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第30話 描けなくなった魔法絵師のサウル

 異世界の街を歩きながら、ミージュは空を見上げた。

 あの時の憤った感情を思い出して。

 彼らが本気を出せば、自分を陥れることなど簡単にできるのだ。

 正当な証拠などなくとも、証拠はいくらでも作ることができてしまう。

 ミージュは人間不信になりかけていたことを、思い出していた。

 けれどこの異世界に来て、人というものは状況に応じて変わる生き物ではありつつも、心に愛を持って生きているのだと、知った。

 どんな人にも、あたたかな思いはある。

 ミージュはそれを信じて、今日も前へ進む。


◆描けなくなった魔法絵師のサウル ◆


 サウルは絵を描くことが幼い頃から好きで、ずっと描いてきた。けれど大人になるにつれてわかるようになった。自分の絵が、いかに平凡かということを。

 彼にとって絵は、切っても切れない、愛着を通り越して執着にもなっているものであったが、自分の実力を試す機会に遭遇するたびに、その悔しさを何度となく味わってきた。

 コンテストで奇抜な作品がウケるのを見て、自分もそのような作品をと思い描いてみたが、まったく評価されなかった。

 それでも絵の勉強をずっと続けていた。スクールで有名な画家に習ったり、様々な絵を見に行ったり、あちこちの風景を模写したり。とにかく絵に関することなら、何でもやった。上手くなりたい、評価されたいと、サウルはずっと思っていた。

 サウルの絵は、相変わらず評価されなかったが、その執着が魔力となって変わったことに、サウルは気づいた。

 キャンパスは必要なくなっていた。

 いつでもどこでも、魔法のキャンパスに魔力の絵の具で描くことができた。

 最初サウルは、そのことを喜んだ。

 これでどこでも絵を描くことができる。その絵は、紙に写すこともできたし、大きくして壁などに写すこともできた。描ける幅が広がり、様々なことに活かせると思った。

 自由な発想、独創性のある絵が描ける人なら。

 サウルがその特殊な魔法を使えるようになったことを周囲が知り、彼の作品に注目するようになった。けれどサウルが描く絵は相変わらず平凡で、どこかで見たことのあるような何かでしかなかった。

「特殊な魔法も、あれじゃ宝の持ち腐れだよ」

 そう話しているのを聞き、サウルは傷ついた。

 描くことは好きで、ずっと続けていきたいと思っていた。けれどその絵を、誰も評価してくれない。どこでもいつでも描けるこの力が、今では荷が重くなっていた。どこまで行っても、何をしていても絵がつきまとっているような、そんな気さえした。

 サウルは絵が描けなくなった。

 これまで、時間という時間を描くことに費やしてきたサウルは、何をしていいかわからなかった。ぼんやりと外を眺めていても、風景を描かなければという思いが浮かんできて、苦しくなった。

 他の何かに没頭しなければ。

 サウルはひとまず料理を始めた。それまでほとんどできなかった料理に力を入れることで、時間を埋めようとした。

 けれど食材を見る度に、デッサンのことが浮かんできた。描かなければ、より腕は落ちていく一方だろう。今までそれなりに技術は身につけてきた。その技術さえも、このままではなくなってしまう。

 それは、積み上げてきた物がすべて消えてしまうみたいで、恐ろしく感じられた。

 結局サウルは、料理に集中できず、部屋を飛び出した。

 描きたくない。描かなければ。描きたくない。描けなくなる。

 そんな風に、描くことばかりを浮かんでは消し、何かを見てはまた浮かんだ。

 近くの広い公園に辿り着いたサウルは、そこで絵を描いている少年を見かけた。

 サウルはその少年を見て、何か声をかけたい気分になった。今ならまだ、引き返せる。ただその絵を好きでいたいなら、そこでやめるべきだと。

 少年はふと振り返り、サウルが見ていることに気づいた。

「良い絵でしょ」

 少年がそう言うので、サウルは絵を見つめた。

 公園にある小さな池に、水鳥が泳いでいる。そんな何気ない、ありふれた景色を切り取った、ほのぼのとした絵で、この年齢の子どもが描いたならよく描けている、と言えるレベルだった。

 けれどサウルは首を傾げてみせた。

「ありふれた絵だね」

 小さい頃、サウルは周囲の大人から、絵のことを褒められた。今にして思えば、子どもにしてはよく描けているというだけに過ぎなかったというのに。だからこの少年にも、はっきりと伝え、わからせたいと思った。自分のようにはなって欲しくない。そう思って。

「ありふれた絵ではいけないの?」

 少年は不思議そうにそう尋ねた。

「君が楽しんで描くならそれでいい。だけど、その絵でお金を稼ぎ、生きていこうというのなら、ありふれた絵ではダメなんだ」

 まるで自分に言い聞かせるように、サウルはそう言った。

「じゃあ、僕は楽しんで描くから、大丈夫だね」

 少年はそう言うと、絵の続きを描き始めた。

 楽しんで描く。

 サウルにとって絵は、そういうもののはずだった。

 だけどいつから、そうではなくなってしまっていたのだろう。人の評価ばかり気にして、楽しさを失ったのは。

 少年は絵に、大胆な線をぐっと真一文字に引っ張った。

 それはそれまでの絵を台無しにするような線だったが、彼はとても気に入っているようで、何度も大きく頷いていた。そしてそのことを、誰かに評価してもらおうと思ってはいないようだった。

 自分は、誰かに評価されることを気にして、小さくまとまってしまっていた。

 そのことに気づいたサウルは、居ても立っても居られなくなって、その場で絵を描き始めた。

 何気ない風景。けれどそれまでとは、何かが違って見えた。サウルが絵を描き終えた頃には、辺りはもう真っ暗で、少年もいなくなっていた。

 サウルは目に入るものすべてを描くようなつもりで、次々に絵を描いた。

 街並み、自然、道行く人々。

 どこでも楽しそうに絵を描くサウルを見て、人々は彼の絵に興味を持ち、覗き込んだ。

「素敵な絵だね」

 街の人々が、楽しそうに微笑む姿を切り取ったような一枚だった。

 その日、サウルの絵は久々に売れた。

 売れたこと自体はもちろん嬉しかったが、サウルはそのことを気に留めるわけでもなく、絵を描き続けた。

 楽しいと思う気持ちに没頭していた。

 その彼の楽しそうな姿が、見る人を惹きつけていた。

 彼の絵は、今も変わらず平凡な何かなのかもしれない。

 けれど見る人を笑顔にする、そんなあたたかさを含んだその絵は、確かに彼の絵への愛、生きざまそのものだった。


◆ ◆ ◆


 少年は絵の具のついた手を見つめ、小さく微笑む。

 その胸には白い宝石がきらりと輝いていた。



<次の話へ続く>





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