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記念日におめでとう

 目が覚めてまず見えたものは、私の部屋とは違うカーテン。

 むくりと起き上がり、部屋を見渡すと、無造作に積まれた本の山。回らない頭で昨夜の事を考える……。

 確か、バイト帰りに全部思い出して、公園でなぜかおじさんと会って、泣き縋って、たこ焼きを食べて、それから寝ちゃって――

「わ、私ったらなんて事を……」

勢い良く立ち上がって服を見た。

 おじさんが私を置いて帰るとは思えないので、恐らくここはおじさんの家。おじさんを疑っている訳ではないけれど、弱った私が何かおかしな事を口走っていたらどうだろうかと不安になる。

 隅々まで確認してみれば、コートを着ていないだけで昨夜とまったく同じ服。よかった、何もなかったみたいだとほっと胸を撫で下ろすと、ローテーブルに置かれた自分のバッグが目に入った。

「連絡……しなくちゃ」

携帯電話の画面には7:23の表示。今日は土曜日という事もあり、まだみんな寝ているだろうと思い、連絡はメールで済ます事にしたけれど、問題はその内容だった。そのまま伝えると誤解を招いてしまうので、自然ないい訳を考えて考えて、結果、バイト先の歓迎会が朝まで続いてしまったという事にして、メールを送信した。

 とりあえずはこれで安心、後はおじさんにどうやって謝ろうかと考えていると、丁度良くノックの音。

「嬢ちゃん、起きたのか」

「は、はい! おはようございます」

ドアを開ければいつもは見る事の出来ない、部屋着姿のおじさんが立っていて、足元では黒い仔猫が鳴いていた。

「驚かせてすまなかったな。その、コートは脱がせたが何もしちゃあいないから安心しろ」

 しどろもどろ、といった様子で告げるおじさんがどこか可愛らしく、可笑しかったので、慌てて口に手を当てる。

「ふふ、何も疑っていないから大丈夫ですよ。……それにこちらこそ、昨日は迷惑を掛けてしまったみたいでごめんなさい」

頭を下げれば綺麗な緑色の目が私を見つめていて、にゃあ、と鳴く。

 そういえばこの子は、昨日の公園にいた……。

「おじさん、あの、この子は……?」

「昨日、嬢ちゃんと一緒に連れてきたんだ。寒空の下、見て見ぬ振りする訳にもいかなくてな」

そう言っておじさんが黒猫を抱き上げれば、その子は小さくみゃあと鳴いた。

「昼にでも動物病院に連れて行く予定だが……そうだ嬢ちゃん、こいつに名前付けてやってくれないか。こいつは俺より嬢ちゃんの方が好きらしい」

ほれ、と猫を手渡され、その小さな体を抱いてみる。

 ふわふわとした感触が気持ちよく、頬を寄せれば猫もまた答えてくれるように体を摺り寄せてきた。

「可愛い……。男の子、なんですね」

「名前、付けてくれるか?」

「はい」

頷いて猫を降ろす。名残惜しそうに甘えた声を出す猫を

「今から名前を付けてあげる。かっこいいのにしようね」

と撫でてからバッグからメモとペンを出した。

 候補をつらつら書き出せば、おじさんが興味深そうに覗いてくる。

「随分と思いつくな」

「ええ、名付けの重要性は十分に承知していますので」

まあ、猫ならペットらしい名前でもいいか、なんて笑えばおじさんは不思議そうな顔をしていた。

 書き出した候補からひとつひとつ削っていって、最後に残ったのは子猫の瞳と同じ色が二つ――

「千種と山葵……うーん……。それじゃあ子猫くん、私が直々に名付けてさしあげましょう。今日から君は山葵くん、だよ?」

おいで、山葵、と抱き上げれば山葵はみゃあと返事をしてくれた。

「どうでしょうか。綺麗な緑色の目から付けてみたんです」

「いいんじゃないのか。俺としては千種でも良かったがね」

だってどっちも可愛いじゃないか、と猫を撫でるおじさんは楽しげで、不覚にも、胸がときめいた。


 寝室を出て場所はリビング――こたつに入ってくつろぐ二人と一匹。

「こんなものしか食わせてやれなくてすまないな」

と言ったおじさんの手には、空になったインスタントラーメンの袋。本当はすぐに帰るつもりだったけれど、今日はバイトも休みだし、おじさんさえ良ければ私もゆっくりしていたかったので、飯でも食ってくか、の一言に甘えさせてもらったのだった。

「いえ、泊めてもらっただけでなく、ご飯までご馳走になるとは思っていなくて、ありがとうございます。ええと……このままだらだらしているのも悪いので、そろそろ帰りますね」

