表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/127

Act 22 『土曜日の出来事 Part1』

城砦都市『嶺斬泊』最大の繁華街である『サードテンプル』にある巨大なアーケード商店街『サードテンプル中央街』を久しぶりに訪れた連夜は、浮き浮きとした様子を隠そうともせず、その中を弾むような軽やかな足取りで進んで行く。


土曜日の午前中、時間はまだ10時と各店は開店したばかり。


これがあと1時間もすれば一気に人通りも増えてアーケードの大通りは人であふれ、通行するだけでも大変になってくるのであるが、今の時間はまだ人通りも少なくすいすいと進んで行くことができる。


主夫としての一面を持つ連夜にとって買い物は彼の楽しみの一つであり、目的もなく様々な店に入りいろいろと珍しい商品を見たり自分が知っている商品の各店毎の値段を比較して回ったりするのが大好きだったりするが、今回はとりあえずその楽しみを一時封印し、恩師であるカダに依頼された物の選別、購入を優先させることにする。


カダから依頼された物は、カダが愛飲しているコーヒーや煙草それに酒といった嗜好品から、修行にて使用することになる園芸用品や、酒造りに関連する道具など実に様々であったが、幸いにも連夜は、今までの経験からどの商品がどの店で購入できるかを熟知していたので、最短ルートを手早く頭の中で組み立てると次々と手際よく店を訪れて商談を進めていく。


(常連客の宿難(すくな) 連夜(れんや)ならともかく、一見さんの女の子じゃああまり値切ることはできないだろうなあ・・でもまあ、いいか、どうせ今回の費用は中央庁のほうで必要経費として落ちるし)


と、目的の店で上辺では愛想よく店員と話をする連夜であったが、心の中では自分の今の姿ではいろいろと融通がきかないであろうことに不満をもらす。


『人造勇神』事件の影響で宿難 連夜としてこの街に来ることができなかった連夜は、現在女の子の姿。


艶やかな黒髪のロングヘアーに、見るからに穏やかで優しい色をした黒眼に、黒縁の眼鏡、身長160cmちょっとあるかないかくらいの身体は出るところがある程度出ていて、引き締まるべきところは引き締まっている。


白いシャツに紺色のロングスカート、そしてその下には身体にぴったりとフィットした首まである全身用の黒いボディスーツを着込んでいて、一見するとスカートから伸びる足は黒いタイツを履いているように見える。


全体的に奇麗、美しいという形容詞よりも『かわいい』感じのする少女・・それが今の連夜の姿であった。


とはいえ、一応女の子でもあるわけだから、ちょっとくらい手加減してくれるかもしれない。


そんな淡い期待を込めて、なるたけかわいらしく店員に交渉を持ちかけてみる。


「店員さん、もうちょっと値段さげてもらえない? ダメ?」


と、小首を傾げながら聞いてみると・・


「いいよ、いいよ、全然下げちゃうよ。これくらいでいいよ」


「どれどれ・・って、ええええっ!? こ、こんなにまけてもらっちゃっていいんですか!?」


「お嬢ちゃんかわいいから、特別ね。他のお客さんには言わないでよ。それから、これからもうちの店を贔屓にしてね」


「うわ〜〜!! ありがとうございますぅ〜〜!!」


予想以上の値引きぶりに、感謝感激を全面に押し出し華のようなかわいらしい笑顔を作って店員に礼を言う連夜。


しかし、内心は・・


(えええええ〜〜!! なんでなんで〜〜!! なんでこんなに値切れちゃうのさ!! 僕男の姿の時にこんなにまけてもらったことないよおおおお!!)


などと盛大に悲鳴を上げていたわけであるが。


まあ、きっとこの最初に入った店だけがたまたまそうだったに違いない、次はこうはいかないだろうと無理矢理自分を納得させつつ、上辺はあくまでも極上の笑みを浮かべながら会計を済ませ、商品を中央庁舎のほうに配達してもらう手続きを取った連夜は次の店に向かう。


ところがである、ある意味連夜にとって不幸中の幸いであったというべきか、それとも逆に非常に不本意というべきか、次の店も、また次の店も、そのまた次の店も、その次の店も全て、入ってきた連夜に対応した男性店員のほぼ全てが、連夜がちょっとお願いするだけで大幅に値段を下げてくれたのである。


(え〜〜ん、なんでみんなそんなあっさり値段下げちゃうんだよ〜〜!! いつもかなり粘らないと下げてくれなかったりするし、ここまで下げてくれることなんかないのにぃぃぃぃぃ!!)


