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正々堂々いらっしゃいませ

 おじさんの家から逃げ帰ってから一週間。

 私はバイト以外では一歩も外に出ない生活をしていた。つまり、あれから一度もおじさんと会っていないのだ。

 電話は掛かってくるけれど私はそれを無視していて、メールに至っては開いてすらいない。

 それでもおじさんは毎日午前二時に自販機の前に来ていて、頻りにこちらを気にしていた。会おうと思えば会えるのに、どうしても一歩踏み出せない。

 あの日、あの時、おじさんは私に何を伝えようとしていたのだろう。気になるけれど、でも、駄目なのだ。

 別におじさんの事が嫌いになった訳じゃない、好きで好きでたまらないけれど、あの日の、あの女性、都さんの事を考えるとどうしても苛々してしまう。

 都さんはおじさんの名前を知っている。おじさんの家の合鍵だって持っている。私が知らないおじさんの事をいっぱい知っている。それより何より――


 私は貴方の味方ですから、いつでも頼ってくださいね――


 私が言いたくても言えなかった言葉を言えてしまう程、おじさんと距離が近い。

 醜い嫉妬だと笑われても仕方ない。そんなの自分でもわかっている。

 でも、それを隠せない程に私の性格は幼稚で、子どもで、未熟だった。私はおじさんから逃げ出してしまったのだ。今更どんな顔をして会えばいいのだろう。

「ほんと、意地っ張りで参っちゃうな……」

 いつだってそうだ。臆病な私は事ある毎に自分の積み重ねてきた物を崩して、リセットしてきた。

 新しい環境に身を置く度に、新しい自分になれた気がして、それが嬉しかった。

 本当はそんな事はないと、私は私でしかなく、何をしようが結局何も変わっちゃいないのだと気付いたのはいつだろう。多分、就職してすぐ、だっただろうか。

 私と周りとでは積み重ねてきたもの、将来のヴィジョンが違っていて、そこで初めて気付いた。

 それで……案の定私は途中で仕事を辞めて、引きこもって……。それから、おじさんと出会って、今度こそ変われると思っていた、変われたと思ったけど、やっぱり私は私だった。簡単には変われないんだ。

 ぐちゃぐちゃに絡まってしまった心が痛い、解けなくて、難しい――


 コンコンと響くノックの音、ベッドに寝転がったまま返事をすれば妹の声。

 一緒にお昼ご飯を食べようと言われリビングに向かえば母がお昼ご飯の支度をしていた。父の姿が見当たらない所を見ると、恐らく今日は仕事なのだろう。

 父は昔から忙しい人で、仕事の付き合いで帰りが遅くなる事も多かった。小さい頃、もっと遊んでほしいと不満を口にした時は、偉くなると休めないんだよ、なんて、いつもはぐらかされたっけ。

 今考えてみればそれは至極真っ当な解答だったと思うけれど、子どもの頃の私にはよくわからなかったんだ。

 食事に備えて食卓の上を片付けていれば、父は今日仕事関係のパーティーがあるのだと、母が教えてくれた。そう言えば仕事柄か、父は交友関係も広い。

 私が就職できたのは父のお陰なのだと上司に言われ、父にお礼を言った時、そんな覚えはない、と言われたけれど、私が父の娘だというだけで就職出来るぐらいに、父は名前の通った人間なのだ。やっぱり忙しいのも無理はない。

「ぼけっと突っ立ってないではい座った座ったー」

「ひっ!」

視界の端から食器を持って飛び込んでくる妹に驚き、肩が跳ねる。お皿の上には綺麗な黄色のオムライスと、妹の右手には

ケチャップ。

「これは……?」

「姉上の元気が無いみたいなので妹の私が直々に落書きして進ぜよー!」

にっかり笑った妹は食器をテーブルの上に置くと椅子を引いて私を座らせる。

 腕まくりをしてオムライスに書きはじめたのは可愛い猫の絵と私の名前、それからハートと"Love"の文字。手馴れた手つきはまるでテレビで観た事のあるメイド喫茶の店員さんで、どうよと満足気な妹の姿はなぜか可笑しく感じて笑いが堪えられない。

