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Act 25 『嵐の前の静けさ』

 女性のものとは違い、男性特有の固い膝の上に頭を載せているというのに、なぜこうも温かくて優しくて穏やかな気持ちになれるのだろうか?


 自分の耳の中を、痛くなるような固さではなく、かといってふにゃふにゃというほど柔らかいわけでもない棒状の何かがいったりきたり行き来する。


 その絶妙な力加減で耳の中の内壁を刺激され、あまりの気持ち良さに次第に意識が遠のいて行く。


 最初のうちは生まれて初めての未知の体験ということもあって、緊張で身体を強張らせ、一番肝心な部分である自分の頭から生えている狐の耳をぴくぴくとせわしなく動かしてしまっていたが、自分の耳の中を傷つけないようにとの優しい心づかいのこもった手つきで耳の中を掃除されているうちにあっというまに慣れてしまった。


 むしろ今、畳の上に寝転がっている霊狐族少女の身体はすっかり力が抜けてリラックスしており、それどころか目の焦点はあわなくなってきていて、意識を手放すのは時間の問題なのは誰の目から見ても明らかであった。


「晴美ちゃん、痛くない? 大丈夫?」


 自分の膝の上に乗せた霊狐族の少女の頭に、優しい声をかけてくる人間の少年 連夜に、霊狐族の少女 晴美はぽやっとした表情でかろうじて返事を返す。


「ら、らいりょうぶれす・・」


「ごめんごめん、起こしたかな? 痛くなかったらいいから、そのまま寝てていいよ」


「ね・・ねたり・・しないれす・・ちゃんと・・おき・・て・・ま・・ぁ・・ぅ・・」


 次第に小さくなっていく晴美の声に苦笑しながらも、連夜は晴美の金色の獣毛に包まれた狐耳の中に特製の耳かきをそっと入れて手慣れた様子で掃除を続けていく。


 しばらくそうして耳の中の垢を取り続けていた連夜は、次に耳かきの反対側に丸まった綿毛のようなものを取り付けて、横に置いている薬瓶の中の薬を数滴たらし今度は綿毛のついているほうを晴美の耳の中に入れ、耳の内壁全体にあたるように綿毛を出したり入れたりしていく。


 特性耳かきの垢をかきだす極細の手のほうは、肌を極力傷つけないようにある特殊な樹木で作りだされたものであるが、それでも絶対とはいいきれないため、連夜は耳かきを行ったあとは必ず『回復薬』と『治療薬』を耳の中の内壁に塗りこんでおくことにしている。


 これなら万が一耳の内壁に傷がついていてもすぐに治るし、また簡単な耳の病気にかかっていたとしても『治療薬』の効果で自然と回復するからである。


「晴美ちゃん、冷たくない? もうちょっとで終わるからね?」


「・・す〜〜・・す〜〜・・」


 もう一度晴美に声をかけてみると、規則正しい寝息が聞こえてきて、その顔を覗きこんでみると晴美は気持ちよさそうにその目を閉じて夢の世界に旅立ってしまっていた。


「寝ちゃったか」


 優しい微笑みを浮かべて晴美の寝顔を見つめていた連夜だったが、できるだけ手早く両方の耳に薬を塗りこんでしまうと、晴美を起こさないようにそっとその頭を自分の膝から畳の上に下ろす。


 ふと『人』の気配を感じて連夜が後ろを振り返ると、黒豹獣人族の女性バステトと霊狐族の自分の婚約者である玉藻が大きな居間の畳の上に布団を持ってきて敷いていっている姿が見えた。


