怖い。

「なーんだ残念。人が落ちるところ見たかったのに」

 背後からの声に振り向くと、そこには少年が立っていた。立っていたというか浮いていた。

「ぼくさ、こっから落ちて死んだみたいなんだけど、全然実感が湧かなくて。誰かが落ちるのを見れば、なるほどって成仏できるかと思って、ずうっと誰かが飛び降りるの待ってるんだ。だから自殺しようと地面を眺めてる時に、手伝ってあげようと押してあげるんだけど、みんな踏ん張って落ちずに終わるんだよね。おかしいよね」

「気持ちの踏ん切りがつく前に、落ちれる訳ないだろ!」

「そうゆうものなの?」

「そうゆうもんだ。自販機でコーラのボタンを押したのに、烏龍茶が出てきたら嫌だろ?飲みたいと思うか?」

「確かに。そう言われてみればそうかも」

「それに人にはそれぞれタイミングっちゅーもんがあってな」

「なるほど、タイミングを合わせるのが大事と」

 どこからか取り出したメモ帳に、「飛び降りを成功させるヒケツ」というものを書き出しているのを眺めつつ、相手がフヨフヨ浮いていることを改めて確認した。生まれてこの方幽霊というものには初めて会った。外見から判断できるのは、中学一年生くらいで、詰襟の黒い学生服を着ていることと、その髪が陽に透けると栗色に見えるくらい色素が薄いこと。

「髪は地毛だかんな!」

 オレの視線を察して、すかさずこう返ってくるってことは、相当そのことでいじられてきたんだろうな。

「ちょっと薄いだけで外人とか言われんの、本当バッカみたいだよな」

「ところでおまえは幽霊なの?」

「そうだよ。それ以外になにに見える?」

「いや、見たの初めてでびっくりして」

「あー、波長が合うとたまに普通の人にも見えるみたい。落とそうとして振り返った人は、ぼくを見て驚いてすぐに走って帰っちゃうよ。ぼくの方こそこんなに長く会話したの初めてだ。おかげで今すげー楽しい」

 頬を赤らめてそんなことを言われてみろ。色々なことがどっか遠くへ吹っ飛んでったよ。幽霊なのに無駄に可愛いくないか?

「でもな、ぼく死んでから十五年経ってるんだかんな!先輩だぜ!先輩!ていうか、おっさんだよおっさん。もう酒もタバコも吸えんし、味も知らん。だからな、言っとくぞ!やりたいことはさっさとやっとけ、死にたいやつはさっさと死んどけ!じゃないと後悔するだけなんだからな」

 なにこれ無駄に説得力高い。なのに切ない。

「くっそ後悔ばっかだよ」

 腕で涙を拭う彼を見て、つられてこっちも泣けてきた。そんな同情心を抱いたのが間違いだった。

「という訳で、これから暫くよろしく」

「は?」

「あ、知らなかった?会話出来て同情してもらえると、ぼくらそいつに取り憑くことができるんだ。ずっとここで死ににくるやつを待ってるのもつまんないから、あんたに憑くことにした」

 にっこりと満面の笑みを浮かべて差し出された右手を、オレは握り返すことが出来なかった。そもそも握れるのか?と逡巡している内に、腕を抱え込まれてプロレス技を決められる始末。

「返事はいの一番にしとけ、考えるな!直感ですぐに答えろ。じゃないと乗り遅れるぞ。まあ、あんたがなんて言おうと取り憑いたもんは、そうそう離れないけどな。せいぜい成仏させてくれよ」

「痛、痛って!ちょ、離して、ギブギブ!」

「弱っちいなぁ。最近の若者は」

 憐れっぽい視線を感じながら、痛めつけられた腕をさする。少年のようなのに、力がものすごくある。幽霊だからなのか、元からなのかは分からないけれど。とにもかくにもこうしてオレは、幽霊に取り憑かれたのだった。

「はっはっは!こりゃ勝ったな」

 オレがシャワーで身体を洗っている時に、横にある湯船からそんな感想が聞こえてきた。いつの間にか裸で気持ち良さそうに浴槽につかっている。なにがとかなんのことだとかオレは訊かない。絶対訊かない!そして、入ってて良かった入浴剤。これで見なくて済む。ありがとう!本当にありがとう!しかしずっと見られているのも気持ち良いものではない。

