第4話 逃げ出したヒーラーのマルク
ミージュは今日も、異世界で空を飛び、「愛」を探していた。
愛を集めることで、世界の終わりに吞み込まれる祖国に、光をもたらしてみせる。
そう信じて。
◆ 逃げ出したヒーラーのマルク ◆
マルクは戦闘の最中、仲間を置いて逃げ出した。
不利な状況だった。
このまま戦い続ければ、全滅する。それは明らかだった。
逃げるなら、今しかない。
自分の命が惜しかったマルクは、仲間たちを置いて、一人逃げ出したのだった。
そのことを、今も後悔していた。
冒険者を辞め、街でヒーラーとして活動し、周囲に感謝をされても、マルクの心にはいつも罪悪感があった。
あの時自分が逃げていなければ、もしかしたら彼らも助かったかもしれない。
万が一にも勝てたかもしれない。
あるいは、他の誰かが助かることができたかもしれない。
そんなことばかりがぐるぐると、彼の頭の中を回った。
ヒーラーを続けていたのは、せめてもの罪滅ぼしだった。
マルクは優秀なヒーラーだ。
彼にかかれば、大抵の傷は跡形もなく治ってしまう。マルクが治せるのは外傷だが、手術の際の傷なども綺麗に治すことができた。そのため街の医師からも信頼されていた。
「マルクはすごい」
そう言われるたびに、彼の心はむしろ重かった。
この重さを、自分は一生背負って生きていかなければならない。そう思っていた。
ある日、街で大惨事が起こった。
大規模な火災が起こったのだ。
マルクの元に、次々に怪我人が運ばれてきた。
重い火傷を負った人、避難の際に怪我をした人など、様々な負傷者が後を絶たなかった。
彼は必死で回復魔法を唱えた。
けれど魔力は徐々に減っていき、このままでは負傷者すべてを回復させることは不可能だとわかった。
マルクは逃げ出したかった。
「もうできません」と言うのが怖かった。
失望の目を向けられること。誰かを助けられないこと。そのすべてが。
だけど逃げたくはなかった。以前のように逃げ出して、後悔したくなかった。
淡々とその時は迫っていた。
頬に傷を負った少女が、看護師に寄り添われマルクの前にやって来た。
「お願いします」
寄り添う看護師の女性にそう言われ、マルクは思った。
顔についた傷。回復魔法で綺麗に治せるかどうかは、処置するまでの時間が関係する。今治さなければ、彼女の顔に傷が残り、一生に関わるだろう。
だがそれ以上に、後に控えている人たちは、命に関わる状態だ。
魔力はもうわずか。
断るか、どうするか。
恨まれるかもしれない。
けれど。
「申し訳ありません。私の魔力は残り少なく、重症の方が数多くおられます。今は回復できません」
マルクは勇気を出してそう言った。
「わかりました」
幼い少女は、しっかりとした目でマルクを見て、そう答えた。
「必ず助けてあげてください」
そう言うと、少女は部屋を出ていった。
彼女はこれからどうなるだろう。
そんなことを思ったけれど、それ以上に今やらなければいけないことがあった。
マルクは重症者に回復魔法を使った。
必ず助けてあげてください。
少女の言葉が、心にずんと刺さった。
マルクは回復魔法を節約しながら、だけどできる限りの人を助けられるよう奔走した。
魔力を限界まで使えば、彼自身が危なくなる。
だがマルクは、そんなことなどどうでも良かった。
あの時、本来なら死んでいたのだ。
だから今、誰かを助けるためなら、それで構わない。
そう思って。
マルクは魔力切れを起こし、ふらりと倒れ込んだ。目の前が真っ暗になった。
「マルク!」
誰かが自分を呼ぶ声がした。ぼんやりとしたままのマルクの手に、その人物は瓶のようなものを握らせた。
「飲むんだ! 魔力回復のポーションだ!」
とても貴重な魔力回復のポーション。この街では手に入らない貴重なものだ。だがそんなことは言っていられなかった。とにかく今はそれを飲んで、人々を助けなくては。
マルクがそれを飲むと、すぐに意識がはっきりとしてきた。
そしてわかった。
彼にポーションを渡したその人が、かつて置き去りにした仲間の、イーディンだったことを。
驚いたマルクは、慌てて謝り始めた。
「イーディン、すまなかった。あの時は本当に申し訳ないことをした」
「それよりも、今は街の人を!」
そう言われ、マルクは次々に怪我人の治療にあたった。
すべての人の回復が終わった時、マルクはあの少女のことを思い出していた。
けれど探してみてもその少女の姿はなかった。
「どうかしたのか?」
イーディンに聞かれ、マルクは少女の話をした。
自分のことよりも、他の人を助けることを承諾した、強い少女のことを。彼女の言葉に背中を押されたことを。
「私は弱い。あの時も、そして今も」
「君が無事で良かったよ」
イーディンはそんなことを言った。
「え?」
「あの時、あの戦闘で君がいなくなって、みんな心配していたんだ。魔物たちをひきつけて、君が消えたあの時から」
マルクはそれを聞いて驚いた。
「そんな、私はただ、みんなを置いて逃げ出しただけで……」
「そうだったのかもしれない。でも、結果としてそれで俺たちは助かった。君が無事で本当に良かったよ」
それを聞いたマルクは。
「そうか……そうだったのか……」
彼らの無事を知り、心が軽くなるのを感じた。
今まで自分を重く責めていたものが、薄らぎ消えていくのがわかった。
「君はきっと、何かに守られているんだろうね」
イーディンはそんなことを言った。
「何か?」
「それが何かはよくわからないけど、俺はそう思うよ」
魔物たちに追われても、無事逃げ延びた何か。自暴自棄のように回復魔法を使っても、助かった何か。
自分を助けたいと思ってくれた「何か」。
その「何か」によって、自分はきっとこの街の人を助けることができた。
それを人は、運命とか、宿命と呼ぶのかもしれない。
マルクは顔を上げた。
「イーディン。ありがとう。君がいてくれて良かった。本当に良かった」
マルクはそう、心から思った。
君がそこにいる。
それがどれだけ、自分を支えてくれることか。
君が生きている。
そのことは、君自身が思う以上に、誰かを支えてくれているんだ。
ひょっとしたら「何か」は、そんな誰かの「思い」なのかもしれない。
◆ ◆ ◆
少女は歩いていた。
頬に傷はあるけれど、彼女は何も気にしていなかった。
まだ煙の臭いのするこの街が、いつかまた以前のように、活気づくのを願った。
「彼らがいれば、大丈夫」
彼女の胸には、白い宝石がきらきらと輝いていた。
<次の話へ続く>