上辺は華のような笑顔を振りまきつつ、心の中ではやりきれない思いから号泣する連夜。


男の姿の時にはそこまで値段を下げてもらったことがないというくらいまで値段を下げてもらえて、本当であればかなり嬉しい出来事であるはずなのだが、非常に複雑な心境になってしまった連夜である。


いや、そればかりではない、店員の中にはしつこく女の姿の連夜に言い寄ってくる者もいたのである。


デートに誘ってくる者は勿論、念話番号や住所をしつこく聞いてくる輩もいて、かなり閉口させられることになった。


(男の僕を誘ってどうするんだよ、まったく・・って、ああ、そういえば今の僕は女の子だった。しかし、だからってなんで僕なんだろ? もっと他にもかわいい子や奇麗な人がいっぱいいるのに)


内心がっくりと肩を落とす連夜であったが、それでも目的は当初の予想以上のペースで非常にスムーズに済ませていくことがことができ、11時になる前にはカダ老師のお使いは終了させることができた。


いよいよ自分の買物の時間を取ることができると、内心ほくほくする連夜であったが、本腰をいれて店を回って行く前にちょっと休憩しようかなと近くのハンバーガーショップ『魔空・ド・鳴門』に向かうことにする。


「お昼にはまだ早いよね。バニラシェイクでも飲もうかな、期間限定のヨーグルトシェイクも結構よかったけど、やっぱり定番のバニラが一番だよねえ。・・って、あれ?」


徐々に人通りが増えてきた大通りを歩いて行く連夜の前方で、人の波が妙な動きをしていることに気が付き、足を止める連夜。


よくよくその人の波の動きを注視してみると、なんだか前方からやってくる何かを避けるようにして左右にわかれ道を作っていっている。


そればかりか、ところどころで『ヒ、ヒィッ!!』とかいう悲鳴も聞こえてくるし、何事だろうと思い連夜がそこに近づいていくと、そこには一人の少女の姿が。


美しく光る銀髪のロングヘアーをポニーテールでまとめ、青いシャツを腕まくりにし、青いミニスカートに黒いスパッツ、そして、両手にはそれぞれ一本ずつ木剣が握られていて、とんでもない殺気を四方に放ちながら何かを探しているようにきょろきょろと周囲を見回している。


もっと近くで見ようとさらに近付いてみた連夜は、その少女の顔を正面からまともに見ることになってしまい、危うく噴き出してしまうところであった。


(な、なんじゃ、こりゃ!!)


思わず絶句して少女の顔をマジマジと見てしまう連夜。


その少女、非常に個性的な化粧を自らの顔に施していた。


額には東方文字で『ぉ肉』と書かれており、眉毛はこれでもかというくらいに太い熱血眉毛、口の周りはゴマ塩状の髭が描かれていて、まるでテレビ番組に出てくる有名コメディアンのような顔をしているではないか。


普通なら見ただけで大笑いしてしまうところなのであろうが、その少女の放つ殺意のオーラがあまりにも凄まじく、ちょっと噴き出しただけでも殺されそうなので誰も笑うものはいない。


いったいどういうつもりなんだろうなあ、と半分呆れて半分興味深く見ていた連夜であったが、関わりあいにはならないほうがいいかなと立ち去ろうとした。


だが、なんとなく心に引っ掛かるものを感じ、もう一度その少女の姿をマジマジと見つめてみる。


(あれ? この子って・・僕知っているような気がするんだけど)


尚もじ〜〜っとしばらくその少女を見つめていた連夜は、誰に似ているかようやく気がついた。


(あ〜〜、スカサハだ!! この子スカサハに似ているんだ。いや〜、そう思ってみてみると、ほんとによく似てるなあ、いやいや、他人の空似にしてはほんとによく・・って、あれ? ほんとに他人の空似?)


見る、さらに見る、さらにさらによ〜く見てみる、そして、もう一度確認のためによ〜くよ〜く見た連夜は、自分の予想が悲しくもあたっていたことを確信しがっくりと肩を落とした。


(最近ようやく大人しくなって、女の子らしくなってきたなあって思っていたのに、どうして、この子はこうやんちゃなんだろう。やっぱり僕の育て方が悪かったのかなあ)


連夜の脳裏に小学生の頃の妹の姿が思い浮かんでくる。


『兄ちゃんをいじめる奴は、容赦せえへんでのう!!』


『スカサハ、女の子らしい言葉遣いしないとだめでしょ。なんでこんなにかわいいのに、やんちゃなのかなあ、君は』


『ご、ごめんなさい、お兄様。だけど、私のこと女の子扱いしてくれるのお兄様だけなんだもん』


『そんなことありません。スカサハはただでさえほんとにほんとにかわいいから、日頃から女の子らしくしていればすぐにみんなそういう風に接してくれるようになると思うよ』


『そ、そうかな?』


『そうだよ。間違いないよ』


それからちょっとずつ女の子らしくなっていって、小学校を卒業して中学生になったときにはすっかり御淑やかなお嬢様に変わっていたのに・・


(何かの拍子で『武闘派モード』に切り替わっちゃうんだよねえ)


