幕間 真夜中のお茶会
「……最後の王が生まれたようだの」
「その様ですね。ふふ、竜胆殿はもっと前からわかっていらっしゃったのでは? なんでもお見えになるのですから」
アルマティア北東部、北の大国 キウスと東の大国 レガルストの国境にある街『クラウソラス』。
古くは聖剣の安置所として栄えた北の沿岸沿いにある国境都市は、今は北方商業行路の要衝となり、変わらぬ繁栄を見せている。
時刻はもう夜半近くになるが、城下の街はまだ明かりに包まれ、往来には人々が賑わう。小高い丘にある坂の町であるクラウソラスは、城から城下が一望でき、距離もさほど離れていないために賑わいは、2人の王の耳にもしっかり入っていた。
キウスとレガルストのちょうど間におかれた中立地帯にあって、この城に入城が叶う王はこの二人のみ。
一人はレガルスト国王 竜胆。
流されたままの濡れ羽色の髪は、蝋燭も灯らぬこの部屋の闇と同化して、その中で白皙の肌と、天上の月の如く爛々と煌めく金の瞳のみが、浮かんでいるように見える。
彼女の故郷の民族衣装であるという、幾重にも布が重なった緩やかな衣装─本人は唐服と言っている─に身を包み、静かに窓の外に目を向ける仕草は全てが絵になって美しい。
白皙の手に弄ばれた黒漆の扇は、晴れた夜空の中で光る星のように静かな輝きを闇に残す。その和扇の扇面は、王が名に冠する花と同じ色をしていた。
まるで天上を描いた宗教画から抜け出てきた様な出で立ちをして、大国レガルストを統べる王である。
彼女とは言ったが、見た目から性別は察することは難しく、本人も性別は「ない」というので、男性か女性かは誰にも定かでない。けれど、幽遠な見た目は女性らしい柔らかさを見るものが多く、そばにいる者たちもかなりの数が女帝だと思っている。真実は誰にもわからない。
また一人は、キウス皇帝 セイレーン・ルミナ=カー・プリマリア。
竜胆の瞳にも負けず劣らずの輝きを放つ、星の色をした金髪を後ろでまとめ、常に余裕で満ちた微笑を浮かべて細められている瞳は、天空の青。
極北の国を体現するような白の生地の、騎士の着る服の様な風変わりなドレスを身に纏い、優雅に足を組んで、もうとっくに冷めた紅茶をそれでもまだ楽しんでいる。
傍に置かれた細身の剣は、冷めざめした月の光を反射して、静かに輝いている。まるで抜き身の様にも見える銀の鞘は、この平和な空間で今は静かに沈黙していた。
騎士の国の皇帝の名に恥じぬ、普段は怜悧な眼差しは、今は穏やかに弧を描いている。
両の耳に飾られた耳環の黄金が、月の光を受けて清廉に輝き、彼女が身動ぐ度に天楽の音を奏でた。白と青の二つの宝石は騎士の国の色を表すという、皇帝の為に誂えられた耳環である。
それは二人の大国を統べる皇帝の、月夜の秘密のお茶会であった。いつもは側に侍る英雄たちも、今ばかりは別室へ下がっている。
この部屋には、二人の王だけ。いや、二人と一羽だけになる。セイレーンの傍らの止まり木には、一羽の青い鳥が止まっていた。
月の光に輝く羽は、青海の青を写している。青い小さな鳥だ。手のひらほどの大きさしか無いだろう。億劫そうに止まり木に両足を揃えて止まり、今にも眠って落ちてしまいそうにも見える。
その鳥の様を一瞥しながら、キウスの賢帝はレガルストの月帝へ問いかけた。彼女の玲瓏な声音が、静かな部屋に響く。
「何かお見えになったので?」
「……そうでなくば、友人を茶にも誘えぬか?」
「意地悪な方だ。……私にはお教えくださいませんか。白雪に問われたら、快く答えるだろうに」
「あの娘には儂と同じようなものが、元々見えておるからのぅ」
少しの応酬の後に、セイレーンはまた紅茶を静かに啜る。止まり木から羽ばたきの音も静かに、青い鳥が飛び立ち、部屋の窓の縁に止まった。
それに少し目をやった後、もう一度竜胆に向き直る。少し意識して、気配を友人から王のものに変え、より賢帝らしい微笑みをたたえて。
