自分の能力を自覚した記憶
猫主の目が覚めます。
「……ヮゥ! グヮゥ!(……ぃの! 黒いのおきろよ!)」
「ガゥ、グゥゥ(……母さん、黒いのとハイイロに何がおこったんだ?)」
……ハイイロ? ハイイロがどう……?
「キャゥン、キュゥゥ……(母さん、まさか黒いのまで死んじゃうの? そんなの……)」
「ウォフッ、ガゥゥ(滅多な事を言うもんじゃないよ。あたしの見た所2匹とも無事だね。ハイイロもだよ)」
……無事? あんなに沢山の血が流れ出ていたのに……血が?
っ!?
「ミィア!!(ハイイロ!!)」
ガバッと勢い良く顔を上げる、とその瞬間にグラリと視界が回った。うぇぇぇぇぇ……何これきぼぢわりぃぃぃぃ……。
顔を上げたかと思うと途端に蹲りながら、ゥーゥー唸り出す俺に向かって母さんが声を掛けた。
「ゥオゥ、グルルゥォフッ(気が付いたかい。何ともない、とは言いにくそうだね。耐えられそうかい?)」
「ンミ(なんとか)」
回る視界を誤魔化すように、何度も目をパチパチとさせていると少しずつ気持ち悪いのも治まってきた。途端にハイイロの事が思い出される。
「ミャウ!(ハイイロは!?)」
そうだよ、俺の目眩なんてどうでも良い。そんな事よりハイイロが……! だって、あんなに血が出て……っ!
「ウォゥ、グルゥ(落ち着きなさい。ハイイロなら無事だよ)」
ぇ……?
「ウッフ、ガゥワゥゥ(やれやれ、覚えていないのかい。黒いの、お前がハイイロを治したんじゃないか)」
……俺が治した? ……あの光はハイイロじゃないのか? でも、確かに俺も光ってはいた。
「ンミィ、ニュウ(まえに『とくしゅこたい』を食べたっていってた。そのせいじゃないのか?)」
「ウォゥ、ワフッ(そんな物凄い効果はないさね。精々怪我の治りが多少早くなる程度さ。あんなに急には治らないよ)」
なら、本当に俺が? でも、どうやって?
「ワゥ、ウォフッ(忘れたのかい? しょうのない子だね。お前のお尻に付いてるのは何だい?)」
? 俺の尻には変なものなんて付いてないぞ。ちゃんと気を付けてる。敢えて言うなら尻尾くらいしか、
尻尾?
俺が後ろを振り返ると、こんな状況にも関わらずハート形になっている俺の尻尾があった。
『二股の』尻尾が。
「ニァウ、ニーゥ(ねこまたの『のう力』だといいたいのか? とくしゅこたいにそんな力なんて)」
「ガゥゥ、ヴォゥ(あるからこそ、『特殊個体』なのさ。あたしが前に獲ったリスなんかは全身ビリビリさせていたよ)」
……ビリビリ? って事は静電気? いや、スタンガンのような強力な電気が流れている、とか。……いやいや、流石にそれは
「ガゥッ(先に言っとくが嘘は吐かないよ)」
……はい。と、するなら、だ。ガチで俺の能力って事か。『猫又』としての。怪我を治す能力?
「グルゥ、ウォフッ(それは分からないよ。ただ、しっかりと自分でも調べる事だね)」
「……ンミャ(……ハイイロのけがは)」
「グルルゥ……グゥ(見たところ傷は綺麗になくなっていたよ……多分、今は寝てるだけだね)」
寝てるだけ? なら、ハイイロは助かる……?
