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毎日によろしく

 また明日、その一言が嬉しいと思ったのはいつ振りだっただろう。

 幼稚園の頃のお迎えの時間? 小学生の頃の帰り道?

 思い出されるのはいつだってまだ小さな子どもだった頃の記憶で、そんなに昔の事なのかと自嘲気味に笑う。

 別に人付き合いが嫌いだった訳でもないし、人嫌いという訳でもないけれど、ただ、どこか周りとズレているような、浮いているような、合わないような、そんな感覚が怖かったんだと思う。

 そんな私でも、ちょっとしたいじめはあったにせよ、中学高校は特に問題なく行けていた。

 その後はなんとなく入った専門学校で申し訳程度の技術を学び、これまたなんとなく決めた就職先で働いていたつもりだった。

 それがどうしてこうなったのか、不思議な事に原因はまったく思い出せない。

 思い出せない所か、思い出してはいけないような気すらしてくるのだから困ったもので、今日もベッドに横になったまま一歩も動かずに過ごしていた。

 おじさんと会うようになってから今日で一週間が経つ。

 おじさんはいつも変わらず、毎日きっかり午前二時に来て、私と話をしてくれた。

 それはその日の天気の事だったり、ニュースだったり、話題のお店の事だったり……私の何を聞く訳でもなく、また自分の何を話す訳でもない、そんなワイドショーのような会話だった。

「嬢ちゃんといると気が楽でいい」

 三日目の夜におじさんがそう言ったのは気を使ってか本心かはわからないけれど、間違いなく、私も同じ事を思っていた。

 苦労しているんだな、と同情されたのは初めて会った日だけだったし、探られるような事もない。

 自分の事を話すのが得意ではない私にとって、それはとても嬉しい事だった。

 時刻はもうすぐ午前二時――クローゼットからコートを引っ張り出すと、そっと階段を降りていく。

 いつにも増して寒い。今日はお洒落のつもりでコートを着てきたけど正解だったみたいだと手を擦る。

 いつもの自販機の前、辺りをきょろきょろと見渡せばいつもと違う、キャメルのコートを着込んだおじさんが歩いてくるのが見えた。

「よう嬢ちゃん。冷えるから待ってなくていいんだぞ?」

 部屋の窓から見えるだろう、と言われれば確かにその通りなのだけれど、おじさんが着いたのを確認してから外に出るのでは話す時間が減ってしまうようで嫌だった。

 首を横に振った私を見たおじさんは、まあ今日は暖かそうな格好だから許してやるよ、と小銭を取り出す。

 気付けば飲み物を買ってもらうのも日課になっていた。毎回、断っては押し付けられの繰り返しだったので、遠慮なく受け取る事にしたけれど、やっぱり申し訳ない気持ちになる。