「あらあら、やっぱり晴美ちゃんも撃沈しちゃったのね」


 柔らかそうな敷布団をしきながら畳の上ですやすやと眠る晴美の姿を見て思わず笑みを浮かべるバステトに、連夜が頷いてみせる。


「なんだかんだ言って、今日はいろいろなことがありましたし、3人とも疲れていたでしょうから」


「もう、晴美ったら。こういう子供っぽいところは昔っから変わっていないんだから」


 バステトが敷いた敷布団の上に掛け布団を用意していっている玉藻が、申し訳なさそうな表情を連夜に向ける。


 すると、連夜は穏やかな表情で首を横に振ると、晴美が寝ている横に視線を向けてくいくいっと拳から突き出した親指でそちらを示す。


 そこには同じような態勢で眠りの世界に入ってしまっている、士郎とスカサハ、それにゆかりの姿があった。


「晴美ちゃんだけじゃないですから。ほんとに士郎もスカサハもゆかりちゃんと同じレベルなんだから・・来年は高校生になるのに、心配になってきますよねえ」


 そう言って嘆息して見せる連夜に、玉藻とバステトは顔を合わせてくすっと笑みを浮かべるのだった。




 連夜と玉藻の関係が年少組にバレてしまい大騒動になったあの後すぐ、幸か不幸かすぐにこの屋敷の主であるタスクが帰宅してきたことにより、玉藻のお説教は一旦中断し夕食を取ることになった。


 勿論そこでも連夜の隣の席は誰が座るかなんていう些細なことで大喧嘩が勃発しかけたわけであるが、連夜本人が給仕に回ることでそれを早々に回避したため夕食は普段以上に賑やかではあったものの、なんとか無事に終了。


 その後、タスクとゆかりは風呂に向かい、給仕をしていた連夜は改めて夕食、残ったメンバーは自分達の食器洗いと、後片付けに。


 しばらくして食器洗いを済ませたメンバーが居間にもどってきてみると、風呂上りのゆかりの頭を自分の膝の上に乗せて連夜が耳掃除をしてあげている姿が・・


 ちょうどそのとき玉藻は携帯念話に出ていて席を外してここにはいなかったため、邪魔する者がいないことを幸いに3人は連夜に猛烈に自分達にもしてして〜とお願いをし全員耳掃除をしてもらうことを確約させてしまったのだった。


 3人はゆかりが連夜の巧みな耳掃除で撃沈してしまったあと、じゃんけんで順番を決め、士郎、スカサハ、晴美の順で耳掃除をしてもらうことになったのである。


 玉藻がここにいないことをいいことに、耳掃除が終わったら連夜にそのまま遊んでもらおうなどとも考えていた3人だったのだが・・


 携帯の話が終わったあと居間に遅れてやってきてこの事態を知った玉藻は、当然のことながら年少組3人に抗議しようとした・・しかし。


 すでに連夜の手によって士郎とスカサハは夢の世界へ強制送還されてしまっており、残った晴美もすでに撃沈寸前。


 流石の玉藻もこれには毒気を抜かれてしまい、その場で苦笑を浮かべるバステトに誘われて年少組の寝る準備をすることにしたわけであった。


 そして、現在。


 広い居間の真ん中に、4つ仲良く並べられた布団の中ですやすやと眠る年少組の姿を優しい表情で見つめていた3人の年長者達は、互いに顔を見合わせると、錬気蛍光灯の明かりを消して足音を忍ばせ、部屋を出てそっと襖を閉めるのだった。


「やれやれ・・あの子達本当に連夜くんにべったりね。『お母さん』するのは大変でしょ?」


 バステトはなんともいえない苦笑を浮かべて隣に立つ、自分よりも小さな少年に目を向ける。


 美少年というわけでもなく、男臭い男前というわけでもなく、かといって不細工では決してない、小柄でやや童顔のどこにでもいるような少年。


 しかし、穏やかな雰囲気を身に纏い、いつもにこにこと笑っているこの少年のことを、自分の恋人でこの屋敷の主であるタスクは『自分が出会った『人』々の中でも特に恐ろしい、しかし、一番頼りになる人物』と手放しで褒めている。


 全然そうは見えないんだけどなあ・・などと内心で首をかしげているバステトに、連夜は変わらぬ穏やかな表情を浮かべ口を開く。


「そんなことないですよ。僕なんてたまに来ていい顔してみせるだけでいいですもの。でも、バステトさんは違いますよね。あの子達を見ていればよくわかります。バステトさんが普段どれだけ細かく気を配ってくださっているか。あの子達の『兄』として改めてお礼を言わせてください。あの子達にいつも優しくしてくださって本当にありがとうございます」


