第2章 中学時代
硬式野球との出会いと、全国の舞台
小学校を卒業した僕は、中学校の野球部ではなく、硬式野球のクラブチームに入ることを選んだ。
それまでプレーしていた軟式野球とは違い、中学からは硬式野球。ボールの大きさや重さ、打ったときの感覚、投げたときの感触。そのすべてが新鮮だった。
初めて硬式球を手にしたとき、正直、少し怖さもあった。軟式球とは違い、当たれば痛い。捕球するときも、送球するときも、今まで以上に集中しなければならなかった。
それでも、硬式球を投げ、バットで打つうちに、少しずつその感覚に慣れていった。
ボールをしっかり捉えたときの打球音。指先から離れたボールが、思い描いたところへ飛んでいく感覚。
野球の面白さは、まだまだ知らないところにある。
そう感じるようになっていた。
厳しい練習の日々
クラブチームでの練習は、決して楽なものではなかった。
学校が終わると自転車で練習場所へ向かい、走り込み、バッティング、キャッチボール、守備練習を繰り返した。
練習が休みになる日はほとんどなく、野球中心の毎日だった。
小学生の頃も厳しい練習を経験してきたつもりだったが、中学の硬式野球は、また違った厳しさがあった。
上級生が卒業すると、チームに残った2年生はわずか2人だった。
そのため、1年生だった僕たちも、早い段階からチームの中心としてプレーすることになった。
まだ中学生になったばかり。技術も体力も、これから身につけていかなければならない。それでも、試合では学年に関係なく結果を求められる。
監督からの指導も、次第に厳しくなっていった。
特に印象に残っているのは、守備練習だった。
簡単には捕れないような打球が飛んでくる。必死に追いかけても届かないことがある。捕球できなければ、厳しい言葉が飛んでくることもあった。
失敗するのが怖くなることもあった。
それでも、ボールから目をそらすわけにはいかなかった。
一歩目をどう踏み出すのか。どこに打球が飛んでくるのか。どうすれば次は捕れるのか。
失敗するたびに考え、何度も繰り返した。
当時は、ただ必死だった。
けれど、今振り返れば、あの厳しい練習の中で、技術だけではなく、簡単には諦めない気持ちも身につけていたのだと思う。
投げられない2か月間
中学1年生の頃、チームは1学年上の相手に苦戦することが多かった。
自分たちの力が、まだ足りないことを感じていた。
もっと上手くなりたい。もっと試合で活躍したい。
そう思って練習に取り組んでいた僕だったが、あるとき肩を痛めてしまった。
ボールを投げることができない。
投手としても野手としても、投げることは野球の基本だ。思うように投げられないことは、僕にとって大きな不安だった。
周りのチームメイトが練習している姿を見ると、自分だけが取り残されていくような気持ちにもなった。
本当は、自分もボールを投げたい。守備練習にも参加したい。みんなと同じように野球がしたい。
しかし、肩を痛めている以上、無理に投げるわけにはいかなかった。
約2か月間、僕は思うように投げられない日々を過ごした。
それでも、野球を諦めるつもりはなかった。
投げられないのなら、今できることをやろう。
そう考え、毎日200回の素振りを自分に課した。
投げることはできなくても、バットを振ることならできる。
来る日も来る日も、バットを振った。
今日200回振ったからといって、すぐに結果が出るわけではない。明日になれば、また同じように振らなければならない。
それでも、毎日続けた。
自分にできることを、一つずつ積み重ねていくしかなかった。
その2か月間で、僕のバッティングは少しずつ変わっていった。
スイングの鋭さが増し、バットを振る力もついてきた。自分でも、以前よりスイングスピードが上がったことを感じるようになった。
投げられなかった時間は、決して無駄ではなかった。
思いどおりにいかないときでも、今できることを続ける。
この経験は、野球を続けていくうえで、大切なものになった。
初めてつかんだ全国への切符
中学2年生の夏。
僕たちは、3年生のチームを相手に勝利を収め、大きな大会で優勝することができた。
その大会で、僕はサヨナラヒットを打った。
試合を決める一本を打てたことは、素直にうれしかった。
