恋する狐は止まらない そのじゅう
完全に、完璧に油断していた。
旦那様が友達を危険なところに放り込んでおいて、高みの見物ができるような性格の持ち主ではないとわかっていたはずなのに。
土曜日の夜、旦那様の師匠の一人であるセイバーファングさんから、ゴーレム型スズメバチを撃退するための助力を依頼された旦那様。
そのときはそんな危険なところに行かないでくれという私の懇願を受け入れて自分自身が行くことを断念し、知り合いの専門家に任せると言って一緒に『特別保護地域』に帰ってきたのだったが・・
今朝になってふと肌寒さを感じた私が布団から起き上がってみると、一緒に寝ていたはずの旦那様の姿がない。
確かにいつもは私が起きる頃にはすでに起きていらっしゃって、朝食の準備や洗濯をしていたりする旦那様だが、この時間はまだ流石に早すぎて一緒に寝ているはずなのだ。
気配を探ってみると、この家からは旦那様の気配が感じられない。
私は瞬時に事態を悟り、家から一旦外に飛び出して玄関前で立ち止まると、逸る心を無理矢理押さえつけて旦那様の気配を捕まえるために集中する。
幸か不幸か旦那様の気配はまだこの『特別保護地域』に残っていた。
ただし、それが感じられたのは、一番私が感じたくなかった場所・・そう、この島の唯一の交通機関がある場所・・地下鉄の駅だった。
私は何の迷いもなく全速力で走りだす。
森の中を生きる疾風となって駆け抜けて行く。
走りながら、何故旦那様から一瞬でも目を離してしまったのかと猛烈な後悔が胸の内を横切り苦しくなるが、今はそれを考えている時ではない、少しでも早く地下鉄の駅に辿り着き、力づくで旦那様を止めるか、あるいは最悪の場合は自分も一緒に行って旦那様を守るしかない。
まだ旦那様の気配は駅から動く様子がない、恐らく朝早過ぎて走っている念車の本数が少ないことで乗れないでいるに違いない。
お願いだから、間に合って!!
必死に天に祈りを捧げながら、朝靄が立ちこめる森の中を縫うように走りぬけて突っ切った私の目の前に、やがて地下鉄の改札口へと続く地下への階段が見えてくる。
私はその階段に飛び込むと一足飛びに階段を駆け下り、あっというまに一番下までたどり着くと広い地下構内に走り出て、旦那様の気配がするほうに視線を向ける。
近い!!
ここにいる!!
私はそう確信し、気配のする改札口のほうへと足を進めていく。
すると、切符を入れる念気自動改札口が並ぶ場所のすぐ横手、成人男性の腰のあたりまでの低い鉄製の柵で仕切られた場所に、見なれた一人の少年の後ろ姿が。
足元には地面からその少年の肩くらいまでの大きさもある巨大な頭陀袋が置かれており、少年はしきりに改札の向こう側を気にしているようだが、自分からは改札を通って向こう側に行こうとはしていない。
私はその後ろ姿を見ることができて深い安堵の息を吐きだしたが、いつ心変わりを起こして向こう側に行ってしまうとも限らないので、今のうちに捕まえてしまおうと足音を殺してゆっくりと近づいて行く。
あと数メートルでその側に辿りつく。
そのときだった・・
「こっちだ、ロム!!」
私の目の前で、旦那様が普段あまり出すことのない『男』を意識させるような声で誰かを呼ぶ。
それは私にいつも向けてくれているものとはまた違う別の種類の信頼のこもった声。
私は咄嗟に旦那様の背後にちょうどあった自動販売機の影に隠れると、旦那様が視線を向けているほうに視線を向けてみる。
