恋する狐は止まらない そのろく
なんだかんだ言って、私と旦那様は本格的に喧嘩をしない。
いや、全くしないというわけではないの、時には行き違いがあって意思の疎通が十分にとれなくなってしまうときもある、だけど本格的に喧嘩になって物凄く悪い雰囲気になりかけると、必ずどちらかがそれに気がついて何らかの手をうってしまうのよね。
と、いうか本格的に喧嘩になりかけると、どちらかが崩れる。
もうね、目の前でぼろっと崩れてなくなりかける感じと言えばいいのかしら。
私もそうだけど、旦那様もそういうところがあって、どっちが原因であったとしてもすぐに駆け寄って仲直りしないとお互いが共倒れになりそうになるような感じがするのよね。
でもまあ、そうやって途中で喧嘩をやめてしまうと怒りが不完全燃焼になったりしていろいろな負の感情が意識の底に沈殿していきそうなものなんだけど、とりあえず喧嘩以外の方法でそれについては処理してしまうから、それもないわねえ。
例えば、どっちかがヤキモチ焼いたとして、普通だったら『私以外の『人』を見ないで〜!!』って泣き喚いたり疑ったりするものなんだろうけど、うちの場合は・・
「・・玉藻さん、お願いですから、極力僕以外の『男』を見ちゃだめです・・あ〜、でも、それだと日常生活に不備がでる・・かといって、イケメンに目を奪われる玉藻さんの姿は見たくない・・しかし、そういう姿を想像することがすでに玉藻さんを疑っているし・・う〜ん、やっぱり、今のは忘れてください」
私にしっかり抱きつきながら、わざと聞こえるようにブツブツと言う旦那様。
いや、どちらかといえばうちの旦那様は自分で処理してしまうことが圧倒的に多いんだけど、それでどうしても我慢できないときはこうしてやってきて私にべったりくっついてくる。
いつもってわけじゃないけれど、私への執着心が強いうちの旦那様は自分の心が抑えきれなくなる前にやってきて、自分の心の内をぼろぼろと私自身に零して心の平衡を保っていたりする。
と、いうかもっともっと私に頼ってほしいというか、もっと私へ不満をぶちまけてほしいんだけどなあ、恐らくその気持ちを晴れさせるために影で泣いていらっしゃったりすることもあると思うんだけど・・
私自身、物凄いヤキモチ焼きなんだけど、うちの旦那様はそれ以上にヤキモチ焼きである。
外では必死になって自分を抑え、寛容な亭主の仮面をかぶっているが、その実私に色目を使う男全てを呪い殺してやると言わんばかりの視線を送っているのを私は何度か目撃している。
まあ、何が言いたいかというとつまり、完全無欠に見える旦那様も結局は一人の男なのよね、いや、悪い意味じゃなく、そうでないと困るし、嫉妬されなくなったら私って存在はいないのと同じだもの。
あ、それは旦那様だけじゃないのよ、私も同じ。
いや、同じじゃないな私は、旦那様みたいに限界近くまで我慢したり一人で処理したりはしないわね、もっともっとはるか手前でぼろぼろと事前に吐き出して、旦那様にバンバンぶつけているわ。
まあ、そんな感じだけど、とりあえず2人ともそれなりに『負』の感情をコントロールしているから、お互いがお互いに抱いている黒い塊みたいな感情はほとんどないかな。
え? 旦那様はどうかわからないだろって?
う〜ん、確かにそうだけど、そういう気がするし、恐らく間違っていないというなんだかわからないけど確信みたいなものがあるのよ。
ちなみに、別のところには持っているのよ、旦那様以外の相手に対してはね、結構そういうのはいろいろとあるんだけど・・まあ、たとえば私をさんざんいびってくれた霊狐の里の連中に対する思いとかね・・まあ、いろいろ。
そういう感情に関しては私も旦那様も別の方向にベクトルが向いているから、決してお互いに向くことはないんだけど。
ただし、お互いが一緒にその方向を向くということはあるわね。
ふふふ・・その場合はその向かれた側にいる相手が私達が吐き出す負の感情を全部受け取ってもらうことになるんだけど。
勿論その場合はただでは済まないってことは確かね。
「玉藻さ〜ん、無視してないで、相手してくださいよ〜」
あ、しまった、旦那様置き去りにしてた。
『特別保護地域』にある我が家のリビングでごろごろしている私の身体に、蛇が巻きつくように抱きついたまま悲しそうな視線を送ってくる旦那様。
こういう風に甘えてくる旦那様は本当に珍しいことなのよねえ。
まあ、それは結構根深く旦那様が落ち込んでいるからなんだけど。
どうもね、珍しく修行で大失敗してしまったみたいなのよね、本当に本当に珍しいことなのよ、旦那様が修行で失敗するなんて。
詳しいことは聞いていないんだけど、教師であるカダ老師を怒らせてしまったとかそういうわけではなく、今、栽培しているイドウィンのリンゴの栽培方法を間違ってしまったみたい、それで何本かの木がダメになっちゃったんだって。
もう、なんかすっごい落ち込みようで、背中どころか体中から黒いオーラ噴き出しまくり。
一応、朝食やら洗濯やら掃除やら、家事一切が全部終わったあとに絡んできたのは流石なんだけど、ず〜〜っと、旦那様は私にべったりひっついたまま離れようとしない。
ん? いい加減うんざりしてるのかって?