竜胆の方は、その青い鳥をじっと見ていた。その横顔からは、少しの意図も悟れない。いつもの艶めくばかりの微笑みだけがある。
「それで、何が見えたのでしょう」
「はは、賢帝殿は逃がしてくれないようだのぅ。……何、大したことではない。此度の最後の王の姿を少し、と後は、それの艱難辛苦を少しといったところか」
「竜胆殿が艱難辛苦と仰るとは……十二番目の王の道は、それほどに過酷ですか。確かに最後の召喚ではあるが、あの国は確か……」
「始まりの聖戦の勝利者の国だったかの。けれど、その威光は遥か。もう既にないようだ」
竜胆が笑みを一層濃くする。比例するように、月に雲がかかって、明かりのない部屋の中が少し暗くなった。
外の崖に波濤の打ち付ける音がした。波濤と静かなさざ波の音だけが、厳かに部屋に広がる。いつのまにか、外の喧騒は止んでいて、密やかな夜の静けさだけが残っていた。
窓の外の波の音に混ぜるように、「それに」と竜胆が呟いた。セイレーンは言葉の続きがあるとは思っていなかったのか、反射的に竜胆に視線を向けた。その視線を気にもせず、こちらを向くこともしないで月帝は続ける。
「少女だ」
「はい?」
「十二番目の王の事だ。まだ幼い……見たところ、十と少しといったところか。そんなに長くは見なかったが、特に尋常ならざる、という風ではなかったな。ごく普通の少女──とは、言い難いが」
「普通ではない、ですか……確かに王に選ばれるほどの者ですからね」
「会えばお主もそう悠長には言っていられまいよ。儂には、全てに恵まれず、愛されてきたとは言い難い、薄幸なただの子供に見えた。……庇護好きのお主が放っておけないような、と付け足そうか?」
ピクリとセイレーンの肩が揺れた。耳環がそれに合わせて、シャランと軽やかな音を奏でる。
ずっと崩れなかった表情が、少しだけ綻びを見せた。少しは琴線に触れたか、と、やっと彼女に向き直り、竜胆はほくそ笑む。それを見て、セイレーンは深い溜息をついた。
この王はおおよそ全てを見透かし、次に相手がどんな行動をとるかも予測しきった上でこういうことを言うから、本当に意地が悪い。その意地悪に毎回のように隙を見せてしまう、自分自身にも辟易する。
もう一度溜息をつきつつ、窓辺の鳥を見た。こちらの気も知らずに、優雅に毛づくろいしていた。絶妙に空気の読めない鳥である。セイレーンが鋭く視線で射抜くが、身じろぎもしない。肝も座っているようだ。
竜胆はセイレーンが十二番目の王の詳細を聞こうが聞くまいが、彼女が取る行動を知っている。知った上で、彼女がその行動を取らざるおえないように追い込んでいるのだ。
セイレーンは策士だこと、と心中で、軽い悪態をつく。尊敬できる点が数多にある第一の王は、反面教師にすべき点も数多あるように見えた。
「そこまで知っておられるのなら、私が今日ここへ応じた意味も、察しておられることでしょう」
「はて、さぁな。友人と茶をしに来ただけではないのか?」
セイレーンはまた溜息をつく。この老人─見た目ではそう見えはしないが─にだけは、自分がいかに年を重ねようとも勝てない確信があった。食えない狸というのは、こういう顔をした生き物だろう。
セイレーンは懐から二つ折りにして持っていた紙を出し、竜胆の前へ広げて置いた。契約書だか誓約書のようなものだった。今日はこれを渡すために、乗る必要のない竜胆の茶会の誘いに乗ったのだ。それもこれも、これからのための先行投資として。
「こちらにご署名を下さいませんか。中立派にも、勿論聖戦派にも。まだ動かれては困りますので……牽制だけでも、させて頂きたく」
「なるほどな……先手の時間稼ぎか。さすがは穏健派の盟主だ。行動が早い」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、元々十二番目の王が召喚された時にはこうするつもりでした。どの王にも平等に抗う権利がありますから。それすらも与えないのは、私の騎士道に悖る……最後の王が竜胆殿の言うような、自らで選べぬ子供だと言うのなら、尚更に」
