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休息にありがとう

 気兼ねなく家に遊びに行ける仲なら早めに胃袋を掴んでおく事、そう言っていたのは凛子さんかジョンさんか。

 おじさんの家のキッチンで一人と一匹、立ち尽くすのは私と山葵。

 そしてこの家の主であるおじさんは自室の片づけ中。なんでも、都さんに返却を求められていた資料が未だに見つからないんだとか。

 都さんがあの日乗り込んできたのはそれが理由だったのだと、おじさんは恥ずかしそうに教えてくれた。

「それにしても……」

 おじさんは本当に片付けが苦手らしい。キッチンが汚くて困ってしまう。

 隅に置かれたカゴには調味料が乱雑に押し込められて、どこに何があるかなんてさっぱり分からない。

 生ゴミが見当たらないところからして、長らく料理なんてしていないのだろう。この様子なら好き勝手片付けても問題はなさそうだし、まずはこちらも片付けから始めるかと調味料と冷蔵庫の中身の仕分けを始めるのだった――


 些細な事なのに質問出来ない、彼ともっと仲良くなりたいんです――無事に恋人同士になれましたと報告してから五日間。

 皆は散々祝って、ちやほやしてくれて、そんな中で私が溢した悩みにアドバイスをくれたのは凛子さんとジョンさんだった。

「私ね、雰囲気作りって重要だと思うの。だからね、手料理を振舞ってみたらどうかな? それで、食べ終わった頃に聞いてみたらいいよ!」

「お、凛子ちゃんナイス」

「やっぱり手料理って言ったら肉じゃがかなー? ジョンさんはどうです?」

営業終了後の店内で始まった恋愛相談は私を余所にぽんぽんと進んでいく。

 手料理は良さそうだけど、家族以外に料理を振舞った事がないので自信がない。第一おじさんの好きな食べ物を私は知らないのだ。

「私、彼の好きな食べ物を知らないんですけど定番とかってあるんですか?」

「やっぱり肉じゃ――」

「いやいや凛子ちゃん、ここは自分の事を知ってもらう為に好きな物を作って一緒に食べるんだよ。付き合い始めたばかりの可愛い彼女に、一緒に食べたかったから作りました、なんて言われてみろ。ご飯三杯はいけるだろ?」

「た、確かに……! 流石ジョンさん、男性の意見!」

小鹿ちゃんが好きな料理はなんだ、と聞かれて、ハンバーグが好きですと答えれば、ジョンさんはよしわかったと、メモに何かを書き出し始める。

 さらさらと書かれていくのはレシピとコツで、ジョンさんはそれを私に手渡すと、お兄さん直伝のプロのレシピだ、と満足気に笑うのだった。

「ジョンのレシピなら間違いないね。じゃあ私からは控えめな小鹿ちゃんに一言。もし手料理を振舞う事に口実が欲しいなら、お世話になってるからお礼がしたいとか、テキトーな理由つけちゃえばいいよ。まあ、理由なんて無くても小鹿ちゃんの彼氏さんなら受け入れてくれるとは思うけど、ね。なんにしても、一度好きって伝えちゃったんだもの、大丈夫だよ」

凛子さんはそう言って、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。

 ジョンさん、凛子さんに続いてお店を出れば、明るい都会の夜空が迎えてくれて、私の悩みなんてほんの些細な事なのだと感じさせる。

 そうだ、食材を買って帰ろう。おじさんはいつでも来ていいと言ってくれているんだ。幸い明日は休みだし、思い立ったが吉日だとおじさんに電話をして、そうして私は帰路についた――


 本来の調理開始時間から一時間と三十分程オーバーした午前十一時半。

 今し方片付けを終えたキッチンを見渡して、私は一つ息を漏らす。幾分かすっきりとした冷蔵庫と棚、ピカピカに磨き上げたシンクに十分な調理スペース。

 片付けて大分作業し易くやったキッチンで始めるのはハンバーグ作り。手順はちゃんと覚えてるけれど、ジョンさんメモのお陰でもうワンランク上のものが作れそう。そうなると俄然やる気も出てくる訳で、私はうきうきとした気分で調理を始めるのだった。