「ガゥッ!(……黒いの!)」
「ギナッ!?(のわっ!? チャイロ!?)」
「グゥゥ(やれやれ、話が終わるまで待つように言ったろう?)」
「ガゥ、ウォンッ(母さん、たのむからおこらないでやれよ。それだけ心ぱいしてたんだ)」
「クゥン、キャフ(あたしからもおねがい。あたしたちだって心配してたんだから)」
「グゥゥ、ウォフッ(困ったね。すっかりあたしが悪者だ。怒らないよ。良い子達だ)」
母さんと話していたら飛び付いて来たチャイロに驚く。目を白黒させていると、周りでワチャワチャと騒ぎ出した。えぇぇぇぇ、何ぞこれ。
心配してくれるのは嬉しいんだけどさ
「ミャァ(ハイイロはどこ?)」
本題はこっちだ。
母さんが言うには傷も塞がり無事らしいけど、自分でも見てみないと安心は出来ない。
病院が身近にある人間だって、何かあった時には簡単に死んでしまうんだ。医者も病院もない野生に生きる俺達なら尚の事。
「ミャウ(ハイイロは?)」
重ねて問う。
「ウォフッ(彼処だよ)」
母さんの視線の先には俺達が普段寝ている、枯れ草や落ち葉を敷き詰めたベッドに寝かされたハイイロの姿があった。良く見ると、呼吸に合わせて体が上下している。
良かった……生きてる……。
ハイイロの姿を見た途端に力が抜き掛けた体に喝を入れ、ハイイロの傍らに歩み寄る。母さんも一緒に付いて来た。
すぐ横に立って、ハイイロの顔を覗き込む。
表情に辛そうな所はない。呼吸も普通で特に早かったり、浅かったりという事もない。鼻先を首筋に近付けてみるも、その体は温かくトクトクと心臓が動いているのが分かる。
……生きてる。
今度こそへたり込んだ。そうとは知らず止めていた呼吸に、思い切り深く息を吐き出す。そのまま深呼吸。
ふと顔を上げると母さんがすぐ側に立っていた。
心配掛けちゃったか。
「フミィ、ミャゥッ(かあさん、ごめん。もう大じょうぶ)」
「グルゥ(もう良いのかい)」
「ミュ、ミァッ(うん、ハイイロ生きてる。おれが見ても大じょうぶそうに見えた)」
獣医じゃないから、診断なんて出来ないけどさ。人間視点で様子を見る事位は出来るから。
そうして見た限りでは脈も呼吸も正常で、大怪我をした後には見えない。ん? そういえば。
「ニィ、ゥナア(かあさん。かえってきてから、じかんいまどのくらい?)」
「ウォンッ、グフゥ(あの後すぐだよ。お前も倒れてすぐだ。悪かったね、お前だけ地面に寝かせっぱなしで)」
「うにゅん、ミィァ(いいよ、そんなこと。ハイイロのほうをゆうせんしてやって)」
そう俺が返すと、母さんは嬉しそうに目を細めながら俺の顔を舐める。ちょ、力強い。
顔を舐められる度にグイッ、グイッと首が仰け反る。ちょっと苦しい。今、首がグキッて鳴った。
お願い、母さん気付いて。
そう思ってるのを感じてか、ハイクロが笑いながら近付いて来た。
「ウォフッ、キャゥ(母さんったら、黒いのが苦しそうよ)」
ピタッと舐めるのが止まる。
ぅ。俺の首、仰向けに傾いだままだ。そこで止まられるとちょっとプルプルする。
頭だけじゃなく、前脚もプルプルし始めた頃に母さんの顔が離れた。思わず全身を犬のように振る。
「グルゥ、ウォン(おや、すまなかったね。安心したものだから、つい、ね)」
「んみ(きにすんな)」
照れ臭さから、思わずそんなセリフが零れた。
次の瞬間、体がむぎゅっと押し潰される。前足が背中に乗っている。
「ウォフッ(母さんに向かってその言い草は感心しないね)」
「に、うにゃぅ(ご、ごめんなさい……)」
重さが離れていく。自業自得だが苦しかった。ブハーと息を吐き出していると、再びむぎゅっと圧力感。今度は全身にだ。がっちりと抱え込まれて動けない。しかも体重が、俺の体に……っ!
ちょ、うぉげぇぇぇ……身が、出る……っ!
全身に掛かる重みに呻きながら、ベシベシと地面をタップする。しかし、肉球のある猫の足ではタップ音は鳴らない。タフタフと間の抜けた音が響くのみである。
ギブアップ! 俺もうギブアップしてるから!! レフェリー早くギブアップ宣言を……っ!
タフタフが段々、フタタタタンッと高速に変わって来た頃突然グイッと引き剥がされた。全身への圧力がなくなり、背後を振り向く。
俺の体にのし掛かっていたのはやはりチャイロだった。そのチャイロの首筋を噛んでハイシロがズリズリ引きずって行く。
前に伸ばされた前足と、ピンと伸びたままの足が地面を削って行く。抵抗激しいな、おい。
ちなみに、助ける気はないのでズリズリ引きずられて行く姿をそのまま見送る。視界から消えた所で視線を逸らしてフゥ、と一息。
「キャフッ(大じょうぶ?)」
ハイクロ。
「ぎにゃぅ(もっと早くにたすけてほしかったきもちでいっぱいです)」
「クルル、ウォゥ(それだけみんな心配してたってことよ。ありがたく受け取りなさい)」
……改めて言われると照れるな。
「キャォォォォォォンッ(……黒いのぉぉぉぉぉぉぉっ)」
段々チャイロが遠ざかって行くにつれ、聞こえる音も変わる。……ドップラー効果って言うんだったかな、こういうのって。現実逃避? 知ってる。
母さんは相変わらず少し離れたところからニヤニヤ見ている。性格悪りぃなぁ、おい。などと思っていると口がカパッと開いて牙が見えた。
……わたくしはいっさい、なにもかんがえておりませんです、はい。
パクッと口が閉じる。……マジでどうやって察知してるの母さん。
遠い目をしていたかと思うと急にプルプル震え出した俺を、ハイクロが不思議そうに見ている。ハイクロはそのまま、純粋なままでいてくれよ。
のしっ
母さんがその場から立ち上がった。
お、俺は何も言ってないぃぃ! 俺は無実だぁぁぁっ!!
