第15話 無職になったイリナ
ミージュは今日も、異世界で空を飛ぶ。
様々な人たちが、懸命に生きているこの世界。
ミージュは胸にある白い宝石を握り締めた。
さあ、愛を集めに行こう。
◆ 無職になったイリナ ◆
イリナは嘆いていた。
仕事をクビになり、彼氏とも別れ、実家の両親との不仲は相変わらずだった。戻る場所も頼れる人もいない。貯金も残り少なく、新しい仕事を見つけなければと焦っていた。
イリナは今年30歳になる。周囲の友人たちは結婚をし、仕事と両立しながら幸せに暮らしているように見えた。
ある人にはすべてがあって、無い人にはすべてが無い。
イリナはそんなことを思い、スーツ姿でため息をついた。
仕事を探しに行って断られた帰り道。
イリナの足取りはどこまでも重かった。
このまま生きて、何になる?
そんな言葉がイリナの頭の中をぐるぐると回った。
こんなダメな自分では、いくら頑張ったってどうしようもない。
今まで頑張ってきた。自分なりに、一生懸命頑張ってきた。
だけどダメだった。
もう限界だ。
イリナはもう歩けないと思った。
帰ったところで何になる? 明日なんか来なくていい。
そう思っていた。
「この先通行止めです」
工事中のようで、作業中の男性にイリナは止められた。
いよいよついてない。
イリナが力なく項垂れていると。
「すみませんが、あっちの道を通ってください」
ヘルメットをかぶった男性が、にこやかな調子でそう言う。
「何でこんなところで工事をしているんですか?」
イリナはイライラしていて、ついそう言ってしまった。
すると彼は微笑んで、
「この街を素晴らしいものにしたいからですよ」
と笑った。
その言葉は、イリナにとっては意外な返しだった。
イリナは仕方なく、普段の道ではない道で帰る羽目になった。
「ぎゃ~!」
ふと、赤ちゃんの鳴き声が聞こえた。
数段の階段を前に、荷物を持ってベビーカーをついた女性がいた。
イリナの心に小さな怒りが湧いてきた。
それは嫉妬なのだろうと、彼女にはわかった。
怒りが湧いたからと言って、何をするわけでもない。
イリナはその横を通り過ぎようとすると、ふとそのベビーカーの赤ちゃんと目が合った。
赤ちゃんはぴたりと泣き止むと、イリナをじっと見つめた。
可愛らしい赤ちゃんは、イリナのささくれだった心を少しばかり和やかにした。
「可愛い」
イリナは赤ちゃんに話しかけるようにそう言った。
「ありがとうございます」
女性は笑顔を浮かべた。それを見てイリナは、
「ベビーカー、大丈夫ですか?」
と尋ねていた。先ほどまでの感情を思うと、自分でも不思議だった。
「階段で困ってて。助けていただけませんか?」
「いいですよ」
イリナは自分でもそう言ったことが意外だった。
「ありがとうございます!」
女性は嬉しそうに微笑んだ。
「階段の上まで運べばいいんですよね?」
母親に赤ちゃんを抱っこさせると、イリナはベビーカーに彼女の荷物を載せ、風の呪文を唱えた。イリナは風の呪文が得意だった。
ふわりと風に乗って、ベビーカーは階段の上に上がった。
「すごい!」
階段を一緒に歩いて上がりながら、女性はイリナにそう言った。
「あの」
女性は口を開く。
「スーツ、カッコイイですね」
そう言われ、イリナは複雑な思いがした。
この女性からは、イリナは働いているスマートな女性に見えたのだろう。
でも実際は違う。
「カッコよくなんかないですよ」
イリナはそう答えていた。
「全然ダメです」
その女性はイリナをじっと見つめた。
「全然ダメなんかじゃないですよ」
女性はベビーカーに手をかけて、微笑む。
「こうしてスマートに助けてくださって、カッコイイです」
女性は会釈をすると、そのままゆっくりと立ち去っていった。
イリナはそれをぼんやりと見送った。
女性の言葉が、イリナの頭の中を回った。
これまでの自分は、カッコよくあろうとして。
それ故にずっと無理をしていた。
一人で何でもできると、周囲に頼ることなく突っぱねてきた。そういう自分であろうとしてきた。
だけどそのことが、周囲との距離を作っていたのだと思った。
あの女性のように、助けを求められる自分だったら。
そうしたら何かが、違ったのかもしれない。
誰かに助けを求めることは、そんなにカッコ悪いことだろうか?
助けた時、自分は相手をカッコ悪いなんて思っただろうか?
そう思って。
イリナは翌日、実家に帰ってみることにした。
不仲だった両親に、自分の弱音を吐いて、助けを求めることにした。
それは自分にとって、カッコ悪いことだった。
だけど両親はそれを聞いて、ここでゆっくり休みなさいと言ってくれた。
翌日、実家に帰ってきたことを聞きつけた友人が、会いにやって来た。
今までなら、こんな弱っている時には会いたくなかったかもしれない。
けれどイリナは彼女に、仕事を辞めたこと、新しい仕事を探していることを正直に話した。
すると彼女は、ちょうど人を探しているところがある、という話をした。そこでその会社に行ってみると、新しい仕事はあっさりと決まった。それまでは全然決まらなかったというのに。
イリナは思った。
自分の思い次第で、周囲は違って見えるのだと。
世界の見え方は、自分次第なのだと思った。
自分のダメな部分も、認めていこう。
愛していこう。
一番自分のことをわかっている自分が、自分が頑張っているということを誰よりも知っている自分が、自分のことを許して、愛してあげなくて、誰が自分を愛するというのか。
誰よりも、自分が自分を好きになろう。
そうすることではじめて、前に進めるのだから。
◆ ◆ ◆
工事中の看板を、男性はゆっくりと片付け始める。
男性はヘルメットをくいっと上げて、微笑んだ。
「ああ、このヘルメットをちゃんと返さないと」
小さく呟く彼のその胸には、白い宝石がきらりと輝いていた。
<次の話へ続く>
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