 立ち上がろうと軽く頭を下げたところを、あまり気を遣うな、と頭を撫でられる。

「勢いに任せてコイツを拾ったのはいいが、猫なんて飼った事なくて不安だったんだ。嬢ちゃんに懐いているみたいだし、もう少し一緒にいてやって欲しかったんだよ。……それに、俺ももう少し、嬢ちゃんと一緒にいたいと思った――」

駄目だったか? なんて聞かれて、顔を上げればすぐ傍にはおじさんの顔――

唐突な展開に私の頭は思考を止め、それとは逆に心臓が激しく動き出す。

 どうにかこうにか言葉を紡ぎ出し

「駄目じゃないですよ。ちやほやされるのは気持ち良いですから」

とにっこり。出来るだけ悪戯っぽく微笑んだつもりだけど、どうだったかなと不安になる。なんてね、ともう一度笑って、照れ隠しに山葵を構えば、そりゃ良かった、とおじさん。

 冗談にしなければ動悸でおかしくなってしまいそうだったから仕方ないんだ。こうでもしなければ、勘違いしてしまうから……。


 そうだ、ちょっと待ってろ、とおじさんが寝室とは別の、もう一つの部屋に行ってから、五分が経つ。がさごそと音が聞こえてきているので恐らく部屋の片付けか探し物なのだろう。

 にゃあにゃあ、鳴き真似をして、携帯電話のストラップを揺らしてみる。左、右、と目で追って、タイミングを測った山葵が飛び掛る。猫と遊ぶのは幼少期以来だから、子どもがやるような遊び方しか覚えていない。

「山葵くんは元気だねー」

声を掛けても山葵は知らん振り。どうやら遊びに夢中になり過ぎているようで、子どもは無邪気だなあと笑う。

 そうこうしているうちに部屋を片付ける音も聞こえなくなり、おじさんも戻ってくる。

「すまん、本が崩れてきて片付けていたら遅くなっちまった。ほら、嬢ちゃん。プレゼントだ」

可愛らしい紙袋を手渡され、一体これはと首を傾げる。

「嬢ちゃんの社会復帰の祝いの品だ。開けてもいいぞ」

「わあ、ありがとうございます」

男性からプレゼントを貰うのは初めてだったので、嬉しさに心も躍る。

 出来るだけ丁寧に、綺麗に、慎重に開けてみると、中には可愛らしいポーチとパスケース。手にとって眺めていれば、見た事のあるブランドのロゴが目に留まり、途端に手が震え始める。

「こ、こんな高そうなもの、頂いちゃっていいんですか?」

富豪が身につける程高級な訳でもなく、誰もが知っている程有名な訳でもなく、しかし決して安くはないそれを、たかだかアルバイトが決まっただけの、出会って数週間の小娘に渡す事が私の頭では理解出来なかった。

「いいんだよ。受け取って、くれないか」

「あ、ありがとうございます」

 震える手を押し返されて受け取る事にはしたけれど、理解出来ない事がもうひとつあった。

 プレゼントのチョイスがおじさんらしくないのだ。失礼な話ではあるけれど、男性はあまり知らないようなブランドに、おじさんが興味があるとは到底思えない。それに、ポーチとパスケースというセンスも、なんとなく、なんとなく男性らしくない、と思った。