「えー、お姉ちゃんひどい! なんにも可笑しい事ないよ?」

「ごめんごめん。なんか面白くて……ありがとね」

素直に謝ってお礼を言って、そうすると妹の表情はころりと笑顔に変わる。

 さあ召し上がれ、なんてまるで自分で作ったかのよう。母も隣に座って、三人でのお昼ごはん。

 久々に食べる母のオムライスは、私の好きな少し固めに焼いた卵に包まれていて、中身はベーコンと野菜のケチャップライス。懐かしい味が嬉しくて、思わず涙が出そうになってしまう。

 折角外に出るようになったのに、折角家族とお話出来るようになったのに、おじさんとばかりだったから。家族との時間を忘れてた。

「ごちそうさま。美味しかったよ。あと、ありがとう……」

 おじさんの事ばかり考えていても仕方ないし、ここは一度気持ちを切り替えて、落ち着いたらおじさんと話をしよう。だから今は、ごめんなさい。一言メールを打って送信する。

 今は、これでいい、十分、だと思った。

 お姉ちゃん――食事を終えて出掛ける準備をしていた私に妹が声を掛けてくる。一体どうしたのかと問えば、これから用事があって外に出るから途中まで一緒に行こうとの事だった。

 妹と外に出るのはこの間、妹の通学に付き合った時以来。色々話したい事もあるのだろうと思い了承すれば、妹は急いで準備しなければと慌しく準備を始める。

 しばらくして戻ってきた妹はいつの間に覚えたのだろう、化粧をして、すっかり大人の女性になっていたものだから思わず二度見してしまう。

「私ね、知ってるよ。お姉ちゃんに好きな人がいる、って」

色素の薄い、焦げ茶の少し癖のある髪の毛をゆるく巻いた妹は、私の知らない女性だった。

 この子はこんな顔をする子だったかな――私の知らない間に妹は随分と大人になっていて、なんだか負けた気分になってしまう。

「よくわかったね」

 なんでも妹は、私が毎晩外に出ている事には早々に気が付いていて、窓から外を見た時におじさんと話をしている私が見えたものだからとずっと気にしてくれていたみたいだった。

「怪しいおじさんだったから心配だったんだけど、お姉ちゃん楽しそうだったし、いいかなって。でも最近お姉ちゃん元気ないから、やっぱり心配でね。まだ子どもの私なんかが口出し出来る事じゃないと思うんだけど、その……私で良ければいつでも話聞くから、ね」

 お節介だったらごめん――妹はそう言って俯いた。

 お節介だなんて、とんでもない。気にしてくれていた事、声を掛けてもらえた事が嬉しいんだ。何をするかとか、何かをしてもらうとかじゃない、ただ気持ちに寄り添ってもらえれば、それだけで――

「十分過ぎるくらいだよ。ありがとう。嬉しいよ」

 昔、私は妹の社交的で、誰とでも仲良く出来るところに憧れていた。でもただ憧れていただけで、妹がなぜ社交的なのか、どうやって周りと関係を築いていたのか、そんな事は今まで考えた事がなく、ただただ妹のようになりたいと願っていた。