大きな溜息を吐きだしてしばらく思い出に浸っていた連夜であったが、不意に決然と顔をあげると、人の波をかきわけて少女に近づいていってその前に立ちはだかる。


「なんじゃあ、おどれわあ!?」


自分の目の前に飛び出してきた黒髪黒メガネの少女姿の連夜に向かってドス黒いオーラを振り撒きながら怒声をあげる銀髪の少女。


その声に周囲にいた『人』達は蜘蛛の子を散らすように一斉に離れていくが、連夜は恐れるようすもなく少女に近づくと怒ったような表情でその腕を取る。


「こっち来て」


「はあっ!?」


「いいからこっち来て」


呆気に取られているスカサハの腕を引っ張ると、連夜はアーケードの横にある人通りの少ない横道へとずんずん進んで行く。


スカサハは一瞬抵抗する素振りを見せたが、連夜の放つ自分以上の大きな気に呑みこまれてしまい、あげかけた怒声を不発させて渋々と引っ張られるままについて行く。


やがて、連夜は人通りがほぼなくなった駐車場までやってくるとスカサハの前に真正面に立ってまじまじとその顔を見つめ呆れたような口調で声をかける。


「もう〜〜、いったい何をやっているのさ・・」


「な、何がじゃあ!? おんどれには関係ないじゃろうが!!」


心底呆れ果てたという視線を向けてくる連夜に、スカサハは再び怒声をあげてみせるが、連夜はしばらくそんなスカサハの顔をまっすぐに見たあと、溜息を吐きだしながら背中のリュックを下ろし、中から手鏡を出してそれをスカサハに突きつける、


その連夜の動作の意味が一瞬わからず、何気なくその手鏡の中を覗きこむスカサハであったが、その鏡に映る自分の姿を見てようやく自分がどういう状態であったかに気が付いて盛大な悲鳴をあげるのだった。


「なんじゃい、鏡なんぞ持ち出し・・って、ああああああ!! し、しまったああああ!! 私の顔いたずら書きされたままだったああああああ!!」


羞恥で顔を真っ赤にしたスカサハは両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまい、ついにはしくしくと泣きだしてしまった。


「わ、私、こんな顔で都市営念車に乗って、しかも大通りを歩いてきてしまいましたわ・・もう、もう・・どうしよう・・」


子供のように泣きじゃくるスカサハをしばらく見つめていた連夜であったが、リュックから何かの薬品が入った瓶と薄手のタオルを出してくると、そのタオルに薬品を浸してよく染み込ませてスカサハの前に同じようにしゃがみ込む。


そして片手をスカサハの顎にかけて無理矢理にならないように顔をあげさせると、優しくタオルでその顔を拭き始める。


「え、ちょ、ちょっと・・」


「はいはい、動かないで。これってマジックで書いたものでしょ? 大丈夫、すぐに奇麗に取れるから。下手に動くとインクがかすれて変にこびりついちゃうから、じっとしててね」


まるで母親のような優しさと愛情に溢れた表情を浮かべて自分の顔を丁寧に拭いてくれる目の前の『人』物をしばし呆気に取られて見つめていたスカサハであったが、その顔がどこかで見たことがあることに、ようやく気が付いて困惑の表情を浮かべる。


「あ、あの・・すいません」


「な〜に? もうちょっと待ってね、あと少しで全部消えるから」


「いえ、そうじゃなくて、その・・失礼ですけどどちら様でしたっけ?」


スカサハの言葉を聞いた連夜は一瞬きょとんとして表情でスカサハを見返し、何素っ頓狂なこと言っているんだろうこの子はといわんばかりにしばらくの間固まってしまう。


その様子を見ていたスカサハは、物凄く居心地が悪そうにしていたが、そのままにもできないので尚も問いかけることにする。


「あ、あ、あの、ごめんなさい。その、覚えはあるんですけど、どこのどなただったかどうしても思い出せないのですわ。すいません、助けていただいた方に対してこんな失礼なことないのですけど、お名前を教えていただけませんか?」