すると、身長180cmくらいある人物がゆっくりと旦那様のいるほうに近づいてくるのが見えた。
伸ばし放題伸ばした赤毛に、日焼けした褐色の肌、開いてるのか開いてないのかわからない細い眼に、弱冠大きい鼻、真一文字にむっつりと閉じられた口に、そして、人間種である目の前の少年と違いとがった長い耳をしている。
傷だらけのレザーアーマーを身に纏って武装したバグベア族と思われるその人物は、よくよく見てみると、どうやら旦那様と同年代の様子。
近づいてきたその人物に、旦那様は手を突き出して拳を掲げて見せると、その人物は嬉しげに自分の拳で旦那様の拳を叩き、その後自分が拳を突き出して、今度は旦那様が己の拳でその拳を上から叩く。
そうやって何度か拳を叩きつけあったあと、ぶつけあっていた拳をお互いがっしりと握りあってお互いの身体を柵をはさんで引き寄せ会うと、お互いの身体を力強く抱きしめあって、残った片手でバンバンと乱暴にお互いの背中を叩きあう。
「久しぶり、真友よ。元気でやってるかい? リンとは仲良くやってる?」
「久しぶりだ、真友よ。お陰さまで元気なものさ。勿論あいつもな。おまえも元気そうでなによりだ、連夜、会えて嬉しいぞ」
声を掛け合って、もう一度バンバンと背中を叩きあってから身体を離した二人は、傍から見てもはっきりとわかる信頼のこもった視線を交えあう。
「すまん、ロム、本来なら僕が行くべきところを、こんな・・」
「よせ、連夜。少なくとも、俺と、おまえと、リンの間でそれは不要だろ。おまえはやるべきことを伝えて、『任せた』と言えばいいんだ」
目を伏せてロムと呼んだバグベア族の少年に謝ろうとする旦那様だったけど、それをロムって少年は途中で遮ってやめさせる。
そして、その大きなグローブのような手を旦那様の肩に乗せて、遠目からでもわかる温かい視線を向ける。
「それに今回の戦いは俺自身の戦いでもある。むしろおまえを巻き込んでしまったこっちのほうが申し訳ないくらいだ」
「いいや、それこそ違う。ロムがこれをロムの戦いだというのなら、それは僕の戦いでもある。ロムやリンの敵は僕の敵でもあるからね」
「ああ、だから、こうしていつも通り力を借りに来たんだろ? さあ、いつも通りに指示してくれ。俺はどうすればいい?」
信頼なんていう言葉じゃ言い足りない、何か物凄く強い絆を感じさせる視線を交わしあって頷き合う二人だったけど、やがて旦那様が表情を引き締めて口を開いたわ。
「今回の作戦については昨日の夜、念話で説明した通り。ロムやクリスはよくわかっているだろうから、ここで改めて追加して言うようなことはないよ。それよりも今回用意した『道具』について説明しておくから、よく聞いて。まず、いつもの通り、『回復薬』系の薬品各種。これらを頭陀袋にごっそり入れておいたから、全員に必ず配って。特に『神秘薬』、『快方薬』、『特効薬』は1人につき3本以上は必ず常備するように厳命することを忘れないでほしい。危なくなったら即使う。絶対に使い惜しみしないように」
そこまで言った後、一旦言葉を切った旦那様は、視線を強めて目の前のバグベア族の少年、ロムくんを睨みつけるように見詰める。
