恋する狐は止まらない そのはち
朝起きた私は、ありえないモノを目撃して思わず固まってしまった。
本来私が住んでいる今の自宅にそんなモノが存在するはずがないのに・・
布団から起き上がった私が呆然と見つめる中、鏡台の前に淑やかに足を揃えて座るそのモノは、長く艶やかな髪を一生懸命ブラッシングして整えた後、右からみたり左からみたりして入念にチェックしていたかと思うとおもむろに立ち上がり、すぐ横の椅子にかけてあった女性用の服を取り上げて身に着け始めた。
そのモノは元々身体の線がはっきりわかるまるでスウェットスーツのような首まである黒いボディスーツを身につけていたが、その上から濃い紺色のロングスカートと、白いシャツを身に着けると再び鏡台の前にいって自分の姿をチェックし始める。
鏡に映るそのモノははっきり言って、美人ではない。
が、美人ではないものの、かなりかわいい容姿をしていた。
長い艶やかな黒髪に、みるからに穏やかで優しそうな性格が映し出されている黒い瞳、大きくなく小さくもない鼻と、血色のいいさくら色の唇。
身長はそれほど高くないが、小柄な体の割には少し大きい胸に、くびれた腰、細いというほど細くはないが身体にあった健康そうな脚線美。
おそらく10人中5人は振り返って確認するであろうその姿は、『人』の姿になった私が絶対に手に入れることができないであろうかわいらしさに満ちており、正直見ているとなんだか心の中にもやもやとしたものがわき上がってくるのを感じて非常に不愉快極まりない。
そもそも、なんでそんなモノが私の家に・・
あっ!!
私は唐突にある可能性に思い当たって、自分がいる部屋の中をきょろきょろと確認する。
そうだ、昨日私、中央庁から選別されて新しく来た『人』達の歓迎会に出席して久しぶりに浴びるほどお酒を呑んだのだった。
どうりで頭がズキズキ、胸がムカムカするはずだわ。
やっちまったのかな、私。
ひょっとして『人』の家で寝てしまったのかもしれん・・
うっは〜、高校の時の生徒会打ち上げパーティ以来の失態じゃないのかなあ。
あのときは生徒会書記長だった仲良しの女の子の家にミネルヴァと一緒に泊まりこんで寝てしまって、翌朝あの子の家のトイレを二人して交互に占領してしまった苦い思い出が・・
あれは本当に申し訳なかった。
トイレの中物凄いすっぱい匂いしていたものなあ。
およそ女の子の住んでいる部屋とは思えない惨状にしてしまって、書記長の女の子泣いていたもんねえ。
あいたたた・・ほんとに頭痛い。
でも、この部屋って多分私の家だと思うんだけどなあ。
でもなあ、あんなモノが間違ってもこの家の中にいるとは思えないし、ましてや私にべた惚れしている旦那様が私に断ることなく家の中に入れるわけもないしなあ。
やっぱり似てるけどここは他人の家なんだろうなあ。
って、思っていると、おもむろにそのモノが振り返って私の姿を視認し、物凄く腹が立つくらいかわいらしい笑顔を私に向け親しげな口調で話しかけてきた。
「玉藻さん起きたんですね、すぐに朝食の準備しますからちょっと待っててくださいね」
うっわ、声までかわいらしいんですけど。
ただでさえ胸がムカムカするのに、なんかすっげえ腹が立つなあ・・って、あれ?
おかしい、正面から見たらもっと腹が立つ・・って思っていたのにそれほど腹が立たなくなってきた。
あれ? なんか変だぞ、どっかで見た覚えが、そして、なんだか物凄くよく知っている匂い。
というか、私の中の何かがこれは違うって訴えている、これは自分がよく知っている『人』物だって訴えている。
あれ? あれあれ!? あれれれれ〜〜!!
ちょっと、ちょっと待って!!
まさか・・まさかと思うけど・・いや、まさかとは思いますけど・・
旦那様ですかあああああああ!?
「ああ、やっぱり玉藻さんはすごいですね。わかりましたか」
にっこりとかわいらしく笑ってみせる少女の姿をしたその人物は、一度認識してみると間違いなく旦那様!!
