【第七話】夜さり
その日以来、私はお梅さんには内緒で雪華さんのお部屋に遊びに行くようになった。そして鶴の折り方を教えてもらっていた。鶴だけでなく朝顔や風船葛と色々と教えてくれた。けれど鶴の折り方は複雑で一番難しい。綺麗に和紙を合わせるたつもりなのに仕上がりを見ると少しずれていたりもする。
「ここの角が難しいなぁ」
「貸してみて下さい。ここは、こうして・・・少し爪の先と使うと綺麗に折れますよ」
「雪華さんがやると簡単に見えるのはなんででしょう」
「ふふふ。そんな事ないですよ」
なんだか廊下が慌ただしくなってきた。女中たちの足音が行ったり来たりしている。見つかってはいけないと少し早いけれど雪華さんの部屋を後にした。早く部屋に戻らないと。
「やぁ八千さん」
「若旦那様。もうお帰りになられたんですか。今日はずいぶんと早いですね」
若旦那様の後ろには見慣れぬが男性がいた。常闇の様に深い黒色の着物に、耳元に赤い総飾りをつけている。私を物色するように足袋から頭の簪まで刺すように見られた。表情を少しも変えない。その方の最初の印象は『恐い』という言葉だけが先行していた。
「会うのは初めてかなこちらは従兄の紫哭。僕の兄のような存在でいつもお世話になっているんです。紫哭は手先が器用でね着物と一緒に着ける小物を町で売っているんだ。これがまた大繁盛で父も大喜びなんだ」
「初めまして。八千にございます」
右手に持つ煙管からふぅと息を吐きこちらを見下ろした。恐る恐る顔を上げた。その時なぜか懐かしい感じがした。
「・・・この女かあのエロジジィが惚れたっていう。お前の嫁になる女だろう。こんな餓鬼でいいのかよ蒼蜀」
「えろじじい?」
「うわああっちょっと紫哭!そんな言い方八千さんの前でしないで。困るよ」
「事実だろう。エロジジィじゃなくて変態ジジィだったか」
「だっだから!訂正するのはそこじゃない」
いつもは穏やかな若旦那様が一段と焦りの色を見せた。この方が若旦那様の身内の方?容姿はどことなく似ているところはあるけれど中身は似ていなさそう・・・。すると、紫哭様が私の持っていた鶴に目が止まっているのに気が付いた。
「それはなんだ」
「これは折り鶴にございます。時間を持て余しておりますので、女中さんに折り方を聞いていたんです」
「折り鶴ですか。懐かしいな。八千さんが折られたんですか?」
「はい。まだ歪な仕上がりですが」
折り方を教えて貰うのは正直建前で本当は雪華さんとのお話するのが楽しかった。町に美味しい甘味処あることや夏には蛍が飛ぶことも話してくれた。そんな他愛もない話が私には新鮮だった。
今日折った鶴を若旦那様に見て貰っていると横から紫哭様が手を伸ばしてきた。私の手から折り鶴を持って行くとまじまじと見始めた。今日は雪華さんに手伝ってもらったとは言え前よりも上手に折れた。もし壊されでもしたら・・・。些か不安になり紫哭様を見上げると私の心配とは裏腹に折り鶴に触れる指先はとても優しいものだった。上や下、斜めからの角度でひとしきり確認すると私の手の中に戻した。
「今日はこの後、紫哭と出るので先に夕食を取ってくださいね。帰りが遅くなると思うので」
「はい。わかりました。お気をつけて」
若旦那様と紫哭様を玄関までお見送りすると外は小雨が降っていた。そういえば、ここへ来た日も雨が降っていた。霧の中、小さくなる背中を見つめながらお二人がお屋敷の角を曲がっていく。傘越しにこちらを見た紫哭様と目が合った。耳につけている赤い総が揺れている。・・・あれ?なんだか前にもお会いした気がする・・・。いいえ。そんなことないわ。会うのは今日が初めてだもの。きっと気のせい。
「あっ・・・」
その時、風が強く吹くと持っていた折り鶴が泥濘に落ちてしまった。すぐに拾い上げたにも関わらず美しかった白い羽に泥がついてしまった。泥を指で払うが茶色く染みついたシミは取れない。
「はぁ・・・せっかく上手く折れたのに」
若旦那様はここの最近お帰りが遅い。夜帰って来られない日も週に二、三日はあった。大きな仕事が入ったとかで納期のため寝ずに作業されているらしい。もちろん時間を見つけては町に連れて行ってくれる日もある。たまの夜には触れたり口づけをされることはあるけれど・・・それ以上はない。
ここへ嫁ぐ前に吉右衛門様から改めて言われた。若旦那様は私が鶴人であることを知らない。契りは母と吉右衛門様との間で結ばれたもの。現当主亡き後に若旦那様に申す様にと・・・。でもそれで本当に良いのかしら。若旦那様は私が鶴人だと妖だと知らないままなんて。今はそれが苦しい。若旦那様を騙しているみたいで。
□□□
夜、寝つきが悪かった。梟の声に耳を傾けながらもう一度目を閉じてみたけれど真暗な瞼の裏側が見えているだけだった。昔、お母様は眠れない夜に星を眺めながらお話を聞かせてくれた。今はそんな日があっても隣には誰もいない。厠に行こうと部屋から出ると暗い空が広がっていた。雨は止でいるが雨雲がかかる夜空には星も見えない。若旦那様はまだお戻りではないらしい。お梅さんによると納期が迫っているらしくその準備に追われているらしい。とにかく凄く大変らしい。私にはよくわからないけれどなんでも帝様へ送る大切なものをご用意しなければならないそう・・・。だからお忙しい。
「・・・?」
玄関の方で物音が聞こえた。こんな夜更けに?もしかしたら若旦那様がお帰りになられたのかもしれない。厠から引き返し、玄関の方へ向かった。
廊下で若旦那様らしき人影を見つけた。声を掛け様とすると、その人影が自部屋とは反対方向へ行ってしまった。口元まで出かかった言葉を呑み込んだ。見間違えた?いいえ、あの後姿は若旦那様のはず。そのまま後を付けると奥の部屋の前で若旦那様は足を止めている。
あそこは確か雪華さんのお部屋。なぜこんな時間に若旦那様が・・・。雨上がりの土の匂いが立ち込めた。カサカサと揺れる葉の音が屋敷を包み込んでいる。胸の中に一抹の不安がよぎった。
すっと音を立てずに障子が開いた。白く細い手が出て来ると若旦那様の頬に触れた。招かれるように若旦那様が部屋に入っていくと静かに障子は閉じられた。
取り残された廊下で胸の中が騒めいた。こんな時間になぜ?その疑問しか過らない。過らないが私は答えを知っている気がした。それなのに一歩、二歩と足音を消して雪華さんの部屋に近づいていく。私の答えが間違っていることを願いながら。
「雪華・・・」
「蒼蜀・・・やっと来て下さった。会いたかった。あっ」
「僕もだよ。ずっと君に触れたかった」
「あン……私も、わたし、はぁっ…」
愛おしそうに名前を呼ぶ若旦那様。それに答えるように雪華さんの濡れた声が障子から漏れてくる。思わず口を両手で抑えた。途切れない二人の声に身体が一瞬にして冷たくなった。目の前を暗闇が覆っていく。
私はお母様と吉右衛門様の契りのためにここへ来た。若旦那様と夫婦になるために。鶴人の力を壷玖螺に分けて欲しいという願いを叶えるため・・・。
でももしも、もしも・・・それを果たすことができなかったら私はどうなるのだろう。
お母様、教えてください。私はどうすればいいのでしょうか。