厳しい練習を重ねてきたこと。肩を痛め、思うように投げられなかったこと。それでも毎日バットを振り続けたこと。
そうした日々が、少しずつ自分の力になっている。そんな手応えを感じた瞬間だった。
そして、僕たちは全国大会への出場権を獲得した。
目指していた全国の舞台。
その大会の名前は、ジャイアンツカップだった。
全国大会に出場できると決まったとき、うれしさと同時に、これからどんな相手と戦うことになるのだろうという期待が膨らんだ。
自分たちの力は、全国でどこまで通用するのだろう。
これまで積み重ねてきた練習が、どこまで通じるのだろう。
そんなことを考えていた。
やがて迎えた開会式。
会場は東京ドームだった。
テレビで見ていたプロ野球選手たちがプレーする場所。そのグラウンドに立てることが、夢のようだった。
全国大会に出場するという目標を達成したのだと、少しずつ実感が湧いてきた。
しかし、全国の舞台で待っていたのは、想像していた以上に高いレベルの野球だった。
ボールの速さ、打球の強さ、選手たちの動き。
どれを見ても、今まで対戦してきた相手とは違うものを感じた。
自分たちが一生懸命練習してきたように、全国から集まった選手たちも、同じように努力を積み重ねてきたのだ。
全国には、こんな選手たちがいる。
その現実を目の当たりにして、悔しさとともに、大きな刺激を受けた。
自分は、まだまだ上を目指せる。
そう思わせてくれる舞台だった。
全国の舞台で味わった悔しさ
ジャイアンツカップで、僕は5番・ライトとして先発出場した。
全国の強豪チームを相手に、自分がどこまでできるのか。
緊張もあったと思う。それでも、試合に出る以上、自分にできることをやるしかなかった。
試合は、両チームの投手が踏ん張る接戦になった。
簡単には点が入らない。一本のヒット、一つの守備、一つの判断が試合の流れを変える。
そんな緊張感の中で、試合は延長戦へと進んだ。
そして、延長8回。
僕はマウンドに上がることになった。
それまでとは違う緊張があった。
全国大会という大きな舞台。試合の行方が決まるかもしれない場面で、自分がマウンドに立っている。
この場面を任された以上、何とかチームの力になりたかった。
最初の回は、相手を抑えることができた。
マウンドで結果を残せたことに、少しだけ手応えを感じた。
しかし、次の回、相手に逆転を許してしまった。
そして、チームは敗れた。
あと少しだった。
勝てるかもしれない。全国の舞台で、さらに上へ進めるかもしれない。
そう思っていただけに、負けたことが悔しかった。
自分がマウンドに上がったからこそ、何とかしたかった。チームの期待に応えたかった。
けれど、結果を変えることはできなかった。
試合が終わると、涙がこぼれた。
悔しかった。
もっと抑えたかった。もっと強くなりたかった。
全国大会まで来ることができた。それでも、全国には自分たちより強いチームがいた。
そして、その相手に勝つためには、自分自身がもっと成長しなければならない。
そんな現実を突きつけられた気がした。
そのとき、キャプテンが僕に声をかけてくれた。
「大丈夫だよ」
その言葉は、今でも心に残っている。
悔しさでいっぱいだった僕にとって、その一言は大きかった。
負けたことは変えられない。それでも、ここで終わりではない。
この悔しさを、次につなげればいい。
そう思えるようになった。
全国大会での敗戦は、僕にとって忘れられない経験になった。
勝つ喜びだけではなく、負ける悔しさも知った。
そして、悔しさを知ったからこそ、もっと上手くなりたい、もっと強くなりたいという気持ちが強くなっていった。
速い球を投げる投手への憧れ
全国大会で敗れたあと、僕は自分の野球を見つめ直すようになった。
打撃だけでなく、投手としても成長したい。
もっとチームに貢献できる選手になりたい。
そう考え、投球にも力を入れるようになった。
しかし、投手としての道は簡単ではなかった。
僕は、もともと圧倒的な球速で打者をねじ伏せるような投手ではなかった。
そんな僕に、監督はこう教えてくれた。
「球が遅くても、緩急や間の取り方で勝負できる」
その言葉を聞いて、ただ速い球を投げるだけが投手ではないのだと考えるようになった。
速い球がなくても、打者のタイミングを外すことはできる。