 願うだけでは妹のようにはなれない、そうなる為には寄り添う姿勢が大事――今更気付くだなんて……。

 あの時も、あの時も、今の妹のように、おじさんに聞けば良かったのだ。断られる事に、拒絶される事に怯えていて、素直に気持ちを伝えられなかった事が悔しい。

「お姉ちゃん、あまり無理しないでね」

そう呟いた妹が玄関扉に手を掛けた。

 彼女の足元にはパステルピンクのパンプスで、扉を開き、一歩踏み出せばふわり、靴のリボンが揺れる。

「大丈夫。なーんも無理してないよ。だって大分楽になったもの」

 にっかり笑って外に出て、そうすると妹は私の腕に絡み付いてきた。

 なんの真似かと問えば、こうすれば男の人は喜ぶんじゃないの、なんて嬉しそうな顔をするものだからお姉ちゃん的にはなんと言えばいいのか考えてしまう。

 まだ早いんじゃない、ではなくて、あからさま過ぎ、でもなくて――

「もー、そんな困った顔しないでよー。なんて返せばいいかわかんないってのが丸分かりだよ?」

「あ、ごめ――」

「謝らなくていいよ。お姉ちゃんは人を傷つけないようにちゃんと考えて喋る人だって事、私知ってるもん。今のは私を子ども扱いしないようにー、って感じでしょ? お姉ちゃん、人の気持ちに敏感だから、だから考えなくてもいい事まで考えちゃうような……私、お姉ちゃんのそういう優しすぎるところ大好きだよ」

 人の気持ちに敏感だなんて、思った事が無かった。自意識過剰の五文字で片付いてしまう私の性格はどうにも厄介なもので、気持ちの変化に気が付いても、どうして落ち込んでるのかも分からないし、その人が欲しい答えだって分からない。

 察しがいいのか悪いのか、とかく私は不器用な人間で、そんな自分の事が今までずっと、嫌いだったけど……今なら大丈夫。

「ああ、本当にもう、嬉しいなあ。ありがとね。今のでなんか吹っ切れた。お姉ちゃんまだまだ頑張れそうだよ」

少し、涙もろくなったかな。なんだか泣いてしまいそう。

 ぐっと堪えて微笑みかけて、二人並んで歩き出す。天気が悪いとぼやく妹に合わせて空を見れば、今日の天気は生憎の曇り。それはさっきまでの私のようで、大丈夫、なんて根拠もないけど笑い飛ばしてみせる。

「すぐに晴れるよ。だから平気」

 あまり遅くならないようにと念を押し、妹とは反対方向へ行く電車に乗り込んで、携帯電話を開く。未読メールの一番上、さっき届いたばかりのメールの差出人はおじさん。


“待ってる”


 僅か四文字の本文に、どうしてここまで嬉しくなるのだろう。

 これからどうなるのかなんてわからないのに、もしかしたら私の恋が終わってしまうかも知れないのに、緊張しているのに、不安なのに――心地良い。かちかちと動く私の指が打つのはおじさんへのメール、ではなくミケさんへのメール。

 相談したい事があるんです――

 おじさんにごめんなさいと謝って、そのまま済ませるぐらいじゃまだ足りない。

 どうせならおじさんをモノにするくらいの勢いでいくつもりだけど一人で考えていても埒が明かない、そう思った時に真っ先に顔が浮かんだのがミケさんで、彼女ならきっと相談に乗ってくれるだろうと思ってメールを打ち始めたのだった。


 返信はミケさんにしては思いの外早く、電車を降りてバイト先に着く頃にはもう届いていた。

「じゃあバイト後にでもどうですか、か」

 そっか、ミケさん今日出勤だったんだ。明日はお店も定休日、この様子だとがっつり夜遊びする事になりそうで、なんだかわくわくしてしまう。

 ミケさんには聞いてもらいたい事がいっぱいある、アドバイスだってもらいたい。

 かちかち、おじさんに宛てたメールには、あと少し、待っていて下さいと一言。送信ボタンを押すと同時に開いた扉の先には、スマートフォンを持ったミケさんがいて、彼女は小さく手を振った。

「小鹿さん、おはよーございます」

「おはようございます。ミケさん」

 バイトの後は作戦会議ですよ、なんて笑うミケさんは、飄々としているのに心強くて、ひゅるり、不安な気持ちも吹き飛んでしまった。


 今まで臆病になっていた私だけれどもう平気。優しい妹と、頼れる友達がいるから大丈夫。

 さあおじさん、心の準備は出来ました。後は作戦を練って、気持ちを伝えるだけです――

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