第21話 夜明けを待つ音楽家のカラナ
ミージュは、首からぶら下げた白い宝石を握り締める。
それは時折、薄くピンクがかった光を放った。以前よりもその光は強くなってきていた。かと言ってずっと光り続けているわけでもない。何かに反応するように、時折やわらかく光るのだ。
どのくらい集めれば良いのだろうか。
集めることができれば、時空を、世界を越えて、メルリー王国を救えるだろうか。
睡眠も食事も必要のない、精霊のような何かになっている自分は、以前のように人間として過ごすことができるのだろうか。
ミージュは小さくため息をついた。
考えても仕方ない。わからないことは、わからないのだ。そのことを心配して、今をないがしろにはしたくない。
青い空から人々を見下ろして、ミージュは今日も、愛を探しに向かう。
◆ 夜明けを待つ音楽家のカラナ ◆
カラナの弾くピアノの音には不思議な力があった。
その音を聴くと、人々は癒され、病は治った。回復魔法の効果が含まれているようで、それは彼女が無意識に行っている魔法のようだった。
カラナの奏でる音は美しかったが、音楽のコンクールのような技術を競う場では評価されなかった。
口コミでは有名なピアニストで、コンサートを開けば人は集まったが、その音楽性を評価されているというよりは、その回復魔法力を評価してのことだった。現に有名な評論家はこう書いていた。「体には優しいが、耳はそれほど満足しない」と。
カラナはどうすれば自分の技術が上がるのか、いつも考えていた。
ピアノを弾くことを求められはするものの、その「音色」にはみんな興味が無い。そのことが、ピアノに向き合ってきたカラナにとっては悔しく、劣等感を深めた。
この国では、音楽を録音するための媒体である、シータというものがある。
しかしそのシータにカラナの音を録音すると、回復魔法の効果はつかない。そのため、カラナの曲を出そうという会社は現れず、カラナはコンサートではお呼びがかかるものの、シータを出せずにいた。
自分の音楽とは、何なのだろう。
カラナはそう思いながらも、人々の回復に貢献したいと、今日もピアノを弾く。コンサートホールには人がいっぱいだが、どの人も眠ったり、何か別のことをしていたりと、あまり音に集中してくれている気配はない。
いつものことだ。いつものこと。
演奏を終えると、拍手が起こった。眠っていた人たちは元気になったようで、笑顔が見えた。誰かのためになっているならばそれでいいかと、カラナは思うことにしていた。
カラナのスケジュールは、大小様々なコンサートでいっぱいだった。
最近は、老人ホームや病院での依頼がひっきりなしに入っていた。みんなほとんど眠ってしまうので、まともに聴いてくれているのかはよくわからないけれど、体調が良くなるということで、大人気だった。
「あなたの曲を聴くと、元気になる」
そう言われることには慣れていた。
誰かのためになっている。誰かを元気にしている。
なのに何故、こんなにも自分は空虚なのだろう?
カラナにとって本当に欲しい物が手に入らないことが、そう思わせているのは明らかだった。
音楽の技術力での名声、そしてシータの発売。
カラナはそれを欲していた。
以前カラナは、弾くことの虚しさを音楽仲間に話したことがあった。
けれど彼らは、カラナのコンサートがうまくいっていることを理由に、それは贅沢な悩みだと言った。
多くの音楽家は、それすらもうまくいかず、悩んでいるのだからと。
確かにそうだと思った。
音楽で生計を立てていけているのだから、それに満足しなければ。
人々は回復し、喜ばれているのに、何に不満があるというのだ。
カラナは密かに孤独を深めていた。
そんなある日。
「ピアノとヴァイオリンのコラボを聴きたいねぇ」
老人ホームにコンサートに行った際、そこに入所する高齢の女性がそんなことを言った。
「コラボですか」
自分の音に不満があったのだろうか。カラナはすぐにそう考えてしまった。
「好きな曲があるのよ。その曲を弾いてもらいたくてねぇ」
どうやらピアノとヴァイオリンの協奏曲の中に、好きな曲があるらしい。
コラボはやったことがなかったので、カラナは少しだけそのことに興味を持った。
するとしばらくして、カラナと一緒にコンサートをしたいと、ヴァイオリニストのベルハルトが声をかけてきた。