「相変わらず立派な志だ。聖戦派の足止めと最後の王への小手調べの庇護か。……リッツオルフを穏健派に引き入れるつもりかい?」
竜胆の問いに、セイレーンは答えなかった。
竜胆も答えない事はわかっていた。
否定とも肯定とも取れない沈黙の後、竜胆の白妙の手がその紙に伸び、机の上に置いてあった鵞ペンにインクを付け、空欄に署名をする。「レガルスト皇国 皇帝 竜胆」。その名の横に、「キウス帝国 皇帝 セイレーン・ルミナ=カー・プリマリア」の名もしっかりと記されている。その紙は、拘束力は置いておいて、内容はごく個人的な契約書だった。
現在第十一までの王は、十二王が揃うまでの戦争協定に半数以上が加盟している。シルヴィスとルアニール、ロギンベッドの聖戦派三国以外の残り全国家が。
その戦争協定は、第十二の王が戴冠するまでが期限である。すなわち、セイレーンがまだ与り知らぬ、その少女が戴冠式を行うまでが、戦争を止めておける期限であり、穏健派の最初のリミットがそこにある。
いかに聖戦派の軍事国といえど、八つもの国に睨まれては身動きはできない。シルヴィスと最後の王の国 リッツオルフは二年前のシルヴィスの侵攻の際に、戴冠までの不可侵を条件として和平を調印していた筈だが、それをシルヴィス側が守るかも、怪しいところだとセイレーンは思っている。
どういう理由かは知らないが、シルヴィス王国のアレクシア王は決着を急いでいる。彼女とはまともに話した事はおろか、聖戦の王の会議の時ですら一言交わす程度の交流しかない為、その理由を察する事もできない。
けれど、執拗に流血を望み戦争に拘る彼女のやり方は、どんな理由があったとしても、セイレーンには許容できないだろう。
その女王のやり方を知るからこその、契約書だった。和平調印の際に交わされた期限を最低限守らせるための監視と牽制。聖戦を「まだ」はじめさせない為の、ごく小さな布石だ。
それがいつか竜胆の言った少女の「艱難辛苦」を呼ぶとしても、少しの平穏すらもその少女に与えないやり方も、セイレーンには是とはし難い。
穏健派に引き入れる、必要ならばそうもしよう。けれど選ぶのは竜胆の言う、幼きその子だ。
その小さな少女に艱難辛苦を歩ませるのが周りの大人たちならば、選ぶ権利くらいは作ってあげたいと思うのは、余計なお節介だろうか。けれども、与えられるものならば惜しまずに与えるべきだと、セイレーンは思う。
これがまだ見知らぬが故のお節介だとしても、例え会った時に感謝も知らぬ子供だったとしても、その子がいつか敵に回るのだとしても、せずにはいられない事がこの世にはある。
「これでシルヴィスやロギンベッドの足が止まればいいのですが……闇に紛れた刺客に関しては、こちらにはどうしようもないですね」
「左様。シルヴィス辺りは、もう仕込んでおるだろう。だが、ロギンベッドの小僧はそんな事をする輩には見えなんだ」
「トゥエイン王は、確かにそんな手は使わないでしょう。注視するべきはシルヴィス。アレクシア女王です。……竜胆殿、ポーラ殿や白雪にも仔細は伝えてありますが、東方領域は私の視野外です。その時にはお願いしますよ」
「……ふふ、まぁこの茶の時間の価値の分くらいの睨みを利かせてやるのは、造作無いさ。後はあのごたついた国を幼い少女の王を守りつつ、“あの英雄”がどう治めるか……だろうな」
「竜胆殿、……あの英雄とは、まさか」
「ああ、“王殺し”が此度も出てきおったわ。“レン”、彼奴は食えんぞ」
「レン」というのはセイレーンの愛称。大抵の人は彼女を親愛をこめてそう呼ぶ。彼女自身も長い名前を呼ばれるのが好きなわけではないので、そう呼んでもらうように頼む方が多い。
そして、竜胆がその名を呼んだということは、もう王同士の会話は終わりだ、ということだ。
セイレーンもとい、レンはまた深々と溜息をついた。