ええええええ!! なんでなんで!? なんでそんな姿をしているんですか!?
「いや、実は昨日の歓迎会の時に、カダ老師から『嶺斬泊』でのお買い物を頼まれちゃったんですよ。それでここを一日だけ出る許可証ももらったんですけどね、いま『嶺斬泊』には僕の身代わりを務めてくれている蒼樹がいるじゃないですか。それで二人も宿難 連夜がいるわけにはいかないし、どうしようかなって思っていたら、カダ老師が12時間だけ効果がある『性転換』の丸薬をくださったんですよね。早速さっき飲んでみたんですけど、どうですか? これで誤魔化せそうですかね?」
と、私の前でくるっとかわいらしく回ってみせる旦那様。
いや、あの、旦那様、そんな腹立つくらいかわいらしい仕草でこっちを見ないでくださいませ。
物凄い複雑な心境です。
「あ〜、やっぱりダメですか? 玉藻さん、すぐに僕だって見破りましたものね」
いやいやいや。
ダメではないですよ、私、すぐにわからなかったですし、恐らく私以外の誰かに見破ることはほとんど不可能かと。
だって、そんな胸も尻もあって髪まで長くて、声まで女の子になっていたら、絶対わかりっこないでしょ!?
私だって、最初見たときすぐには旦那様ってわからなかったもん!!
それなのに、他の『人』にわかるとは思えないわ、例え同じ顔の蒼樹くんって子が横に並んだとしてもわからないと思いますよ。
だって・・
だって・・
だって、今の旦那様・・
その姿が不自然なくらいによく似合っているんですもの!!
「いや、それは薬のせいですよ。いやだな、玉藻さんたら」
コロコロとかわいらしく笑ってみせる旦那様・・って、だからそれですがな、それ!!
元々家庭的な雰囲気のある『人』だったけど、女の子になるとここまで違和感がないとは。
宿難 連夜・・恐ろしい子!!
「大袈裟ですよ、玉藻さんは。とりあえず、朝食にしましょうね」
と、言っていつものひよこのアップリケのついたエプロンを身につけて台所にパタパタと向かって行く旦那様。
二日酔いで痛む頭を抑えながらふらふらと後をついて行くと、早速流しの前に立って包丁を握り、朝食の用意をしている姿が。
いや、その。
どうみても後ろ姿が新妻なんですが・・
なんだろう、この物凄くやるせない気持ちは!!
まるで何か自分には決して手の届かない何かを見せつけられているようなこの敗北感はいったいなんなんだ!!
いつもはその手際の良さにうっとりして見とれている私だけど、今の旦那様の姿を見ていると物凄く自分がみじめになってくるのは、なぜだ!?
ああああ・・きつい、この光景は二日酔いの私には非常にきついし、厳しい!!
どんどん気持ちが沈んでいく。
台所にあるテーブルに『狐』の姿でありながら器用に腰かけてぐったりしていると、旦那様が気が付いて近寄ってきた。
「あらあら、二日酔いですね。昨日、玉藻さん、本当にたくさんお酒呑んでいましたものね。ちょっと待っててくださいね。今、二日酔いに効くお薬出しますから」
そう言って戸棚から二日酔いに聞きそうな錠剤を取ってきてくださった旦那様が、優しく私の口に錠剤を入れてくださり水を流し込んでくれる。
女の姿になってもやっぱり旦那様は旦那様なのよねえ。
その優しさと私に対する愛情はやっぱり変わらないわよね。
「当たり前でしょ。姿が変わっても本物の女になったわけじゃないですもの。心まで変われるわけじゃありません」
ですよね〜・・なんかそれを聞いたらちょっと気持ちが楽になってきた。
「『人』の中には性別を変えることができる種族の方もいらっしゃいますけど、僕の知り合いの場合、実際にその身体の性別を変更するのに物凄い時間がかかったみたいですし、その人格を変更した性別に合わせるのにもいろいろな葛藤があったみたいですからねえ・・昔の異界の力を使った奇跡の力でもない限り、速攻で性別とその人格を変えるなんてことは不可能だと思いますよ」
そっか〜、そう言われてみればそうよねえ
「まあ、僕の場合玉藻さんっていう対象が存在してくださっているおかげで、性別変化させてもブレルことなく役としての『女』になれるから楽なもんなんですけどね。中には変化した性別に引きづられて、体が元の性別にもどっても、性格がしばらく元にもどれない『人』もいるらしいですし」
げ〜〜、旦那様、それはダメですよ!!