ベルハルトは有名なヴァイオリニストで、コンクールで何度も賞を獲り、シータも売れている人気音楽家だった。ジャンルは違うけれど、カラナからすれば気に食わない相手ではあったけれど、その誘いに乗ることにした。
ベルハルトは音楽に真摯で、日々寝る間を惜しんで練習していた。そしてそのことを楽しんでいるようだった。カラナは日々練習するものの、最近ではそのことを楽しむ余裕など一切なかった。ただ黙々と鍛錬する感覚だったのだ。
ベルハルトと練習するのは楽しかった。
彼の音楽を楽しむ姿勢が伝わってきて、カラナも楽しくなってきていた。
コンサートは大盛況だったが、評論家にはこう書かれた。「美しく、聴いた後も体が跳ねるような感覚がある。ただ、耳にピアノの違和感が残る」というようなことを。
ベルハルトと一緒に演奏をすると、より自分の実力を比べられてしまう。そのことがひどく恐ろしくなった。
ベルハルトとの依頼が押し寄せるように来たが、カラナは体調不良を理由にその一切を断り、演奏を休むことにした。
弾くことがひどく恐ろしかった。
どうしたらいいのかわからなかった。
自分が積み上げてきたものに、自信を持てなくなっていた。
そんなある日、カラナの兄が体調を崩したという話を聞き、カラナは実家へと向かった。
カラナの兄は離婚して、実家で家業を手伝っていた。無理をしていたのかもしれない。カラナは兄のためにピアノを弾こうと思った。けれど弾くことの恐ろしさが消えたわけでは無かった。それでも、高熱が続く兄のために、ピアノを弾こうと決意した。
ゆっくりと静かな曲を弾くことにした。ピアノを弾いている時は、兄は少し楽になっているようで、苦痛に歪む顔が少し穏やかになっていた。
しばらく弾いて、ピアノを辞めると、また兄は同じように苦痛に顔を歪めた。
カラナは兄が休めるよう、夜もピアノを弾くことにした。
早く熱が下がって欲しい。痛みが引いて、穏やかに寝られるようになって欲しい。
願いを込めながら弾いていた。けれどなかなか状態は回復しなかった。曲を変え、弾き方を変え、回復を願った。
夜の間もずっと弾き続けた。近くに家のないカラナの実家では、気にせず弾くことができた。
普段、技術的に弾くことが難しかった曲を、試しに弾いてみたら、意外とうまく弾くことができて、カラナは驚いた。これなら。だけど。
今の自分が欲しいのは、回復力の方だった。技術じゃない。無意識に行っている回復魔法のため、意識的にできるわけではなかった。いつものように弾くだけ。いつものように。
そう思うほど、弾くことがひどく難しく感じた。指は動いているのに。
カラナにとって、夜がこれほど長く感じたことはなかった。
息を荒げ、苦しそうにする兄。それに付き添う母の、悲しそうな顔。
癒せる力が欲しかった。治せる力が欲しかった。何よりも、技術や名声よりも。
それまでの自分が、ひどく贅沢な悩みを抱えていたのだと、気づいた。
今あるものの大切さに、気づけていなかった。
遠く、無いものばかりを見て、自分が手にしているものの重要さを、わからずにいた。自分はなんて愚かだったのだろう。
カラナは弾いた。一心不乱に。
そうする中で、ベルハルトのことが思い出された。彼の楽しそうな、あの弾き方を、思い出して。
こんな状況でも、楽しんで良いのだろうか。そうカラナが心の中に問いかけると、弾むような音が返ってきた。
ああそうか、そうなんだ。
楽しむ心。執着の無い気持ち。そうした軽やかな何かが、何よりも大切なのだと、カラナは思った。
カラナの音に、魔法が宿った。
夜明けを告げる光が、カーテンの隙間から入ってくるのが見えた。
カラナの兄の苦しそうな顔が、穏やかになっていく。
すべては確かに、そこにあって。
自分はずっと、それを手にしていた。
ああ、何でそれに気づけずにいたのだろう。
カラナの心の中に、あたたかいものがいっぱいになっていく。
それはきっと。
音楽を本当に愛する、思いそのもの。
◆
老人ホームの一室で、高齢の女性が窓の外、夜明けの光を見つめていた。
その胸には、白い宝石がきらりと輝いていた。
<次の話へ続く>
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