約束の指に赤い糸
学校は始まったばかりで、校内に残っている人もまばら。食堂の窓際の席で授業のカリキュラムとにらめっこ。
げっ、この先生の授業取りたいのに必修と丸かぶりだ。
シャーペンで頭を掻きながら、曜日ごとに時間割を組んでいく。
「隣いいですか?」
「あ、どう…ぞ」
隣に座った人を確認してため息が洩れた。無表情で手許のカリキュラムに視線を戻す。
「え、何?シカト」
「返事して損した」
「またまたー本当は嬉しいくせに」
「煩い。静かにしてよ」
「素直じゃないねー。名前は直なのに」
「………」
無言で睨みつけると、悦は「おー、怖っ」と言いながらも、悪びれる様子もなく、鞄からウォークマンを取り出して音楽を聴き始めた。
進級して早々、ガイダンスにも出席せず遅れて今頃来やがって。と思いながらも、余分にもらっていた資料を悦に渡す。「サンキュー」と言って資料を受け取ると、悦もまた私と同じようにカリキュラムとにらめっこ。
いつもおちゃらけているくせに、こういうことは真剣にやる。根は真面目なのに、いつも見た目だけで判断されてしまう可哀想な奴だ。
「あ、新しいアルバム買ったんだ。聴く?」
「聴く」
差し出されたイヤホンを右耳にはめる。私の右耳と悦の左耳がイヤホンて繋がれる。
「俺のオススメは5曲目」
流れてきたのは落ち着いた感じの曲。相変わらず曲のセンスだけは良い。曲のセンスだけは。重要なことなので2回言いました。
聴こえてくる曲をBGMに、また作業に取りかかる。
「直はこの授業取んの?」
「取るよ。私必要だし」
「じゃー、直が取るならおれもとろー。単位貰えそうだし」
「休んでもノート見せてあげない」
「いや、それ困るわ。マジで」
そんな言い合いをしながら作成した時間割を見ると、結局同じようなスケジュールになった。まあ、目指しているものも似ている私たちは、どうしたって被ってしまうのだけれど。
たった数分しか経っていないのに、悦は一仕事終えたと大袈裟に伸びをしてみせた。
「どうだった?ニューアルバムの感想は」
「良かった。ウォークマン渡すから私のにも入れて」
「お安いご用だ」
私からウォークマンを受け取ると丁寧に鞄にしまった。
特に学校に残ってやらなければならないことはなく、自販機でお茶を買って帰ることにした。大学からそう遠くない場所に住む私たちは、だいたい徒歩で通っている。遅刻しそうなときに自転車を使うくらい。あ、私たちって言っても、もちろん住んでいるアパートは違う。
「そう言えばさー」
「ん?」
「今日直の誕生日だよね」
「…覚えてたんだ」
「当たり前だろー」
そう言って悦は得意気に笑った。
◇
悦と出会ったのもちょうど今くらいの時期。入学したてで、右も左も分からない。知らない人たちばかりで、本当に素敵なキャンパスライフが送れるんだろうか。そんか不安ばかりが頭を巡っていた。
満開だった桜も散り、気持ちも落ち着いてきた頃。講義室で携帯をいじりながら先生を待っていると、上から声が降ってきた。
『隣いいですか?』
『あ、どうぞ』
返事をして視線を移すと、奴が立っていた。少し明るめの髪を遊ばせて、耳に幾つかのピアスをつけて、伊達か本物か分からない眼鏡をかけている。
『同じ学部だよね。名前教えて?』
『市橋直』
『すなお?変わった名前だね』
『まあ』
『でもあんま素直そうじゃないよね。あ、俺は小村悦。えっちゃんって呼んでね』
『絶対呼ばない』
何だこの失礼極まりない男は。初対面で素直じゃないとか言いますか。日本海に沈めてやりたい。ムカつく。苦手だ、この人。そう思ったのに。
先生が入ってきて授業を始めると、意外にも真面目に話を聞いていた。たまに盗み見る横顔が綺麗で、眼鏡をあげる仕草が色っぽくて。
小村悦。
奴の名前を、頭の中で繰り返しては消した。
