恋する狐は止まらない そのきゅう
趣味のいい東方庭園が見える縁側に座りながら、はるか西の果てにそびえたつ『嶺斬泊』の外壁の向こうの彼方に消えて行こうとしている真っ赤な夕日をぼんやりと眺めている私。
すでに18時を回っているんだけど、流石にもうじき6月になるだけあって陽はずいぶん長くなったし、気温もずいぶん上がってきたと思う。
でもまあ、この場所の立地条件がいいのか、なかなか涼しい風が吹き抜けていて、今のところ暑いでもなく寒いでもなくちょうどいいくらい。
隣を見ると同じようにぼんやりと夕日を眺めている旦那様がいる。
少し間を開けて座っていたんだけど、今は誰もいないし私は間を詰めるとぴとっと旦那様にくっついて座る。
薬の効果が切れて今は少年の姿にもどっている旦那様の身体は、あの少女の姿のときのふくよかさが幻だったかのように消え失せてしまっていて、元通りのしなやかで鞭のように筋肉質で硬質な身体に。
やっぱりこっちのほうが旦那様って感じがするわよねえ・・って思っていたら、旦那様がこっちを見て、私の手に自分の手を重ねてきた。
当たり前だけど、少女の姿のときよりも固い感じがするんだけど、それでも優しさと温かさが伝わってくるのは変わらない。
やっぱり『人』の姿っていいわよねえ・・
え? いつもの『狐』の姿じゃないのかって?
そうなのよ、実は私達まだ『特別保護地域』にもどってなくて『嶺斬泊』の中にいるのですよ。
晴美が今臨時でお世話になっている養蜂家のセイバーファングさんのご自宅にお邪魔しているのです。
いやまあこの時間になるまで今日はいろいろとあったのよ。
別に最初からぎっちりスケジュールを組んでいたわけじゃなかったんだけど、結果的にはそうなっちゃった。
午前中、私が尊敬してやまないブエル教授の回復術の講義を受けて、その後教授と早めの昼食をご一緒する。
その際にいろいろと普段聞けないような教授の体験談・・いや、ほんと『療術師』を目指すものには貴重なお話ばっかりだったんだけどそれをお聞きすることができてほんとにラッキーだったわ。
いや、それはともかくとして、昼食後もお茶をしながら長いことまたお話を聞かせていただいていたんだけど、教授の午後からのスケジュールが迫っていてお昼になる前にお開きとなったため、教授にお礼を言って別れ、その後『サードテンプル』でお買い物中の旦那様と合流。
その際、身の程知らずにも私の所有物である旦那様に粉をかけていた愚か者どもを二匹ほど始末する。
ったく、『人』のものに手を出すなっての!!
そうして旦那様を無事救出した私だったのだけど、どういうわけか旦那様のお弟子さんである瀧川 士郎くんと妹のスカサハちゃんがその場に倒れていたのを発見。
そのままにもしておけないから二人を背負ってタクシー乗り場まで移動し、スカサハちゃん達がいまお世話になっているセイバーファング家まで送っていったわ。
勿論、二人を送り届けた後すぐにそこから立ち去るつもりだったんだけど、旦那様がね・・
「う〜ん、この際だから二人を起こして、みんなの夏服を買いにいきましょうか? 元々スカサハの夏服を買うつもりだったんだけど、あのナンパ騒動でできなかったし、それに日頃スカサハ達がお世話になっているバステトさんにお礼もしたいし、士郎の分の夏服もいるでしょ? あと、ゆかりちゃんかな? その子の服もついでに買ってしまいましょう。お金は僕出しますから」
・・って、言うものだから、急遽みんなで『サードテンプル』にとんぼ帰りすることに。
え? 晴美の夏服は買わなかったのかって?