真剣に問い掛けてくる妹の姿に連夜は盛大に噴き出しかけたが、なんとかそれを呑みこむと、しばらく何かを考え込む。


そして、おもむろに眼鏡をはずし、長い黒髪を後ろで束ねて正面からは髪形が短くなったように見えるようにすると、そうした顔をスカサハのほうに向ける。


「僕がほんとにわからない、スカサハ?」


「え・・」


その目の前の顔を呆気に取られて見つめていたスカサハであったが、見つめているうちにみるみる変わっていく。


そして


「ま、ま、ま、まさか、そんな、うそでしょ?」


「ううん、ほんと。蒼樹とかぶらないように、12時間だけ性転換する薬を飲んだんだ。いやだけど、『女』になっただけで実の妹が気がつかないなら、この変装は大成功だね」


「ええええええええっ!! じゃあじゃあ、やっぱりお兄様!? 連夜お兄様ですのおお!?」


驚愕の声をあげるスカサハににっこりとほほ笑む連夜。


スカサハはそんな連夜をしばらく見つめていたが、やがてぼろぼろと涙をこぼし始めたと思うと連夜の身体に抱きついて盛大に泣き始めた。


「お兄様、お兄様!! お会いしたかった、お会いしたかったですう!!」


「久し振りだね、スカサハ。僕も会いたかったよ。しかし、ちょっとみない間に益々かわいくなったし元気そうなのはいいけど、ほんとに君のやんちゃぶりは治らないなあ」


スカサハの柔らかい髪を撫ぜながら苦笑を浮かべて見せる連夜に、スカサハは口を尖らせて不満そうな、しかしどこか甘えているとわかる口調で訴えかける。


「だってだって士郎が!! 士郎が、私にひどいことするんですもの!!」


「わかったわかった。とりあえず、ここじゃなんだから、ゆっくりできるところで話を聞くよ。スカサハってパフェ好きだったよね? おごってあげるからちょっと移動しよう」


ますます苦笑を深くした連夜は、スカサハの身体を離して足元に転がる二本の木剣を拾い上げると、外していた眼鏡をつけなおしてにっこりとほほ笑みかける。


するとスカサハは大輪の華のような心の底から嬉しさにあふれた笑顔を浮かべると、急いで連夜の横にやってきてその腕に自分の腕をからませる。


「は、はい・・えへへ、連夜お兄様と久しぶりにデートですわ。」


「あ〜、そういえば、二人きりでこの街を歩くのも久しぶりだよね。う〜ん、スカサハさえよければ、いい機会だし君の夏服をあとで買いに行こうか。お父さんやお母さんのことだから、その辺のことは用意してないだろうしね」


「いいんですか!? お兄様何か用事があってここに来られたのでは?」


「うん、でも、もう終わったから。それよりもスカサハは時間ある? 大丈夫?」


「全然平気ですわ!! お兄様大好きです!!」


士郎への怒りはいったいどこへやら、完全に機嫌を直したばかりか、嬉しさ絶頂の状態となったスカサハは連夜の腕に絡めた自分の腕にますます力を込めてきつく抱きしめ、そんなスカサハを連夜は優しい表情を浮かべて見つめる。


まるで仲の良い姉妹か母娘のように、二人は再び『サードテンプル中央街』の大通りへと戻っていった。




Act 22 『土曜日の出来事 Part1』




玉藻が通う都市立大学は、土曜日は基本的に半日しか講義がなく、昼から大学に来る学生というのは主にサークル活動が目的というものがほとんどであり、当り前のことであるが昼を越えると大学の構内は途端に『人』気が少なくなくなり静かな空間になる。


だが、この日はそうではなかった。


大学の第一講堂の東の端っこに存在している、ある大物教授専用に割り当てられた畳三十畳はありそうな、ある大きな研究室の一室の中を大勢の学生達がひしめきあうようにして占拠していて、この部屋の周囲だけ異様な喧騒に包まれている。


よくよく見ると、中を占拠しているのは全員男性の学生ばかり。


確かに普段からこの研究室は賑わっている。


と、いうのも、この研究室の責任者であるブエル・サタナドキア教授は大学の中でも人気を二分するほどの有名な教授であり、教授が持つ豊富な知識技術技能を求めて多くの学生達がこの研究室に所属し、日々教授の元この部屋の中で熱心に研鑽を励んでいる姿が目撃されているほど・・で、あるが、しかし。


あまりにも有能すぎて教授は大学だけでなく中央庁や各企業からも協力を要請され続けていて、平日の午前中しか学生達の指導を行うことができず、ましてや土曜日ともなると大学以外のスケジュールがいっぱいで、この研究室を使用しているものは、教授の教え子たちの中でも特に勉学熱心な数名の生徒達だけのはずだった。