 男の人らしい、大雑把な文字と説明で書かれたメモには所々重要なポイントが書いてある。それは私の知らない香辛料の名前だったり、全く知らない手順だったり様々で、事前に材料を全て買っておいてよかったと思う程。

 一々感心しながら作業を進めれば後はハンバーグに火を通すだけの状態になり、お腹を空かせたおじさんが部屋から出てくる。

「お、ハンバーグか!」

いいねえ、と顎を摩るおじさんは、肉は好物だと嬉しそうに笑い、片付いたキッチンを見回すと、今度は驚いたように目を見開く。

 もしかして片付けない方がおじさんにとって使い勝手が良かったのかも知れない。

「あの、落ち着かなかったので片付けちゃいました。不都合があったらごめんなさい」

何かを言われるのが怖くて真っ先に頭を下げ、おじさんの様子を伺っていると下げた頭に暖かい感触。

「何言ってるんだ。むしろ有り難いよ。片付け大変だったろう、ごめんな」

「いえ、好きでやった事なので、お礼なんてとんでもないです……あっ」

これでよかったんだと安心したのも束の間、ぱちぱちと油が跳ねる音が聞こえて、そういえばフライパンを火にかけたままだったと気付く。大慌てで火加減の調整をして中身を確認すれば、幸い焦げてはいなかったようで、今度こそと胸を撫で下ろす。

 それにしても、おじさんが隣にいてはどうにも落ち着かない。手際が悪いのも、不慣れなのも、恥ずかしいからあまり見られたくないのだ。

「もう少しで出来るので、山葵と遊んで待ってて下さい」

ね、とおじさんと山葵を追い出して、にんじんのグラッセとマッシュポテト、サラダと簡単なスープを盛り付ければもう完成。ハンバーグをお皿に乗せてソースを掛けて――

「おじさん、出来ました!」

ジョンさん本当にありがとうございます。とっても美味しそうに出来ました!

 向かい合って座るおじさんの部屋。テレビではお洒落なお店のお洒落な料理の特集が組まれていてそれは私の知らない世界。

 いただきますと手を合わせ、一口食べれば賄いでたまに食べているお店のハンバーグとほとんど同じ味。我ながら上出来だと感心していればおじさんもまた、これは美味いと感心しているようだった。

「洋食店のハンバーグの味だな」

「はい、洋食店のレシピですもの」

それからおじさんにする事はネタばらし。お店の人にレシピを教えてもらって作った事、ずっとお礼がしたかった事、ハンバーグとオムライスが好きだという事、食事をしながら楽しく話をして、最後にジョンさんからもらったメモを見せる。

「全部これのお陰なんですよ」

するとおじさんは心底安心したような、嬉しそうな表情でメモの隅を指差して言う。

「良い仲間に恵まれたんだな。良かったよ」

おじさんが指差すメモの右下、そこには決して綺麗とは言えないけれど、でも他の文字とは違う、丁寧な字で五文字、"がんばれよ"と小さく書かれていた。

「ああ、気付かなかった……。皆、いい人なんですよ。優しいし、一緒にいて楽しい。私、初めてなんです。おじさんとも、バイト先の人達とも、ここまで人と仲良くなれた事って、今までなかったので、新鮮です――」

 空の食器が並ぶテーブル、お茶を飲みながら話すのは二人の好きな事。

 私はお肉が好きで、おじさんもお肉が好き。私はうどんが好きだけど、おじさんは蕎麦が好き……そんな些細な事から、おじさんの好きな作品、ゆっくり休もうと決めた時は何をして過ごしているか等、色々な事を聞いた。