「あっはっは、僕に限ってそれはないです。その理由についてはまだ言えませんけど、ちゃんと確証のあることですから心配なさらないでください」
まあ、旦那様がそう仰るなら、それはそれで納得するしかないか。
しかし、なんでまたカダ老師は旦那様にお使いを頼んだんですか?
「本当はね、アンヌが行くはずだったんですよ。でも、ほら、この前からアンヌのところに『人造勇神』の関係者の男の子が来て、一緒に暮らすようになったじゃないですか。どうもあの子って『人造勇神』から狙われているみたいで、事件が解決するまで『嶺斬泊』に連れていけないわけですけど、そうなるとあの子を置いて行かなくちゃならなくなるじゃないですか。それがアンヌには気に入らないらしくて、このままここにあの子に留守番させておいて一人だけ『嶺斬泊』に行くことはできないって、アンヌが言いだしましてね。それで僕が代わりにってことになっちゃったんですよねえ」
なるほどねえ、アンヌちゃんって、そういう優しい子よねえ。
そういうことなら仕方ないかあ。
二日酔いの薬が効いてきて頭がだんだんすっきりしてきた私の前で、旦那様が朝食の準備をすませてテーブルの上に並べていく。
今日の朝食はお腹に優しい魔鯛のすり身が入った旦那様の特製おかゆと、漬物だけです。
そうです、二日酔いの私の為に旦那様がわざわざ作ってくださったメニューなのです。
お椀にそれをよそってくれた旦那様は、いつも通りレンゲでそれを掬ってふ〜ふ〜して冷ましてから私の口に運んでくれます。
あ〜ん。
おいち〜〜。
え、いい加減自分で食べろって?
嫌よ、犬食いしたくないもん。
しかし、いつもの少年の姿じゃなくて、目の前にあるのが少女の姿の旦那様っていうのがなんとも違和感ありありというか・・まあ、大分なれたけど。
よく考えたら、私も同じようなものよね。
旦那様は『男』じゃなく『女』の姿で、私は『人』じゃなく『狐』の姿で。
でも、姿形は変わっても、旦那様も私も中身は変わらないもんね、それにどうせ、12時間たてば元にもどるわけだから一回こっきりの旦那様の女性姿を見ておくのも、これはこれで楽しいかな。
「そういえば玉藻さん、大学のことなんですけどね。お父さんから昨日聞いたのですが、今年玉藻さんが受講している授業全ての単位は無条件で取得ということで決定したらしいです」
やった〜!! もうけた!!
「ただ、ブエル教授という方が玉藻さんを三カ月のうちのどこか一回でいいから大学の研究室の方に来させてほしいと言っていらっしゃるそうなんですよ。なんでも回復術の講義でどうしても伝えておかないといけないことがあるからって」
あ〜〜、わかった、あれだ、今やってる回復分岐発展術の基礎の術の部分だ。
ちょうど教えてもらう日の直前からこっちに来ちゃったものなあ、確かにあれ聞いておかないとあとあとやばいよねえ。
「と、いうことで、ちょうどいい機会ですから、玉藻さん、今日行っていらしてください。実はブエル教授にはもうそのことをお父さんが伝えてくださっているそうです」
ええええ〜〜〜〜!!
き、今日ですかああ!?
い、いや、それは確かに今日は土曜日で大学には鬱陶しい男どもはいないだろうし、ブエル教授の講義は是非とも受けておきたいからできれば行きたいのはやまやまなんですけど、それだと旦那様はいったい誰が守るんですか?