ところが、今日に限っては普段研究室には顔を出さず、期末テストの時だけにしか現れないような幽霊学生達が群れをなしてこの研究室にやってきていた。


いや、そればかりではない。


あきらかに違う教授の研究室に所属している学生達の姿も見受けられる。


一体全体これは何事なのか。


実は数日前からある噂が大学内に流れて広まっており、その噂を信じた学生達が、こうしてこの研究室に集まってきてしまったというわけである。


その噂とは・・


「おい、あれ本当なんだろうな? 本当にここに来るんだろうな?」


この研究室に所属している学生の一人で、今年大学三年生になるサンエルフ族の青年ケンウォード・ソルスティンは、自分と同じく研究室に所属している他の3人の学生達に鋭い視線を向ける。


いま彼ら4人は、まるで通勤ラッシュのようになってしまっている研究室の部屋から退避して、研究室の入口から少し離れたところにある階段の踊り場に集まって来ているわけだが、その薄暗く狭い空間の中で、問い掛けられた3人は一様に渋い顔を作って見せる。


「おいおい、しっかりしてくれよ。今日ここに来るって聞いたから、剣舞サークルの女子との合コン断ってここに来ているんだぜ!!」


「熱くなるなよ、ケン。そもそも、さぼってほとんど来なかったおまえにこの件を教えてやっただけでもありがたいと思ってほしいくらいなのに、そういう言い方はないだろうが・・まあ、疑いたくなるのはわからんでもないが、教授が携帯念話で会話しているのを横で聞いていたから間違いはないと思うぞ。ただ、それでも疑うというなら今からでも遅くはないだろう、合コンのほうにいってこいよ」


「う〜、わかった信じるよ・・」


日焼けした肌に金髪、180cmを越える長身に、爽やかなアイドル系の顔をしたイケメンのサンエルフ族の青年ケンウォード・ソルスティン(通称ケン)が不満そうな表情で声を荒げると、その向かいに立つ同じくらいの長身に、銀ブチメガネをした知的な感じのする魔族の青年で、ケンと同じ大学三年生のムルター・フォルクスがそれに異を唱える。


「まあ、しかし、噂の真偽よりもだ・・もっと問題なことがあるだろう」


「うんうん、そうっすよ。こんな状態じゃあ、来たくても来れないっすよ」


腕組みをしながらうんざりとした表情を浮かべて口を開くのはTシャツ一枚の身体の下に筋肉をモリモリさせている体育会系の鬼人族の大学三年生の青年ビーン・郡山で、その言葉に横にいるひょろっとしたいかにも軽薄そうな性格をしたダークエルフ族の青年(4人の中で唯一大学二年生)ブラッシュ・ワッシュルクが大きく何度も頷いて見せる。


4人はその廊下の端っこにある研究室の入口のほうに視線を向けると、そこから見えるむさくるしい中の惨状を見て大きく一斉に溜息を吐きだした。


「ったく、普段研究室に来ることなんてほとんどない幽霊所属員はともかくとして、なんでラファエル教授やサワムラ教授の研究室に所属している奴らまで来ているんだよ・・」


「全くもってけしからん。すぐにでも追い出してやりたいが・・流石にあの人数はどうにもならんしなあ・・」


「でも、どうにかしないと、折角来てもらっても、あれ見ただけでまわれ右されちゃうっすよ、絶対」


「だよなあ・・あの人はそういう人だよなあ・・あ〜あ、久しぶりに麗しの玉藻姫に会えると思ったのに」


4人は再び一斉に溜息を吐きだす。


そう、ここに集まっている全男子学生の目的は玉藻であった。


一カ月ほど前から完全に大学に来なくなってしまっていた学園のアイドル如月(きさらぎ) 玉藻(たまも)が、ブエル教授の講義を受けるために今週の土曜日に久し振りに大学に現れるという情報が校内に飛び交い、その結果、玉藻目当ての男子学生がこんなにも集まってきてしまったのだ。


ちなみにこの情報が漏れてしまったのは前述のムルターの発言にもあった通り、うっかり学生達が多数いるところで玉藻の件を連夜の父に携帯で頼んでしまったブエルの大失敗のせいである。


そのおかげであっという間にこの噂が広まってしまったわけであるが・・


当日までこの情報は眉唾ものではないかと疑われていたのであるが、土曜日に大学に来ることはないことで知られているブエル教授本人が、午前中に大学にいることが確認されてから一気に噂の信憑性が跳ね上がり、あっという間にこんな事態へと発展してしまったのだ。


