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聖戦のアルマティア  作者: 佐伯 木綿季
リッツオルフ編
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第1章 少女と最後の英雄〈3〉


     3


 嗚呼、またか。

 水槽に浮かべられたような浮遊感の中で、将門の意識は浮上した。目を開けると(から)の玉座が十一並んでいる。

 己の座する玉座と合わせて十二。今回選ばれた英雄で自分は最後の降臨となるようだと、すぐに理解した。

 これで一体幾度目の聖戦になるのだろうか。

 今はなき、どこかの世界で死を遂げてから、数百年、数千年。ずっとこの遊戯の地で戦い続けてきた。

 この不毛な遊戯に、まだ終わりは見えない。

 最後の英雄ともなれば、他の国との力の差は歴然。今回も屠られ、振り出しに戻るのは目に見えている。それでも逃げることは許されない。己が逃げれば、己を呼んだ王の命運がぷつりと消えてしまう。罪なき民の血も、余計に流れてしまう。

 そして、今まで積み重ねた数多の敗北が意味をなくす。この終わりの見えない遊戯から、身を引くことは決して許されないのだ。

 まだ見ぬ王の手が、鏡に触れる気配がする。

 ガラスを擦り合わせたような高い音がリィィンと響き、将門の聖戦が始まりを告げた。



   ❁ ❁ ❁


 あまりに突然だった。出会ってからまだ数分ではあるが、感情の読み取りにくいその面持ちからでは、寸前まで気づくことができなかった。


「我が君?」


 突然眉を寄せた少女の異常を感じ、将門が呼び掛けるとほぼ同時に、彼女の体から力が抜ける。ずしりと腕にかかる重みと、だらと投げ出された腕に、少女が意識を失った事を悟った。

 英雄の降臨の際に、王は体の中から魔力をごっそりと持っていかれる為に、気分が悪くなることや時には気を失うこともある。ほとんどの王となる器を持つものは、そんな事ではびくともしない強靭で気丈な者ばかりである為、倒れるものはかなり少ないが。

 だが、この王の場合は違うと将門は確信していた。

 初めて会った時に身なりの異様さと共に感じ取った、少女の悲しいまでに膨大な魔力。将門の顕現(けんげん)を果たしてなお、揺るがぬほどに強大な力を感じた。

 その魔力は変わらず今も少女の中に感じる。だから、魔力不足での昏倒ではなく要因は別にある、と判断した。


「英雄様、どうかなさいましたか?」


「我が君、いや、王が気を失ったようだ」


「それは……、王はご無事なのですか? 御身に何か問題があるのですか……?」


 急に歩みを止めた将門を振り返り、アンナが不安そうに問いかける。

 ここはリッツオルフ、最後の王を待ち望んだ国。その王に何かあれば、必然的に聖戦の最初の敗戦国となってしまう。それはまだ聖戦が開始されていなければの話ではあるが、最後の王の国という事実のみを考慮して将門は、アンナを落ち着かせる為に言葉を返した。

 もっとも、将門自身も些か冷静を欠いていたのだが。


「おそらく重度の疲労と体の傷によるものだ。見た限りでは痣以外は浅い傷しかないが、私の目では体の内側の傷まではわからない。すぐに医師を。その後湯浴みをさせて、着替えさせてくれ」


「承りました。急ぎましょう」


アンナが将門の言葉に落ち着きなおして、また冷静な声で返答した時、その背後からまたヒールの音が、今度は複数響いた。

 気配がある事と近づいてくることには気づきつつ、少しばかりの気を払うのみにしていた将門は、そちらに目をやる。

 そこにいたのは、数人の女性。ほぼ全員がアンナと同じ様相の侍女であったが、一人だけ侍女のエプロンドレスではなくら黒の女官服を身につけた老年の女性がいた。厳しそうな顔つきをして、立っている。