「ロムは特に使わないとダメだよ。昨日も言ったけどロムには暴走しがちな前衛2名をフォローしてもらわないといけないから。士郎は昔に比べたら大分感情を抑制できるようになったけど、それでも頭に血が上りやすいのは相変わらずだし、君のところのクラス委員長殿の熱血ぶりについてはタスク師匠や大牙大兄からよく聞いているからなあ、多分君はもっとそれについてよくわかっているんだろうけど・・ともかく、君に崩れられてしまうと前線が一気に崩壊しかねないということを常に頭の片隅において戦うんだよ。まあ、今の君は昔の君と違って無暗矢鱈に突撃したりしないだけの分別を身につけているし、思慮深く周囲をよく確認するようになっているから、その点については問題ないし心配はしていない。ただねえ・・相変わらず弱い者を守って自分を後回しにする悪癖だけは治ってない。だめだよ、今の君は一人じゃないってことを忘れないでね。君にもしものことがあったときにリンがどうするか? よ〜く考えてね。・・まあ、考えるまでもなく答えはでるだろうけど」
旦那様のその言葉に、ロムくんはすぐに反応して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたわ。
「わかっているさ、あいつのことだから俺の後を追うとか平気で言いそうだ。だから絶対に死ぬわけにはいかないってことはよ〜くわかってる」
「ならいいんだ。リンは君にとって大事な人生のパートナーだろうけど、僕にとっても大事なもう一人の真友なんだ。不幸にはなってほしくない・・って、そう言えば今日はリンは?」
必ず生き残ると固い決意を語るロムくんに、真剣な表情で頷いてみせた旦那様だったけど、急にきょろきょろと周囲を見渡し始めた。
そんな旦那様に、ロムくんは肩を竦めてみせる。
「龍乃宮やクラスの友達と一緒にショッピングに出かけるそうだ。随分楽しそうにしていたよ。もうすっかり女の子だな、あいつも・・なんだか複雑な気分だ。まあ、そんなことあいつの前ではいえんがな」
私の気のせいかもしれないけど、嬉しそうに語るロムくんの表情にはその口調とは裏腹にどこか寂しそうな影が見え隠れして見えた。
それは旦那様も同じで、ロムくんと同じような寂しさの混じった笑顔を浮かべている。
なんだか猛烈に気になるわ・・あとで聞いてみようっと。
「まあ、今のリンはロムっていう伴侶を得て完全に『女』に変化しちゃってるからね・・ところで今日のことは言ってないの?」
「いや、大事な蜂の巣を性質の悪いスズメバチに目をつけられてしまったから、今日中に師匠達と駆除するとは言ってある」
「うっわ〜、うまいこと逃げたね、ロム。確かにそれなら嘘は言ってないよねえ・・でもまあ、終わったあとにちゃんと事情を説明しておきなよ。そうでないと後々とんでもないことになるよ、絶対」
「そうだな、隠しごとをしておいて、そのまま放置しておくとろくなことにならないことは身に染みてよ〜くわかっているよ」
二人は思い当たることがあるのか、同じような苦笑を浮かべて顔を見合せる。
そうそう、旦那様はいろいろと隠し事していらっしゃいましたよねえ。
『金色の王獣』に遭遇したこともそうだし、『アルカディア』決死行のこともそうだったし、あと絶対他にもいろいろとまだ隠していることありそうだなあ・・
とりあえず夫婦の間に隠し事はダメなんですからね!! このことについてはあとできちんと説明していただきますから!!
私の心の決意の声が聞こえたのか、一瞬旦那様はきょろきょろと不安そうな表情で周りを見渡したけど、すぐに視線を足元の頭陀袋に移し、中から白いスティックのようなものを二本取り出してロムくんに手渡す。
「ロム、今日はこれを使ってみて」
「警棒か? 剣や斧じゃないのか?」