いや・・あの・・旦那様がこっそり私にお札がぎっしり入ったお財布を渡してくれてね、晴美の分は私が一緒に行って選んで買ってあげなさいって。
ついでにこのお金で私の分も買っておきなさいねって。
ほんとにね・・ほんとうにこういう時って旦那様は細かい配慮してくれるのよねえ。
絶対旦那様には足向けて寝れないわよ、ほんと・・ってことで、ありがたく使わせていただきました。
晴美すっごく喜んでいたわ。
あのね、姉妹で服を買いに来るなんて初めてだったから、私も晴美も舞い上がっちゃって、気がついたら両手で抱えきれないくらいの買物袋が・・見かねた旦那様が近くのコンビニに駆け込んで、宅急便で送ってくださったけど。
まあ、ともかく楽しかった。
私達はね。
スカサハちゃんや、士郎くん、それにセイバーファング家の奥さま・・で、いいのよね? なんかちょっと複雑な家庭の事情があるっぽいことを晴美からちらっと聞いたけど・・のバステトさんや、ゆかりちゃんっていう小さな女の子も楽しそうだった。
でも、旦那様はどうだったのかしら?
旦那様って、いつも穏やかに笑っていらっしゃって自分の本心を見せないようにしてるんだけどね。
今日もまたそうだったんだけど、本当のところ内心はどう思っているんだろうなって、ときどき不安になるのよ。
あ〜、この話はあとでもう一度するとして一旦置いておくわね。
とりあえず、このときの買い物は無事終了、夏服だけじゃなく、女性陣は化粧品とか美容品とかまで買っていただいちゃったし、お弟子さんの士郎くんは何やら『害獣』狩りにでも使うような専門的な『道具』類をいろいろと買ってもらっていたみたい。
こんなに買い物してしまったら旦那様のお財布大打撃だよなあって思って、流石にあとでこっそり謝ったんだけど、旦那様ったらケロッとした顔で・・
「気にすることないですよ。だって、対『人造勇神』作戦で我々は無償で協力しているわけですから、これくらいはきっちり経費で落としてもらいますよ」
だって。
流石旦那様、ぬかりないっす!!
ってことで、セイバーファング家にもどってきて、さあ、私と旦那様は『特別保護地域』に帰ろうかってなったんだけど、せっかくだから夕飯もご一緒しましょうよって、バステトさんに誘われちゃったのよね。
それで、そういうことならご好意に甘えさせていただきましょうかってことになって、今、晩御飯の用意をバステトさん達がしてくれているってわけなの。
当初は旦那様が作るって言っていたんだけど、私達はお客様だから座って待っててって言われちゃってね。
そういうことで縁側に二人ぼ〜〜っと座って晩御飯が出来上がるのを待ってたってわけ。
ちなみに私達以外の面々はみんな台所のほうよ。
調理が苦手なスカサハちゃんとか、まだ小さくて調理できないゆかりちゃんも、お皿出したりいろいろと手伝っているみたい。
あ〜、それにしても『人』の姿で旦那様とこうしていちゃいちゃするの久しぶり。
このまえのミネルヴァの騒動の時以来かな。
横に座ってる旦那様の顔をちらっと見てみる。
夕陽に照らされたその横顔は、相変わらず穏やかで優しい笑顔を浮かべている。
そうそう、少年の姿にもどった旦那様は、もうスカートはいてないわよ、当り前だけど。
今は、下に着用していた黒いボディスーツ・・やっぱりこれ対打撃用の防御服なんだって・・の上に、持って来ていたグレーのパーカーと、ジーパンを身につけているわ。
ちなみにどうでもいい話だけど、私は青い上下のスーツ姿よん。
イメージはキャリアウーマンって感じかな。
あ、上はしわになるから今は脱いでいて、カッターシャツに赤いネクタイの姿になってるけど。
