第二話:主人公の名前を入力してください
空間が閉ざされたことによって、魔物の追手がいなくなったとはいえ、まだ安心できる状態ではない。
教会下に作られた地下道は深い場所に位置する。深さは約七メートル。当然、いつもなら地下道に下りるために長いはしごやをロープを使用しているくらいだ。
しかし、そんな時間のなかった二人はノーロープバンジージャンプをしているのと同様、自由落下をしていく。
脱出孔を閉じるために教会内に魔法を放ち終わったエレナはすぐに次の行動に移った。
下を見渡し、ぼんやりとした光を放つ地点がどんどん近づいているのを確認した。
光を発しているのは『サンストーン』と呼ばれる、火属性の魔力がこもった石だ。人肌より少し温かく、発光するという性質を持つ。
普段の脱出方法――地下道へロープやはしごを下ろす際の目印として設置してあるのだった。
今回の場合でも十分目印として役に立つ。
エレナはサンストーンの光を頼りに地面までの距離を把握する。
(あいつが先に落ちてるから少し早めに魔法を使わないと…………今!)
地面から約三メートル離れたところでエレナは魔法を使用する。
「浮遊風!」
エレナが呪文を唱えた直後、地下道にどこからともなく風が吹く。
突如として生まれた風は上昇気流となって二人を包みこみ、そのまま彼らの体を浮かせる――はずだった。
(そんな! 風が弱い!?)
エレナは自分を吹き付ける風がいつもと違うことにすぐに気付く。
下から吹き付ける風は落下の速度をわずかに緩めただけ。人間の体を浮き上げるほどの力がない。
高位魔術師のエレナが呪文の詠唱をミスするはずもなく、その理由は単純明快。
エレナの魔力切れである。
膨大な魔力を必要とする召喚に加え、確実に逃げ切るために立て続けに強力な魔法を放った。そのため地下道に向かう空間に入ったときには、すでにエレナの魔力は底を突きかけていたのだ。
(せっかくここまでがんばったのに……)
緩まったとはいえ、致命傷を負うには十分な速度で地面に向かっていく。魔力の尽きたエレナにそれを回避する方法はない。
(お父さん、お母さん先に……ごめんなさい……)
エレナは目を瞑り、死を覚悟した。
……ズドンッ!
暗い地下道に地響きが広がる。二人が落ちたのはサンストーンに近く、辺りは明るい。
「あ……れ……?」
サンストーンの光を感じたエレナ。自分の体に痛みがないのを疑問に思いつつ、おそるおそる目を開ける。
「よっ、大丈夫か?」
エレナの目のすぐ前には自称勇者の顔があった。それもそのはず、エレナは彼によって受け止められていたからである。――お姫様抱っこのようにして。
彼の問いに対して、こくりとうなずくエレナだったが、自分の今の格好が恥ずかしくなり、すぐに顔を赤らめて彼から飛び降りた。
「おっ、確かに元気そうだな。一応勢いは殺したつもりだったんだけど、ちょっと心配でさ。ほら、抱いて受け止めるって立体的な動きだろ。だから慣れてなくって……。まあピンチに強い主人公補正はこの世界にも通用しているみたいで助かった!」
相変わらず彼の言っている言葉はよく分からないものが多いと感じるエレナだったが、どうしても気になることが一つあった。
「君こそ……体は大丈夫なの?」
普通あの高さから落ちて無事であるとは到底考えられない。なのに彼は何事もなかったように平然としているからだ。
「はぁ? 大丈夫なわけあるか! 無理やり引っ張って斜め移動させるとかマジで辛かったぞ。変な乗り物酔いみたいな感じで、今もちょっと……思い出したら気持ち悪くなってきた……」
自称勇者は口元に手を当てる。
「いやそっちじゃなくて足とか怪我してないかってこと! 無理してないでしょうね……」
「あっ、それなら全然平気。あれくらいの高さなら問題ないぜ。崖から落ちるとかしょっちゅうあることだし」
「しょっちゅう!? それでよく生きてるね……」
エレナは魔物と戦う日常でさえ、崖から落ちるなんて場面に遭遇したことはない。
「主人公補正のおかげさ!」
「はぁ」
ビシッと親指を立て、ドヤ顔で言い放つ彼に対し、エレナはため息をつく。
そのため息には『またわけの分からないことを……』という呆れと『やっぱり強者だ……。召喚は成功していたんだね……』という安堵の二つが含まれていた。
「深く考えるのは止めにしよっと。それより、ここなら魔物の追手も来ないし、お互い自己紹介でもしない?」
「オーケー!」
彼が即答する。
「じゃあ私から。私はエレナ=アーヴィル。年は十八。魔術師をしていて、魔法の腕には自信があるよ。使える魔法は火と風かな」
「エレナ……ね。魔術師かー。魔物も軽々吹き飛ばしてたし、結構強いんだな」
「えへへー。この世界で上位に入っている自信があるよ!」
実際、魔術師としての力量はまだ駆け出しとはいえ、平均をはるかに超えている。潜在的な力、魔力の容量は上から数えると十本の指にも入るほどだ。
「へぇー、俺のパートナーとして、最初にしては十分すぎるくらいだな」