旦那様からスティックを受け取ってそれを構えたロムくんは、何度か風切り音を響かせて振り感触を確かめながら問い掛ける。
「『害獣』の骨から作り出された特殊警棒で、異界の力を無効化する能力がある・・っていうのは言うまでもないことなんだけど、特に今回は古代に作られた宝珠を動力とする若干小さいゴーレムが相手だからね。まず、素早い敵を相手にするのには大ぶりな武器よりもこっちのほうがいいと思うってことが大きな理由の一つ、剣や斧でもいいんだけど、下手に体の一部分を斬り落として破壊する『斬撃』よりも、棍棒や警棒であてた部分からへしゃげさせて全体的に壊す『打撃』のほうが有効だと思うんだよね。どう使えそう?」
そう言って旦那様が目の前で二本の警棒を器用に二刀流で振り続けているロムくんに声をかけると、ロムくんはニッと笑って頷いた。
「問題ない。小剣の二刀流と扱いはあまり変わらんようだ」
「そう、それはよかった。それで、最後にこの頭陀袋に入っている物の中に、更に真っ黒い頭陀袋が入れてあるんだけど・・これはクリスに渡してほしい。中身について聞かれたら『連夜が見ればわかる言っていた』って伝えてくれたらいい。隠すほどのことじゃないんだけど、中には彼専用の装備が入ってる。実はこれあまりいい思い出のある品じゃなくてね・・特にアルテミスにはあまり見せたくないし、クリスも見られたくないと思うから、なるたけアルテミスのいないところで渡してあげて。まあ、見られても嫌な顔をするくらいなんだろうけどね。はい、じゃあ、これ。いろいろと押し付けてしまってほんとうに申し訳ないけど・・よろしく」
そこまで言った旦那様は、華奢な外見からは想像できないような力で自分の肩くらいまである大きな頭陀袋をひょいと持ち上げると、鉄柵の向こうにいるロムくんに手渡す。
ロムくんは特殊警棒を腰に差したあと、旦那様の差し出すそれを大事そうに受け取って肩に担ぎ、大きく一つ頷いてみせる。
「わかった、十分気をつけてわたすさ・・なあ、連夜」
「ん? 何、ロム」
「おまえは自分が行くことができないことを随分悔やんでいるようだが、たまには俺達にもいいところ見せさせてくれ。この前の『アルカディア』の時、俺やクリス、アルテミス、士郎、スカサハ、それに晴美って子も同伴したが、結局、ほとんどおまえ一人に全てを押し付けてしまった。みんな、口には出さなかったが、今のおまえと同じように済まない、申し訳ないって気持ちでいっぱいだったんだぞ」
「ええええっ!? い、いや、僕そんな大したことは・・」
「あれが大したことじゃなかったら、何が大したことに該当するんだ? 道中の『馬車』の運転はほとんどおまえ、向こうについてからの商談もおまえ、さらにおまえは俺達を危険にさらすまいと四腕灰色熊と単騎で戦ってもみせた。しかも、あの旅で儲けた金の分配では、おまえがしてのけた大きな仕事量の取り分をほとんど上乗せすることなくきちんと等分してしまったし・・なあ、連夜。このままじゃあ、俺達はおまえに借りばかり増える一方で返せなくなってしまうとは思わないか? そんな状態のまま俺達におまえの真友や戦友を名乗れっていうのか?」
怒るようでも責めるようでもない口調なんだけど、とてもとても悲しそうな口調でロムくんに問い掛けられて流石の旦那様も堪えたみたい。
ほんとに、旦那様って甘えるのが下手なんだから!!
なんでもかんでも一人で始末しようとして、もっと私達を頼ってほしいわよねえ!!
