4.白馬物語(下)・だいじなもの
市街地での道行く人の数奇な目。黒髪とパジャマが珍しいのか、馬が生えてる俺の右腕が珍しいのか。
街並みに目を向けず俺は無心で通り抜ける。冬を迎えた虫、はたまた猫に捕まった虫のように。
「子馬もじゃ」
「子馬がいるなら別料金だな」
「子馬込みの捜索じゃ」
子馬、森、野草……爺の話がボスを交えつつもなおループし始め、俺はいい加減うんざりしてきた。
「問題はどこで白馬を見つけたか、だな」
利害関係に加わった形のボスが堂々と場を仕切り始める。
「ピッピは自分で戻ってきたのじゃ。そうじゃろ、ピッピ」
「小僧、地図は見れるか? 森は近いのか?」
不思議な森だった。それは野犬どころか何もない不自然なまでに安全な場所だった。俺と白馬だけの静寂の森。
「そこに薬草は無い」
俺が治した。あるのは野グソだ。あれを見せれば納得するのか?
白馬が望めば戻れるのだろうか。あの時、大自然の中で捨て置いたものが、今になって俺の運命を左右しかねない大事な物になろうとは。
誤解があるにせよ白馬が不調だったことを知る爺が俺の呟きに食いつく。
「それじゃヒールでも使えると言うのか」
「……かもしれません」
「なるほど、ヒール持ちなら白馬を救った証明になるな。ギルドの手ぇ借りるか」
俺の曖昧な返事にボスがすかさず反応した。
「お前らがグルになって儂を担ぐとも限らん。戻れば弱った馬が居る。そいつを治してみせろ」
やはりこの世界には魔法があり、ギルドにはスキル鑑定かウソ発見器でもあるのだろう。
気軽に鑑定できるなら、ボスが俺の素性に一切触れなかったことにも納得がいく。
「ははーん。その右腕がミソって訳か。爺さん、白馬はハナっからその気らしいぜ」
短い沈黙を経てボスが口を開く。己の推理に酔っているのか馬の背越しに見えたボスはあごに手を当てしたり顔だ。
「そうなのか? ピッピ」
白馬は無視を決め込み黙々と歩を進める。
「そうと決まれば屋敷に急ごう。そいつを治せば報酬は二倍。駄目ならチャラだ。それでいいな、爺さん」
「嘘なら子馬と薬草を探してくるんじゃぞ」
「抜け目ない爺さんだな」
「どっちがじゃ!」
ボスが決断にしばしの沈黙を要した。
「いいだろう。その条件飲むぜ」
「こいつの与太を信じるつもりか?」
「ああ。しかし俺が信じるのは、ピッピだ!」
ボスの逞しい腕が白馬の尻を叩く。白馬が身じろぎした拍子に俺の細腕が引っ張られる。
「イタッ」
「こら気安く呼ぶな、触れるな」
「大勝負なんで、つい、な」
「ガサツな奴め。だからお前らは好かんのじゃ」
俺の悲鳴を気にも留めず、二人が言い争いを続ける。
二人が馬を売れ、売らないと押し問答し始める。俺は上の空でそれを聞き流す。
ボスが白馬を通じて俺に賭ける。ボスは俺というハンデを抱えながらゴブリンから逃げ延びた白馬に何かを感じたのだろう。
尻を叩かれるのは御免だが、こうも白馬を中心に話が進んでいくと俺は白馬の物語に巻き込まれたのかと、そんな気さえしてくる。
そうは言っても実際ここまで流されてきたのだ。俺にその自覚がはっきり有るだけにやるせない。
俺一人では食料を得られず、行先も決められない。これから俺が馬を治す展開にしてもそこに俺の意思は存在しない。
俺は白馬の相棒のつもりでいたが、白馬様々、コバンザメの様に運ばれてきたに過ぎない。
ゴブリンを倒した弩使いの一撃、咄嗟に見せた阿吽の呼吸。あれこそが相棒だ。
弩使いに礼を言ったものの今となっては嫉妬心がもたげて来る。
あれがこの地で生きる彼らの日常なのだろうか。俺はこの世界でやっていけるのかと不安にもなってくる。それが嫉妬とごちゃまぜになる。
彼らのおかげで命拾いしたのに心のモヤモヤ、胸のチクチクが納まらない。
俺は城までたどり着き、言葉が通じた二つの安堵から余計な事を考えている。疎外感と良いように使われる苛立ちが一気に襲ってきた。
「馬の毛並みばかり気にしやがって。少しは俺たちに馬を貸す気はねえのか」
怒気をはらんだボスの主張と俺のため息が重なり、ボスが気を悪くするかと内心ドキッとしたが当の相手に気した様子は無い。
「深追いして馬を殺すだけじゃろ」
「時にはそれも必要なんだ。おい、護送中だ。道を開けろ」
人混みが密になり、ボスが先頭に回る。