「そうなんだよなあ・・何の用事もなく教授がこの大学に、しかも土曜日に来るなんてことはありえないんだよ・・しかし、確かなのか? 教授がここにいるって話は?」


「間違いない。と、いうか昼休みの時にも目撃した。遠目からだったが、いつもとは違う女性秘書の人と一緒に学生食堂から出てきたところを確かにこの眼で見た」


「え、ちょっと待てよ、いつもと違う女性秘書? それってシルキーさんじゃなくて? び、美人だった?」


「美人だ。ロングの黒髪に、スタイルは玉藻さん並、獣耳だったから間違いなく獣人系だと思うのだが・・大人しそうな女性だったな」


「ふ〜〜ん、見てみたかったっす」


「ってか、それよりもあれ、どうにかならんのかいな・・」


と、再び視線を入口のほうに向けると明らかにさっきよりもまた人数が増えて部屋からはじき出されてしまう学生の姿もちらほら見え始めている。


4人は絶望的な表情でそれをしばらく見つめていたが、やがてがっくりと肩を落としてそこに座りこんでしまう。


実は4人、玉藻に会うことだけが目的ではなく、ある事柄を確認したくてここに集まって来ているのだった。


つい数週間前、この研究室の新人歓迎会が『サードテンプル』の居酒屋で行われたのであるが、その時にある事件が発生し、4人はそのことが原因となって玉藻から大不評を買うことになり全く口をきいてもらうことができなくなってしまったのだ。


そればかりではない。


その時の事件の発端となった人物のことを、憧れの君である玉藻が自分の最愛の人、そして、婚約者と言いきって見せたのである。


全種族の最底辺に位置するといっても過言ではない弱小中の弱小種族である人間族の、しかもまだ高校生にしか見えない、なんの取り柄もなさそうな平平凡凡としたごく普通の少年をである。


どうしてもそれが納得できない彼らとしては、是が非でも事の真偽を問い質したくてここに集結したわけであるが


「だめだこりゃ・・」


と、目の前に広がる惨状を目の当たりにして、自分達の目的の人物の到来をすっかりと諦めてしまった。


だが、しかし。


実は件の人物・・如月 玉藻はこの大学の構内に来ていた。


彼らが大学にやってくるよりもずっと前の時間、早朝のうちに大学に入った彼女は、午前中のうちに研究室とは別の場所で教授の講義をゆっくり静かに受け、目的をすっかり果たしてしまっていたのだ。


今、彼女はお昼御飯を学生食堂で教授と共に過ごし、教授の個室に戻ってきてのんびりコーヒーをすすっている最中である。


「しかし、君のファンはすごいな・・私の研究室の後片付けが大変そうだよ」


「いや、あの・・す、すいません、教授」


「あっはっは、いや気にすることはない。こうなることは最初から予想していたよ。宿難さんと念話をしていた時に、ちょうど学生達に聞かれてしまっていてね。なんとなく嫌な予感がしたものだから、前もって、講義をする場所を私の個室に、時間を午前中に変更させてもらったんだ。あのむさ苦しい中で講義をすることは避けたかったしね」


尊敬する教授の言葉を聞いた玉藻は、なんともいえない恥ずかしそうな表情を浮かべて身を縮めて見せる。


そんな今まで見たこともないような可愛らしい姿を見せる、自分の最も優秀な教え子の姿に一瞬驚いた表情を浮かべるブエル教授であったが、すぐにその髭だらけの顔を崩して優しそうな視線を向けるのだった。


ブエル・サタナドキア


都市立大学で、ラファエル教授と人気を二分する回復術の高名な研究家で、その名声はこの都市だけにとどまらず近隣の北方都市群の間に広まっているほど。


上級魔族中の上級魔族であり、実際の姿は『人』とは遠くかけ離れたものであるらしいが、普段は目と鼻以外を茶色の鬚と髪で覆われた壮年の男性の『人』の姿をしている。


物腰はいつもやわらかく、非常に穏やかで紳士的な『人』物であり、自分の持つ知識技術技能を隠すことなくおしげもなく学生達に披露し、尊敬の念を多く集めている。


勿論、彼の前に座る玉藻とても例外ではない。


というか、玉藻にとってこの大学で最も尊敬している教授がブエルであった。


他の教授達は多かれ少なかれ自分の持っている知識技術技能に対し、どこかしら鼻にかけるような態度を取ることがあったが、ブエルだけは一度たりともそうした態度を取ったことがない。


教えている立場にあるブエルであったが、学生達に教えながら何かを学んでいるような姿勢が常に見受けられ、そういう姿に感銘を受けるのだった。


そう思いつつ尊敬の眼差しを向けている玉藻に、ブエルが興味津々といった表情を浮かべて彼女を見つめ口を開く。


「それで一つ聞きたいのだが、いいかね?」


「えっと、はい、なんでしょう、教授?」


尊敬してやまない憧れの教授に問いかけられて自然と背筋を伸ばし居住まいを正す玉藻。


「その髪と瞳と尻尾の色の変化には、何か理由があるのかね? 最初は男性諸君の目を誤魔化すために染めてきたのかと思っていたのだが、どうやらその髪も尻尾も染めたものではないようだし、瞳もカラーコンタクトをはめているようでもなさそうだ。君は確か金髪、金眼だったと思うのだが・・なぜ黒髪、黒眼、そして雪のように白い尻尾になってしまったのかな?」