 その女官服の女性を見とめてすぐに、アンナは端に避け、礼の姿勢を取った。


「君たちは?」


「我らがの太陽と剣にご挨拶を申し上げます。(わたくし)はリッツオルフ王城の女官長をしております。ベルナデッタと申します。召喚の鐘に際し、参上致しました」


「この城は随分と常駐のものが多いね」


「他国の城のことは存じませんが、リッツオルフ王城では女官を一人以上、侍女は五人以上配する決まりとなっております」


「ふむ……では、君たちにも頼む。彼女にはもう頼んだけれど医師の手配と、湯浴みと着替えを。この様子ではしばらくは目覚めないと思う。休める部屋を用意してくれ」


 無機質に承知致しましたとベルナデッタが返答する。

 即座に背後にいた四人のうち、二人に王の間の準備を、一人に召し替えの準備を、もう一人には医師の手配を言いつけた。彼女たちはすぐに動き出す。この場に残り、将門たちを案内してきたアンナには共に湯浴みの助けを命じた。様相に見合った手腕に将門は関心を覚える。王不在の状態でよくここまで教育された侍女を育てることができたものだ、と。


 基本的に王が不在の間は選帝侯(せんていこう)と呼ばれる、中継(なかつ)ぎの王が代理として王位に就き、国を守り、(まつりごと)を取り仕切る。その場合、城は選帝侯の居住地となるので、この程度の教育具合はおかしくはない。

 だが、この城は違う。選帝侯が管理しているのであればこの城の様子は暗すぎる。本来ならば、王の城ほどの建造物は、王または王の代理となるものの魔力で満たして、その力を防衛や維持に役立てるのだ。それができているのであれば、城がこんなにも暗く、澱んでいるはずはない。

 城への居住は義務ではないが、城を守る事は選帝侯の義務である。しかし、この城には選帝侯に選ばれるほどの人物の魔力が、まるで感じられなかった。人が住んでいる気配すらもない。

 その為に彼らはその力を与えられている。だがその様子がまるでなく、維持に力が割かれていないために城全体が、暗く澱んでいたことがまず一つ。

 そしてもう一つが、召喚に際してまずはじめに駆けつけるであろうはずの、選帝侯の姿が無かったこと。女官と侍女ですら駆け付けているのに、姿を見せないのは些かおかしく事である。

 二つの点から、この城に選帝侯はなく、かつこの国には何か厄介な種がある事を、将門は確信した。聖戦を始める前にまず自国の平定からとは、先が思いやられると将門は深く息を吐く。


「アンナ、王を。君に任せる」


「はい、承知しました」


 頷くアンナの手に慎重に王の身を移すと、将門はそのまま少女の腕を取り、人差し指と中指を手首にそっと置く。

 二本の指の先にポゥと淡い光が灯り、大小3つの丸とそれをつなぐような形で手首にぐるりと線が浮き出た。その線が大小の円を跨いで腕を一周すると、将門はよしと頷き、手を離した。

 その様子を物言いたげに見ていたアンナの視線に気付いていた彼は、聞かれるより前に口を開く。


「これは、王と私の感覚を繋ぐものだ。何かあれば、私が即座に駆けつける」


「……なるほど」


 アンナは歯切れの悪い返事をした。

 確かにこんな術を施されては、信用されていないようにも感じるだろう。事実、将門は彼らを信用はしていない。糸恩を預けるのは、彼らが何かをしでかせるほどの力を持たないと断じたからと、将門では少女である糸恩の世話をしてやらないからだ。将門の天秤では王の安全と、彼女らからの悪印象を測っても、彼女らの方に傾くことは決してない。

 そして聞かれる前に答えたのは、暗に警戒しているぞと間接的に教えるためでもある。王あればの英雄であるから、と言う理由も勿論あるが、単純に今は彼女に庇護欲(ひごよく)を感じているからだろう。