「もう見るなよ!なんでオレだけ全てをさらけ出さなきゃいけないだ」

「それは幽霊の特権だから仕方ない。見えないことを良いことにしれっと色々悪いことをやっている輩だっているんだぞ。ぼくはしないけどな。男同士なら問題ないだろ」

「思春期なめんな、ちくしょー。繊細なんだよ。そうゆうことにはさ」

「シシュンキ、懐かしい単語だ」

「こっちは全部さらけ出してんだ、名前くらい教えろよな」

「名前はまだない」

「おい」

「冗談だ。まあ、ジンとでも呼んでくれ。ぼくのちょっとした通り名だ」

「通り名ねえ。まあいいや。名前がないと文句も言いづらいし。憑かれたもんは仕方ない。この際だ。成仏するまで付き合ってやる」

 その日は今まで見たことのない悪夢だった。

 大勢の幽霊が優しいね優しいねって逃げるオレをひたすら追いかけてくる。優しくなんかねえ!と叫んで地の果てまで逃げて、終いにはボートで海に漕ぎ出すところで目が覚めた。起きたらシャツは汗でぐっしょり濡れていた。

「おはよー、ずいぶんうなされてたね」

 と満面の笑みでジンがオレに乗っかっていたので、悪夢は完全にこいつのせいだ。よかしてすぐに起き上がって仕度を始める。牛乳にウインナー、レタスとトマト、トーストに目玉焼きを乗っけた朝ご飯を食べ、ジンがいる以外はいつもと同じ朝だと思っていた。しかし、外に一歩出て自分の世界が変わってしまったことに気付いた。おかしい、人口密度が高すぎる。見慣れない人が道路脇で数人項垂れてるし、頭に矢が刺さった典型的な落ち武者までいる。まさかオレ、幽霊が見えるようになっちゃったのか?

 電柱に寄りかかって頭から血を流してる人、走っている車の上に平然と座っている人、生きている人との違いは肌の色なんじゃないかと思う。幽霊の方は圧倒的に血の気がなく白いのだ。それなのにジンはと言えば、オレの横でフヨフヨと浮いているのだが、生きている人間と大差ない程の血色の良さだ。

「おまえ、本当に死んでるのか?」

「ぼくは結構なベテランだからね、幽霊だって年季が入って悟りに近づくと血行が良くなるんだ。まあ、大体ぼくくらい悟れば、成仏しちゃうやつが多いんだけど。血色の悪いやつらは、まだまだあまちゃんだから、悟りを開くまでに時間が要るんだよ。つまりは幽霊としてぼくは先輩ってことだね」

 いつの間にか自慢になってることは置いといて。オレは前を歩いていた竹内加奈を見つけて呆然となった。彼女のスカートを覗こうと必死にその後をついて歩く、七三分けの眼鏡をかけたおっさんの幽霊がいたからだ。

「まさか、昨日言ってた悪いことをしている輩って」

「そうそう、ああゆうやつら。ほら、バカは死んでも治らないって言うだろう?それと同じように、変態は死んでも治らないってね」

 冗談に付き合ってる場合じゃない!振られたとは言え、あれを見過ごす訳にはいかない。オレはゆっくりと彼女に近づいて、おっさんを確保しようと手を伸ばす、だが掴んだと思った腕は虚しく空を切った。

「え?」

 その声で竹内加奈が振り向いた。目が合う。気まずい。これじゃオレがなにかしようとしたみたいじゃないか?

「阿部くん、なに?」

「いや、ちょっと虫がいてさ、ごめん」

「そう。ありがとう」

 向き直って、さっきと同じように彼女はオレの前を歩き出した。ああ、もう嫌われているかもしれないのに、さらに嫌われるのがイヤだなんてこともあるんだな。変態すら撃退できない不甲斐なさに途方に暮れそうになる。

「ジンには触れるのに、なんで?」

「そりゃ、波長が合ってるからさ。良かったな。あの変態に触れなかったってことは、おまえは変態じゃないってことだ」

「なんだそりゃ」

「褒めてんの。ぼくはね、久々にセイシュンっていうものを見たよ。甘酸っぱいね。これやばいね。ものすごいね。そんで、遼太朗。おまえ、かっけーじゃねーか!好きな女に嫌われるかもしれないことすら顧みず、助けようとするなんて。よし、ぼくが手を貸してやるよ。あの変態を成敗してやろうじゃないか」

