第26話 ミージュの話⑮
昼過ぎ頃、ミージュは診療所を出て、一旦家に帰ることにした。必要なものを持って来るよう母に言われたからだ。
外を歩きながら、ミージュはぼんやりと空を見上げ、そして流れゆく外界の景色を見た。
その景色の速度が、いつもより遅い。
自分の錯覚かと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。
植物の走る速度が落ちている。
ミージュが見てわかるほどだから、よほど落ちているに違いない。
ミージュは頼まれていたことを一旦後にして、レアンの木の様子を見に行くことにした。走りながらも、辺りの植物の様子を見る。全体的に、元気がない。葉に張りが無いし、花がまったくついていないものもあれば、異様についているものもある。
枯れる前兆かもしれない。
ミージュの頬に、嫌な汗が流れる。
しばらく走り続け、植物の間を抜け、木々が絡み合う道のその先に、レアンの木の幹はあった。
ミージュは慌てて木の様子を観察する。
太い太い幹は、さほど変わらないように見える。だが、先日切ったところはどうなっているだろう? ミージュは注意深く木の断面を見つめた。あの時の処置は問題ないように思えた。実際、傷口も問題なさそうに見える。ミージュは安堵しながらも、それならば何故こんなにも速度が減速しているのだろうと、様子を観察した。
レアンの木だけでなく、他の周囲の植物たちも弱っているようだった。葉に張りが無い。吸った水の質に問題があるのかもしれない。けれどこればかりはどうしようもない。水の質を変えるなんて、どうしたら。
「そこで何をしている?」
トラブル解決係のザータが、ミージュに声をかけた。その後ろには、国の警備兵、宰相のゼインの姿もある。
「植物の様子を診ていたんです」
ミージュは毅然と答えた。
「植物が減速している原因は?」
ゼインが鋭く尋ねる。
灰色の髪に鋭い青色の瞳。ゼインに睨まれ、ミージュは一瞬怯みそうになりながらも答える。
「根に問題があるのだと思います。恐らく、水の質が影響しているのではないかと。根を調査すればわかるかもしれません」
「根を調査?」
「はい。どのような状況かを確認すれば、対処もできるかもしれません」
ミージュは淡々と答えた。
すると。
「あなたは、レアンの木の切るようレモヒラに指示したそうですね?」
ゼインは睨むように見つめながら言う。
「ただの剪定です。特に問題のない、枯れ枝を少し切っただけですよ」
「それがこの減速に、大きく影響しているのではないですか?」
「そんなことはありません。切り口を確認していただければわかります」
「レアンの木が弱るなど、これまで聞いたことが無い。切ったことが弱ったことと関係ないと、証明できますか?」
証明。
ミージュは言葉に詰まった。まったく関係ないと、どうしたら証明できるだろう。切り口が影響ないということは、見ればわかることだが、そこから何かが入ったのではないかと言われたら、そうでないとは言い切れない。
「植物医のあなたに、大きな責任があります」
ゼインの言葉に、警備兵たちが動く。
「捕えよ」
「待ってください! レアンの木や、他の植物たちが弱ったことは、切ったこととは関係ない!」
ミージュがそう説明しても、彼らは動きを止めない。
正当な理由など、本当はいらないのだ。
こうなった理由は、確かに雨なのかもしれない。けれど彼らにとって、今必要なのは、こうなった原因を作った人を、罰すること。
見せしめ。
それが必要だったのだ。
ミージュにはそれがわかった。ゼインは感情の無い目でミージュを見つめた。誰でも、何でも良かったのだ。この疲弊した国の、矛先が向くものさえあれば。
そうしてミージュは、牢に捕らえられた。
牢の中で座り込んだミージュは思う。
父のことで弱り切っている母に、自分のことが知れたらどうなるだろう。父は無事だろうか。目を覚ましただろうか。母は大丈夫だろうか。
その時、頭の奥が強く痛んだ。
父、母、そのことへの違和感。遠い昔に、何かあったような、忘れている感覚。
自分は何かを忘れているのか?
ミージュはその不可思議な感覚を振り払おうとして、考える。
この後どうなってしまうのだろう?
植物が復活してくれて、元のように動くようになってくれれば、解放されるかもしれない。だけどこのままでは無理だ。根が傷んでいて、その原因が水ならば余計に。そしてこの砂漠のエリアでは、しばらくの間自然な雨が降ることは、ほぼあり得ない。
砂漠エリアを抜けるしか方法は無いが、これほど減速して進んでいる状況では、弱る一方だろう。
どうしたら良かったのか。
雨の質のせいということなら、雨乞いをしたミージュたちの責任ということに、結果的になる。だとすれば、どちらにせよ、ということだ。
ミージュはため息をついた。
この国は、自分は、終わるのか? 世界の終わりに飲み込まれて。そして。
ミージュは首を横に振った。
ファイランやメイリアが、きっとどうにかしてくれる。
この時のミージュは、そう楽観的に思ったのだった。
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