本当はもっとラフな格好で来たかったんだけどね、やっぱりブエル教授とサシでお会いすることになるからと思ってちゃんとした服装で来たってわけ。
いやまあ、それはともかく。
改めて私の横に座る旦那様をじ〜〜っと見つめて、この『人』のことに考えをめぐらしてみる。
普段、一見のんびりしているように見える旦那様。
しかし、のんびりしているように見えて、その実ほとんど時間を無駄に使わない旦那様であるが、それでもかなり時間を無駄に費やしている部分がある。
他でもない私の世話である。
『狐』の姿になった私は、当然のことながら『人』の姿のときに当り前のようにできていたことがほとんどできなくなる。
にも関わらず今のところ私が不自由なく暮らしていけているのは、なにくれとなく旦那様が世話を焼いてくれているからに他ならない。
ただでさえ修行で忙しいというのに、何故か絶妙なタイミングで現れては私が不自由しないように、極力ストレスがたまらないように便宜をはかってくれる。
最初の頃はただ楽ちんだなあなんて思っていたが、やはりだんだん心苦しくなってくる。
自分が役立たずになっているのは自分だけのせいではないわけだが、それでも実際役に立ってないばかりか最愛の『人』の足を引っ張っているとなると、流石にこの現状に甘んじて看過し続けることはできなくなってきた。
なので、旦那様の側から離れるなんて考えは全くもってこれっぽっちもないが、それでもせめて私のことは気にしないで、自分のことに集中してくださいと言ってみた。
すると、旦那様の答えはこうだった。
「なんでですか?」
心の底から不思議そうな顔をして聞いてくるのである。
いや、なんでって言われても、大好きな『人』の時間を奪い続けるのは物凄く本意ではないというか・・
「別に僕は苦痛とは感じていませんし、困ってもいないですし時間を奪われているわけでもないですよ。と、いうか、玉藻さん、お忘れになってますね? 僕がこういった知識や技術や技能を習得しようと思ったのはそもそも玉藻さんをこうしてサポートする為なんですよ? 今使わないでいつ使うんですか?」
なんて言ってくれたりするのである。
そ、そんなこと言われたら、余計甘えてしまうじゃないのよ!!
「そうですよ〜、僕は玉藻さんが僕抜きで生きていけないようにする為に、こうやっているんです。邪悪な存在なんですよ〜。今頃気がついたんですか? もう手遅れですね」
旦那様にしては珍しく悪魔のような陰のある笑みを浮かべて私を見て、そう言うの。
でもね〜、私一人拘束する為にそこまで労力使わないといけないなら採算合ってないと思うんだけどな〜。
「いいんですよ。採算があってるかあってないかを判断するのは僕自身ですからね。今のところ僕は採算があっていると判断しているから何も問題はありません。玉藻さんのお世話をしているようで、僕もまた玉藻さんからいろいろなものを貰っていますし」
そう言って一点の曇りもない笑顔を浮かべた旦那様は、そのまま話を打ち切ってしまった。
結局、私の主張は受け入れられず今も私は旦那様の世話を受け続けている。
なんとなく旦那様が言いたいことはわかったけど、照れくさくてそんなこと口には出せないんだけどね。
それに世話を受けているだけの私が偉そうに旦那様のやってることを批評するのはどうかと思う。
まあ、そういう経緯があったりして私は極力旦那様にべったりくっついて生活するようになったわけなんだけど・・今日、久しぶりに旦那様と完全別行動を取ってみてはっきりわかったことが。
私、以前よりもはるかに嫉妬深くなっている!!
