第18話 過去に戻りたい研究者のサイアン
ミージュはあの日のことを思い出し、小さくため息をついた。
あの日、レモヒラに頼まれ、木を伐りに行ったこと。
そしてその後に起こった出来事を、思い返して。
過去に戻りたいと願ったことは、誰でも一度はあるのではないだろうか。
だけど皆、そんなことを考えても仕方ないと、前を向く。後悔していては、大切な今が過ぎてしまうから。
けれど彼は違うようだ。
ミージュは空を飛び、見つけた青年を見て、その姿に過去の自分を重ねた。
彼を救えるだろうか?
そしてミージュは姿を変える。
◆ 過去に戻りたい研究者のサイアン ◆
王立魔道研究所に勤めるサイアンの研究課題は「時間移動」だ。
一流の研究者しか入ることを許されないこの研究所においても、彼の存在は異色だった。研究に没頭する者はいくらでもいるが、そののめり込み方が尋常ではなかった。日々、寝食をほとんどとらず、目の下にクマを作り、やせこけた様子で無駄口一つ叩くことなく作業していた。よほど注意されなければ、家に帰ることもなく、彼は研究室に住み着いていた。
そんなサイアンが、日常生活が送れないほど研究に没頭するには、訳があった。
彼には変えたい過去があった。
ある人との運命を、変えたかった。
話は10年前に遡る。
サイアンが18歳の頃。
彼には結婚を約束した女性がいた。家同士が決めたことではあったが、お互いに手紙を書き、愛を深めていた。
サイアンが彼女、ルイアに初めて会った時、とても美しい人だと思った。
白く美しいきめ細やかで繊細そうな肌、淡い茶色の長い髪がゆったりと風に揺れていた。
サイアンはルイアのことが本当に好きだった。
けれど事件は起こってしまう。
サイアンはこの頃から魔法の実験に興味があり、教科書をもとに日々練習していた。そんな練習の中でも、まだ安定的にできないものがあった。瓶の中のような、何もない空間に炎の魔法を保持し、魔法アイテムを作るというものだ。
サイアンは何故自分の魔法がうまくいかないのか悩んでいた。
そこでいくつか試してみることにした。
ちょうど魔法学校にいた時に閃いたサイアンは、放課後、誰もいない教室なら構わないかと、炎の魔法を展開し、魔法アイテム作りをしようとした。
炎の魔法は成功したように思えた。瓶の中で、熱くもなくぐるぐると回る炎を見て、うまく保持できたと、サイアンは喜んだ。
その時、ルイアがやって来た。
ルイアはサイアンより一つ年下で、学年も違う。だから普段学校で会うことはほとんどなかったのだが、この日はサイアンの誕生日だった。
誕生日をみんなで集まって祝うことになっていた。けれどルイアはその前に、サイアンに渡したいプレゼントがあったのだ。
サイアンはやって来たルイアに、炎の魔法を閉じ込めた瓶を見せようと、手渡した。
「初めてうまくいったんだ!」
そう嬉しそうに告げて。
ルイアも瓶の中の炎を見て、嬉しそうに微笑んでいた。
けれど次の瞬間。
炎の魔法が暴走し、瓶は破裂、炎は辺りに広がった。
破裂した瓶はルイアの身体を切り裂き、炎は彼女の身を包んだ。
一瞬の出来事に、サイアンは慌てて炎を消そうとした。
けれど保持の魔法がかかった炎の魔法はなかなか消えず、ルイアは炎の中、悲鳴を上げ続けた。
何とか消し止めたサイアンは、慌てて回復魔法を唱えた。
そのおかげでルイアは一命をとりとめたが、それから彼女はサイアンを見ると恐怖が再燃するようで、まともに話もできなくなってしまった。
そうしてサイアンとルイアの結婚の約束はなくなったのだった。
サイアンは今でも、ルイアのことを思い出すと胸が苦しくなった。
ルイアは恐怖を抱くようになってからも、サイアンのことを嫌いになったわけではなかった。むしろ愛していた。けれど恐怖によって、彼のことを想い続けることができなくなってしまった。そのことに苦しんでいた。
だからせめて、彼女の苦しみだけでも止めたいと、サイアンは思った。
彼女は今でも、炎を見ると倒れてしまうと、風の噂で聞いた。別の人と結婚した彼女が、今でもそのことに苦しんでいるということが、やるせなかった。
本当に好きだった。
叶うなら、あの頃に戻って、ルイアとの仲を取り戻したい。
そう思っていた。
時間移動はできそうに思えた。理論上は。
けれど何かが、この世の理が、サイアンを邪魔しているように思えた。時間を飛ぼうとしたとき、何かがサイアンを「今」に留めているような感覚があった。
サイアンはそれが何なのかわからず悩んでいたが、ある時閃いた。
この方法であれば、きっとできる。
ただこの方法は、「今」の時点でサポートする人が必要だった。つまり魔法を使い、過去に送る役割の人が必要なのだ。
サイアンは、信頼できる優秀な助手のディーファに話をした。
彼女はその話を嬉しそうに聞いていた。
「確かにその方法なら、過去に飛べそうですね! 試してみたいです!」
ディーファは乗り気だった。まだこの魔法は、サイアン以外は使うことができそうにないため、サイアンが魔法を使い、ディーファを過去に飛ばす、ということで話がまとまりそうだった。
そんなサイアンだったが、過去の自分の言葉が思い出された。
「初めてうまくいったんだ!」
そう嬉々として話し、大失敗したあの日のことを。
自分はまた、同じ失敗を犯そうとしているのではないか。
その恐怖が、サイアンを襲った。
魔法が失敗すれば、ディーファはどうなるだろう?