ロムくんの言いたいことはもう、すっごくすっごくよ〜くわかるわ。
「べ、別に恩を売っているつもりはないんだけどな・・」
「バカたれ!! そんなこと言ってないだろ。少しは俺達を信用しろって言っているんだ。確かに、俺達はおまえほど生存能力に秀でてはいないかもしれんが、それでもそう簡単にくたばったりはしないぞ」
「いや、勿論、それはそうだろうし、わからないでもないんだけど・・」
「それがわかっているんなら、今回はここでおとなしくしてろ。ちゃんと最良の結果を出してもどってくる、いいな?」
「わ、わかったよ」
本当にしぶしぶという感じで頷いてみせる旦那様。
いや、ほんとに旦那様にはわかってほしいわあ。
旦那様の周囲にいるみんなは、多かれ少なかれそういう想いを抱えているのよ。
目の前にいるロムくんだけじゃない、私だって、ミネルヴァだって、リリーちゃんもきっとそう。
まあ、そんな旦那様だからこそみんな好きなんだろうなあとは思うんだけどね。
「・・っと、それじゃあ、そろそろ行くことにするぞ、連夜。ちょうどあと2分ほどで念車が到着するみたいだし」
天井からぶら下げられた錬気掲示板に視線を移して確認したあと、ロムくんは旦那様にもう一度深く大きく頷いてみせ、旦那様もそれに応えて頷きを返す。
「うん・・ロム。みんなによろしく」
「ああ、わかってる。じゃあまたな、真友よ」
「あ・・ロム」
そう言ってロムくんは旦那様に背を向けてプラットホームに続く地下階段に向かって行こうとしたんだけど、もう一度旦那様はその名前を呼んで呼び止めたわ。
呼び止められたロムくんが怪訝そうに振り返るのに、なんだか旦那様はしばらくなんと言おうか迷っていたみたいだけど、やがて短く・・だけど万感の思いを込めて言葉を投げかけた。
「なんだ?」
「・・任せたよ」
旦那様の言葉を聞いたロムくんは一瞬無表情に旦那様を見つめ返したけど、すぐに片腕を高々と上げて物凄くいい笑顔でニッと笑い返したわ。
「任せろ」
「うん」
その後、ロムくんは振り返ることをせず、まっすぐに階段に歩いていってそこを降りていってしまった。
旦那様はロムくんの姿が見えなくなってもそこにしばらく立ち尽くしていたけど、やがて、大きく一つ溜息を吐きだすととぼとぼと踵を返して帰り始めた。
・・ので!!
私はそっと隠れていた自動販売機の横から音を立てないようにそっと出て行き、何か考え事をしながら歩いていて一向に私に気がつかないでいる旦那様に近寄って声をかける。
だ・ん・な・さ・ま
「へ?・・あっ」
ようやく隣に私がいることに気が付いて、驚いた表情を浮かべる旦那様。
『あっ』じゃ、ありません!!
もう、突然いなくなったら心配するじゃありませんか!!
・・って、えっ!? えっ!? なになになにっ!?
私の怒り声に反応して立ち止まった旦那様だったけど、私がしゃべっている途中でいきなりがばっと抱きついてきたの。
四足で歩いている『狐』の姿だったからなんとか踏みとどまったけど、『人』の姿だったら絶対押し倒されていたと思う・・って、説明している間にも旦那様が・・その、私の身体のいろいろなところを・・
あ・・ちょ・・だ、だめです・・旦那様・・あぁん・・こ、ここ駅だから・・どうしても・・どうしてもっていうならお家で・・私、それならいいから・・もう『狐』でも受け入れますから・・
ただでさえ旦那様の愛撫って異様な快感があるのに、本気でそういう行為目的で触られると理性がぶっちぎれそうになるんだけど、なんとか言うべきことは言っておかないとっていう使命感だけで呟いた私の言葉に反応して、ようやく愛撫を止めてくださる旦那様。
でも、ぎゅっと抱きしめた腕はそのままで、顔だけを私のほうに向けて潤んだ瞳でじ〜〜っと私のほうを見つめてくる。
「玉藻さんは・・玉藻さんは、僕が鬱陶しくないですか?」
はあっ!?
いきなり何仰っていらっしゃるんですか?