この人混みの中、本来なら何かしらの拘束はされただろう。誰かに捕縛され連行されるよりは今の方がマシかもしれない。
「ゴブリンどもの餌にするつもりか」
爺が背を向けたボスになおも問いかける。
「それが俺達の仕事だ。人も馬も変わらん」
ボスが小さく呟いた。
俺が餌にならずに済んだのは白馬のお陰だ。その頼もしい白馬が俺を咥え続ける。
白馬が俺を離さないのは、件の弱った馬を救いたい一心からなのだろう。やはりヒールが目当てなのかと、憶測が確信に変わると白馬が俗物に思えてくる。
当てにされる嬉しさよりも、今までの関係全てが打算的に思えてくる。逃がすまいとする行為が、俺の信用の無さと白馬の後ろめたさの現れに思えた。
懐かれてなどいなかった。
絆という幻想に舞い上がってた自分が恥ずかしい。
いやその考えはひどい。
自分勝手が過ぎる。白馬に理想を求め過ぎだ。
突然の出会いが特別とは限らない。白馬は俺を助けてくれた。それだけで十分だ。
白馬の強引さで門を抜けられた。爺には馬泥棒と疑われているが、あれこれ尋問されずに門を通過できたのは白馬のファインプレーだ。
後は俺のヒール次第だ。報酬などいらない。早く自由になりたい。それは同時に別れの時でもある。
このイライラは、せめて別れる前に良いところを見せたいという身勝手な願望のあらわれか。
気を惹きたい、白馬と出会ってほんの数時間で心揺さぶられる。魔性の馬に思えてきた。俺はストーカーになりたい訳じゃない。
不思議な白馬がこうまで俺を当てにするのだ。俺にはきっとヒールが使える。今はそう信じるより他は無い。
MPに限りがあるならば色々試して魔法を無駄打ちしなかったことは正解と言える。
俺のヒールで白馬は喜び俺も助かる。共依存だ。その馬Bとやらを治せれば、鬱屈した今の気分も少しは晴れるだろう。
馬屋敷と呼ばれた爺所有の施設に到着し、正門からそのまま脇目も振らずに四棟ある馬小屋のうちの1つを目指す。
白馬はここまで来ればと安心したのか俺の腕を解放する。確かに見通しの良い庭でボスどころか背後に斥候まで控えていれば逃れようが無い。
俺のヒールが要なのだ。試す気は毛頭ないが、ほんの悪戯心でもし逃げ出したらボスは俺の脚を躊躇なく折るのだろうか。折る、かもしれない。
博打好きを怒らせると怖い。マンガで得た知識を確かめるチャンスではあるが、今日は遠慮しておこう。
その後も問題だ。さっきは報酬は山分けだと聞いて安堵したものの、はたして約束通り事は運ぶのか。
守備隊を危険にさらした迷惑料や、ゴブリンを撃退した手間賃などの難癖をつけてくるか。報酬を手放すだけで済めばいいのだが、ボスはどう出るか。
俺はボスの言葉からは職務に対する誇り高さを感じ、気持ちが信頼に傾いているのは確かだが、全てはボス次第。
悲しいかな警戒など無意味な程に俺は弱いのだが、この賭けの代償は俺の未来なのだ。不安にならずに居られない。
肘を曲げ伸ばししながら白馬と共に速度を緩めずに急ぐ俺を、爺が引き留めた。
「ちょっと待て、そんな汚いなりで入るつもりか」
俺は噛まれ続けた腕を嗅ぐ。
「ピッピは清潔じゃわい!」
爺が庭を見回し声を張り上げる。
「ダン、帰ったぞ。おらんのか? しょうがない、そこで待っておれ」
時間の無駄とばかりに、あたりを碌に探しもせず爺が館に駆け込む。
俺たちは落ち着きのない白馬をなだめる様に歩きながら目当ての馬小屋に向かう。
小屋から馬の世話役らしき男が出てきた。
小屋の入り口で待っていると、ものの数分で手に着替えを持った爺が戻ってきた。
「手荒にするでないぞ」
息を切らした爺が着替えを押し付けながら念を押す。
「どうせ便秘だろ?」
「ぐっ」
馬を診ろと提案したのは爺自身なのだ、ごちゃごちゃ言うなという思いでつい憎まれ口を叩いた。
安物故か服はゴワゴワの手触り。その馴染みない感触から、ここは異世界なのだと実感する。
呪いや奴隷契約の罠に思い至るが、この爺は小賢しいマネはしないように思えた。用心するに越した事は無いが、何より白馬が無反応だ。
白馬に不満が有ろうが、情けなくも結局は白馬頼みだ。
パジャマのボタンを外し始めたが汚れた物を持ち込む訳にも、かと言って大事な私物を手放す訳にも誰かに預けも出来ず、パジャマの上に服を着た。