 真摯な視線と真剣な表情を浮かべた連夜は、その言葉を呆気に取られて聞いているバステトに深々と頭を下げて見せる。


 バステトはそんな連夜をしばらくぽか〜んとして見つめていたが、やがて慌てて連夜の頭を上げさせる。


「や、やめてよ、連夜くん!! 私、あなたに頭を下げてもらうほどのことはしてないわよ!! むしろ、あの子達に助けてもらってることも多いし、むしろ今日なんてあなたの好意に甘えていろいろとお礼の品まで買ってもらったりもしてるのに・・」


「いいえ、そんなことはないですよ。そもそも『人』の真心はお金では買えないし、何かと交換できるものでもありません。それをあの子達に与えてくださっているバステトさんには十分頭を下げる理由になると思うのです。今日の買物はむしろおまけで、僕としては別の何かで御返ししたいのですが、生憎すぐにお返しできるものを持っていませんから、せめて頭くらいは下げさせてください」


「もういいってば!! 今の私にとってあの子達は家族同然だもの。タスクやロボさんを師匠にしているうえに、いろいろな獣人族と関わりを持っているあなたならよく知ってるでしょ? 獣人族に生まれついたものは、種族、部族間に多少の違いはあっても『家族』っていうものには特別な意味がある。私もタスクもあの子達を自分の家族として認めている、だから、『家族』として当り前のことをしてるだけ」


 もうこれ以上頭を下げてくれるなという強い意志を込めたバステトの瞳をしばらく見つめていた連夜であったが、諦めたように息をひとつ吐き出すと再び穏やかな笑みを浮かべてみせる。


 そんな連夜の笑顔を見て、同じように肩の力を抜いたバステトは自分達のやりとりを横にいてじっと聞いていた玉藻になんともいえない困ったような笑顔を向けて口を開く。


「あなたの旦那様って、ほんと真っすぐに『人』の心の中に入ってくるわねえ・・これは惚れる『女』がいっぱいで気が気じゃないでしょう?」


 すると玉藻はわざとらしくふか〜い溜息を吐きだしてジト目で連夜に視線を向けてみせる。


「そうなんですよ、それなのにこの『人』ってほんとに自覚がないんですよねえ・・」


「あははは・・わかるわかる。『人』の心がわかる『人』って、反面自分のことにはほんと無頓着って『人』が多いものね。でも、その『心』をあなたは掴んだわけね」


「はい。ありがたいことに、この『人』は私の側にいることを選んでくれました。あとはその『心』を放さないように、奪われないように、近寄ってくる悪い虫を片っ端からはたき落としてやるだけです」


「そう・・じゃあ、放しちゃだめだし、奪われちゃだめよ・・絶対に」


「勿論です!!」


 バステトに力強く頷いてみせた玉藻は、横にいる連夜の腕にがっちりしがみついて見せる。


 連夜はそんな玉藻に他の者には決して向けない艶やかで心から嬉しそうな笑みを浮かべて見つめあっていたが、ふと視線を横にずらして玉藻の後方に注意を向ける。


 連夜が自分の後方に注意を向けたことを見た玉藻は、自らも後ろを振り返り連夜が注意を向けているほうを確認してみると、そこには腕組みをして何やら考え込んでいる甚平姿の灰色熊の姿が。


「どうかしたんですか、師匠。今日帰ってからずっと何か悩んでいらっしゃるご様子ですが?」


 心配そうな声をかける連夜に気づいて顔をあげた灰色熊は、一瞬だけ躊躇して見せたが、すぐに何かを決意した表情を体毛だらけの顔に浮かべると口を開く。


「すまん、連夜。もうそろそろ『特別保護地域』に帰らないといけない時間だってことはわかってはいるんだがよ。ちっと相談に乗っちゃくれねぇか」




Act 25 『嵐の前の静けさ』




 現在士郎達年少組4人が眠っているリビングから、少しだけ離れたところに六畳ほどの空き部屋があり、そこに改めて集まった4人の年長者達は正方形のテーブルを囲んで座る。


 テーブルの上には連夜が師匠のみやげにと『サードテンプル』で買ってきた冷やした東方清酒とあるお肉屋さん特製のソーセージをボイルしたものを山盛りにした皿が並べられている。