王が召喚される度、時が経つごとに状況は悪くなる一方。和平とは程遠いところへ離れていっている。行きたい方とは逆方向の海流に乗ってしまった様だ。いつか自らも、戦に身を投じなくてはならないのは、もう随分前からわかっていた。
特段戦うのが怖いわけでも、死を恐れているわけでもない。自分だけが死ぬのならば、それならば別に構わない。己の命など、幾らでも差し出そう。
けれど、これから行われるのは『聖戦』、戦争なのだ。一人の血で済むものではない。
いまは遠き故郷で経験した幾度かの戦争でも、数え切れないほどの死者と負傷者の姿を見た。同じ数だけの怨嗟と後悔と悲哀を見た。
ここにも、この地に生きる民がいるのだ。
その民達を戦争の渦中へ引きずり込み、戦わせ、あの日見た苦しみの中へ放り込む事だけは、レンは避けたかった。
それをこの世界の民たちが、“当たり前”だと思っていても。誰一人悲しまない事は無理だとしても、僅かでも民の苦しみを減らしたかった。
その為の六年だった。
けれど、第五の王の手でそれは徒労に終わろうとしている。あのうら若き女王の手腕は確かなものだった。生来王族として駆け引きと騙し合いの中で生きてきた、レンすら騙し切るほどの駆け引きのうまさ。そして、仕掛ける動きの速さ。
アレクシアが召喚されたのはレンがこちらへ来てから三年半後だった。そこからたった半年で軍備を密かに整え、開戦までこぎつけてみせた。
あの時はその手腕に、ただ驚いたのを覚えている。二年前にシルヴィスがつけたリッツオルフの火は、いまだ消えていない。上辺の体裁だけの平穏の中で、今も燻っている。
一度付いた戦禍の火は、燃え広がるのはとても容易い。その付け火を許してしまった時点で、きっとこの聖戦が血塗れになる事は、決まっていたのだ。
一瞬沈み揺れ動いた感情を、奥底に押し込めレンは錆び付いた笑顔を、もう一度浮かべた。竜胆が終わらせようとした、王の時間をもう少し続けるために。
「その“王殺し”とやらの手腕にもよりますが……リッツオルフの国力は、国内のごたつきを加味しても、あと持って三月ほどでしょう。選帝侯が国土を切り分けている現状はそれほど悪い」
「妥当な筋だろう。“王殺し”がその間に治め切るか、保たずに内輪で滅ぼし合うか。それとも全てを自ら滅ぼすか。いずれにしても、幼い王には辛い選択が続くだろう」
竜胆が手元の湯呑みを取り、冷めた茶を少し啜る。体の芯に染みるほどに冷えていた。初春の時期である今に飲むには、そぐわない温度だろう。
それでも、飲めないことはなかった。冷たいものを嚥み下すのは、もう慣れた事だ。
そういえば、ここにきてからもう一刻以上は、優に経つだろう。そろそろ戻らねば、国のものが慌て出すな、と思考の端で考えた。
夜半でも皇帝が寝所にいなければ、巡回の際にバレて、かなりの騒ぎにはなる。加えて英雄も今こちらにいるのだから、それも騒ぎの大きくなる要因になる。
これはまたこっ酷く叱られるな、と思考の上部を、ちょっとした罪悪感と億劫が撫でた。
けれどそんな事を考えても、まだ話は終わりそうにはないので、どうやって臣下たちを宥め賺すかを考えた方がよさそうだった。
「竜胆殿」
「? 何じゃ?」
冷めた茶を手に、個人的な思考に耽っていた竜胆に、レンが溜め込んだ様に声をかける。その顔はたたえていた微笑みを搔き消し、訝しい目をしている。
この子は時折こういう本能的な表情を剥き出しする、と竜胆は、レンの珍しい姿に多少瞠目する。彼女は特別取り繕うのが上手い子だから。そしてそれを引き出させたものにも、多少の興味があった。
「“王殺し”の噂はかねてから聞きますが、本当に噂の様な人物なのでしょうか?」
「そう、じゃのう。至った事実のみの情報しか、後の者には入らんだろうからの……あれの物腰は柔らかで、他者を軽んじたり蔑んだりする事がない者ではある。だが、英雄としては多少薄弱でもあった。その弱さが見せた一度きりの凶事だったのかもしれないが、王を手にかけた事は“おそらく”間違いない」
「おそらく、という事は竜胆殿も天使から伝え聞くだけなのですか? 知っていらっしゃる風にも聞こえますが」