着ながらクリーンルームのための服や手術着を連想する。着心地の悪い服を直接着ずに済んで結果オーライでもある。
「汚い足も拭け」
俺の便秘発言か、汚れたパジャマを脱がなかった事が癪に障ったのか、爺が声を荒げて指図してきた。
水桶は各小屋の入り口に置かれている。汚れを気にするだけあって中の水は十分きれいだ。
「オラもピッピは便秘だって言ったんだけど」
「まだ言うか」
ダンと呼ばれた男が俺の足を濡れタオルで拭きながら話しかけてきた。俺の脳がそう認識させるのか、この男には見事な訛りがある。
ダンは爺に疎まれつつも話を続ける。
「オラに隠れて旨いもの食わせて。止めてもオラが食ったこともない様なごちそうを毎日与えて」
「ピッピの子が見たいんじゃ、何が悪い」
「旦那様は納得しなくてピッピと喧嘩ばかり。いつの間にか目を離した隙にピッピが逃げだして」
「たいやき君!」
「ひっ?」
俺の唐突なつっこみに、ビクンと肩を跳ね上げたダンの作業の手が止まる。
「いや続けて続けて」
「オラ、打ち首かと思うと怖くて怖くて。ピッピが帰ってきて本当に良かった」
いま打ち首って言いました? それは俺の知ってる打ち首だろうか、続きはワクワクしかねる情報だった。
爺は馬に関しては容赦がないのか、はたまた男の被害妄想か。
白馬の脱走を未だ信じられずに、泥棒疑惑を蒸し返して興奮する爺をボスが取りなす。その間、足を拭き終えたダンに俺は感謝を告げる。
「ダン、何かあっては困る。お前はピッピのそばに居るのじゃ」
風防の為か、一棟だけ布が張られている特別な馬小屋に爺を先頭にして入る。
藁の上に痩せた茶色い馬が横たわる。便秘では無いようだ。腹の皮にうっすらと骨が浮き出ている。
「便秘じゃ、ないのか」
読みが外れ、問いかけにも似た独り言が漏れた。いやこれは質問だ、意味はある。
患部が明確ならそこに触れたい。
「急に何も食べなくなっての」
俺の面食らった声色に何かを感じたのか、爺が返答した。
爺の言葉に顔色を盗み見るが、気まずさに視線を戻す。
目の前の馬体は人の何倍も大きい。体力の維持だけでも多くの栄養が必要だろう。
衰弱せぬように爺が手を尽くしているのかもしれない。事態は深刻に思えた。
これが白馬が俺を咥え、時に急かし、爺が薬草に拘る理由か。
乗り気でない俺への白馬の必死の訴え。藁にも縋る思いで咥え急かし続ける白馬に俺は何を思ったか。
白馬は俺のヒールを信じてるんだな。そして俺に賭けた。白馬が信じるならまだ間に合うはず。
俺も救いたい。白馬の思いに応えたい。
爺に対しての苛立ちはあるが俺だって救いたい。
俺が近づくと痩せ馬は一瞬怯えた態度を見せたが、袖口からの白馬の唾液の匂いのおかげか落ち着きを取り戻す。
森では手を添えただけだった、弱っているならなおさらガサツにはできない。
「ヒール」
俺をあざ笑うかの様に、ぷひっと放屁の音が響く。たったそれだけ。何も変わらない。
俺の存在を賭けたヒールは全く手ごたえが無かった。
「ほら見ろ、やっぱりヒールなど使えるものか。お前は詐欺師じゃ、詐欺泥棒じゃ」
ヒールはこの世界にある。発動のお膳立ても揃った。
あまりの手ごたえの無さに浮かれた気分が一瞬にして打ち砕かれた。
MP切れや、雑念交じりのせいなどと理由を探すまでもない。
感じたのは越えられない壁、再度試そうとすら思えない絶壁だ。
目の前の馬を救いたかった。
やはり便秘限定なのか。今ではそれすらも治せる気がしない。
白馬には期待させて、時間を無駄にさせて悪かった。あれは偶然の産物。きっとただの勘違い。
あの時白馬は知らずに薬草を食んでいたか、俺の突然の来訪に驚いてその拍子に便意に襲われた。緊張、刺激。例え不思議な世界でもそう考えるのが妥当だろう。
失意に固まる俺の背後に爺の気配が迫る。
罪人は奴隷、居もしない子馬のために受ける手荒な詰問。ぼんやりと危惧していた末路が現実味を帯びてくる。
ああそうか、これは絆などと言いつつ白馬の伝手を期待したずるい俺への報いなのか。
しょうがないだろ、俺は異世界ボッチでお前は飼い馬なんだ。少しは希望を持たせてくれ。
「何やら異質なモノが来たわね」
背後からの突然の声に虚を突かれた俺は、その主へと顔を巡らせる。小屋の入口には日の光を背に受けた長身の人物が立っていた。