 王の安全が最優先なのは、どんな英雄でも第一に決まっていることなのだ。


「それでは二人とも王を頼む」


「……承りましてございます。英雄様はあちらのお部屋でお待ちください。応接の間として用意が整っております」


 少しの沈黙の後、ベルナデッタがそう答える。すぐに皆様がお集まりになります、と一言言い残して、彼女はアンナたちを連れて、王の居室である方向へと消えていった。



   ❁ ❁ ❁


 応接室に入ると一人がけのソファに腰掛け、将門は一息をついた。

 これまで幾度もの聖戦を経験し、同じ数だけ敗北の苦渋や降伏の悔しさを味わってきた。この国の内情はまだ与り知らぬことであるが、今まで降臨した国のどれよりも状況は悪いはずだった。

 選帝侯の不在。これは国としてあまりにも致命的な欠陥だ。選帝侯家が絶えているのか、それとも反旗を翻しているのかはまだわからないが、現状不在であることに間違いはない。国を支える支柱がいないのだから、今日(こんにち)まで国として存続していたことが、ほとんど奇跡に思える。

 王を抱えていた時も、こうして一人になったなら尚更に、将門は考えることを止められなかった。

 ぐるぐると考えが巡る頭の中は、時折締め付けられるようにキリキリと痛んだ。目を閉じて少しでも情報を遮断しようとするが、負担はそう変わらないようだった。

 本当ならば召喚後の国の内情は、王とともに頭を悩ませることであるが、そんな無理をあの少女に強いることは、将門にはとてもできそうにない。小さな幼子に背負わせるなら自分で全て背負った方がましだと思えた。

 滅多に使うことはないであろう魔術を使用してでも、痛覚すらも繋げてでも、側を離れたのは少女が眠っている間に事態を把握するためでもある。

 一人で悶々と思考していた将門は、ふと扉に目を向けた。美しい意匠(いしょう)の扉だ。この城は作りだけはいいらしい。その扉の向こうに複数の気配を感じる。ベルナデッタの言っていた、もうすぐ来るという者達だろうと、将門は身構える。

 それと同時に控えめなノックが響いた。


「入ってくれ」


「失礼致します」


 将門が一声かけると、若い男の声の挨拶とともに扉が開く。

 扉が完全に開くと、そこには二十代程度だろうという若い男が二人と、後ろに老年の男性と見受けられるものが何人かいた。

 体格のいい騎士のような衣装の黒髪の男と、なぜかその男の肩に担がれた金の髪の男。担がれている方は顔は見えないし髪もかなり長いので、一見分からないが体格で男と判断した。騎士風の男以外の彼らは、この国の政務官達だろうか。


「君たちは?」


「我が国の剣にご挨拶申し上げます。召喚の折、英雄様がこちらにいらっしゃるとの事で、馳せ参じました。私はこの国の軍隊長を務めております、イグニスと申します。この肩の者は現宰相職についている、ルシアンという者です」


 騎士風の男──イグニスがはじめに跪き、挨拶を述べる。それに続いて後ろの老紳士達も跪くが、将門は挨拶より何より、ぐったりと力が抜けて肩に担がれたままのルシアンの方が気になった。

 先ほど間近で倒れた王の姿を見たせいだろうか。


「彼はどうしてそんな状態に……?」


「少し無理がたたったようです。特に問題はありません。自分の限界を把握していない、これが悪いだけです。英雄様のお気になさるところではございません」


「……そうかい。イグニス、と言ったかな。よく私が英雄だとわかったね」


御身(おんみ)から流れる、並々ならぬ闘気を感じました。私も一応武人の端くれでございますので」


 イグニスの答えに将門は満足げに頷き、全員に立って座るように促した。イグニスとルシアン以外の紹介は受けていないが、跪かれたままというのは気まずいものだ。

 イグニスに端の長椅子にルシアンを寝かせてあげるように言うと、彼は粛々(しゅくしゅく)と従う。少し固いように見えるが、将門の目にはイグニスは良い臣下に見えた。倒れるまで働いたというルシアンも、害はないように見える。


「私は先ほど召喚された王により、この国に降臨した英雄。平将門という。堅苦しいのは好まないから、楽に構えてくれ」


 将門がそう促すと、少し固かった彼らの雰囲気が和らいだ。やはり緊張していたのだろう。表情からも少しではあるが固さが取れた。

 部屋にやってきた者すべての紹介を受け、場は一度小休止を迎えた。

 集まった六名のうち、四人を占めていた老紳士のうちの三名は、ルシアンと共に国政を運営する政務官だった。もう一名は彼らを案内してきた、城の執事長であるエイブラハムという老執事。みな、聖戦の王に仕えるために我先にと参じてくれたようだ。