「英雄自体とは一度だけだが面識がある。と言っても、儂が忘れぬだけで彼奴が覚えておるかは知らぬが。だが、王を殺したという聖戦の時には一度も居合わせてはおらんな。これは儂も伝え聞いた事柄だ。……天使たちをまるきり信じる事は、レン、お主にもできぬか」
竜胆の問いにセイレーンは苦い顔をする。他者を信じない、それが騎士の心には反しているとでも考えているのだろう。
それに彼女自身、自国の天使に信頼を置いているし、排斥しているわけでも嫌っているわけでもない。むしろ、懐に入れ愛している。
だからこそ、その彼女の口から聞いた事を信じずに、疑いをかけている事を心苦しく思っているのだ。その様子に、竜胆は彼女の感情が伝染する様に、少し苦々しい気持ちになった。
それを隠すために閉じた扇で、唇をトントンとして表情を誤魔化した。若さゆえの高潔さと優しさが相反するのは、自分にも身に覚えがあったからだろうか。セイレーンは、暫し悩んだ末に肯定を示した。
「彼女の言うことの全てが真実ではないと、思っています。天使は“王殺し”を執拗に排斥したがっているように、私には見えました。加えて、その本人をまだ見たわけではない私が、悪と判断するにはまだ判断材料が少なすぎる、と思うのです」
「……お主のいう事は尤もじゃ。天使のあの英雄への悪意は、儂も少し気になった。気にはなったが、どうする気にもなれん、何故かな。直接問うても要領を得んしのぅ。では、一先ずお主は、実物を見てから決める、で良いのかい?」
「ええ。英雄も自らの願いを叶えたいのですから、王を不用意に殺す事はないはずです。……もし、その英雄が悪であるならば、その王は私が責任を持って救いますし、英雄の排除も勿論しましょう。それ自体は天使たちも望む事でしょうから」
レンのその答えに、竜胆は眉をひそめた。
彼女の正義感と高潔さは、十二の王で一際強いと思う。それ故に常に潰れそうなほどの期待をかけられ、それを裏切らない為に身も心も粉にしている。
竜胆は同じ王としても、友人としても、年長の意見からとしても、その彼女の痛いまでの献身が心配でならなかった。
「レンよ。あまり一人で抱え込むものでは無いよ」
「……抱え込んでいる、つもりは特に無いのですが」
「だからこそ、心配してるんじゃ。無意識にでも無理はやめなさい。人それぞれに許容量というものがある。超えても気付かないのは麻痺している証拠じゃ。いつか追いつかなくなるぞ」
「経験則、ですか?」
「ああ、身に染みている。若いうちの無理は、歳をとってから祟る、も付け足しておこう」
「……ご心配、痛み入ります。肝に命じます」
レンは竜胆の目をまっすぐにみて、そう笑った。その笑顔に無理はないように見える。竜胆は、その笑顔を見て、小さく嘆息を漏らした。繕うのが上手い者は器用なくせに、何故こうも不器用なのか、と。
自分もかなり長く生きてきたが、奔放に生きたせいか、そんなに外面を取り繕うのが上手くはならなかった。年の功と騙くらかしの上手さで、巧妙に誤魔化しているに過ぎないのだ。
けれど、たった二十年ほどしか生きていない目の前の彼女は、感情も表情も繕うのが、かくも上手い。これも生き方の差か、と竜胆はもう一度嘆息を漏らした。次は自分の奔放な人生を顧みて。
そしてこれ以上の詮索も心配も、伝えれば包み隠されるだけだと、同時に悟った。
この事に関しては、これ以上は口をつぐんでいる事した。いつかこの子が押し潰されそうになった時に、そっと支えてやれればいい。
それにレンには同じ派閥の中にも、良き仲間がいる。何かあった時に頼るためにいることが、ここに召喚された老骨の自分の役目だ。と、何度も言い聞かせた文句をまた自分に言い聞かせて。
そして、話題を変える事した。長く生きていると、空気を変えたり、主導を握ることは、割と上手くなる。場数を踏むからだろう。これも一種の年の功というやつだ。
「もう一つ、疑問があるのじゃが」
「はい。なんでしょう?」