 すっかり準備が終わったのを確認した連夜は東方清酒の瓶を掴み、タスク、バステト、玉藻の順についでやったあと再びタスクのほうに視線を転じる。


 すると、タスクはついでもらったグラスを連夜に掲げて見せながら申し訳なさそうな表情を浮かべ口を開く。


「わりいな、飲めないおめぇに酌をさせちまってよ・・ってか、久しぶりだよな、こうしておめぇに酌をしてもらうってのも」


「ですね。以前はよく師匠のお相手をさせてもらったものですが・・それはともかく師匠のご相談とやらをお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 一瞬昔を懐かしむ表情を浮かべて見せた連夜であったが、すぐに表情を引き締めると真剣な視線を目の前の灰色熊に向ける。


「自分で引きとめるようなことを言っておいて今更なんだが・・時間のほうはいいのかい?」


「終電までには時間がまだありますし、いざとなったら実家か玉藻さんのマンションに泊りますから気にしないでください」


「そうか、重ね重ね悪い」


「よしてくださいよ、師匠。それよりも・・」


「ああ、そうだな・・早速話に入ろうと思うのだが・・その前にちとこれを見てくれ。」


 灰色熊はあぐらをかいて坐る自分の巨体のすぐ横においていたスポーツバッグを持ち上げて見せ、それを見た連夜はすぐにテーブルの上の皿やコップを端によせてテーブルにスペースを作ると、そのバッグを受け取ってジッパーを開け中身を注視する。


 すると、しばしバッグに入ったままの状態で中身を注視していた連夜の表情がみるみると厳しくなっていくのがわかり、連夜の横に座る玉藻が心配そうに声をかける。


「旦那様・・いったい何が入っているんですか?」


 その声に玉藻のほうに視線を一旦向けた連夜だったが、すぐに向かい側の灰色熊に視線を向け直す。


 灰色熊は連夜の言いたいことを察して頷いてみせると、連夜はそれを受けて思い切ってバッグの中に両手を突っ込んでその中身を取り出した。


「「きゃあああああっつ!! き、きもちわるぅっ!!」」


 何事かとドキドキしながら事態を見守っていた玉藻とバステトだったが、連夜が取り出したものを目にした途端、顔を青ざめさせて悲鳴を上げ、隣にいる自分達の恋人にすがりつき、そんな玉藻とバステトほどではないが、連夜もかなり嫌そうな顔をして自分の両手に掴んでいるものを見つめるのだった。


殺人肉食雀蜂(スローターホーネット)・・しかもこれほどの大きさとは・・」


 独白する連夜は自らの両手の中にあるものを、厳しい視線で見つめる。


 丸まって今は動かない身体は毒々しい黒とオレンジに彩られ、高速で空中を移動することを可能にすると思われる背中からはえた4枚の翅、身体から飛び出た6本の機械の腕にも似た細い足、そして、禍々しく光る大きな黄色の二つの複眼。


 遠目から見れば間違いなくそれはスズメバチの姿をしていたがしかし、それはあきらかに通常の昆虫の大きさとは違っていた。


 成人男性の二の腕ほどの大きさもある明らかに異質で巨大な姿。


 連夜は、その異様なスズメバチの死骸を観察していたが、ゆっくりとその視線を目の前の灰色熊に移して問い掛ける。


「師匠はいったいどこでこんなものを?」


 そんな弟子の問い掛けに、タスクは大きく深く溜息を吐きだすと苦々しい表情を隠そうともせずに口を開いて答える。


「決まってるだろ? おれっちの大事な蜜蜂の巣だよ。今日、こいつらが襲撃してきやがったんだ」


 タスクの言葉を予想していたのか、その答えを聞いた連夜はあまり驚いた様子はなかったが、変りに壮絶な仏頂面を浮かべてみせる。


「・・やっぱりそうですか・・聞くまでもないことだとは思うのですが、師匠の仕事場は変わってないんですよね?」


「ああ、おまえや仁さんに手伝ってもらって半年がかりで作り上げたあれだ。あそこほど立地条件のいいところは他にないからな。移転することなど考えたこともない」


 弟子と同じような仏頂面を浮かべて呟く灰色熊の言葉を聞いて、さもありなんと同意のこもった頷きを返していた連夜だったが、ふと肘を引っ張られたていることに気が付き、そちらに視線を移すと、最愛の恋人が何やら聞きたげな表情を浮かべてこちらを見つめている。