 その全員を見回し、将門はゆったりと口を開いた。


「君達のことは(おおむ)ね把握した。イグニスとまだ眠っているがルシアン、エイブラハム以外は、今日は帰ってもらって構わない」


「なっ!?何故ですか!?」


 将門がそう告げると三人はどよめく。表情から読み取ったのは不安と疑念(ぎねん)と、少しの怒り。そして大きすぎる野心(やしん)とほんの少しの害意(がいい)だ。


 将門は相手の考えていることや内面を一瞬で探ることができる力を 持っている。

 この力は聖戦に際し、世界神より将門が与えられた英雄の“叡智(えいち)”『感得(かんとく)』である。

 聖戦に加わる時に世界神より、英雄は『叡智』を、王は『祝福』を、一人一つずつ与えられる。まだ眠っているだろう少女にも、必ず祝福が与えられている筈だが、それは彼女が目を覚ましてみなくてはわからない。


「君達三人には王への害意を見た。理解せずとも良いが、私は君達を王に近づける気はない。もう一度だけ言おう、帰りなさい」


「そんなのは貴方の主観ではないですか! それで王から遠ざけられたのでは、たまったものではない!」


 将門が再度促すと、一番苛烈な性格に見えた老紳士が声を荒げる。この様子を見るともう紳士とは言えない。

 それを皮切りに、まるで吠えるような音で三人が喚き出す。昔なら、まだ始めの頃の聖戦ならば、己の若さゆえのことだが気持ちに任せて、今ここで切り捨てていたかもしれない。

 けれど、色々な不都合や駆け引きを学んだ今では、そんなことはできない。それでも穏便に説き伏せられるほどの情けは彼らにはないので、少し手荒になるが少し脅すかと朱鞘(しゅざや)の刀に手をかけたその時だった。


「おやめなさい!! 見苦しい!」


 凛とした声が響いた。声の主は寝ていたはずのルシアンだった。将門は少し驚いて、彼の方を顧みる。

 キリッと背筋を伸ばして立ち、重たそうな眼鏡の奥から、声と同じ凛とした青い目が老臣たちを睨んでいた。


「潔く身を引きなさい。拒まれた理由は、貴女がたが一番理解しているはず。大鐘楼の鳴る今日まで国を支えられた事を誇りに思い、私腹を肥やして貯めに貯めた財産でも使って、悠々お暮らしになれば良い。宰相の権限を行使します、直ちに退城なさい」


 それとも不正の証拠を使われて処刑になるか、とイグニスがボソリと呟いた言葉に、老臣たちはみるみる青い顔になり、その顔のまま静かに部屋を去っていった。

 残されたのは将門の指定した、イグニス、ルシアン、エイブラハムの三人のみだ。


「ありがとう、助かったよ」


「いいえ、これは我が国の不和と、若輩の私の不徳の招いた事。それに王の権威の為には、少し厳しすぎるくらいでなければならない。英雄様はお優しすぎますね」


「……私が本当に優しければ、きっと……いや、なんでもない」


 優しく微笑みながらルシアンが言ったその言葉に、将門が鬱屈(うっくつ)した表情で笑った。どこか遠くを思う表情だったが、出会ったばかりの者ではすぐ察せないほどに僅かの事だった。


「さて、君たちにも頼みたいことがある。息をつく間も無くですまないが、私に今の世界の事を余さず教えてくれ」


 そう笑った将門の顔は、大胆不敵な英雄の微笑みに戻っていた。その微笑に気圧されたイグニスたちは唾を呑み、ルシアンはおずおずと口を開いた。


「まず、この国についてです─────」


 宰相・ルシアンの口から語られる、この国の──リッツオルフ王国の内情に、将門は静かに耳を傾けた。


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