午前中、旦那様と別れてブエル教授の講義を受け、それが終了した後旦那様と合流したんだけど、その際に少女の姿になった旦那様に粉かけている白虎族のナンパ野郎が二人いるのを目撃しちゃって半殺しにしてしまったことについてはさっき話したと思うのだけど。
多分今までの私なら、やっぱりその場で激怒するだろうけど、それでも少しは冷静にその場の様子を見るくらいしたんじゃないかなって思うのよ。
でもね、今回はもう完全に血が沸騰しちゃって、状況判断をする前に二人とも『ふるぼっこ』にしてしまっていたわ。
あとになってから冷静に考えてはたと気がついたんだけど、あの白虎族の少年ってティターニア先輩の彼氏だったような気がするのよ。
ってことは旦那様のお友達で私の勘違いだったのかもしれないってわかったら、ぞっとしちゃったわ。
よりにもよって旦那様のお友達を半殺しにしてしまったかもしれないとは・・
もうね、冷や汗が止まらなかったしできれば聞きたくなかったけど、それでも聞いておかないと絶対あとあと困ると思って旦那様に思い切って聞いてみたの。
すると・・
「確かに友達ですけど、あっちも士郎とスカサハに無茶していますからおあいこです。というか、二人とも僕の話をまったく聞いてくれませんでしたからねえ・・玉藻さんにああしてもらってむしろよかったと思いますよ。あのままじゃあ、僕どちらかに連れ攫われて何されていたかわかりませんもの」
あ〜、そうなんだ、じゃあ、よかった・・って、をいをい、やっぱダメじゃん!!
あぶねえっ!! 本気で旦那様の貞操の危機だったんじゃない!!
ま、まあ、ともかく今回は早合点じゃなくてよかったんだけど、私、ちょっと精神修行しないとダメよねえ・・
「いや、安心してください。逆の立場だったら僕あんな加減できませんから。多分、殺す寸前まで相手をぼろぼろにしてしまうと思いますし、その顔は絶対忘れないですね」
あ〜〜、そうなんだ、じゃあ、別にいいか・・
って、えええええええええっ!?
いや、それはないでしょ? 旦那様に限ってそれはないない!! いや、私のこと慰めてくれようとして言ってくださっているのかもしれないですけど、そんな旦那様の姿は想像できないですよ。
「ううん、本当ですよ。正直玉藻さんをこうして連れて歩いて他の男の目にさらすだけでも本当は嫌で嫌で仕方ないですもの。自分がほんと最低だなってわかっているんですけど、あの『特別保護地域』で『狐』の姿になっている玉藻さんを見ているとほっとするんです。これなら玉藻さんによってくる男はほとんどいないだろうって・・」
え〜〜〜〜〜〜っ!!
なんか・・なんか嬉しい!!
けど、本当ですか? 本当にそんなこと思ってくださるんですか?
私は自分の横に座る旦那様の横顔をじ〜っと見つめたわ。
すっかり陽が落ちて次第に暗くなってきた夜空を眺めている旦那様の穏やかな横顔。
薬の効果が切れて今は元の少年の姿に戻ってしまった旦那様は、私の問い掛けに応じるようにゆっくりとその顔をこっちに向けてなんとも言えない複雑な表情で見つめてくる。
「あんまり追い詰めないでくださいよ。正直余裕全然ないんですから・・玉藻さんてきれいだし・・今日だって本当は大学に一緒に行って、他の男の目に触れないようにもしたかったけど、それじゃああんまりにもみっともないし、かっこ悪いし・・って、もうこんなこと言ってる時点で物凄く女々しいですね」
そういって切なそうに溜息を一つ吐き出したあと、潤んだ瞳で私の目をまっすぐに見つめる。
「・・本当は・・本当は玉藻さんを自分だけのものにしておきたいんです。誰にも見せたくない、渡したくない、触れさせたくない。でも、自由を奪って腐らせたくもない・・いったい、僕はどうしたいんでしょうね・・」
って、物凄く苦しそうにいう旦那様の顔を見ていた私だったけど、その告白を聞いているうちに私の心の中の何かがぷちんとキレた。
