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聖戦のアルマティア  作者: 佐伯 木綿季
リッツオルフ編
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幕間 白の夢


 糸恩が次に目を開けたのは、城の回廊だった。

 初めて来る場所なので、ここがどこだかは糸恩にはわからなかったが、通路のようなものであることはわかった。

 天井は高く、暗くて一番上までは見えなかった。前も後ろもそうで、見渡しても闇しかない。

 こんなに闇しかないのに、自分の周りだけぽっかりと月に照らされたように明るかった。

 体を見ると少し光っているように見えたが、それよりも気になったのが、いつも全身ある傷という傷がない事だった。

 よくよく考えれば体も痛くなくて、浮かぶように軽かった。夢見心地の気分だ。


「ここどこ……?」


 呟いてみて、声が出ることにも驚いた。目を閉じる前の喉の痛みが嘘のようだった。

 足も裸足なのに痛くないし、さっきまで着ていた古い服ではなくて、ひらひらしたワンピースを着ていた。こんな服を着たことがなかったので、初めてみるが何故かはわからないが、糸恩はどことなく胸のあたりがほわりと暖かくなるのを感じた。


 しばらく突っ立っていたが、何か音がしたような気がして振り返る。

 しくしく、と泣く声が聞こえた。そんなに大きくはなくて、気をつけないと気づかないくらい、細やかな声。それがとても気になって、糸恩はそちらへ足を向けた。

 裸足で歩いているのは変わらないけれど、ぺたぺたと足音もしない。けれども、不思議とそれは疑問には思わなかった。

 声の方まで行くと、自分と同じように白く輝いている女性が顔を伏せて泣いていた。

 なぜ泣いているのだろうか。そんな事は考えてもわからないので、糸恩は思うままに女性の隣にしゃがみ込んだ。


「貴女はだぁれ?」


 隣に来た糸恩に気がついた女性が問いかけてくる。糸恩は素直に自分の名前を口にした。糸恩が名前を問い返すと、女性は『ルシア』と答えた。

 ルシアは輝いているようにも見えたが、それは糸恩の纏う光よりもなお淡く、同じくらいに見えたのは、手に持ったカンテラと窓から入る月明かりのお陰だった。

 ルシアの髪は差し込む月の光よりも淡く、薄い繻子(しゅす)のドレスはしゃがみこんでいるせいで、床に波紋を作っていた。白い顔も、同じ色なのに違う風に見える白のドレスも、全てが作り物みたいで、身震いするほどに綺麗な人だった。


「ルシアは、どこかいたいの?」


「違うわ」


「それじゃあ、かなしい、の?」


「そうね、そうかもしれないわ。けれど、なぜ悲しいのかわからないの。わからないから、困っているの。泣き止むこともできないわ」


 なぜ悲しいのかわからなければ、どうしようもないと、糸恩も困ってしゃがんでいた腰を隣に下ろした。

 月が煌々と光っている。今日は満月ようだった。だから明るかったのだと、糸恩は思った。

 月は『あそこ』からも見えたから、満月が明るくて、新月が暗いのは知っていた。

 『あそこ』がどこかは、一つも思い出せなかったけれど。


「貴女はどうしてここにいるの?」


「わたしは、王さまになりにきたの。王さまになって、将門を神さまにするの」


「そうなの、なら、私と一緒ね。私も昔、王様だったのよ。……昔、昔っていつかしら」


 そんな事を問いかけられてもわからないので─彼女は問いかけたつもりはなかったが─、糸恩は首を傾げるだけだった。

 ルシアもそれを真似て、首を傾げる。

 糸恩のきょとんとした顔を見て、優しく微笑んだ。


「思い出したら、なぜ悲しいかもわかるかもしれないけれど、今は思い出せないわ」


「いつかは、思い出せるの?」


「そうね、きっといつかは」


 ルシアは微笑んだ。糸恩も合わせて微笑もうとするが、微笑み方も忘れてしまったようだったので、表情は動かなかった。

 糸恩の思うように動かない表情を見て、ルシアは少し曇った顔をした。その表情がどこか怒らせてしまった時の将門と重なって見えて、糸恩は彼女に何か怒らせたかと問いかけた。ルシアは首を左右に振った。


「怒っているのじゃないわ。悔しくて悲しいの、そう、これが悲しいなの。それじゃあ、さっきのは何かしら」


 目に残った涙がキラキラと、月明かりに反射して光っていた。ルシアには問いかける癖でもあるのだろうか。何かしら、と問われても答えられない糸恩は、また首を傾げた。

 そこから糸恩は、少しだけルシアと話をした。

ポツリポツリと彼女が口にする言葉は、喜怒哀楽に満ちていた。その中は『悲しい』が、多かったけれど、糸恩は彼女から少し感情を分けてもらえた気がした。

 試しに微笑んでみると、少し頬が動いた──気がした。それを見て、ルシアは嬉しそうにとても綺麗な笑顔で笑った。


「貴女と私はとても似ているわ、同じ王様で、きっと違うものだけれど、何かが欠けているの。この欠けたものが見つかれば、貴女も私も、きっと幸福(しあわせ)になれるわ。だから貴女は失くした何かを探しなさい。私も泣いている理由たちを探すから」


「……うん、わかった」


 糸恩の手と自らの手を重ねて、ルシアが言った。

 微笑む顔と同じ優しい手だったが、少し冷たかった。失くしたものが見つかれば、この手も暖かくなるのだろうか。

 糸恩はルシアをじっと見たが、彼女は糸恩が何を言いたいのかきっとわかっているのに、淡く微笑むだけだった。


 月が傾いてきた。夜明けが近いのだと、ルシアが言った。


「もう行かなくちゃ。理由は、わからないけれど、私、行かなくてはいけないの」


「またあえる……?」


 立ち上がった彼女を見上げて、糸恩が目線だけを上げて問いかける。

 それは、とても悲しい音をしていた。こんな声も出せたのかと、糸恩は自分の喉をさする。


「きっと会えるわ。同じところにいるのだもの、きっと会える」


「ほんとう?」


「本当よ、そうね、このカンテラをあげる。これが私と貴女を導いてくれるわ。この月明かりの中で、貴女が私を見つけてくれたみたいに」


 立ち上がった、糸恩の手にルシアがカンテラを握らせる。大切なものではないのかと、眉根を寄せて糸恩が彼女を仰ぎ見る。

 ルシアは何も言わなかったが、いいのだと、そう言っているように感じた。


「さぁ、行きなさい。小さな王様、次に会う時には貴女は、きっともっと美しく笑えるはずよ」


 それに、貴女を待っている人が居るわ、とルシアは微笑んだ。彼女に背を押されて、糸恩はその力のままに闇の中へ一歩踏み込んだ。

 侵食するような闇は、糸恩の足元にだけなかった。

気になって振り返ったが、ルシアはもうそこにはいなかった。もう一度見たかった、優しい笑みはもうなかった。

 また会えるといった彼女の言葉を信じて、彼女にもらった真綿のような感情を胸の中に抱きしめた。

 我が君、と将門に呼ばれたような気がして、早く戻らなくてはと思った。糸恩は導かれるようにゆっくり歩き出した。




 コツ、と後ろでヒールの足音が聞こえた気がした。




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