「なんですか、玉藻さん?」


「あ、あの、旦那様。話を腰を折ってしまってすいません。もしよかったら、タスクさんの職場ってどこなのか教えていただけないかな〜って。私、この都市に住んでずいぶん経ちますけど、養蜂の仕事なんて見たことないからいったいどこでやっているんだろうって、気になっちゃって」


 えへへとかわいらしく笑う玉藻の姿を見て、連夜は厳しい表情を緩める。


「あ〜、師匠の職場は都市の中じゃないんですよ」


「え? じゃあ、『外区』ですか?」


「いえ、近いですがちょっと違いますね。実は『特別保護地域』にあるんです」


「え〜〜!!」


 驚く玉藻に連夜はこっくりと頷いてみせ詳しい説明を始めた。


 大河『黄帝江』に浮かぶ島々の中で最も城砦都市『嶺斬泊』に近い場所に、他の島よりも圧倒的に大きな島が浮かんでいる。。


 中央庁から『特別保護地域』に指定されたその場所は、樹人(ドライアード)族を始めとする植物系の種族の『人』達の一大住宅街となっており、住宅街以外の場所は全て花畑として利用されているわけだが、その花畑のど真ん中に、タスクの仕事場がある。


 『嶺斬泊』最大の繁華街『サードテンプル』を始発駅とする都市営地下鉄に乗ってすぐの一駅目『ランブルローズ』という名の駅を下車し、改札をくぐって地上へとあがると、様々な華が入り乱れて咲き誇る美しい花畑が四方八方に広がっている光景が目に入ってくるわけだが、その花畑の中を縫うようにして縦横に走る道の中で、南に向かっている小さなものを選んで進んでいくと、やがて一つの大きな倉庫に辿り着く。


 実はその倉庫こそが人工的に作り出された一つの巨大な蜜蜂の巣であり、この倉庫に住む無数ともいえる蜜蜂達がこの島に広がる花畑から蜜蜂達は蜜を採取してきて倉庫の中に膨大な量の蜂蜜をため込んでくれるのである。


 言うまでもないことであるが、この倉庫の持ち主こそ、この屋敷の主タスク・セイバーファングその『人』で、3年掛かりで地道に蜜蜂達を増やし、ようやくここ最近になって蜂蜜の生産量が安定してきたところであったのだが・・


「普通の蜜蜂でも飼育が難しいのですが、師匠が育てている『妖精蜜蜂(ゴールデンフェアリー)』は特に難しくて・・というよりも、ごく最近まで飼育方法なんて知られていなかったくらいで、今、この飼育方法を知っているのは師匠を含めてごく数名のみ。ともかくそんなすぐにほいほい産み育てて数を増やすことのできない種類の昆虫なものですから、増やすのに師匠はそれはもう非常な手間と時間をかけてきたんですよね。そんな貴重な蜜蜂が作り出す蜂蜜でしょ、市場価格はそれはもう凄いことになっていますし、納入させてほしい取引をさせてほしいっていう業者さんがあとを絶たないくらいなんですけど・・あ、そうだ、テレビでも見たことないですかね? 『一週間食べ続けるだけで肌の艶がよみがえる、黄金の蜂蜜!!』って」


「えええええ〜〜!! まさか、あれがそうなんですか!? 一週間分1セット21万サクルもする、あれ!?」


 吃驚仰天する玉藻に連夜はうんうんと頷いてみせる。


「そうそう、あれです、あれ」


「す、すごい!!」


「まあ、そうはいっても生産量が圧倒的に少ないからなあ」


 尊敬と称賛の視線を玉藻から向けられたタスクは、照れくさそうに頭をぽろぽりとかいてみせるが、すぐに表情を引き締めて連夜のほうに視線を移す。


「スズメバチは蜜蜂の天敵だからよ、俺も対策は怠らないようにしてきたつもりだったんだが・・まさか、こんな化け物に襲われる日が来るとは思ってなかったから、流石に今日は肝が冷えたぜ」