と、ブエルはもう一度マジマジと目の前の教え子を見つめる。


一カ月前、最後の講義に出席した彼女を見かけたときは、確かに金髪金目であった彼女であったが、今日久しぶりに会った彼女は黒髪、黒眼、そして、三本の尻尾は雪のような美しい白の色という姿となっており、最初彼女に声をかけられた時は、ブエルは別の誰かかと思ったものだ。


いや、そればかりではない、どこか『人』を跳ね除けるような厳しい雰囲気を常に身に纏っていた彼女であったが、今は別人のように穏やかで優しい雰囲気を持つ女性に変化していた。


「いや、それがわからないんです。この一カ月ばかり化粧品や美容用品に使用される薬草、霊草を試用し続けていたからかもしれないのですけど・・私も今日自分の変化した姿を初めて見て驚いています」


「今日初めて? 今日変化したのかね?」


「いえ、そうじゃないんですけど・・教授はご存知だと思うのですが、私現在中央庁直轄の『特別保護地域』で暮らしていまして、ちょっとある事情から私そこでは『狐』の姿で暮らさないといけなくて。こうして『嶺斬泊』にもどってくると『人』の姿にもどれるんですけど、あちらでは元にもどれないものですから、今日久しぶりに元にもどってみたらこうなっていたというわけなのです」


明らかに困惑した様子で語る玉藻の姿をじっと見つめていたブエルであったが、何かに気がついたように質問を続ける。


「尻尾が白いが、ひょっとすると、『狐』になると全身が白くなるのかね?」


「はい、その通りです。あまり言いたくないんですけど、私元々は金毛白面だったんですが、今は全身真っ白ですね」


「ふむ〜、どう考えても短期間で急激に変化しすぎているような気がするが、薬草、霊草の変化とは思えないのだがなあ・・むしろ心理的な何かが引き起こした現象と捉えるべであるような気がするのだが・・と、なるとやはりそれのような気がするのだよ、如月くん」


「それと言いますと?」


しばらく腕組みを考え込んでいたブエルであったが、急に鬚だらけの顔をニヤリとさせると、きょとんとしている玉藻の左手の薬指を指さして見せる。


一瞬呆気に取られた表情を浮かべた玉藻だったが、その意味にすぐに気がつくと顔を真っ赤にしてあわわわと動揺し始める。


「いや、あの、これは別にその・・」


「結婚するのかね?」


「・・は、はい」


益々顔を赤らめて俯いてしまう玉藻の姿を見て、何やら難しい表情で考えこんでいたブエルであったがやがてゆっくりと自分の考えを語り始める。


「あくまでも私の仮説というか、思いつき程度のものなのだがね、如月くん」


「は、はい、ご高説謹んで拝聴させていただきます。」


「別に他意があっての発言ではないのだが、金毛白面は伝説の悪狐と言われるのにはそれなりのわけがある。霊狐族というのは霊感が元々強い一族で、反面周囲の『人』の感情に影響されやすい一面を持っているわけであるが、中でも金毛白面に生まれたものは『人』が持つ『悪』の心に影響されやすいと言われている。極端な例だが、不良やヤクザのような者達に囲まれて暮らしていくとどんどん彼らの感情に引きづられるだけでなく、彼らの『悪』をも呑みこんでどんどん強大な『悪』に育っていってしまうということだ。勿論それは誰にでもある側面でもあるわけだが、金毛白面の場合、『悪』を呑みこめば呑みこむほど強大な力を身につけていくといわれている。さてそこでだ・・そもそも『悪』とはなんであろうかということになるのだが・・如月くんはどう思うかね?」