気がついたら私、縁側に旦那様の身体を押し倒してきつく抱きしめたまま、唇を重ねてた。
ず〜っと『狐』のままだったから唇を重ねるのは久しぶりだったからかもしれないけど、旦那様の温かい唇に触れることができたと思ったらずっとずっと重ねていたくなってしばらく思うように旦那様の唇を貪っていた。
旦那様も嫌がる様子もなく私に応えてくれて嬉しかったし幸せだった。
本当は言葉で私の想いを伝えたかったけど、いくら言葉にしても足りない気がしたわ。
「心から愛している」「ずっとずっと愛し続けます」っていう言葉を紡ぎだすのは今の私には簡単だけど、たったそれだけの言葉じゃあらわせない想いがあって、それを全部まとめて言いたくなくて、でもどうしたらいいかわからなくて、ただただ旦那様の身体をきつく抱き締めて唇を重ね続ける。
情熱的に求める私とは対照的に、旦那様は静かにそれを受け止めてくれる感じ。
私の唇や舌を優しく柔らかく吸って傷つけないように、でも、求める心は同じですよってちゃんと応えてくれているのがはっきりわかるくらいに強く重ねてくる。
息苦しいわけじゃない、悲しいわけでもない、嬉しくて幸せなんだけど、切なくて涙が出てくるのはなぜなんだろう。
そう思ってちょっと唇を離して下にある旦那様の顔を見つめると同じように穏やかな笑みを浮かべながらも涙がこぼれていた。
私達は無言で顔を近づけてお互いの涙をきれい舐めてしまうと、また唇を重ね合う。
このまま時が止まってしまえばいいのに・・そう思っていたんだけど・・
『ガシャンッ!! ガシャガシャンッ!!』
って何かが複数割れる音がして『人』の気配を感じた私は、流石に旦那様の唇から自分の唇を離して身体を起き上がらせ、そちらに視線を向ける。
すると、そこにはこの世の終わりを目撃したような表情を浮かべて立ち尽くす、スカサハちゃんと士郎くんと晴美の姿が。
足元には台所から運んできたと思われる食器類が落ちて壊れて散乱してしまっている。
あっちゃ〜、この子達がいることをすっかり忘れていたわ。
青少年の教育上非常によくないところを見せてしまったわね。
ごめんごめん、ショックだった? TPOわきまえずにごめんね。
「な、な、なななな、何が!?」
「き、き、キス!? おおおお、お兄様!?」
「ど、ど、どどどど、どういうことなの、お姉ちゃん!?」
私の言葉に一斉に大声で喚き出す3人。
いや、みんなが激しく動揺しているのはわからないでもないけど、どういうこともこういうこともキスしていたってことは、見ていたんだからわかるでしょ?
と、私が逆に問い掛けると、3人は何をどう聞き返せばいいのやらみたいな感じでしばらく戸惑い続けていたんだけど、戸惑いながらも聞きたいことがはっきりしたと思われる晴美が私に問いかけてきた。
「な、なんで!? どうして!? お姉ちゃんには婚約者の『人』がいるんでしょ!? なんでこんな真似するの!? わからないよ!? 私にはお姉ちゃんの気持ちがさっぱりわからないよ!!」
私に問い掛けてくる途中、溢れてくる感情が抑えきれなかったのか、ぼろぼろと涙をこぼし始める晴美。
あ〜、やっぱり晴美は旦那様のこと好きだったのね。
前々からそうじゃないのかなあって思っていたのよ、だから、この前も敢えて結婚することは話しても相手のことは話さなかったんだけど・・
見られちゃったからにはしょうがいないわよね。
いや、今日のは決して見せつけるわけじゃなかったのよ、旦那様のあの切なそうな表情を見ていたら我慢できなかったの。
私も女だからね、やっぱり好きな『人』と衝動的に愛を確認したくなるときもあるの。
だから、そういうことなのよ。
「え? そういうことってどういうこと?」
私の言葉の意味がわからず聞き返してくる晴美に私が答えるよりも早く、その問い掛けに横にいる旦那様が起き上がって真剣な口調で答えてくれた。