「それにしても師匠よくご無事でしたね。これ一匹じゃなかったんでしょ?」


「ああ、結構な数がいたな。弁当食べて昼過ぎくらいまで普通に仕事していたんだがよ、倉庫に作ってある蜜蜂の出入り口が急に騒がしくなったことに気が付いて行ってみたら、こいつが出入り口を壊して中に侵入しようとしてやがった。慌てて追い払おうとしたんだが、仲間を呼びやがって、あっという間に取り囲まれちまって・・数が数だけにもうダメかとおもったぜ」


 そのときの恐怖を打ち消すかの清酒の入ったコップをあおるタスクを、心配そうに見つめるバステトがそっとその巨体に抱きついて問いかける。


「大丈夫なの、タスク? 怪我とかしてない?」


「ああ、なんとかな。ありがてぇことに、今日はたまたま、ロスタムと大牙、それにセラが手伝いに来てくれていたからよ。あいつらが俺を守って戦ってくれたおかげで俺は無傷だ。それで一旦はあいつらがスズメバチの群れを追い払ってくれたんだがよ、スズメバチの習性から考えて奴らまたもどってくるに違いねえんだ。一応蜜蜂達は全部倉庫に呼び戻しておいて、倉庫の外に重結界を張っておいたから今日明日に破られることはないんだろうけどな」


「そうですか、なら少なくとも今晩は大丈夫ですね・・ところで大牙大兄やハン・セラさんはともかく、ロムもですか? ロムも来ていたんですか?」


 師匠の口から出た意外な『人』物の名前に連夜が思わず吃驚した表情で声をかけると、タスクはなんともいえない嬉しそうな表情で連夜を見返す。


「そうなんだ。なんか、あいつ俺のことを気に入ってくれたらしくてな。ここのところずっと手伝いに来てくれている。不器用なやつだが、真面目で義侠心に厚いし、すぐに口で教えてくれ教えてくれっていう最近の若いやつと違い黙って俺の横にくっついて技術を盗み見て身につけようとしている姿勢がいい。弟子にしてくれっていうから弟子にしてやったんだが・・まずかったか?」


「いえいえ、そんなことありません。むしろ、ロムを認めてくださってありがとうございます。あいつは僕の大親友なので・・なんか・・すごく嬉しいです。あの、ほんとにあいつのことよろしくお願いいたします」


 しばらくその話を聞いていた連夜はひどく感激した様子でいたうえに、しまいにはその目まで潤ませて真摯で真剣な表情を浮かべてタスクに頭を下げて見せる。


 そんな連夜の態度に吃驚仰天したタスクは大慌てでその頭を上げさせる。


「をいをい、やめんか、やめろって連夜。おまえさあ、俺にまでそういう気を遣うのよせって、何度も言わせるなよ。まあ、そこがおまえのいいところだけどよ、おまえの『心』はまっすぐすぎて温かい反面物凄く重いんだよ。おまえがそういう奴だってことはもう十分わかってるし、その『心』もわかっているから、頭を下げるな。でないと、今度俺がおまえに何かを頼むときにすげえ言い辛くなるんだって」


 物凄く困惑した表情を浮かべて言葉を紡ぐタスクに、うんうんと横にいるバステトも頷いてみせる。


「連夜くんは、もう少し私達との距離を縮めてほしいかな。『親しき仲にも礼儀あり』はわかるけど、あなたが私達のことを『身内』と認めてくれているように、私達もあなたをもう『身内』だって思っているのよ。タスクも私も、あなたのことは実の弟同然と思っているんだからね。まあ、あなたくらい優秀な弟はなかなかいないだろうけど、優秀な弟に兄や姉はもっと甘えてほしいと思っているってことはわかって頂戴。いい?」