突然問い掛けられた玉藻は、ちょっとの間あうあうとしていたが、すぐに表情を引き締めると真面目な口調で自分なりの考えを口にする。


「大多数が共通して感じ定めている倫理や道徳に反する行為や思想でしょうか?」


「うむ、なかなか君らしい意見でよろしい。勿論、他の見方もあるし他の捉えかたもあるが、とりあえず、今はそれを是として話しを進めていくことにする。今も君が言っていたが大多数の共通の認識、たとえば殺『人』を犯してはいけない、盗んではいけない、騙してはいけないなどは誰しもが普通に持っている『正義』と呼んで差し支えない認識であると思う。ということはそれらに反する行為、つまり殺『人』を犯してもよい、盗んでもよい、騙してもよいという行為は『悪』に分類されやすい事柄に入るわけで、それらを実行している、あるいはそういうことを当たり前と思っている輩は当然『悪』とみなされるわけであるが、ごく一部、ごく個人の対象にのみそれを許す『悪』といえないような『悪』の思想の持ち主もいる。たとえば・・あくまでも本当にたとえばで、こんな『人』物がいるかどうかわからないが、大きな『愛』を持つが故に、その対象となる『人』物に対して自分という個人を殺してもいい、自分から盗んでもいい、だましてもいいと、自分に対してならおよそ『悪』の限りを尽くしても自分は恨まないし、他の誰がそれを『悪』とみなしても自分だけはそれを『正義』と呼ぶと・・そんな『人』物が常に横にいて金毛白面の狐に想いをぶつけ続けたらどうなるか?」


「あ、あ、あの、教授、すいません、もうそのあたりにしておいてください・・よくわかりましたし」


顔を真っ赤っかにした玉藻は、失礼とわかってはいたが、これ以上は恥ずかしくて聞いていられないとばかりに慌ててブエルの話をさえぎる。


そんな玉藻に対し、いたずらっこのような表情を浮かべていたブエルであったが、なんともいえない優しい笑顔を浮かび上がらせる。


「君は愛されているのだねえ、その『人』に」


「はい・・それはもう、間違いないです」


「幸せかね?」


「はい」


「そうか、それはよかった」


ブエルの問い掛けに対し、顔を紅潮させながらも本当に幸せそうにほほ笑む玉藻


そして、そんな玉藻の答えに何度もうれしそうに頷いて見せるブエル。


二人の師弟はしばらくそうして部屋の中を流れていく穏やかで温かな空気を楽しんでいたが、不意にノックの音が部屋の中に鳴り響く。


「教授、お取り込み中のところ失礼いたします」


「ああ、シルキーくんか遠慮はいらんよ、入ってきなさい」


教授が入室許可の言葉をかけると、静かにドアが開いて魔族と思われる妙齢の美しい女性が入室してきた。


玉藻とも顔なじみのその女性は教授の専属秘書であるシルキー・ダンタリオンで、彼女は玉藻に一礼してみせると教授の側にすっと近寄って要件を告げる。


「お話中申し訳ありません。ですが教授、そろそろでかけませんとソルトノーギ製薬の重役の方々との会合の時間に間に合わなくなりますが・・」


「ああっと、もうそんな時間か・・如月くん、すまんが、ここまでのようだ」


すまなさそうに謝るブエルに、玉藻は慌てて立ち上がって首を横に振り、丁寧にお辞儀をして今日の講義についての礼を述べる。


「とんでもございません、教授、今日はお忙しい中、私一人の為にお時間を割かせてしまうことになってしまって、本当に申し訳ありませんでした」


「何、気にすることはない。君は私の教え子の中でも特に優秀な『人』材であるからね。これくらいどうということはないさ。それよりも一度君の自慢の婚約者殿を連れて来てくれ。どんな『人』物か一度お会いしてみたいのでな」


「わかりました。近いうちに必ず」


「うむ、君が関わっている中央庁のプロジェクトについての詳しい話は聞いてはおらんが、ともかく身体に気をつけてがんばりたまえ」


「ありがとうございます。教授もお身体にお気をつけて」


「うんうん、ではな」


そう言って教授の個室から出た玉藻は、駆け足で去っていくブエルとシルキーにもう一度深々と頭を下げて一礼して姿が見えなくなるまで見送り続けたあと、う〜〜んと一つ大きく伸びをする。


そして、携帯念話を取り出してパカッと開くと、手慣れた様子で携帯を操作しナビを発動させる。


すると携帯の画面に映る地図には、予想通り『サードテンプル中央街』のところで光点が点滅していて、それを確認したあと満足そうにうなずく。


「よしよし、それじゃあ愛しい旦那様と合流するとしますかあ」


と、軽やかな足取りで外へ出ると、大学の門に向って歩き出していく。


途中、外から教授の研究室のほうに目をやると、いったいどれほどの人数の男が集まっているのかわからないようなぎゅうぎゅうの鮨詰め状態となった部屋の惨状が部屋の窓から見えてしまい、思わず鳥肌を立てて震える玉藻。


「な、なんなのよ、あれ・・うわ〜〜、気持ちわるぅ・・は、早く行こうっと」


両手で身体を抱きしめてぶるぶると身を震わせていた玉藻だったが、誰かに見つかる前に退散しようと駆け足でそこを遠ざかっていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