外角のストレートで打者を意識させ、カーブを使ってタイミングをずらす。投球のテンポや間の取り方を工夫する。
自分にできる投球を身につけるために、練習を重ねた。
もちろん、思いどおりにいかないことも多かった。
打者を抑えられないときもあったし、投手としての難しさを感じることもあった。
正直、投げることが嫌になる瞬間もあった。
それでも、ここで諦めたくはなかった。
全国大会で味わった悔しさが、自分の中に残っていたからだ。
もっと成長したい。
今の自分に足りないものを、一つずつ身につけたい。
その気持ちを支えにして、投球練習を続けた。
チームには、中学生で138キロを投げる投手もいた。
同じチームにいながら、その球の速さは圧倒的だった。
ボールがミットに収まる音も、周囲の反応も、普通の投手とは違っていた。
まさに怪物のような存在だった。
同じ中学生なのに、こんな球を投げられるのか。
その姿を見るたびに、驚かされた。
そして、同時に憧れも抱いた。
自分も、あんな球を投げてみたい。
もっと速い球を投げられるようになりたい。
その気持ちは、僕の中で少しずつ大きくなっていった。
もちろん、球速だけがすべてではない。監督から教わったように、投手には緩急や間の取り方など、さまざまな勝負の仕方がある。
それでも、速い球を投げる投手への憧れは消えなかった。
目の前に、自分よりも高いレベルの選手がいる。
その存在は、自分の現在地を教えてくれると同時に、目指すべき場所も見せてくれた。
努力を重ねた中学3年間
中学3年生になる頃には、投手としての自分にも少しずつ変化が現れていた。
投球の質が上がり、以前よりも打者を抑えられるようになった。
三振を奪える場面も増えていった。
最初から何でもできたわけではない。
肩を痛めて投げられなかった時期もあった。全国大会では、勝負どころで悔しい結果を経験した。投手としても、思うようにいかない日々が続いた。
それでも、練習を続けてきた。
毎日200回の素振りをしたことも、全国大会で流した涙も、投球を工夫し続けた時間も、すべてが自分の中に積み重なっていた。
努力したからといって、必ず思いどおりの結果が出るわけではない。
それでも、努力を続けることで、昨日までできなかったことができるようになる瞬間がある。
その小さな変化が、次の努力につながっていく。
僕は、中学野球を通して、そのことを少しずつ学んでいた。
そして、もう一つ、強く感じるようになったことがある。
野球の世界には、自分よりも上手い選手がたくさんいるということだ。
小学生の頃には、地区大会で勝つことが大きな目標だった。
中学生になって硬式野球を始め、全国大会に出場した。
そこで、さらに高いレベルの選手たちと出会った。
全国の舞台に立ったことで、自分の世界は広がった。
同時に、自分にはまだ足りないものがたくさんあることも知った。
だからこそ、もっと上を目指したいと思った。
もっと強い相手と戦いたい。
もっと成長したい。
そして、いつか自分も、誰かに憧れられるような選手になりたい。
そんな思いを抱きながら、僕は中学3年間の野球を終えようとしていた。
次の舞台へ
小学生の頃、泥だらけになりながら野球をしていた少年は、中学生になり、硬式野球の世界に飛び込んだ。
厳しい練習に耐え、肩の故障を乗り越え、毎日バットを振り続けた。
全国大会にも出場した。
そして、全国の強豪を相手に、自分の力がまだ足りないことを知った。
うれしいこともあった。悔しいこともあった。
思いどおりにいかず、投げ出したくなる瞬間もあった。
それでも、野球を辞めようとは思わなかった。
もっと上手くなりたい。
もっと強くなりたい。
その気持ちが、僕を前へと進ませていた。
中学野球で経験したことは、決して楽しいことばかりではなかった。
けれど、厳しい練習も、故障した時間も、全国大会で流した涙も、今の自分につながっている。
そして、僕は次の舞台へ進むことになる。
高校野球。
小学生の頃から続けてきた野球は、僕にとって、ただ好きなスポーツというだけではなくなっていた。
もっと高いレベルで勝負したい。
自分の可能性を試したい。
その思いは、中学3年間を通して、少しずつ強くなっていた。
こうして僕は、高校野球へと進んでいく。
その先にどんな経験が待っているのか、このときの僕には、まだ分からなかった。