「王殺しについて、天使以外のこの地の者達が何の記録も知識も持っていなかった。選帝侯ですらもだ。そして、天使も他言無用としている。聖戦の記録がなされないとしても、何もなさ過ぎる。建前は召喚されるか不明だからだというが、それにしては引っかかるところじゃな」
「それは……確かにそうですね。こちらの選帝侯も初耳という風でした。情報の隠蔽、でしょうか」
「隠蔽か……そうであればかなり根は深そうだのぅ」
竜胆の言葉に、次はレンが重いため息をついた。問題が山積みになってきて、いかな今回の聖戦において、最強の一角を占める二人でも、気が遠くなる思いがしてくる。
竜胆が召喚され七年、レンが召喚され六年。其々に国を治め、生き抜くための手を講じてきたが、それでも問題は尽きることがない。尽きるどころか、いつ顧みても山積みだ。
本当ならこうやって二帝が会って、お茶会がてらに話をする時間など、今は無いに等しい。それでも、竜胆はレンを茶に誘うし、レンはそれを律儀に承諾して付き合いに来る。睡眠時間を削ってでも。
そして、どちらもそれを止めようとしない訳は、ここでのお茶会がどんな内容になるにしろ、楽しいからだ。
どちらも国にあっては、最高の位につく者。
至上の王として扱われる日々で、友人と二人きりで語り合う事など、ほぼ無いに等しい。特に王同士の会話など、大抵の場合が証人ありきの公的な場になってしまう。同じ立場で同じ苦楽を知る者同士が、こうして気楽に会話をできる場は、二人にとっても貴重なひと時なのだ。それを知るから、双方の英雄も黙認してくれているのだろう。
「何度か密偵を走らせたが、色よい結果は出ておらん。暫く深く調べてみる事にしよう」
「感謝致します。こちらでもできうる限り探ってみましょう。……それにしても、誰も知らない事については、今まであまり気にしていませんでした。まだまだ未熟ですね、私も」
六年で少しは王らしくなれたと思ったのに、とレンが苦笑気味にはにかむが、その表情はどこか固かった。
竜胆も先ほど口に出すまでは、さほど気にしていなかった問題だった。空気を変えるために、出してみただけ、というような。けれど、口に出してみると、なぜ放っておけのたかという疑問も湧いてくるほど、不可解だった。
「我々の意識も隠蔽の内、か」
「? 如何かされましたか?」
「いや、何でもないさ。……この内偵結果については、次の茶会にでも報告し合うとするかの。いまのところ、次がいつかはわからんがのぅ」
「これからお互いに忙しくなりますからね。三ヶ月後か、半年後か……どちらにしても、無事に行えるならば『十二王会議』の方が早くなりそうです」
レンが肩を竦めながら、微笑む。ざざぁと一際大きく波濤の音が聞こえた。月もかなり傾き、もう暫くすれば夜明けの気配もしてくるだろうか。
今から帰るとなると、どれだけの早馬で、魔術で騙くらかしつつ帰路を急いでも、到着は昼過ぎになるだろうな、と少し思案した。
レガルストの皇都である『ラグナ』は、海沿いから川に沿って下れば二刻ほどで着くが、キウスの帝都『ロワ・イヴェルカ』は普通に行けば一日半の距離がある。キウス国内の移動で大変なのは、横長の国土の横断である。
だが、元々今日は徹夜する気で来たし、置いてきた臣下たちに叱られるのは勿論承知の上なので、特に問題はない。
「そうじゃ、レン。お主のその青い鳥を少しの間、拝借しても良いか?」
「あの子ですか? 勿論構いませんよ。何故かこの部屋には止まり木があるので、ずっと寛いでいますが、どうも私の肩が気に入ったのか、王都からついてきただけの子なので……そもそも私に所有権はありませんが」
「お主はつくづく動物に好かれるのぅ。少しな、鳩ではないが伝書鳩の役割をしてもらおうと思ってな」
「……飛びますか? 目的地まで正確に」
「それはまぁ、お主の尽力がいるな」
「あぁ、成る程。承知致しました」
竜胆が話しながら、机にあった紙に何かを書きつけて、細く紙を折る。そして窓辺でゆったりしていた鳥を両手で掬い取り、その足に紙を括り付けた。