「本当は時計にしようかと思ったんだけどな、どうせバイトの時に外すだろうからこっちにしたんだ。選ぶの苦労したんだぞ」

 おじさんがプレゼントを買っているのを想像するとなんだか可笑しくて、理解も気になる事も全て通り越して、ああ、似合わないな、なんて笑ってしまうのだった。

「笑う事はないだろ。買うの恥ずかしかったんだから……」

「ごめんなさい、買っている姿が想像出来ないものだから、つい……。でも、凄く嬉しいですよ。嬉しすぎて私には勿体無いって思ってしまうくらいには」

そう言ってパスケースを顔の横で揺らしてみれば、満足そうなおじさんの表情。

 遊びに飽きてこたつの中に入っていた山葵も飛び出してきて、ゆらゆら揺れるパスケースにじゃれて掛かる。

「ああ! 山葵だめっ!」

これはおじさんから貰ったものなの、と咄嗟に隠すと、つまらなさそうにまたこたつの中へ潜っていく。

「ハハ、油断も隙もないな」

「ほんとですね」

貰ったものをバッグにしまい、おじさんが出してくれたココアを啜る。

 そういえば、おじさんはいつもコーヒーを飲んでいるけど……

「おじさん、ココアも飲むんですか」

キッチンにある粉末ココアの袋を見て聞いてみるとおじさんはいや、と首を振る。

「じゃあ、どうして?」

「嬢ちゃんを寝かせた後、コンビニまで買いに行ったんだ。山葵の餌も欲しかったからな」

「流石に一袋は多いですよ。これじゃあ私が帰った後におじさんも飲まないといけませんね」

そう言うとおじさんは、おお、そうか、少し買いすぎたな、なんて笑っていた。

「でも――」

開いたのは私の口、そこから続けられた言葉には、我ながら、耳を疑う事になる。

「私がまた遊びにくれば、おじさんが飲む必要はありませんね――」

はっと口を抑えても、放った言葉は帰っては来ない。

 そして、私以上に驚いた顔をしていたのはおじさんで、少し間があってから、私が放った言葉の代わりにおじさんが別の言葉を返してくれた。

「そ、そうか。それならこれは、嬢ちゃん専用だな」

 私だって子どもではない。今まで散々真夜中におじさんと会っていたけれど、家に上がるとなれば話は別。

 そこまで軽くはないと、そこまで無防備ではないと、そう思っていたのに、どうしてあんなに自然に、勘違いさせてしまいそうな言葉を吐き出してしまうのだろう。なんてはしたない、なんて無節操――

「え、ええ。機会があればまた来ますから」

なんて取り繕ったように出た言葉も、まるで社交辞令。本当は遊びに来たいし、もっと一緒にいたいのに……。

 私が変な事を言ってしまったからか、会話もどこかぎくしゃくしてしまったような気がして、居た堪れない。それじゃあ、そろそろ帰りますね、と立ち上がればおじさんはコートを着せてくれた。

「気を遣わせちまったみたいで、すまないな」

「いえ、そんな事ないですよ。私こそ、変な事を言ってしまってごめんなさい。あの、改めて、なんですけど……昨日はありがとうございました」

玄関先で頭を下げれば足元で山葵が鳴いている。

「ごめんね。また会いに来るからね。……それじゃあ、おじさん。山葵の事よろしくお願いしますね」

「おう。そういや嬢ちゃん、帰り道は平気か」

「平気ですよ。だっておじさん、ご近所さんでしょう?」

私、ずっとこの街に住んでるんですよ、もう庭みたいなものですから、そう言って外に出て、最後にもうひとつ、と振り返る。

「ここ、ペット平気ですか。もし禁止なら、山葵は私が引き取りますよ」

「安心しろ。犬も猫も一緒に住める」

 山葵は渡さないぞ、なんて猫を抱き上げるおじさんは可愛くて、また遊びに来ますね、と控えめに聞けば、いつでも構わんよと笑っていた。

 良かった、変な事を想像していた私が悪かったみたい、だっておじさんは友達だもの――

「じゃあ、また来ますね。ばいばい、山葵」


 一人と一匹に手を振った後、帰り道はどうしようもなく寂しくて、まだお昼前なのに、空も明るくていい天気なのに、溜息が出てしまう。

 携帯電話を開くと、母親から“良い職場みたいでよかったよ”とメールが一件。そうか、そんな嘘もついたっけ……。

 嘘をついてしまった事に対する後ろめたさもあるけれど、ここはひとつ、嘘をつかなければいけなかったのだ、と居直る事にした。おじさんの家に行っていました、なんて本当の事を言ったら皆が卒倒しかねない。

 家の扉を開ければ、真っ先に妹が駆け寄ってくる。

「お姉ちゃん遅いよー。朝ごはんは? シャワー浴びる? 今日は休み?」

昨日の朝だけじゃお姉ちゃんと話し足りなかったんだから、とあれこれ世話を焼く妹は私が帰ってきた事が本当に嬉しいようで、寂しい気持ちはどこへやら、気持ちも明るくなってくる。

「ごめんね。お母さんから聞いたでしょ? 歓迎会、朝までになっちゃって、楽しかったから連絡忘れてたの」

「なんだー、私お姉ちゃんに彼氏でも出来たのかと思って心配しちゃった」

「か、彼氏!?」

 そう言われてしまえばどうしてもおじさんの事を意識してしまう訳で、頭の中でなんども彼氏じゃない、おじさんは友達、と言い聞かす。

「やだなあ、冗談に決まってるでしょー。二日そこらで彼氏が出来るなんて思ってないもん。あ、それとも好きな人でも出来たー?」

「はいはい、お姉ちゃんちょっと疲れたから顔洗って寝るからね」

くすくすと笑う妹を軽くあしらって、急いで部屋に駆け込めば、バッグからおじさんにもらったパスケースが飛びだした。

「社会復帰のお祝い、か――」

やっぱり、これは違うんだ。だって、感覚が全然、違うもの。

 ベッドに横になって、パスケースを持ち上げる。顔の前でゆらゆら揺れるその様子は、まるで自分に催眠術でも掛けているよう。バイトも、全部全部うまくやれるよ、とひとつ強く思ってから私は小さく呟いた。

「私、社会復帰おめでとう――」

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