「あ〜、それきっと大治郎さんやミネルバも同じだと思う。そうか〜、わかった旦那様って甘え方が下手なんだ。『人』を甘えさせることは上手なのにね・・」


 バステトの言葉を聞いていた玉藻が妙に納得した顔で頷いてみせ、今度はそれを聞いていた連夜が困惑した表情を浮かべて見せる。


「そう・・ですかね?」


「うんうん。特に私にはもっと甘えてください」


「じゃあ・・あの、そうします」


 照れくさそうに、しかし、どこか嬉しそうな表情で玉藻達をしばらく見つめていた連夜だったが、ふと何かに気がついたようにテーブルの端っこに一旦置いていた問題の巨大蜂の死骸を取り上げて再びしげしげと眺めて出す。


 横でそれを見ていた玉藻とバステトはスズメバチの死骸が目に入らないように気味が悪そうな表情を浮かべ顔を背けてみないようにしているが、そんな二人の様子にもお構いなく、連夜は死骸をいろいろな方向にかざして見続けている。


 そして、しばらくの間それを観察していた連夜だったが、何かを思いついたように顔をあげるとタスクに真剣な視線を向けて口を開く。


「やっぱりそうだ・・師匠、これ本物じゃないですね・・よく似せてありますがゴーレムですよ」


「なに!? こ、こんな小さなゴーレムがあるのか!?」


「「ええええ〜〜!! うそお!!」」


 連夜の意外な言葉に目を剥いて驚くタスクに、期せずして同時に驚きの声をあげる玉藻とバステト。


 連夜はポケットからナイフを取り出すと蜂の腹部を二つに器用に割いて二つに割ってみせ、驚くタスク達にその腹部の内部が見えるようにかざす。


「よく見てください師匠、本来ならあるべき内臓や器官が全くない代わりに、ミスリル銀製の特殊タンクが組み込まれています。恐らくこの中に奪い取った蜂蜜をため込むようになっているのでしょう。それにほら」


 今度は蜂の胸部を切り開いて見せると、そこには握り拳よりも一回りほど小さい赤い宝珠が埋め込まれていた。


「これが恐らく動力なんですが・・僕、以前これと似たような宝珠で動くゴーレムを見たことがあります」


「なんだって・・」


「これ多分、古代の技術ですね・・誰かが古代の技術を利用してスズメバチ型ゴーレムを作成して使っていると思うのですが・・目的は普通の蜂蜜じゃないですね。恐らく巣の一番奥にいる女王の作り出す『虹の蜂蜜』でしょう」


 連夜の言葉を聞いたタスクは、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて唸り声をあげる。


 『虹の蜂蜜』


 『妖精蜜蜂』を統率する女王が、働き蜂が集めてくる膨大な花の蜜の中から選りすぐり、ほんの少しだけ作り出す非常に貴重な蜂蜜で、小瓶一つ分で『神秘薬』、『快方薬』、『特効薬』の効果全てを発揮する。


 それだけではない、古代の高度な秘術を行うにあたって絶対必須ともいわれる品で、その価値は下手をすると天井知らずなわけであるが、いくらタスクが養蜂の名匠であるといえどたった三年で蓄えられる量などたかが知れており、今だにタスクは女王のところからこの『虹の蜂蜜』を収穫せずにいる。


 逆にいえばそれだけ大切に管理しているということであり、それが狙われているとわかって穏やかでいられるわけがなかった。


 勿論、そんな師匠の心がわからない連夜ではなかったので、この事態を何とかするべく忙しく頭を働かせていこうとするのだったが、今回のことは思い当たることがいくつもありすぎて、すぐには結論を出そうとせず連夜は腕組みをして考え込みつづける。


 しかし、やがて何かを決意したような表情を浮かべてまっすぐにタスクの目を見つめた連夜は、頭の中で組み立てた作戦を言葉にしよう・・


 としたのだが。


「ダメです」


 口を開く前に、横にいる玉藻がひょこっと連夜の顔の前に自分の顔を突き出してきて、怒ったような顔で連夜を見つめる。


 そんな玉藻の表情を見た連夜が、困惑しきった表情を浮かべて控え目に抗議しようとするが、玉藻はそれも途中でばっさりと切り捨てる。


「いや、あの玉藻さん、僕まだなにも・・」


「絶対ダメです。許しません」


 しばらくの間睨みあう二人。


 片方は懇願の視線で相手を見つめ、もう片方はきっぱり拒絶の視線で相手を見つめる。


 そうやってお互いがお互いの強い意志の元にらみ合い続けていたが、玉藻の目からぽろぽろと涙がこぼれていくのを目撃してしまった連夜は、あっさりと自分の完全敗北を認め白旗を振ることにする。