嫌そうに取ろうと奮闘する鳥をよそ目に、レンが青い鳥の眉間─眉はないので目と目の間の上あたり─に人差し指をトンと、指差す。
と、同時に竜胆の目が黄金に揺らめき、遠くを見るような仕草をする。
「レン、リッツオルフの王の名は“糸恩”というらしい。所在はリッツオルフ王国の王都・ランタフェール、ここからは西南に神域を迂回し……約八千キロメートル、というところか」
「承知しました。……リッツオルフ王国、王都・ランタフェールの糸恩王の下まで、この文を貴殿が届ける事。──私はそれを『決定』する。……さぁ、お行きなさい」
レンの指先がぽぅと淡い光を帯び、その光が鳥の全身にまで巡る。すると青い鳥は付けられた紙を取ろうとしていた動作をやめ、急に大人しくなる。
セイレーンの声に合わせ、窓から遥か遠く西南の方角へと飛び立った。小さな羽を二つだけ残して。レンはその羽を拾い上げると、一つを竜胆へ差し出す。
「これがあれば帰りには迷わないでしょう。そちらへ行ったら、可愛がってあげてください」
「相分かった。それにしても便利な能力だのう、レンの『祝福』は」
「そうでしょうか? 結構制限も多いのですよ。例えばああいう催眠の様なものは、一個体づつでしかかけられないとか」
「儂の祝福よりは、まだ使いやすいように見えるがな」
「それは、買い被りすぎです。竜胆殿の“千里眼”の方が、汎用性が高いでしょうに。見たい物を見たい時に見られるのは、国主にとってはかなり良い事でしょう」
「そんなに勝手のいい能力なら、良いのだがのぅ」
謙遜と言う名の譲り合いと褒め合いが、少々続いた後、最後の沈黙が部屋を包んだ。
波濤と少しの風の音。月の光と星の光。今宵も静かな夜だった。静かで物騒で重々しい、いつもの二帝のお茶会。
レンは冷めきった紅茶の最後の一口を啜り、竜胆も残った茶を飲み干した。この城にたまに掃除に来る管理の掃除婦が来るまでは、これも置きっぱなしになるので汚れの元は置いていかない。証拠となるようなものも、置いていかない。
話した事も知った事も、過ごした時間も。
ティーセット以外の全部全部を持って帰る。
これが、この茶会の唯一のルールだ。掃除婦なんかは、このティーセットの居残りは城憑きのゴーストの仕業と思っているくらいに、誰にも知られない密やかなお茶会なのだ。
「それでは、そろそろ」
「うむ。次は十二王会議か。無事全員が揃えれば良いがの」
「そうですね、どうなるかはその少女の運次第になるでしょうが、結果がどうであれ生きてほしいものです。日時はじきに、神域の方から通達が来るでしょう」
レンの言葉に竜胆は軽く頷く。その仕草を見てから、レンは椅子から立ち上がった。椅子にかけてあった、柔らかな白のマントを掬うように取り上げ、ふわりと肩に纏う。
留め金を止めると、「では」と声をかけて、振り向かずに扉から出て行った。扉の奥に同じ星の色の髪をした、極北の賢帝の英雄の姿が、竜胆の目に入った。彼が来ているということはこちらの迎えも来ているのだろう。
クラウソラス城の最上階のこの部屋は、左右に扉があり、そこから降りると合流することなく、北門と南門に出る作りになっている。
竜胆はレンの後ろ姿を見送り、自分も椅子から立ち上がる。窓の外に見える月は、綺麗に弧を描き、ずいぶん傾いていた。もうじき朝が来るだろう。
その月を一瞥してから、竜胆もレンが出た方とは反対側の扉から出た。案の定そこには自分の英雄の姿があった。眠いのかやや不機嫌だ。何も言わない英雄を横目に、竜胆は石造りの階段を降りはじめた。
城には、二つのティーカップのみが、また残されていた。きっと次に掃除婦が来た時には、またゴーストの仕業だと青褪めるだろう。
それは気の毒に思うが、それでもこのお茶会のことは秘密だ。
馬の嘶きと馬蹄が、北門と南門で二つずつ響く頃には、クラウソラスの海は波濤をやめ、静けさを取り戻していた。




