第5章 刎頚の友〈1〉
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ランタフェールは、決して平和な街とはいえない。
冒険者という血の気の多い者が集まり、栄えるが故に人の出入りも多く、比例するように諍いも多くなる。死人が出るような事件は、日常茶飯事である。
その死体たちは人知れず長く入り組んだ水路を流れ、流されて最果ての「行き着く端」の墓守に、どんな有り様だとしても埋葬だけはしてもらえる。
今日も今日とて王都の老墓守は、深く深く掘った穴に流れ着いた死体たちを投げ込んでいた。男も女もなく、墓標と墓穴はまとめて一つ。水を吸った人の成れの果ては、酷く重たく、一つ一つ埋めていてはとても時間が足りないのだ。いっぱいになったら、また別の穴を掘る。その間に死体は増える。ずっと同じことの繰り返し。
次々引き揚げて放り込む合間に、墓守はどの遺体から落っこちたのかわからない金時計を見つけた。遺品なんて珍しくないし、いつもは墓穴に投げ入れるのだが、意匠の鮮やかなその時計だけはどうしても埋めてしまうには惜しく見えた。金目のものとかいう理論ではなく、こんな寂れた墓穴で死なせてしまうにはどうにも惜しかったのだ。そんな遺品も長いこと王都の隅にいれば、度々くることがある。
そう言うものを拾った時は、どうしてしまうのが良いのか、老墓守はちゃんと分かっている。その金時計をポケットに仕舞って、墓守は投げ入れる作業を再開した。
その日の朝に流れ着いた成れの果てたちを投げ入れ終えて、墓守はボロ舟に乗り込んだ。いつもは果ての船着場で、船に乗らずに船を漕ぐのが日課なのだが、今日は行くと決めたところがあった。
ギーコギーコと寂れた声をあげるボロの小舟を漕いで、墓守はランタフェールの水路を進んでいく。流れはとても曖昧だが、流され続ければ必ず果てに戻ってしまうので、とにかく前に前に漕ぐ。
すると忘れ去られたような小さな離宮の船着場に辿り着くのを、墓守は知っている。ギシギシと音を立てる船着場に降りて、船を繋ぐと、古ぼけた石階段を登る。
その離宮は王城の外れの外れにあって、多分ほとんど人の来ない場所である。
手入れもされていないので狭くはない庭は雑草が腰ほどの高さまで生えていて、入り口の柵には年中枯れもしない蔦がキツく絡み付いている。奥に見える離宮は手入れこそされてはいないが、まだ崩れる事はなく白亜の壁を陽光に照らしている。
この離宮に昔優しい公妃様と、小さなお姫様と、気弱な王子様が三人で、密かに住んでいたのを墓守は虚ろに覚えていた。涙が出るほど、懐かしい日の記憶だ。
墓守は足元の白い花を一つ手折って、柵のところに金時計を落ちないよう掛けて、その花を添えた。何か気にかかる落とし物があったらそうするのが、墓守の秘密の決まりごとだった。
その落とし物はいつのまにか消えていて、気がつくと青い花が添えられて金貨になって返ってくる。お金が欲しいわけではないけれど、なんとなく墓守はそうしていた。貰った金貨は行き着く端の小屋の瓶の中で、古ぼけて眠っている。
墓守は金時計をかけ終えて満足すると、もう一度ボロの小舟に乗り込んだ。
離宮の中には何があっても立ち入らない。いつかの幻影に侵されたままの墓守の、もう一つの大事な決まりだった。またギーコギーコと音を立てて小舟は水路を進んでいく。
きっと帰る頃にはまた流れ着いている成れの果ての集まりを思って、墓守はまた心を殺すのだった。
❁ ❁ ❁
古ぼけた離宮の入り口、腰ほどの高さにもなる雑草を掻き分けて、宰相ルシアンは暗い顔で歩いていた。ここは昔、自らの住まいだった場所だった。
昔はこんな風に雑草が伸びてはいないし、壁はひび割れていないし、蔦はあったけれどこんなにきつく巻き付いてはいなかった。綺麗な離宮だった。名前は「真珠宮」だっただろうか。
誰も呼ばない名前はいつの間にか、誰からも忘れ去られてしまった。ルシアンはとぼとぼと歩いて、裏口の船着場のあたりまで来る。
サアサアと水路を水が流れる音が聞こえた。この水路は初代聖戦の王の時代に天才建築家が設計し、遠くを流れる大河から地中を伝い引いたもので、上でも下でも右でも左でも不思議と水の流れができる。
今は亡き古の魔術で造られているのだと習ったのは、幼少の頃にこの場所でだった。
ルシアンは柵にかけられた金時計を見つけた。白い花が添えられたそれには、微かに見覚えがある。確か政務官の、誰かの家紋の入った時計だった。執務室に戻って調べればわかるだろう。
そして、ここに掛かっていると言う事は、その持ち主がもう亡き人であると言うことの証左だった。この離宮に来て白い花を添えて帰って行くのは、今は亡き離宮の主人に仕えた、忠実な騎士の成れの果ての行いに違いなかった。
その金時計を手に取り、握ってルシアンはポケットから出した少し萎れた青い花を添えた。母と似た色をしている自分の瞳と同じ色の花。その花を金貨で押さえて、ルシアンは踵を返した。
この離宮へ来るのは、気持ちが落ち込んだ時だった。どうしても泣いてしまいそうな、負けそうな時だけにしている。
美しい思い出しか置いていないこの場所には、自分を慰めてくれるものはきっと無いのに、それでも足が向いてしまうのだ。乾いた苦笑が口から溢れる。これは誰にも見せられない弱音だった。
遠くで鐘のなる音がする。七、八、九回。始業の時刻である。きっと執務室には部下たちが押し寄せているだろう。その音を聞き終えてから、ルシアンは離宮を出た。
指で金時計を弄びながら、眼前に聳える白亜の城を見上げる。この城へ戻れば、自分はこの国を支える宰相であらねばならない。憧憬に縋る子供のような大人では、決して居られないのだ。
ルシアンは久しぶりに見た姉の顔を思い出して、心が冷えた。
あの苛烈な姉は取り巻く全てに憤り、出て行ってしまった。自分も父を許すことはできないけれど、それは姉も同じことだ。そして姉の許せない者の中には、きっと自分もいるのだと、胸が苦しくなる。逃げ出したくもなる。
けれどもその道を選べないほどに、自分は恐ろしくなるほどに臆病だった。思い出を引き剥がしながら、重い足を動かして、古びた小道を踏みしめる。
唯一の希望を孕んだ、まだ幼すぎる王の待つ城へ、ルシアンは歩を進めた。