「わ、わかりました。玉藻さん、ごめんなさい、僕自身でどうこうするというプランはあきらめますから。ね、ね。危ないことないですから。『特別保護地域』に僕は帰りますから」


「ほ・・本当ですか? 旦那様・・ぐすぐすっ・・すぐそうやって・・ぐすん・・自分自身が先頭に立つような危ないことしようとするから・・」


「だ、大丈夫です。それはもう無しで」


「ほんとにほんとうですね? 一緒に帰ってくれますね?」


 心の底から自分を心配して訴えかけてくる玉藻のお願いを断ることなど今の連夜にできるはずもなく、連夜は最愛の恋人にして事実上の妻に少々引き攣ってはいたが、笑顔を浮かべてゆっくりと頷いて見せる。


「ちょっと不満そうな顔をされているのが非常に引っかかりますが、まあ、今回はそれで許してあげます。言っておきますけど黙って行こうとしてもダメですからね、私ひっついていますから」


 と、自分よりも若干小柄な連夜の身体をきゅっと横から抱きしめた玉藻が、絶対放すものかといわんばかりの強い意志をこめた視線を向ける。


 そんな玉藻の様子を『たはは』と笑いながら力なく見つめていた連夜だったが、再び腕組みをすると頭の中でプランを練り直し、もう一度目の前のタスクのほうに視線を向け直し口を開いた。


「すいません、師匠。今回僕も参加したかったんですが、奥さんが許してくれませんので・・」


「ああ、みたいだな・・いや、すまん。本来なら俺が一人でなんとかすべき問題だったのに、巻き込もうとしてしまってよ。さて、どうするかな・・」


「いやいやいや、待ってくださいよ師匠。僕が行かないだけで、この件にはちゃんと協力しますって」


 見るからにがっかりして肩を落とす灰色熊は、腕組みをして自分の力でどうにかできないかと悩み始めていたが、連夜はそれを慌てて止めて自分のほうに注意を向けさせる。


「そうは言ってもだな・・」


「大丈夫です。こういうことに関しては僕以上の専門家が一人いますから、彼に連絡してここに来てもらうように頼んでおきます」


 怪訝そうな表情を浮かべて見せるタスクに、連夜は自分の携帯念話をかざしてみせると、にやりと笑って登録している念話番号を呼び出してコールを開始する。


「おまえ以上の専門家だと? そんな奴がいるのか?」


「何の力もない僕ですが、ありがたいことに心から愛し合うことができる妻が一人、心から信頼し合うことできる親友が二人、そして、安心して背中合わせで戦うことができる戦友が一人います。その、戦友の力を今回は借りようと思います・・ハッハーッ、兄弟(ブロウ)、久しぶり」


 タスクの問い掛けに誇らしげな表情で答えていた連夜であったが、通話がつながるとタスクとの話を一旦打ち切る。


 そして、携帯念話の向こうにいる相手と非常に砕けた様子でしゃべりだし、そんな陽気な連夜を見たことがない3人は思わず顔を合わせてしまうのだった。


「なによ、機嫌悪いね? はは〜ん、どうせまた子作りに励んでいたんでしょ? 照れるな照れるな、でも、式挙げる前に子供作っちゃだめよ。あ〜、ごめん、悪かった悪かった。切らないでってば。うんうん、ごめん、世間話したくないわけじゃあないんだけど、要件は他にあるのよ。ちゃんというからさ。実はその、折り入って頼みたいことが・・うん、そう」


 携帯にしゃべりかけていた連夜の表情は終始にこやかであったが、やがて、本題に入る段階まできたとき、急にその表情は引き締まり獰猛な肉食獣のような笑みが浮かびあがる。


「君の得意分野の腕をね、貸してもらえないかなと・・そうそう・・追跡者としての腕を」


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