「いやいやいや、そのための女装じゃないですか。そもそも、僕、『勇者の魂』を持っていませんし、ましてや宿難 連夜として『嶺斬泊』にもどるわけでもありませんからね。流石の『人造勇神』も僕を狙うことはないと思いますよ」
と、片手を口にあてて、もう片方の手をひらひらと振って見せながら相変わらずかわいらしい仕草で笑いかけてくる旦那様。
まあ、言われてみれば確かにそうなんだけど。
そうなんだけどね・・
なんか、物凄く私の胸の奥底からむくむくと嫌な何かがわき上がってくるのよ。
え? 二日酔いのせいだろって?
ち、違うわよ!! それはもう旦那様にもらった薬のおかげで全然平気になったの!!
そうじゃなくて、私の『女』の勘が物凄い勢いで警告ランプを響かせているのよ!!
このまま旦那様を一人で行かせることになったら、物凄く厄介なことになるって!!
旦那様、お願いです、明日に延ばせませんか?
私の必死の願いに旦那様も真剣な表情で見返してくる。
うちの旦那様ってほんと優しいから、『女』の勘なんて曖昧な理由でも頭ごなしに否定したりは絶対しないのよん。
ちゃんと私の話を聞いてくれるんだから。
「玉藻さんの勘が告げているってことは、恐らく本当に厄介なことが起こりそうですね・・それって僕の命に関わることですか?」
え・・いや、そう言われると・・そういう感じじゃないかなあ。
「あれ? 違うんですか? 命には関わらないけど危険な事件に巻き込まれるとかそういうことかな?」
えっと・・そういう感じでもないなあ・・
「う〜ん、じゃあ、どういう感じですか?」
この感じってその・・旦那様によからぬ虫が寄ってくるような感じというか、その・・
「ナンパですか? 僕がナンパされるってことですか? ・・ぷっ」
わ、笑いごとじゃないんですよ!! 今の旦那様ほんとにかわいいんですからね!!
「いやいやいや、されても絶対相手にしませんから。勘弁してくださいよ、玉藻さん、何度も言ってますけど、外見は『女』ですが中身完全に『男』ですから。そもそも僕、玉藻さん以外全く興味ないですしね。まあ、玉藻さんの勘は鋭いからあたるでしょうけど、そういうことなら一人でなんとかなりますよ。予定通りに今日行くことにしましょう。ね?」
むうう〜〜〜・・心配だなあ。
本当に大丈夫なのかなあ・・
「大丈夫、大丈夫。でも、危なくなったら玉藻さん、助けに来てくださいね」
うんうん、なるたけ早く用事を済ませて合流します!!
「僕の居場所がすぐわかるように、僕の携帯に発念機を取りつけておきましたから、玉藻さんの携帯の追跡ナビ装置でいつでも僕の居場所を確認できるはずです」
流石は旦那様、そういうところは抜かりないですね。
でも、ほんとに危ない所にいっちゃだめですよ。
「行きませんよ、ただの買物だけです。多分一日『サードテンプル中央街』をうろうろしていると思います」
了解です。
あ〜あ、だけど今回も二人っきりになれないんですねえ・・折角また『人』の姿に戻れるのに。
「二人っきりになろうと思えばなれますけど、今の僕『女』ですしね。まあ、焦らないでいいじゃないですか」
でも、旦那様ほんとはしたいでしょ?
私はしたいもん。
「それもまた修行です。それに僕は7年も待ちましたから、あと三カ月くらいならなんとかなります。玉藻さんはこうして側にいてくださるわけですし」
そう言って旦那様は優しく私の身体をぎゅっと抱きしめてくる。
私はいつも旦那様の側にいますよ。
ずっとずっと側にいますからね。
・・って、すいません、旦那様、すっごいいい雰囲気の中あまり言いたくないんですけど・・
「はい?」
その胸を押し付けないでください。
旦那様ってわかっているんですけど、なんだか物凄く微妙な気持ちになります。
「あ〜、正直僕も微妙な気分です。玉藻さんの大きな胸を見たり触ったりするのは大好きですけど、自分にあるのはちょっと・・早くも『男』にもどりたくなってきました・・」
ほんと、ここの生活っていろいろと大変よね〜・・あ〜あ、早く『嶺斬泊』で二人きりの新婚生活が送りたいわ。