「パ、パートナーって……」
微妙に恥ずかしさを感じるエレナ。
卓越した魔力と才能によって幼いときから訓練を受けていた彼女は同年代の友達などいなく、慣れていない言葉だった。
「さて、じゃあ俺の番だな!」
目の泳ぐエレナにはお構いなしに彼が自己紹介を始める。
「えーと何から言おうか。俺の年はこの世界の時間軸だと……エレナと同じ十八かな。これといって職業とは言えないが、いろんな世界を旅してきているから旅人、冒険者、勇者とかその辺だ。あるときは捕らわれの姫を助けに魔王――竜王とかク○パとかの城に乗り込んで倒したりしたっけなぁ。そんな冒険を数え切れないほどしてきた。まあ全てこことは『次元』の違う世界だったぜ」
「ふーん……いくつも旅してるわりに私と同じ年って若すぎない?」
「いやあ、どういうわけか世界を飛びわたるごとに毎回いろいろとリセットされちゃうんだよなー」
頭を掻きながら彼は答える。
「ずっと若いままなの? それはいいね!」
「――よくねえよ!」
急に声を荒げる彼に、エレナは驚くと同時に申し訳なく思った。
「ご、ごめんなさい……何も知らないで言っちゃって……。毎回冒険なんだもの、大変だよね……」
しゅんと下を向くエレナに彼はあわてて声をかける。
「いやいや別に楽しいから、冒険はいいんだよ。俺が怒るのはリセットってところ。年だけならまだしも力まで最初からなんだぜ。『せっかく前の世界でレベル上げたのに』って、違う世界の赴くたび思っているだーけ」
「そ、そうなの……」
フォローを受けたエレナだったが、失言には変わりなかったと心の中でつぶやく。
がんばっていたことが無駄になるのだ。そんな彼の心中を少しは察することができた。
「ああ、それだけさ。それに今回はいつもと違って悲しむことはない! なぜかリセットがかかってないみたいなんだよ! 装備もそのままだし。強くてニューゲームならぬ強くて別ゲームきちゃったか? いますぐにでもラスボス行けそうだ……いやでもこの世界の戦い方には慣れておきたい……」
「まあなんにせよすぐには無理よ。だって敵の本拠地と思われる場所は結構遠いから。それより大事なことが聞けてないんだけど……」
少し考える素振りを見せる彼だったが、質問の意味に気付いたのかパンッと手を打った。
「ん?……ああそうか性別だよな。物語の冒頭、男の主人公か女の主人公かは大事だから。俺はもちろん男だ!」
「そんなの見たら分かるって!」
怒るエレナに対し、彼は諭すように答えた。
「いやいや人を見た目で判断したらいけないって。最近ではどうみても女性にしか見えない『男の娘』や、男装して主人に仕える『女執事』とか流行っているみたいだし」
勇者としての出番がなくて暇な間、流行を念入りに調べていた彼であった。
「何それ!? 見たことも聞いたこともないんだけど!」
「そうなのか!? やっぱりRPGにはまだ入ってきてないのかー。もしかしたらエレナが実は男なのかもと思ったのになぁ……胸全然なかったし」
「男と疑うなんて失礼な――ってはぁ!? ち、ちゃんと見たわけ!?」
性別を疑われるに加え、胸のことを言われ頭に血が上ったエレナが彼に詰め寄る。
「ろ、ローブ着ているんだから見た目じゃそんなわからないでしょ。わ、私は着やせするタイプなんだから――」
「いいや触ったから間違いな――ぐはっ」
エレナの鉄拳が彼のみぞおちにクリーンヒット。幼少期から訓練である程度鍛えられていたエレナの一撃に彼は地面にひざを着いた。丈夫な体も無防備に急所をつかれてはダメージが大きい。
「いつ!?」
「げほっ、ごほっ……受け止めたときにちょっとだけ……」
彼はよろよろと立ち上がる。
「興味があった。後悔はしていない!」
「反省しなさい!」
エレナの次の一撃が顔めがけて放たれる。――しかし警戒していたのか、さすがに受け止められた。
「ちょっ、顔はまずいって……、痕に残っても服で隠せないじゃん……。見た目が変わるのはまずいだろ、ゲーム容量的に……」
なぜか必死な表情の彼。
「まず他に言うことがあるんじゃないかしら~」
「分かりました! すみません! もうしません!」
すごい剣幕のエレナにひるんだ彼はようやく謝り、この場は収まった。
「すー、はー、よしっ」
エレナは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから先ほどしようとしていた質問をする。
「でね、私が聞きたいのはあなたの名前よ、な・ま・え! このままじゃ呼びづらいじゃない」
「へ?」
彼は不思議そうな顔をする。
「名前なんてまだねえよ? 召喚したエレナが決めるに決まってるじゃん。俺はいつ名付けるんだろうなーってずっと待ってたんだぜ?」
「えっ……えー!」
予想だにしていなかった彼の一言にエレナはしばらく固まった。
ようやくレトロゲームから来た勇者の名前が次話で決まります。
べ、別にまだ決めかねているわけじゃないんだからね!