狼将軍の将来について
むっつり故に脳内だけ常時暴走してるのが狼将軍です。
孤高と思われがちな狼将軍だが、彼にも友人という者が一応居る。その内の1人がケルツァー大佐といって、軍学校時代は寝食を共にした仲だ。階級こそ違うも、彼にため口を利く数少ない人物である。そんな彼が所属するのは第1部隊8課、所謂陸軍諜報部と呼ばれる場所だ。狼将軍率いる特務部隊と職務が被る事も多く、互いに密接な連携関係を築いているので両者の行き来は激しい。
そんなケルツァー大佐が狼将軍に関するとある噂を耳にしたのは本当に偶然だった。というのもこの特務部隊、その特異性故か所属する者達は口が非常に固いのだ。食堂や酒場で知り合いに会えば、互いの職場の愚痴を言ったり、上官への文句の一つや二つ零すものだが、特務部隊の者達はそういうのが一切無い。そもそも違う所属部隊と積極的に交流するのはほんの一部で、大抵身内同士で全てを完結させている。結束力の強さは有名で、かの部隊が謎に包まれているのもそういった事情が大きい。彼等の“噂”はあくまで特務部隊内部の話で、それ以上外へ広がることはほぼ無い。たとえ諜報部だろうと例外ではなく、ケルツァー大佐が今し方聞くまで全く知らなかったのもその為だ。
しかし、一度聞いてしまえば無かったことには出来ない。実際噂とはそうして広がっていくのだから。事の真偽を図るため、早速ケルツァー大佐は先日某所で行われた違法薬物の一斉検挙について認めた報告書を片手に執務室を訪れていた。
「新しい彼女が出来たんだって?!」
ノックもそこそこにバァンと豪快に扉を開け放ったケルツァー大佐は、開口一番そう叫んだ。報告の途中だった部下は口を開けたまま固まり、グランティルドは眉間に皺を刻みこんで侵入者を睨めつける。だが慣れたケルツァー大佐の前では彼の殺人光線はこれっぽっちも効かなかった。それどころか、棒立ちになった部下を押し退け目の前に陣取る厚かましさに、容赦するグランティルドではない。机越しに彼の左腕が唸るのと、執務室の窓ガラスが割れるのはほぼ同時だった。
狼将軍は例え相手が身内であろうと、王族だろうと、彼女の家族だろうと、やっぱり狼将軍のままである。一方的に捲し立てるケルツァー大佐の一切を無視して、彼の興味はその背後に立つ者へと向けられていいた。ケルツァー大佐の部下である彼、ハスファル・シル・テュールローザといい、目下交際中の彼女の兄に当たる人物である。時には修羅場にもなりかねない場面であるが、醸し出す威圧感の前に怯える様子から、その心配は全く無用の長物であった。図らずも部下を経由して相手の正体を知った副官の目には、巨大な狼が柵越しに子猫を苛めているようにしか見えない。この柵というのがケルツァー大佐で、彼がここにいなければハスファル青年は一目散にに逃亡を果たしていただろう。狼将軍の眼光を浴びながらも辛うじて留まっている根性に感心しつつ、これでは埒が明かないと空気を変えるためにお茶を淹れた。
狼将軍は些細な匂いの変化にも敏感だ。副官が淹れた安物の茶葉の香りに、彼は漸く不躾な視線を外す。この年に似合わぬ童顔の青年が、彼の愛しい花の血縁であることは本人から聞いていた。成る程、微かな体臭は彼女とほんの少し似ている部分はあったが、彼女の父のように若干異なるというよりも此方はより獣臭く、お世辞にも好ましいとは言えない。今は咲き初めの花であるが、あと数年もすれば集る害虫は増えるだろう。勿論その隣で駆除するのは夫たる自分の役目である。だが、彼では常時彼女の側で守ることは出来ないだろう。そこで留守中の彼女を守る役として目を付けたのが、この青年だったが……ケルツァー大佐の部下というからにはそこそこ使えるのだろうが、任せるには少々頼りない。それが彼の下した評価だった。
以上が既にグランティルドによって定められた将来設計だったが、ケルツァー大佐はおろかハスファル青年が分かる訳もなく。ただ観られているという行為に酷く怯えていた。現在、19歳の彼は正式に任官されてからまだ2年ほど。下っ端も下っ端である。母親の血を濃く継いだ彼は先祖返りとまでいかずともそれに近い能力を有し、将来を嘱望されて今の職場に配置された。現在ではメキメキと頭角を現しており、隠密として確かな成果を挙げている。何でもありの勝負ならば早々負けないという自負もある。
だがどうだろう。この狼将軍のような強者の前では、彼などちっぽけな存在でしかない。やる前にやられる、そもそも立ち向かおうとする気概すら起きないのだ。精々尻尾を巻いて逃げ出すことだけである。これが“狼将軍”かと畏敬の念を感じながら、ケルツァー大佐を蹴りつけている将軍を見る。
彼が大佐のSOSに気付くのはもう少し後のことだ。
狼将軍は有言実行の男である。口にしていない未来が果たして叶うのかどうか、それは当の本人による努力次第だ。