「今日に限ったことじゃないんですけどね・・さも全てをわかったような顔をして『人』を操るようなことをする自分がときどき嫌になるんです。自分自身ですらそうなのに、周囲にいる『人』達にはさぞ鼻につくだろうなと。他人にどう思われてもいいんですけど、僕の大事な『人』達にもそう思われていたらいやだなあって」
そう言って顔を背けた旦那様は私には見えないと思っているのか、自嘲気味ないびつな笑みを浮かべる。
「・・こんなこと今更だし、こういう自分の性格を変えることなんてできないし、これまでしてきたことをなかったことにすることもできないのに。こういう僕に付き合わされるみんなはいい面の皮だよなあ、なんてね。ほんと無駄なこと考えていますよね、僕・・って、いたっ!!」
本当に私の悪い癖だってことはわかっているの。
わかってはいるんだけどついつい先に手が出ちゃう。
でもね、旦那様の話を聞いていたら、もうどうしても我慢できなくて気付いた時には私は旦那様の腕を振りほどいて、前足で力一杯旦那様の頬を殴り飛ばしていたわ。
大好きな旦那様を殴りたくなんかないし、罪悪感でいっぱいだったけど、ここはどうしても言わないといけないところだから、敢えてその気持ちを今は封殺し、私は旦那様の顔を真っ直ぐに見詰めた。
私に殴られた旦那様は、顔を俯かせて私にその表情を見せないようにしていたから、私は顔を寄せていって、その顔を覗き込むようにして思い切り近付ける。
殴り返さないんですか、旦那様?
避けませんよ、私。
「・・すいません、玉藻さん。またやっちゃいましたね、僕」
もう!!
そうじゃないでしょ!!
本当はそんなこと言いたいんじゃないんでしょ!?
みんなが旦那様のことをそんな風には見てないし思ってないってこともちゃんとわかってますよね?
「・・はい」
あのね、旦那様。
これから戦おうとしているロムくんや士郎くんやスカサハちゃんやタスクさん達のことが心配で心配でたまらなくて、その場所に自分がいて矢面に立ってあげることができないことで、自分を責めていらっしゃるってことはわかってます。
でもね、それは私をはじめとするみんながずっとずっと旦那様に対して抱いてきたものなんですよ。
旦那様は私達のことを思って、何かあるごとに一番危険なところに自分の身を置いて、それをほとんど一人で対処してくださってきましたよね。
私達が傷つかないように、悲しまないように、苦しまないように、少しでも笑って暮らしていけるようにって。
そのことについては本当に心の底からありがたいと思ってます。
そういう旦那様に救われて、私がいっぱいいっぱい感謝しているように、きっと士郎くんや晴美や、ロムくん達だって同じように思っているはず。
でも・・でもね。
私達だって同じくらい旦那様に傷ついてほしくないし、悲しんでほしくないし、苦しんでほしくないし、少しでも笑って暮らしてほしいと思っているんですよ。
旦那様がいつも側にいて見守ってくださることを、みんなみんなありがたいと思っていると思います。
だけど、今回はみんなに任せましょうよ。
みんなね、きっと旦那様にかっこいいところを見せたいと思ってると思いますよ。
わかるでしょ?
私がそう問い掛けると、旦那様は素直にこっくりと頷いた。
ただ、その表情は本当に辛そうで、私と視線を合わせようとはしない。
だから『こっちを向きなさい』って意味を込めてちょっと噛み付いた。
すると、旦那様はかなり迷っていたみたいだったけど、なんとかこっちに顔を向けて気まずそうに自分の想いをぽつりぽつり話始めた。
「わかります・・けど、待つだけっていうのが思ったよりも辛くて・・玉藻さんに八つ当たりじみたことしちゃいました・・玉藻さんのせいじゃないのに、玉藻さんを汚そうとすることで自分の心の平衡を保とうだなんて・・ほんと最低ですよね・・」
ああああああ、もう、やっぱり、全然わかってな〜い!!
だ〜か〜ら〜、そこはいいの!!
私に八つ当たりするのは、いいの!! 全然構わないんですよ、旦那様!!
「えええええっ!?」
ちゃんと受け止めますよ、私。
その旦那様の痛みとか怒りとか苛立ちとか悲しみとか、全部私のものだって言ったでしょ?
さっき止めたのは、ここが外だったからで、場所をちゃんと選んでくれたら私はちゃんと受け止めます。
むしろ、そういう感情は全部私に吐き出してくれたらいい。
そのための私でしょ?
そうじゃなくて、なんでもかんでも旦那様の心の中に貯めこんで、それを一人で抱えて一生懸命誰もいないところで処理してほしくないんです!!