講義を終えて教室を出る準備をしていると、先ほどと同じように声をかけられた。
『直、このあと時間ある?』
いきなり呼び捨てかよ、というツッコミは飲み込んで。誘うように見つめてくる彼に、頷くまでに時間はかからなかった。
『直って誕生日いつ?』
『4月16日』
『マジ?もう終わってんじゃん!あれだよね。4月5月って新しい環境だと祝ってもらえないよね』
全くもってその通りだ。入学式やクラス替え。新しい環境になるたびに、私の誕生日はあっという間に過ぎていく。友達にまともに祝ってもらった覚えがない。今までずっとそうだったから別段気にしたりはしないんだけど。
『小村くん、は?』
『俺?俺は8月10日だから、夏休みに入っちゃって祝ってもらえない人』
『そうなんだ』
『じゃあ、来年は俺が直の誕生日祝ってやるよ』
そう言って笑った悦を、私は絶対忘れないと思う。
◇
「直?すーなーおーさーん」
「煩い。何」
「何考えてたの?ボーッとして」
「悦はバカだよねって話だよ」
「俺のどこがバカなんだよ!ほら、イヤホン!」
少しキレ気味にずい、と差し出されたイヤホンを受け取り右耳にはめる。あの日から、悦はいつも私の右側にいる。悦の左は私の場所。私の右は悦の場所。2人でそうしようって決めた訳じゃないけど、いつの間にか。口に出しては言わないけど、そんな関係がとても心地良かった。
右耳からはさっきのアルバムの続きが流れてくる。足元に伸びるでこぼこの影を見ながら歩いていると、悦は先程と同じように、私の前に何かを差し出した。透明な小袋に入っていたのは、青い石の埋め込まれたピンキーリングだった。
「可愛い。くれるの?」
「おうよ。祝うって言ったしなー」
「…ありがと」
誕生日を覚えてくれてるだけで十分だったのに。あんな口約束まで覚えててくれるなんて思ってなかった。あの日絡めた小指に、指輪がはまる。思いがけないサプライズに感動しながらもらったピンキーリングを見ていると、「あともう一つ」と言いながらウォークマンをいじりだした。そしてイヤホンから聞こえてきたのは隣にいるはずの悦の声。
『直、誕生日おめでとう。あ、今悦のくせに覚えてるスゲーとか思った?直の誕生日だもん、覚えてるよ』
いつも聞いているのに、耳元で聞こえてくると何だかくすぐったい。悦が私を見ているのは分かったけど、それに応えることはせず。ただ聞こえてくる、私に語りかける悦の声に耳を傾けた。
『俺ら出会って1年くらい?早いと思わない?まあ、初めて会った時はこんな風に直といるようになるなんて思ってなかったけどさ。今となっては、直が左にいるのが当たり前だし、逆にいないと落ち着かないっていうか、変な感じ』
「………」
『だからこれからも直には俺の左側にいてほしいし、一緒に笑ったり、泣いたりしたいなって思うんだよ。でもそれは友達としてじゃなくて、もっと別な形だったらいいなって思うんだ』
「……は?」
訳が分からず、悦の言いたいことが掴めず。
思わず見上げた悦は穏やかに笑っていた。
「『そろそろ付き合おうよ、俺と』」
イヤホンから聞こえてくる声と、目の前にいる悦の声が重なった。ゆるく握られた手を振り払う理由も見当たらず、真っ直ぐ私に向けられた言葉は、すんなり私の中に入ってきた。
「これ家で1人で録音してるって結構シュールな光景だよ(笑)」
ハニカむ悦を見ながら、こみ上げてくる何とも言えない感情をどう言葉に表していいのか、今の私の頭では到底考えられない。
ただ、これだけはわかる。
私も悦と色んな感情を分かち合いたいし、悦にはこれからもわたしの右側にいてほしいよ。言葉にする代わりに、悦の手を強くにぎった。傾きかけた太陽に照らされながら、悦は照れくさそうに笑った。
「だからさ、今年は一緒に俺の誕生日祝ってよね」