「晴美ちゃん、よく聞いて。・・玉藻さんは婚約者とは別の相手と浮気していたわけじゃないよ。玉藻さんの婚約者が、他でもない僕だってことなんだ」
「れ、連夜さんが・・お姉ちゃんの・・婚約者・・そ・・そんな・・」
旦那様の口から出た答えを聞いた晴美は、呆然としてへたりとその場に座り込んで動かなくなってしまった。
あちゃ〜、そこまでショック受けるほど旦那様のこと好きだったんだ・・これは予想外だったなあ、ひょっとして初恋の相手だったのかな。
そう思っていたら次はスカサハちゃんが旦那様に問い掛け始める。
「い、今の話は・・ほ、ほ、本当のことなんですの? お兄様」
「そうだよ、本当のことさ。僕は来年の僕の誕生日にここにいる玉藻さんと結婚する」
いつもと同じ優しく穏やかな笑みを浮かべてスカサハちゃんをじっと見つめ、淡々と語る旦那様。
「お、お父様やお母様はこのことは?」
「二人とも知ってるよ。もう玉藻さんのことも紹介してあるし、結婚の許可ももらってるもの」
「そんなこといつのまに!? あ!! まさかいま『特別保護地域』で・・」
「うん、一緒に暮らしているよ。君達は僕と玉藻さんが別の理由で『特別保護地域』に行っていたと思っていたのかもしれないけどね、本当は違う。僕が玉藻さんに無理にお願いして一緒についてきてもらっているんだ。一人は寂しいからね」
いやあの、旦那様はこう仰っているけど決して無理にじゃないのよ。
三カ月も会えないなんてお互いいやだからなのよ。
あれ? スカサハちゃん、黙りこんじゃった・・って、号泣してるジャン!!
「うえ・・うえええ・・いやだあ・・お兄様が結婚して誰かのものになっちゃうなんていやだあ・・いやだよお・・」
う、うわわわわ・・修羅場ってきた・・いやいやいや、別に私達やましいことなんてこれっぽっちもないはずなんだけど、なんだろう、この罪悪感は。
そう思っていたら今度は士郎くんが旦那様に問い掛けてくる。
「そ、その『人』が連夜さんだけを見つめてくれる『人』なんですか?」
「うん、そうだよ。僕にとって一番大切な『人』、大切な『伴侶』、そして、僕の・・僕だけの『女』だ」
はい、仰る通り。
そして、旦那様は私の一番大事な『人』、大事な『伴侶』、そして、私だけの『男』
悪いけどその部分は渡せないのよね。
あなた達にとって、うちの大事な旦那様は『師匠』だったり『兄』だったり『姉』だったり、あるいは『父』だったり『母』だったりするかもしれないわ。
そこについてはいい。
そこは譲ってあげる。
既に一人その地位にちゃっかり座ってるやつもいるし、まあ、そこまで取り上げてしまうとあとあと面倒なことにもなりかねないからね。
でもね、一番根っこになるところは全て私のもの。
その何もかもが全て私のものよ。
誰にも渡さないし、渡すつもりもない。
私からそれを奪い取ろうとするものは絶対許さないわ、例えそれが旦那様に目をかけられている友達や、弟子、あるいは実の親兄弟であってもね。
「まあ、それについては僕も同じなんですけどね」
そういって私のほうを見てにこっと笑いかけたあと、また3人のほうに顔を向ける旦那様。
「わかってもらえないかもしれないけど、今の僕が僕たりえるのは玉藻さんのおかげでもあるんだ。多分、玉藻さんと出会わなければ今の僕とは違う僕になっていただろうから・・少なくとも今ある僕には玉藻さんは絶対必要な存在だってことさ」
あら、私だってそうなんですよ?
私にとっても旦那様は絶対必要な存在、だから誰になんと言われようともこの心は変わらないわ。
そう言って3人をじっと見つめていた私と旦那様だったけど、やがて士郎くんが戸惑いながらも代表するように口を開いたわ。
「お二人のお気持ちはわかりました・・でも・・でも、玉藻さん、ひとつだけ僕達のお願いを聞いてください!!」
なに?