「今日は何がいいんだ?」

「いつものココアがいいです」

 いつものようにココアを受け取り、いつものようにお礼を言う、そうしたらおじさんもまたいつものように笑ってタバコに火をつけた。

「今日は探偵さんみたいですね」

 たまには、私から何か話題を提供しなければ――そう思って声を掛ければおじさんは目を丸くして私を見ている。

「あの、どうかしましたか」

「いやあ、嬢ちゃんから話し掛けられるとは思ってなかったから……まあなんだ、嬉しいよ。それにしても探偵か、俺は刑事っぽいと思ったんだが……うーん」

コートをまじまじと見て、おじさんは考え込む。

「刑事さんはこの間のコートの方がそれらしかったので、今日は探偵さんです」

「この間……?」

 おじさんが不思議そうにしていたので、いつも服装からどんな職業かを想像していたのだと教えると、おじさんはそうだったのかと笑い出す。

「ハハハ、そんな事を考えながら見てたのか、そりゃあ嬢ちゃんの方が探偵っぽいなー」

 恥ずかしいのを誤魔化したくて一緒になって笑えばおじさんは今度は嬉しそうに笑う。

 ――今更ながら、おじさんは私が笑うと嬉しいんだと気付いた。

 それもそうかも知れない。私だって無表情より、暗い顔より、笑顔の方を見ていたいと思う。

 それなら――

「あ、でも刑事っぽいって言うなら今日は刑事さんで!」

ね、と微笑めば、おじさんは一層嬉しそうに、ああ、と目を細めた。

「じゃあ今日は刑事だな。ところで嬢ちゃん、二重マント、って知ってるか?」

 缶コーヒーのプルタブを起こしながらおじさんが聞く。

 二重マント……聞きなれない言葉だけど、なんとなく形から思い浮かべたのは昔見たドラマで役者さんが着ていた服だった。

「昔の男の人が着ていた、外套、ですか?」

 あまり自信が無かったので控えめに聞けばおじさんはそう、よくわかったな、と褒めてくれた。

 それに付け加えるように

「別に問題を出している訳じゃなく、知ってるか知らないかを聞いているんだから、そこまで縮こまらなくてもいいんだぞ」

と言われる。おじさんの声音は優しいものなのに、反射的に謝ってしまう。

「いや、今のは俺の言い方が悪かった。嬢ちゃんは正解を求めすぎているようだからな」

 重たい空気、さっきまで笑顔でお話していたのに、切り替えられない。

 ココアの缶をぎゅっと握り締めて俯くと、おじさんは二本目のタバコに火をつけ、話し出す。

「話が続きだったな。二重マントはな、俺の中の探偵のイメージだ。嬢ちゃんにはインバネス、って言った方がわかりやすかったかもな」

「あ! ホームズ!」

 ぱっと浮かんだのはかの有名な推理小説の探偵。

 鹿撃ち帽にインバネスコート、パイプを咥えた偏屈そうな男性は、最早探偵の代名詞と言ってもいい。

「そう、ホームズ。俺の中での探偵といえばその格好だったんだが、少し古臭かったようだ」

 照れくさそうに頭を掻くおじさんは、私がただ相槌を打つだけだった昨日よりもずっと楽しそうで、少し距離が縮んだような気がして嬉しくなる。

「それはそうと、嬢ちゃん。今日はいつもの部屋着じゃないんだな」

「はい。今日は寒そうだったので……と言うのは口実で、久しぶりにお洒落してみたくなったんです」

 いつもと違う服装に触れてくれたのが嬉しくて、どうでしょう、と回って見せればおじさんは似合ってるじゃないかと二度頷く。

「良かった。流行り廃りのない物を選んだつもりだけれど、子どもっぽくなってはいないかと気になってて」

「嬢ちゃんくらいなら全然平気だよ。男の俺が口出せる事じゃあないと思うがね」

 なぁに、気にする事ないさとおじさんは笑って、ポケットから何かを取り出した。

 白い包み紙にピンクのリボン――プレゼント、にしてはおじさんが選びそうにもない包装で、きっと誰かから貰った物なのだろう、そう思った。

「嬢ちゃん、甘い物は好きか」

甘い物……! もうずっと食べていないけれど、前は甘い物が大好きだった。

 素直に甘い物は好き、と伝え、そういえばいつも飴とキャラメルを持ち歩いていたなあ、なんて考える。

「そうか、良かった」

おじさんは包装をびりびりと破ると、口を開けるように促してきた。

「ほれ、あーん」

「えと、いただきます。あー、ん……んあ」

口の中でとろりと溶けたのはお酒の入ったチョコレート。突然のラム酒の香りにくらりとする。

「じゃあ、俺も……んっ、これ結構酒入ってんな。嬢ちゃん大丈夫か?」

「ん、と……少しびっくりしたけれど、大丈夫です。お酒、苦手では無いので……その、ご馳走様です」

 美味しかったです、そう伝えるとおじさんはもう一つチョコレートを摘まみ、また私の口元に運ぶ。

 流石に二度目は恥ずかしく、自分で食べられますと断れば、おじさんはおお、そうか、すまないなんて言って摘まんだチョコレートを自分で食べてしまった。

「ほら、じゃあ嬢ちゃんもどうぞ」

 今度は箱ごと差し出されたのでその中から一つ、摘まんで口に入れる。

 やっぱり美味しい――久々のお菓子に顔も自然と綻ぶ。

「ありがとうございます。でも、どうして?」

こんなに美味しいチョコレート、どうして私なんかにくれたのだろう。

「ん? ああ、これか。仕事仲間に貰ったんだが、普段甘い物を食べないからな。嬢ちゃんと一緒に食べようと思って持ってきたんだ。このチョコレート結構有名みたいだし、嬢ちゃんと食べるにはぴったりだろ?」

そう言ったおじさんは、私の心をふわふわとさせて、ああ、少し酔っちゃったのかな、とそう思った。

 午前二時三十分。チョコレートも食べ終え、そろそろ帰る時間。帰り際は、決まっておじさんが家の前まで来てくれる。部屋に戻って、窓の外にいるおじさんに手を振って、それから眠りに就く。

 今日も同じように帰るつもりだったけれど、なんとなく、なんとなく名残惜しくておじさんの袖を引っ張ってみる。

「あの……」

おじさんは一瞬、驚いたような顔をしたけれど、すぐに笑顔で答えてくれた。

「ん? どうした?」

「ええと、"おじさん"って呼んでいいですか」

おじさんと呼ぶのは憚られるけど、お兄さんと呼ぶにも少し変、でも他に良い呼び方も思いつかないのも事実だった。

 控えめに聞けばおじさんは、なんだそんな事かと言わんばかりに笑い飛ばす。

「ハハ、構わんよ。嬢ちゃんの好きなように呼ぶといい」

良かった、と安堵した私を見るおじさんは、少しだけ照れているような気がした。

「じゃあ、おじさん。もう一つ、いいですか」

「なんだ?」

「私と、友達になって下さい」

 しっかり、真っ直ぐに目を見つめてお願いすれば、おじさんは少し間を置いてから返事をした。

「嬢ちゃんの友達になら、喜んでなるさ」

 もう少しだけ一緒にいたくて握手を強請るとおじさんの大きくて暖かい手が私の手を包み込む。

「嬢ちゃん、手が冷たいな。これ以上は風邪引いちまうぞ」

私の心中を察してか、おじさんはいつもよりずっとずっと優しい声で諭すように帰宅を促す。

「ほら、また明日、な」

 このままおじさんを困らせる訳にもいかず、小さく頷けばまるで子どもに言うように良い子だ、と頭を撫でてくれた。

 そこからは、いつもと同じ。玄関まで送ってもらって、部屋に戻っておじさんに手を振る。

 ベッドに潜り込んで思った事は、ああ、これは酔いなんかじゃないという事――

 最初に会った時よりも、一昨日よりも、昨日よりも今日が嬉しくて楽しかったのは、チョコレートに入ったお酒のせいじゃなくて、

 仕事や年齢はおろか、名前すら知らないけれど、毎日会いたい、そんな友達が出来たからなんだ――

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