自分の周囲の『人』達を身体を張って守って傷ついて、自分の負の感情で誰かを傷つけないために必死に自分の中に貯めこんで傷ついて。
身体も心もボロボロにしながらそれでも笑ってる旦那様は誰よりも強いかもしれない。
でも、ちょっとくらい・・ううん、もっともっと頼ってほしいんです!!
でないと・・私が旦那様の側にいる意味ないじゃないですか・・
旦那様のご家族やご友人達もみな・・きっと同じこと考えているとおもいますよ。
「あ・・でも・・僕は・・」
私の言葉に泣きそうな顔をしながらも、まだ、踏ん張って立っている旦那様。
もう、ほんとに強情っぱりだなあって思ったけど、私はすっと旦那様の側に歩み寄ると身体を巻きつけるようにしてくっつける。
強い旦那様は嫌いじゃないです。
でも弱い旦那様も嫌いじゃないんですよ。
どっちの旦那様も・・私は愛しています。
「・・玉藻さん」
やっと私に旦那様は抱きついてきた。
ほんとにもう、心を開いて全部見せているくせに無防備に踏み込ませるくせに、自分は遠慮してこっちに入ってこないんだから。
ほら、旦那様、続きはお家で。
好きなだけ・・旦那様が気が済むまで好きなだけ・・私を自由にしていいですから。
みんなが帰ってくるまでの間・・そうしていましょ、ね?
私は私の身体を抱きしめてその白い獣毛の中に顔を埋めている旦那様にそう言ったんだけど、旦那様はそっと私から身体を離して苦笑を浮かべて首を横に振った。
「いえそれには及びません。玉藻さんのおかげで自分を取り戻しましたから。玉藻さんのお気遣いは本当にうれしいですけど、そのことはもっと大事にしたいですし、八つ当たりが初めてなんて格好悪いことしたくありません。それにね、今回の作戦、よくよく考えたらみんな、人間の僕よりも優秀な『人』ばかりですし、僕が心配することそのものがおこがましいですし、僕がいけばむしろ足手まといになる可能性が非常に濃厚ですしねえ、僕は留守番してるのが一番妥当なポジションのような気がしてきました。」
腕組みしてやけに難しい表情を浮かべながらうんうんと一人頷く旦那様。
「ってことで、玉藻さんの仰る通り、家で大人しくみんなの凱旋報告を待つことにします・・じゃあ、帰りましょうか」
と、一方的に結論らしき言葉を口にして私にニコッと笑い掛けた旦那様は、くるっと踵を返すとスタスタと家に向かって歩き出す。
でたよ・・また、一人で乗り越えて行っちゃったよ。
この『人』なんでこういうとき、途中で立ち直ってしまうのかなあ・・私の立場がないじゃないのよ、もう!!
ちょっと、旦那様、そういうのってあんまりじゃありません?
私、『狐』の姿でもいいって覚悟きめたんですけど、この覚悟どうしてくれるんですか?
あんな挑発しておいて、また生殺しですか?
大体ね、旦那様はいっつもいっつも一人でなんでも・・あ、ちょっと、旦那様、何両手で耳を塞いでいるんですかっ!?
そもそもね、旦那様『人』に心配かけないようにっていろいろなことを隠しすぎじゃないですか?
『金色の王獣』のときもそうだったし、『アルカディア』に行ったときもそうだったし、実は他にもまだまだいっぱいあるんでしょ!?
この際だから全部話していただき・・あ、あれ?
旦那様?
私が話に熱中している間に、旦那様は少しずつ私との距離を離したと思うと、ある程度距離を取ったところで物凄い勢いで駈け出して行ってしまった。
呆然とそれを見送る私の目の前からどんどん旦那様の姿が遠ざかって行く。
こ、コラ、待ちなさい、旦那様!! 私の話終わってませんよ!!
ちょっと、待ちなさいってばああああああ!!
だ、旦那様の・・
ばかあああああああああっ!!