私は旦那様と一度顔を見合わせたあと、真剣な表情でこちらを見つめてくる士郎くんに顔を向け直し、その瞳を真っすぐに受け止めた。
すると、何度か逡巡してみせたあとに、士郎くんは思いつめた表情でもう一度言葉を紡ぎだし始めた。
「連夜さんを・・連夜さんを・・」
口ごもりながらも、必死に何かを私に伝えようとしている士郎くん。
わかった、みなまで言わずともよくわかってるから。
旦那様のことをよろしく頼むって言いたいわけでしょ? 大丈夫、そこのところはちゃんとわかってるから安心して・・って言おうとしたんだけど。
その次の瞬間士郎くんが口にした言葉は・・
「連夜さんを・・蒼樹さんと交換してください!!」
・・私と旦那様、見事に頭から突っ伏したわよ。
物凄くいい雰囲気だったのに、それかい!!
諦めてわかってくれたと思ったのに、全然あきらめてないじゃないのよ!!
この子にはとことん説教くらわしてやらねばならないと固く決意して顔をあげた私。
ところが目の前では士郎くんの横にいるスカサハちゃんと晴美が手を叩いて喜んでいて・・
「ナイスアイデアですわ、士郎!! 流石はお兄様の右腕!!」
「あ〜、そうか、その方法ならみんな丸く収まりますね、士郎さん、素敵です!!」
「いやあ、それほどでも、えへへ」
と、二人から手放しで褒められた士郎くんはすっごく嬉しそうな顔で照れている。
いやいやいやいや、全然丸くおさまらないから!!
そもそも、蒼樹くんって子と交換されても外見だけ同じで旦那様と完全に中身別じゃないのよ!!
「それに肝心の蒼樹の気持ちが完全に無視なんだけど・・それでいいの、君達・・」
「僕達だって・・僕達だって他に方法があるなら・・でも、もうこれしかないんです!! きっと、蒼樹さんもわかってくれると思います・・僕たちは蒼樹さんという尊い犠牲があったことを忘れませんから」
「いや、まだ蒼樹犠牲になってないから。と、いうか、交換されないので、犠牲にならないから」
呆れた表情を隠そうともせずに旦那様が士郎くん達に問い掛けると、士郎くんは如何にも辛そうな表情を浮かべ、それでいてこれしか方法がなかったんだみたいな口調で答え、それを横で聞いていたスカサハちゃんと晴美が重々しく頷いて見せる。
そんな年少組の様子を見ていた旦那様が疲れた様子でツッコミを入れるけど、3人は全然聞く耳をもたず、それどころか早速円陣を組んで蒼樹くんをどうやって騙して旦那様と入れ替えるかについて真剣に議論を開始し始めた。
ちょっとあんた達いい加減にしなさいよ、本当に。
蒼樹くんは騙されるかもしれないけど、肝心の私が騙されないから!!
交換は絶対絶対ぜ〜〜〜ったい無理だから!!
「「「ええええ〜〜〜〜っ!!」」」
えええ〜〜っじゃないの!! 何、 その不満そうな声と顔は!?
わかった、こうなったらとことん話し合ってやるわよ。
みんなそこに並んで正座しなさい!! 『人』が真剣に話している時に何そのふざけた提案は!?
だいたいね、みんな旦那様に頼り過ぎでしょ!! もっと大人になるために自立することとかをね・・
「あの〜、玉藻さん・・」
あ、バステトさん、すいません、ちょっと今この子達に自立とか責任とかについてしっかりと自覚してもらうようにじっくりたっぷりねっとり話している最中なので後にしてもらえますか!!
「いや、あの、ご飯冷めちゃうから〜・・って、連夜くん、玉藻さんを止めてよ・・」
「まあまあ。どうせもうすぐタスク師匠帰ってくるでしょ? それまで待ちましょうよ。ゆかりちゃんもタスクおじちゃんと一緒に食べたいよね?」
「・・あい」
「はあ〜・・まあいいけどね。それまでに玉藻さんのお説教終わってなかったら、ちゃんと責任もって止めてよね〜」
こら!! 士郎くん、これくらいで男がめそめそ泣かない!! スカサハちゃん、何その反抗的な目は!? 晴美、あくびしているんじゃないの!?
もう、あんたたち、私の話をきけええええええええっ!!