 まだまだ話したい事は沢山あるし、知りたい事だっていっぱいあるけれど、一先ず食器を片付けなければならない。

 洗い物をしようと立ち上がれば、後ろからおじさんに呼び止められる。

「なんでしょうか?」

「すまんな。おじさんからもネタばらしと、嬢ちゃんへのプレゼントがあるんだ」

そう言っておじさんが取り出したのは小さな紙袋。開けてごらんと促され、中を見れば赤と白のイヤリング。

「可愛い。ありがとうございます。この花は……梅、ですね」

丸みを帯びた五枚の花弁は紛れもなく梅の花。耳に付けてみればおじさんは似合っているよと満足気。

 しかしネタばらしとは一体なんの事だろう……。名前の事か、あるいは、と考えてみても他に思い当たる節はない。首を傾げて考えていればおじさんは恥ずかしそうにこう言った。

「前に嬢ちゃんにやったプレゼント。あれは俺が選んだ物じゃないんだ」

前に貰った物と言えばポーチとパスケース。

 確かに、おじさんが選ぶ物とは到底思えないけれど、その違和感なら貰った時に既にあった。おじさんが選んだものではないならきっと――

「都さんが選んでくれたんですよね。センスが男性のそれとは違ったので、なんとなく違和感はありましたよ」

「なんだ、気付いてたか。いや、な、都ちゃんに嬢ちゃんの事、度々相談に乗ってもらってたんだよ。それで、嬢ちゃんへのプレゼントを選んでもらったんだが……なんというか、今日は自分で選んだ物を贈りたくて、な……」

気に入ってもらえただろうか、もじもじと聞く様子はおじさんらしくなくて、なんだか可愛らしい。気に入ったかどうかなんて、そんなの決まっているじゃない。

「私、梅の花好きなんですよ。お気に入りにしますね――」


 梅の花は好き。鮮やかで美しい紅、儚げでいて厳かな白、そして可憐な薄紅。

 そのどれもが小さくて、可愛らしく、良い匂いがする。梅のそんな所が大好きで、それこそ、桜よりも好きかも知れないという程。

 幼い頃は春になると家族で梅を見に行っていた。父と手を繋いで、母がベビーカーを押して、そこには妹がいて……それは日差しの暖かい、春の思い出――

 おじさんが自分で選んでくれた物をプレゼントしてくれた事が嬉しかった。

 プレゼントが自分の好きな物だった事が嬉しかった。似合っていると褒められたのが嬉しかった。私は今、幸せだ。

「本当にありがとうございます」

もう一度お礼を行って立ち上がり、洗い物を始めれば隣には腕捲りをしたおじさんの姿。

「美味かったよ。ありがとな、嬢ちゃん。俺も手伝うから、何をすればいいのか教えてくれ」

「じゃあ、布巾で食器拭いて下さい」

2DKの狭い部屋、キッチンに二人並べばおじさんとの距離がぐっと近付きどきどきしてしまう。

 結婚、したらこんな感じなのかな、なんて付き合い始めたばかりなのに遠い未来の事まで考えて、幸せで、恥ずかしくて、なんだかとっても顔が熱い。

 隣にいるおじさんは私のこんな想いに気付く訳でもなく、鼻歌交じりに食器を片付けているものだから、余程機嫌がいいのだろう。それなら……話を切り出すなら今しかない――


「あの、おじさん」

ずっと気になっていた疑問を投げかける時がついにきた。

「私の名前、知っていますよね。この間、おじさん私の事名前で呼んでくれたじゃないですか。どうして、知っているんですか?」

ぴたりとおじさんの鼻歌が止まる。

 そう、私はまだおじさんに名前を教えていない。そしておじさんは私の名前を聞いてくる気配もない。

 単純にあの日の事が気になっていた。どうしておじさんが私の名前を知っていたのか、どうして私に謝る事があったのか……。

「おじさん?」

すっかり黙ってしまったおじさんにもう一度問い掛ければ、おじさんはついに口を開き、訥々と、語り出すのだった――

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