第一話:十字キーで移動です
「いやー、最近出番ないなーと思ってたらこれだよ、噂に聞いていた3D世界! まさしく一つ上の次元の世界に挑むってわけだな! くぅ~、わくわくするぜ!」
「…………」
あまりにテンションの高い男にかける言葉の見つからないエレナ。
「やっぱりまずはこの世界の感触を確かめないと、いや確かめたい! ……おっ! ちょうどよく人もいるじゃーん!」
「ひっ!」
急に振り返り、手をもみもみ、うねうねさせて真っ直ぐこちらに寄ってくる男に、恐怖を感じたエレナは壁際まで後退する。
(別の意味で襲われそうなんだけど!)
そう思ったエレナだったが、変質者のような動きのする男は途中でふと足を止めた。
「おっと。さすがに女性に触るのは失礼か。新しい世界なんだ。ゲームオーバー、牢獄エンドがないとは言い切れないし。それなら――」
「…………。あわわわわ……」
急に自分の体をまさぐり始め、「掴むってこういうことか! いままで張り付く感じだったからなー」とか、「やばっ、肌もカクカクしてない! なめらかでふにふに!」とか言って喜ぶ目の前の変態的な男を前に、エレナは口をパクパクさせることしかできない。
エレナは次第に、この召喚は失敗、『強者』ではなく『キワモノ』を呼び出してしまったと思い始めるのであった。
しかし、こんなところで悠長にしている暇なんてない。
エレナは魔物の囲まれた町の状況を思い出し、意を決して男に話しかける。
「ねえねえ、君ってヘンタ――いや何者?」
思わず率直な感想が口から出てしまいそうになるのをグッとこらえ、尋ねる。
男は手を止め、こちらに向き直った。
「おお悪い悪い。新鮮な世界に興奮しちゃって自己紹介が遅れた。……ただなんて説明すればいいかなぁ。えーと、いろんな世界を旅してそのたびに救ってきている……簡単に言えば勇者ってことになるな」
「へぇー……そうは見えないんだけど」
疑惑の眼差しを自称勇者に向けるエレナ。
その目に彼は戸惑った。
「あ、あれぇ!? そこは『おお、あなたが勇者様ですか』とか迎えてくれるんじゃないの!? ……おっかしいなー。いつもだいたいこうなのに……。やっぱ最近の趣向は下から駆け上がってくるのが人気なのか? ……じゃあいいや。今のトレンドに合わせていこっと」
「はぁ……」
思わずため息が出てしまうエレナ。言葉や単語は分かるのにこれほどまでに意味が理解できないことがあるとは思わなかった。
ただこのことで一つはっきりした。彼が世界を渡っている、異世界から来たのは本当だろう。
(じゃなきゃただの変人! ……変人を召喚しただけだったら恥ずかし……大丈夫! そんなことはない! 自信を持て私!)
エレナは自分に言い聞かせる。
「でさ、今回は何で困ってるんだ? 俺を呼んだってことはそれ相応の自体がこの世界で起きてるんだろ?」
「そ、そうなの! 話が早くて助かる! よかったー、やっぱり力を貸してくれるんだよね、うん」
助けてくれると知り、エレナは少し安心した。
「でも今は長々と話している時間がないの。まずはこの町から脱出しなきゃ」
「えっ! 脱出ゲーム!? すまん! ちょっとそれは力になれないかも……」
「いや遊びじゃないからね! 魔物に囲まれてるの! 急がないと殺されちゃうの!」
「よかったー。俺の得意なジャンルだ」
「ホッとすること何一つ言ってないんだけど!?」
エレナはやっぱりこの自称勇者、放っておこうかな、とも少し考えた。
――とはいえ剣も鎧も装備しているので一応は戦力になると考え直す。それにこんなやつであれ、一ヶ月かけた努力の結晶。もったいなさを感じるのが本音だった。
「街の外へ避難するための非常用の脱出口がいまいる教会の大広間、大きな鐘の真下にあるの。まあ私に付いて来て!」
「おっけー」
「じゃあ行くわね。……魔物が建物内にいないといいんだけど。いまさらになってあんたが騒いでいたのが心配になってきちゃった」
そーっと扉を開け、大広間に向かう廊下を確認するエレナ。まだ昼ごろ。廊下の窓からは光が差し込み、廊下の奥まで見渡せる。そこに魔物の姿はなく、足音、魔物の声も聞こえなかった。
「大丈夫みたいね……ただちょっと一つ聞いていい?」
「何だ?」
「なんで……壁伝いに歩いてるの?」
エレナが不思議に思うのももっともである。
先ほどまで話していた場所は一つしかない部屋の扉から見て中央奥。この扉は部屋の隅にある。別に障害となる物もないのだから真っ直ぐ歩いて来ればいい。なのに彼は扉の正面の隅まで真っ直ぐ歩いた後に直角に曲がって扉の前までやって来たのだ。
「いやあ、癖というか、斜め移動なんてしたことなくてさぁ。なんか移動方法がよく分からん」