「方法があるのか?」

「ああ、とっておきのがな」

 そう言ってジンが浮かべたのは素晴らしいくらい不敵な笑みだった。

 平均台の上のように屋上の端っこを歩いているジンを、フェンス越しに眺める昼休み。

「なあ、ジン。とっておきの方法って?」

「ああいう変態にとって、誰にも注意されない今の状態は天国なんだ。好きなように出来なくなることが罰になる。だから、強制的に成仏させる」

「どうやって?」

「ぼくが遼太朗に憑依してバットで変態をぶん殴るんだ」

「オレに憑依?」

「遼太朗はあいつに触れられない、ぼくは触れられるけれど、バットは持てない。その問題を憑依という形で解決するんだ」

「その間オレの中身はどうなるの?」

「残念ながら身体に二個は入らない、だから一時的に出てもらうことになる」

 それって、下手したらオレ死んじゃったりするんじゃ?死への恐怖が今になってオレを襲うなか、前方から吹き出して笑う声。顔を上げると、仁王立ちで憐みを浮かべたジンは言う。

「人は面白い。一時死にたいと考えても、やるべきことを見つけると生きることを当然のように享受する。心配ない、ぼくは生き返りたいとは思ってない。あとはこの言葉を、遼太朗が信じられるかどうかだ」

 昨日の今日で信じられるか?ジンの策略かもしれないんだぞ。ああでも、信じるか信じないかじゃない。オレは竹内加奈を守りたいんだ。方法があるならやらないでどうする!自分の頬を両手でひっぱたく、なに寝惚けたこと考えてんだ。嫌われようと、たとえ死のうと好きな子を守れたら本望じゃないか。

「ジン、頼む!」

「承知した。決行は放課後、彼女が校内から出る前に片を付ける。さすがに道路でバットを振り回してると、こっちが不審者になっちゃうからな」

 ジンが差し出した右手を、今度はしっかり握り返す。皮膚とは違う感触なのに、ほんのり温かい。まるで、太陽に温められた水面に触れたみたいだった。 目をつぶる。そのまま潜り込むように溶けていって、徐々に感覚が遠くなっていき、重さを感じなくなった。目を開けると、オレを見上げるオレと目が合う。

「死にたくなかったら、傍を離れんなよ」

 悪戯っぽく笑うジン。オレはきっとそんなふうには笑えない。

 笑い方にはその人の全てが詰まっているのかもしれない。



 野球部から拝借したバットを脇に抱えて、放課後の玄関で竹内加奈を待った。借り物だけど久し振りの身体。くすぐったい風、楽しそうな喧噪、そこに加わる天気雨の軽やかなステップ。雨粒に手を伸ばすと、手の平でジャンプして地面に落ちて行った。当然だと思っていたそれらが、あまりにも懐かしかった。

「ジン、来た」

 遼太朗の声で我に返る。慌てて追いかけて、朝と同様彼女のスカートの下で待機していたやつの手を掴んだら、パニックを起こして蹴るわ殴るわ、痛くて手を離したら走って逃げた。あいつなんなんだ。悪いことしてたのになんで当然のように逃げるんだ?あまりにむかついて全速力で走って、腕を掴み、転んだやつに馬乗りになって素手でぶん殴った。痛い!やめてとやつが泣き叫ぶ。叫んだら助けてもらえるのか?許してもらえるのか?ふざけんじゃねえ!あの日そんな救いなんてどこにもなかったじゃないか!

 

 あの日、背中を押した手はそんなぼくを見て笑ってた。


「ジン!」

 やつはぐったりと放心していた。雨とは違うものが頬を伝う。自分を死に追いやった原因。溢れる黒々とした憎悪。敵意。制御が効かない恐怖。歯を食いしばっても震えが止まらない。こんなことを思い出す為に、ぼくは十五年間屋上にいたの?

 数分で意識を取り戻したやつは這い出して逃走。その途中で、雲の隙間から覗いた太陽の光線に貫かれて光の粒になった。ぼくらは太陽の光でも、成仏できるのか?呆然と座り込んだままのぼくの頭を、輪郭のない温かなものが慰めるように撫でた。神様がいるとしたら、こんな風に優しいのかな?なんで生きている間に出会えなかったんだろ。瞼を閉じると、温もりは急速に薄れ、次の瞬間には、ぼくはいつもの屋上の端に立っていた。もう一度ここから飛び降りたら成仏できるかもしれない。そう思って一歩踏み出したのに、腕を掴まれて落ち損ねた。

「ジン、おまえのせいで不審者扱いだよ。まさかこのまま自分だけ逃げるつもりか?」

 滴る汗もそのままに、遼太朗は不敵に笑う。

 死んで初めて知ったけど、タイミングは成仏する時にも合わせるべきものらしい。虹の果てから差した太陽の光に包まれても、ぼくの手はがっしり掴まれたままだった。死んだ後にようやく友達ができるなんて全くだ。


 神様、ぼくはいつ天国へ行けますか?



 2017年10月8日 新聞掲載に加筆修正を加えました。


ツイッターアカウント@ren13kf

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