少しずつ近付いて来る母さんの姿に全身がガクガクと震える。視界がブレる。
ブレた視界でも母さんが近付いて来るのははっきりと見えた。母さんが
ク ル ……!!
ぎゅっと、目を閉じる。自然と頭が下がり、尻尾が股の間に入る。耳がヘチャンと伏せられてるのを感じた。
近付く気配。
体に力が入る。
いよいよ自分の目の前に来た……! と思った次の瞬間、スッと俺の体の脇を抜けて行く気配があった。
……え?
恐る恐る目を開く。正面に母さんの姿はない。慌てて振り向くと、ハイイロの傍らに立つ母さんの姿があった。すぐ隣にはハイクロもいる。
……!? まさか、ハイイロに何かあった!?
さっきは大丈夫そうに見えたのに……っ!
足を縺れさせながらハイイロに近付く。ハイイロ……ッ!
「……ぅきゅ?(……ぅえ? ここどこー?)」
間の抜けた声にそのままの勢いで突っ伏す。地面に擦り込まれた顔が痛いです、この野郎。ズシャァッて、言ったぞ。今。
「ウォフッ(ハイイロ、無事かい?)」
そんな俺の姿を一瞬だけチラッと見てから、ハイイロに尋ねる母さん。……すいません、うるさくして。
「ふきゅん?(ぶじってなにがー?)」
フゥ……
その場にいる全員の溜め息が重なる。
「グゥゥ、ガヴッ!(ハイイロはけがしたのよ! 母さんからあぶないから出て来るなって言われてたのに!)」
「ミャゥッ、フシャーッ!(ちだらけでかえってきたから、しんぱいしたんだからな!)」
「グルゥ、ウォフッ(全くだよ。全員にちゃんとお謝りよ。後、黒いのには礼を言うんだね)」
ハイクロ、俺、母さんと連続で捲し立てられたハイイロは、体を横たえたままクリッと首を傾げた。
「キャフッ?……ギャインッ!?(けが? なんで……おれのえものは!?)」
おい……。もう1度言おう。おい……っ!
あまりの言葉に声も出せず怒りに震える俺。俯く視界の途中で、同じように体を震わせるハイクロと母さんの姿が見えた。あ、これヤバイ。
ブチッ
「ガルァゥッ!! グルルル……!!(お前って子は……!! これだけみんなに心配掛けておいて、言う言葉がそれかい!?)」
「ギャン!! ギャウン!!(あたしたちがどれだけ心配したか分かってる!? 死んじゃうかと思ったんだから!!)」
……俺も怒ろうと思ってたけど、その前に母さん達が一気に怒り出した。女性を怒らせると怖いんだからな。
ハイイロを叱るのは母さん達に任せて、俺はチャイロとハイシロの所に行こう。俺も2匹に心配掛けちゃったし。
怯えた様子で怒鳴られるハイイロを横目に、洞穴の入り口に足を向ける。
「ガゥッ(黒いの、さっきの態度には後で話があるからね……)」
……忘れた事に出来ませんかね?
ヤベエ、オレ、オワッタ。
実は、猫主がハイイロの元へいく時一緒に付いて行ってたり、気が付けばすぐそばに立っていたのは猫主を警戒したからでした。猫主も、他の子狼達も気付いてないけど。
母さんは野生の狼なので、危険には敏感です。万が一、猫主が力に呑まれてた場合には自分を盾にするようにしてました。
子狼達に話が終わるまでとしていたのも同様の理由から。猫主の注意を惹かせないようにするため。
猫主地面に置きっぱも能力が暴走したりとか、何かあった時のためでした。
後に母さんが嬉しそうだったのは、猫主が猫主のままだと確信したからです。
ちゃんと母さんは猫主の事を大事にしてますが、野生動物なのである意味シビア。