「君の言ってることの方がよっぽど分からないよ! ――っと、もうー私まで大声出しちゃったじゃんかー……」
慌てて声を殺すエレナ。
「魔物も見当たらないけど、念のためゆっくり進もうかな」
「へーい。……ついに冒険開始だな!」
二人は魔法陣の描いてある部屋から出て、左へ真っ直ぐ歩き出す。外からは魔物の鳴き声がギャアギャア聞こえてくる。まだ近くに結構いるらしい。
エレナは廊下の突き当たり右手、三百人は余裕で入るであろう大広間に通じる扉をそーっと少しだけ開く。
「!?」
――が、すぐに閉める。
大広間、建物の外に通じる荘厳で、きらびやかに装飾された、縦横三メートルもある大きな扉の前に魔物がいたからである。
種族は『リザード』。皮膚全体を硬いうろこで覆われ、頭は爬虫類のとかげの様。二足歩行で剣を装備している魔物だ。
それほど強いわけではなく、新人の戦士でも十分倒せるほどだ。まして高位魔術師のエレナにとっては相手にならないくらい力に差がある。
しかし問題はリザードが仲間を呼ぶこと。
建物の外には何百といういろんな種族の敵が待ち構えている。見えなかったが教会の扉のすぐ外にもいる可能性だってある。戦闘はできるかぎり避けたい。
エレナは考える。
脱出口は教会の中央の入口、荘厳な扉から真正面に見ることのできる巨大な鐘の真下だ。現在地は大広間の隅、教会入口の右側。脱出口までの距離は魔物の方が短いが、それは問題ない。それよりも鐘の真下に着いてから少し時間が必要なことが……。
「あれどうしたんだ? ここが大広間なんだろ? 早く入ろうぜ!」
「しーっ、静かに! 中に一匹だけど魔物がいるの!」
エレナが大広間に入ろうと急かす自称勇者を叱る。
「じゃあ戦闘だな! 腕が鳴る~!」
「ち、ちょっと――」
彼が勝手に大広間に入ろうとするのを慌てて止めるエレナ。
「バ、バカ! 仲間でも呼ばれたらどうするの!」
「いーじゃん。蹴散らそうぜ!」
「君、数百匹の魔物、一斉に相手できるほど強いわけ……?」
「へっ!? 数百匹一斉!? 無理無理! 仲間を呼ぶって一匹につき一匹じゃないのか!? 数百匹とかなにその無理ゲー!」
すぐさま弱気になる男にエレナは「なんだやっぱりただのはったりか」とあきれる。
「だーかーら、戦闘に勝つんじゃなくて、『逃げる』を最優先するの。 だから……そうよ! 私が魔法を使ったらすぐに巨大な鐘に向かって走ってくれる? いい?」
「『逃げる』かー、別に構わないけど……回り込まれたら嫌だなぁ」
「あいつは遅いから回り込まれる心配なんてしなくてよし!」
「絶対じゃないだろ」
「ま、まぁ躓いて転んだりしたらそうかもしれないけど……ああもう、気にするだけ無駄! 一気に行くよ! そろそろ魔法に集中するから!」
「あっ、そういや魔法ってどんなの?」
彼はワクワクしながら聞いた。
「……まあ見てれば分かるって」
よっぽど自信があるようで、エレナは笑みを浮かべて言った。
「…………」
エレナは集中する。
(狙いはリザード……それにいるかもしれない教会外の魔物……よし!)
エレナは大広間に通じる扉を勢い欲開け、すぐさま魔法を放つ。
「彼方まで吹き飛ばせ、『暴風』!」
唱えたその瞬間、教会の中から外に向かって暴風が吹き荒れる。
荘厳な扉ごとリザード、そして外にいたであろう魔物を吹き飛ばした。
「ひゅー、やるー!」
自称勇者は感嘆の声を上げ、走り出す。
「ち、ちょっとどこ行くつもり!? こっちこっち!」
またもや壁伝いに走ろうとする彼の手を引っ張り、一直線に巨大な鐘に向かうエレナ。
「ちょ、ちょっと待て! う、うぇ……へ、変な感覚……」
「待てるわけないでしょ! すぐ魔物が駆けつけてくるのに!」
鐘の真下にたどり着いたエレナは顔の青ざめた彼の手を放し、巨大な鐘の周りにある数十個の掌サイズの鐘の中から記憶どおりにいくつか選び出し、鳴らしていく。
チリーン……、チリーン……、チリーン……、チリーン……、チリーン……、チリーン……、チリーン……、チリーン……。
八個目の小さな鐘を鳴らし、音が共鳴したたそのとき、すぐ傍の地面にぽっかりとまあるく穴の空いた空間が現れた。
「ウオオオオ、ギャアアアアア」
けたたましい鳴き声やうなり声で魔物の群れが教会内に攻め入ってくる。
「さあ早くこの中に!」
「あーい……」
よろよろと彼が空間の中に入るのを確認し、すぐエレナも飛び込む。
「『暴風』……」
空間に入った直後、エレナはもう一度魔法を唱えた。
ひゅうぅぅぅー…………ゴーン、ゴーン……。
教会内を吹き荒れる風は巨大な鐘をも動かした。
低い鐘の音が鳴り響くと同時に、地面にできていた丸い空間は閉ざされた……。
レトロゲームと題名につけていますが、スーパーファミコンやフリーゲームのツクール2000を意識して書いています。