まさか〜
こういう旦那様って滅多にみられないから、私としては逆に嬉しいのよねえ。
年齢の割に老成しているし、いろいろと世の中のことを達観しているもんだから、何かあっても大概の事は一人で乗り越えていっちゃうのよ、この『人』。
それとは逆に、旦那様に毎回結構助けてもらってしまうのが私で、たまには立場が逆転したいじゃない。
私の背中に抱きついてぶつぶつと言っている旦那様の身体をくるっとまわして前にもってくると、私は獣の四肢を使って旦那様の身体を引き寄せると、白い毛皮の中に包み込む。
すると旦那様は嬉しそうに私の毛皮の中に顔を埋め、きゅっと背中にまわしている腕に力をいれてしがみついてくる。
「玉藻さんの身体から優しい匂いがします」
旦那様の身体のほうが優しい匂いがする気がしますけどねえ。
「そんなことないですよ、玉藻さんの身体ってほんといい匂いがします。あ〜、でも匂いじゃないのかな、僕が一番好きな何かが出ているんです。昔、玉藻さんと初めて会った時に、玉藻さんに一目惚れしたのもその何かが強烈に心に残ったからなんです。これなんなんだろ、すっごい落ち着くんです。玉藻さん、大好きだ」
なんか今日はやたら懐いていらっしゃる旦那様、私の身体に回す手の力が強くなっていく。
でも、私も旦那様と一緒にいるとすごく落ち着きますよ、そして、これが肝心なことですが、私も旦那様が大好きです。
「はい、玉藻さん、ずっと僕の側にいてくださいね」
そう言ってぐりぐりと頭を私の胸に押し付けてくる。
まあ、『狐』の姿だから『人』の時にある大きくて弾力のある2つの脂肪はないんだけどね、ごめんね、旦那様、『人』の姿にもどったらいろいろしてくださっていいですからね。
「玉藻さんの大きな胸は確かに魅力的で素敵で大好きですけど、でも、一番重要なのは玉藻さんがいてくださることだから、僕は『狐』でも一向に構わないですよ」
そう言って私の顔をまっすぐに見つめてにっこりと笑い、抱き締める力を強めていく。
と言っても、旦那様の力ってあくまでも人間族レベルだからね、これくらいじゃあ全然苦しくないし、恐らく力一杯抱きしめられても全然苦しくないと思う。
それにしても、男の『人』に言うことじゃないんだけど、ほんと旦那様かわいいわあ。
舐めちゃおうっと。
「玉藻さん、くすぐったいです」
うっとりした顔で私の身体にしがみついている旦那様の顔をぺろぺろと舐めあげると、旦那様は嫌がる風もなく、ただくすぐったそうな顔を浮かべたまま私にされるがままになっている。
私は旦那様が抵抗しないので、そのままそのかわいい顔を舐め続ける。
髪の生え際のある額から始まって、太くもなく細くもないまゆげ、その下にある大きな瞳を隠すまぶた、すっと通った鼻、若干ぷくっとした血色のいいほっぺ、そして、男性にしては艶やかな唇。
特に唇を丹念に舐め上げていると、旦那様はいたずらっぽい表情を浮かべて私の舌をぱくっと咥えこんでしまう。
そして、口の中で自分の舌を私の舌に絡めてくる。
ちょっとの間、今度は私が旦那様にされるがままになってあげて、しばらくした後、私はそっと舌を引き抜くとまた旦那様の唇を舐める。
旦那様はどうもさっき『さわやか蜜柑サイダー』を飲んでいたみたい、口の中に蜜柑の味が残っていて、甘酸っぱかった。
唇や口の周辺を奇麗にしたあと、あごのほうに移動する。
それにしても旦那様って髭が全然ないのよねえ、本人はそのことをかなり気にしていらっしゃるから言わないんだけど、女性並みに肌も奇麗なの。
旦那様がメインで栽培している霊草の中に男性ホルモンを減退させる効果のあるものがあって、長いことその栽培に従事してきたからじゃないかって仰っていらっしゃったわ。
旦那様に女性的なところが少なからずあるのにも関係してるのかもねえ。
そんなことを考えながら旦那様の顔をじっと見つめていた私だったけど、ふと気がつくと旦那様はいつのまにかすやすやと眠っていらして、規則正しい寝息を立てていらっしゃった。
なんだかんだで疲れていらっしゃるのだろうなあ。
修行のこともそうだし、『人造勇神』のこともそうだし、あと学校のことや、友人のことや、そしてなによりも・・私のこととかね。
今日はそっとしておいてあげよう、そう思った私は、旦那様の小さな身体ができるだけ自分の内側にくるように引き寄せると、丸まって目をつぶった。
旦那様のことだから、起きたらいつもの様子にもどっていてがんばってしまうんだろうから、今だけはゆっくり休んでくださいね。
おやすみなさい。