命が助からないかもしれないし、戻って来られなくなるかもしれない。
そこでサイアンは、ディーファに魔法を使ってもらい、自分が過去に行くことにした。ディーファは自分が行くと言い張ったが、サイアンは頑なに拒否した。
しかしディーファは魔法がなかなか上達せず、サイアンは過去に行く機会をまだ得られずにいた。
あの日に戻れる可能性があるのなら、命なんて惜しくない。サイアンはそう思っていた。
ある時、研究仲間が、サイアンを呼び止めた。
「死ぬ気じゃないだろうね?」
サイアンは苦笑した。
「似たようなものかも」
「じゃあ、僕が止めないといけないね」
「失敗する可能性の高い実験に、命を賭けようとしているだけさ」
サイアンは彼に構っている時間はないと思った。
だけど。
「君に会いたいという人が来ているんだ」
サイアンは誰だろうと不思議に思ったものの、来客が来ているという応接室へと向かった。
そこには、ルイアの姿があった。
サイアンは驚いた。ルイアは彼をじっと見つめたが、今までのように悲鳴を上げることもなかった。
「嫌な予感がして、あなたに会いに来たの」
「嫌な予感?」
「あの日もしていたの。あの、誕生日の日。あなたを止めなければいけないような、そんな予感」
ルイアはそう言って、サイアンを見つめた。
「その過去を、変えようと思っていたんだ」
「どういうこと?」
「過去を変えられるかもしれない方法を、見つけたんだ」
サイアンのその言葉に、ルイアは不安そうに口を開いた。
「あの日のこと、あなたが罪悪感を抱いているのなら、もう気にしないで。私はもう、大丈夫だから」
そう言ってルイアは微笑んだ。
帰っていくルイアを見送って、サイアンは過去に戻る魔法を使うか悩んだ。
過去に戻ってやり直したいというのは、ただの自分のエゴなのだと、サイアンは思ったからだ。ルイアは、今、この人生を生きている。その人生を変えてしまいたいと思う気持ちは、ただの自分の執着でしかない。
そう気づいてしまったから。
ルイアと共に歩む道は、きっとなかったのだ。
サイアンが落ち込んでいるところに、ディーファがやって来た。彼女はサイアンを見て、こう声をかけた。
「憑き物でも落ちたような顔をしてますね」
それを聞いてサイアンは苦笑した。
「そうかもしれない」
サイアンは過去に戻りたいという執着を失っていた。
「過去に行く魔法は、まだちょっとうまくできそうにないです」
ディーファの言葉を聞いて、サイアンは思った。
ディーファは優秀だ。魔法ができないのでは、多分ない。自分の身を案じて、ずっとできないことにしていたのだ。
自分はずっと、過去に戻ればすべてが解決すると思い、邁進していた。この自分では、この人生ではダメだと、頑なに否定していた。
だけど周囲の人は、そんな自分を心配してくれていた。こんな自分でも、気にかけてくれていた。
「嫌な予感、か」
サイアンはもう一度、過去に行く魔法を検証してみることにした。すると、とんでもない欠陥があることに気づいた。魔法は成立していないようだった。
自分を生かそうとしてくれている何か。
心配してくれる人々の気持ち、想い。
そのことのあたたかさに気づいたサイアンは、久々に家に帰ることにした。
数年ぶりに見上げた夜空には、星が静かに瞬いていた。
◆ ◆ ◆
研究員は、誰もいなくなった研究室の扉を閉め、小さく微笑む。
その胸には、白い宝石がきらりと輝いていた。
<次の話へ続く>
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